かいじゅうたちのいるところ
モーリス・センダック作 じんぐうてるお訳 冨山房 ¥1,512-
独身の頃、一人旅に出かける時は、出発したすぐの時間が楽しかった。私はたいてい、予定をあまり考えずに出かけたから、これからの成り行きに胸がわくわくしたものだ。でも、家庭を持ってからは、それがどこか違ってきた。疲れきった子どもをひざの上に乗せ、夫ととりとめのない話をしながら、旅に出て一番楽しいのは、家に帰ることではなかったかと、ふと思う。
私が一番好きなのは、お母さんに寝室に放りこまれたあと、かいじゅうたちのいる空想の世界で思う存分遊んだマックスが、急に淋しくなり、やさしいだれかさんのところにかえりたくなった・・・という、その表情。
それは、子ども時代のあの瞬間に似ている。
友達と外を駆けずり回って、くたくたに疲れた時、夕暮れの中、家々から漂ってくる晩ご飯のにおい。
急に思い出すお母さんの顔と、ペコペコのおなか。
帰ってくるあたたかいひざの上があるから、子どもは安心して空想の世界を行ったり来たりできるのかな。
空想の世界から帰って来たマックス。
お母さんが持ってきてくれてた晩ご飯は、まだほかほかとあたたかかった。「な−んだ、ほんの少しの間の夢だったのか」と思いたければそれもよし。問題なのは、窓から見える月の形。
マックスが過ごした時間と空間は、再びナゾにみちたものになる。
怖そうで、怖くないかいじゅう
強くて、強くない子ども
流れているような、いないような時間
この本のワカラナイ世界は、空想好きな子どものそばにあるようで、読めば読むほど、とりこになるらしい。
1才の頃から、気づけばかいじゅうおどりをしていた息子。今では私が叱ると、「おまえをたべちゃうぞ−」と、マックスのセリフでやり返してくれる。
・・・ヤマハビデオライブラリ−から、ビデオも出ています。
(文;森 ひろえ)