working father 働く母親はワーキングマザー。しかし働く父親をワーキングファーザーと呼ばないのは、なぜか?
babycom Working Father では、子育てに「協力」するだけでなく、積極的に子育てしたいと考える父親を「ワーキングファーザー」と定義して、男の育児参加について考えていきたい。




   ................子どもができないかも・・・
   ................出産前夜


いざ!育児休暇

いざ育児休暇を取ろうと思ってみても、本当にそんなものがとれるのかどうかは全く知りませんでした。係長に頼んで人事課に問い合わせてもらったところ「男性が取った前例はありませんが、制度としてはありますし、取ることは可能です。」と言う返事をいただきました。まあ考えてみれば西宮市唯一の男性保育士でしたし、大学時代は幼児教育の勉強をしていたので、特別なことをするという感覚ではありませんでした。

しかし自分のことはさておき、そのことを周りの人に理解してもらうのは、難しかったです。勤めだして5年目であり、仕事上責任があるものを任されていました。当然育児休暇を取ると、その代わりを誰かがしなくてはならなくなります。他の職員に迷惑をかけることになるという思いは、非常に心苦しいものでした。また「僕でなければできない仕事」というような、今思えば思い上がったことも考えていました。それらの思 いは色々とあったのですが覚悟を決めて直属の係長(女性でした)に「育児休暇を取りたいと思うのですが・・・」とお話をしにいきました。「ほんまにとるの?」驚かれはされたものの反対はされず、そして「パパが遊んでたらあかんよ!」という励まし?!のお言葉までいただき、積極的に応援していただきました。そしていよいよ課長へ、課長は(男性でした)係長のバックアップがあったのか「はい、ああそうですか。わかりました。」という言葉でした。制度としてある以上反対はされることはないと、思っていましたがなんとかこれでいけるという見通しがもてて、ほっと一息でした。

期間は1月から遼介の誕生日の3月中旬までの約3ヶ月間です。ママの断乳もかねて遼介が10ヶ月を過ぎる頃を一つの目安にしました。またちょうど仕事も一区切りつく正月明けからのスタートです。

育児休暇にはいる前にママからレクチャーがありました。一日の流れを表に書いてくれて、そのあちらこちらにメモ書きがしてありました。とても細かく家事と育児のアドバイスが書かれてありました。それを元に遼介の好きなことや苦手なこと、家事の段取りや、緊急時の対応など一つ一つを話していきました。
いろんな事を言われましたが、あまりたいそうには考えておらず、「まあ、家事も育児も適当にして昼寝して楽して暮らそう!」甘いことを考えていました。そしていざ育児休暇へ。

だいたいの一日のスケジュールは

6:30  起床 朝の準備をバタバタとする 
7:45  ママを送りに行く
8:30  片づけと洗濯物と掃除
   あそぶ
10:00 午前睡
      寝ている間にお昼ごはんの準備
12:00 お昼ご飯 
13:00 片づけ、お出かけ、買い物
15:00 お昼寝 ご飯の準備、
16:00 ママをお迎えに行く

といった感じです。

ぜんぜんゆっくりするヒマが無くて、お昼寝なんてもってのほか。時々疲れて一緒にお昼寝してましたが、そうするとその後のことがとても大変になります。後回し後回しになってしまい、結局他のことがなんにもできずじまいになってしまいます。うーん、主婦(夫)は大変だ。

とにかく最初の方は自分自身の意地もあり、何でも完璧にこなそうと一生懸命でした。遼介が生まれてから一歳の誕生日まで、毎日の生活の様子をノートに付けました。「遼介の育児日記」です。その育児休暇初日の感想の所に「今日から育児休暇スタート。掃除頑張りました。ちょっと張り切り過ぎかな?夜は中華料理にしました。」そして夕食のメニューには「おかゆ、麻婆豆腐、あげ麺の八宝菜がけ、リンゴ」ととても豪華なものが並んでいました。この日は初日と言うことでとても張り切り、掃除にご飯、洗濯にお昼寝とすべてにわたり 完璧に行うことができました。それで気をよくして「育児休暇なんて楽勝、楽勝!!」と思っていましたし、一日の生活が計画通りに進んでいくことが当然と思いこんでいました。

しかしそれ以後本当にうまくいかない。とにかく子どもは「なまもの」こちらの思い通りにちっともならない。寝て欲しいときにはねてくれないし、食べて欲しいときには食べてくれない。トイレもトイレに行ったときは出なくて、おしめをしたとたんにジャーとしてしまう。「いったい何なんだー」それまで結構あった自信が、音を立てて崩れ去っていきました。だんだんと腹が立ってくることもしばしばです。ママが帰ってきてくれると、本当に嬉しかったです。「やっと解放される」最初の方はそんな気持ちでした。

けどだんだんと一緒に生活していく中で本当に遼介がかわいく思えてきました。そして彼のことが色々とわか ってきました。それまでのお手伝いではなかなか気付かなかったことが、見えてきたのです。そうすると不思議なもので、少しずつ楽しく思えてきました。
(小崎 恭弘)






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