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育児情報

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きくちさかえの育児エッセイ 1

『I LOVE YOU太』その1
『I LOVE YOU太』その2
 ●やってくれます中学生
 ●鼻ピー息子
 ●昔を思い出して
 ●制服のなぞ

『I LOVE YOU太』その3
 ●離婚
 ●家族
 ●いろいろな家族




『I LOVE YOU太』 その1

私は息子に恋してる。告白してしまうと、これは彼が生まれた直後から今もって続いていること。『遊太(ゆうた)、命!』なのだ。
こんなことを言うと、ある人は「母親がべったりだとね〜、冬彦さんになちゃうわよ〜」とか真顔で言ってくる。そう言われると、「そうかもしれない。ど〜しよ〜!」とか密かに悩んでしまうのだけれど、普段は仕事仕事で追いまくられていて、子供のことなんか口にしないことが多いから、もう一方では「きくちさんも、お母さんしてるんだあ!?」と不思議がられてしまうこともある。いっときますけどねえ、私のアイデンティティーは、はっきり言って“母”です。女&母。今はこれしかない。

長男、遊太は東京の立川にある三森助産院で生まれた。お産はけっこう軽かった。まあ、昔のラマーズ法だったから、仰向けの姿勢で必死に呼吸法をして、いきみ出したみたいなお産だったけど。今、考えれば、あんなにいきまなくても生まれただろうとは思う。それくらい、私の体はけっこう柔軟に調子よく開いた。
自分で言うのも恥ずかしいことだけど、やっぱりセックス好きの女はお産が軽いと思う。体を開くことに抵抗がないから。「足ひらいて〜!」とか言われて「は〜い、ご開張」みたいにすんなりいく。もちろん、いやな人の前で足を広げることなんかできないけれど、愛があれば水が上から下へ流れるように、私の愛のフェロモンだかホルモンだかが、トロンととろけて心と体を開いてくれる。陣痛は確かに痛いけど、やはり愛の行為だもん。私のからだは「いくわよー」という感じでビンビンに反応したし、我が息子も元気に子宮の中からこっちの世界に出てきた。
というわけで、私のお産は軽かった。

三森助産院でのお産は、ちょっと今では考えられないくらい楽しい(?)お産だった。これは助産院のお産としての特徴もさることながら、三森さんじゃなくちゃ味わえないお産だった。
陣痛が始まって、私と夫は車で助産院に向かった。到着したのは夜の9時頃。内診すると、子宮口はまだ5センチくらい。「今日中には生まれそうもないから、今夜は帰ったほうがいいよ」と三森さん。「そんな〜、家からここまで車で1時間もかかるんですよ」と言いつつ、三森さんに
そう言われたら、ひき下がるしかない。彼女はそれくらい頑固で、押しが強かった。「あれあれ」と途方に暮れた私と夫は、助産院の近所にある友人の家に一時避難することにした。家まで帰ったら、すぐまた飛び出してくることになるかもしれない、そんな予感がした。友人宅に避難しても、陣痛は休みなくどんどんやってきた。「やっぱりこーしてはいられない」とばかり、助産院に引き返す。
三森さんは「もう、帰ってきた」というような顔だったが、「まあ、テレビでも見てれば」と居間に通してくれた。私たちは「ヒッヒッフー」の呼吸をしながら『11PM』を見ていた。ホール&オーツのライブをやっていて、「このコンサート行きたかったねえ」と話ていると、次の陣痛がやってくる。そんなことを繰り返しているうちに、「うっう」とこみ上げてきた。あわててトイレに駆けこむ。
それまで「今日は生まれないから、布団敷いて寝ようか」と言っていた三森さんが「あれまあ」という顔をし、内診をすると全開大。そのまま分娩台の上で息子は生まれた。私は寝間着に着替える暇もなく、着てきたデニム地のスカートをはいたままだった。

生まれて「やれやれ」と思っていると時間はもう、朝の2時。「じゃ、ご主人はこれで」という三森さんを説得し、「泊めて下さい」と嘆願した。この日は入院している人たちで部屋は満室。「どこでもいいですから」というと、分娩台の下に一組の布
団が敷かれた。私は分娩台の上、夫が分娩室の床、生まれたばかりの赤ん坊は新生児室と淋しくもその晩は別々の布団で寝ることになった。
次の朝、バタバタいう音で目が覚めた。分娩室の入り口に三森さんが立っている。「お産よ。どいてどいて」 
夫がまず分娩室から出されて、分娩台にいた私は夫の寝ていた布団に移動。すぐ産婦さんがやってきて、私が寝ている布団の脇でお産が始まった。
「フッウ〜ン、フッウ〜ン、ウウ〜ン」とうなっている産婦の声。今まさに、赤ん坊を生もうとしている女が満身の力をふりしぼっている。私には彼女の顔は見えなかったけれど、布団の中から上を見上げると、分娩台のはしから開いた足の先が見えた。
「がんばってねえ」と思わず応援する。そう言えば私も、さっき産んだばかりなのだ。30分もしないうちに赤ちゃんが生まれた。
このときが、私の出産の立ち合いの最初の体験となった。破水で飛び出る水の音。「うんぎゃ〜」という赤ちゃんの第一声。ずるずるずる〜と胎盤が出てお産は終わった。血と羊水と胎盤と便と、もろもろの内臓の匂いが分娩室にたちこめている。もうぐじゃぐじゃ。赤ちゃんが生まれるときの匂いと音。その中で、子供が生まれた喜びが、ピータイルの上の煎餅布団に寝ている私にも伝わってきた。
『なんだか、ホロっとしちゃうなあ』
自分のお産のことより、人のお産のほうがホロっとしてしまうのはなぜだろう。
こうして、我が息子との日々は始まりを告げた。朝、新生児室からベビーたちが母親の手元に戻ってくる。
「ハイ」と若い助産婦が私のところに赤ちゃんを運んできた。さっき生まれたばかりの赤ちゃんがボチャッとした顔をして、白い布にくるまれている。「この子、ちょっと違うと思う。うちの子じゃなーい」と私。そういえば、生まれたばかりのとき、我が子をよく見なかった。「それにしても、このブチャくれ方はちょっと違う。私に似ていない。目が細過ぎる。きっと他の人の子だ」とその子を助産婦に返した。次はちゃんと、我が子がやってくるだろう。間違えてもらってはこまるなあ。

普通、病院では赤ちゃんを間違えないように、生まれてすぐ、母親の目の前で赤ちゃんと母親が同じネームカードを手と足につける。助産院では昔ながらに、足の裏に名字を書きこむのだが、この日は忙しかったからその赤ちゃんにはまだ名前が書かれていなかったのだ。
ところが「やっぱりこの子、おたくの子よ」と、さっきの赤ん坊が私のところに戻ってきた。「ほかの7人のお母さんたちは、全員自分の子を抱いているもの」「あれまあ」
渡された子をまじまじ見ると、ほっぺが丸くふくれてブチャっとしている赤ら顔。「これが私の子なのか。間違えちゃってゴメ〜ン」
しかしそのとき、よーくその子を見ていたら、私は心がすうっとその赤ん坊に吸い寄せられるような感覚に襲われた。身も心も、奪われそうなちょっと危うい気持ち。
い!」私はとっさに、体の中で動いたその出来事に不安を覚えて、その気持ちの流れをストップさせてしまった。
『この力に吸いこまれたら、私は私でなくなってしまう』と、その時感じたような気がする。今思えば、なんというつまらない抵抗だったんだろうと思う。赤ちゃんには、人を引き付けるオーラのようなものがある。ひとりで生きていけないからゆえの、人を強く引き付ける力。我が息子もけなげにも、生まれてすぐそのオーラを存分に解き放っていたのだ。
このとき、私が自分の心の動きにブレーキをかけてしまったことを、今も残念に思う。もっと、親バカしちゃえばよかった。愛をふりまいて、我が子にベロベロになってしまえばよかった。私は愛にケチだったのだ。愛は分けあたえると減ってしまうと思っていたのかもしれない。おおいなるケチ。
私は「あなたひとりのために、人生が変わるようなヤワな女じゃないのよ」なんて、そのとき生まれたばかりの赤ん坊にむかってつぶやいていた。「何があっても私は私。自分を変えるのは自分だけで十分よ」とかなんとか。
その頃私は23歳。まだまだ子供で、自分の子供に対しても、つっぱっていたのだろう。でも、やっぱり告白してしまうと、この瞬間から、私は遊太との恋に落ちてしまったのだった。



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