マタニティ・ヨーガ その1 概論編
●ヨーガだい好き
この春から河口湖にあるアトリエで過ごすことが多くなった。田舎家での私の日課は朝のヨーガから始まる。 起きるとまず、縁側のガラス戸を開け放つ。雪が消えたころから、庭には野鳥がめだって増えた。先日は野性の猿が庭の大きな桜の木を、おたけびを上げながらユッサユッサと揺さぶっていった。
そんな庭を眺めながら、座布団の上で40分ほどヨーガをする。とても幸せな時間だ。メニューは開脚、ねじり、逆さか立ち、鋤のポーズ、太陽礼拝、呼吸法に瞑想。ついでに腹筋と腕立て伏せを少し。好きなポーズを集めた私のためのメニューだ。ほんとうは「苦手なものをやりなさい」とインド人の師匠に言われているのだけれど、やはり好きなポーズばかりやってしまっている。だから長年やっているわりに、いっこうに上達しないのだろう。でも、ヨーガというのはやればやるほど新しい発見がある。呼吸法や瞑想が形だけでなく、自分のものになってきた(まだ途上だけれど)と実感したのは、つい最近のことだ。
自慢じゃあないけれど、私のヨーガ歴は22年。マタニティ・コーディネーター、ライター、写真家歴よりずっと長い。始めたきっかけは、多くの人がそうであるようにからだをこわしたからだった。結婚のストレスか、はたまた無謀なダイエットがたたったせいか、私は若干20才で胃炎になってしまった。病院に行ってバリウムを飲み、検査をしても病気の診断はつかない。かといって食べると胃はシクシク痛む。そんな状態が半年以上続いていた。その当時私は「精神世界」と言われていた分野の本をよく読んでいて、そこには東洋の運動がいくつも紹介されていた。ヨーガはもちろん気功法や太極拳、日本の武道などなど。「東洋に伝統的に伝わる運動は、からだを鍛え健康にし、さらに精神性をも高めることができます」とかなんとか言うコピーに引かれ、私はその中からヨーガを選んだ。なぜヨーガだったのかといえば、中国や日本より、インドの混沌としたカオスにあこがれを感じて、という不純な動機からだったように思う。それなのにこんなに長く続いてしまった。縁というものは不可思議なものだ。
そうこうしているうちにひとり目を妊娠した。当時は「女性は生理中、妊娠中はヨーガをするべからず」などと、誠しやかにどの本にも書いてあったような時代だった。なんだかおかしい。からだにいいことをするはずのヨーガなのに、なんで生理中、妊娠中はやってはいけないんだ? その理由は「生理中、妊娠中は過度な運動はしないほうがよい」というものだった。しかしちまたには妊婦水泳、マタニティ・エアロビクスがすでに登場していた。
「妊婦にヨーガが悪いわけがない」という直感が、私にはあった。そんな妊娠中、ハワイに行ったおり、古本屋で妊婦のためのヨーガの本を見つけたのだ。アメリカ人女性が書いた本だった。「やっぱり」という思いでその本をいそいそと買い、写真を見ながらひとりでマタニティ・ヨーガを始めてしまった。手探りではあったけれど、私のからだはヨーガを始めるととても順調になっていった。初めての妊娠中にありがちな漠然とした不安から、精神的にも少しづつ開放されていくような気がした。私は助産院で出産したので、当時のラマーズ法の呼吸法をさんざんやったのだけれど、ヨーガをやっていたおかげでラマーズ法の呼吸法もみごとにクリアすることができた。「呼吸法を勉強していたけれど、実際には役にたたなかった」という人がよくいるけれど、むしろ私にはそうした発言が理解できないほどだった。
お産は軽く、呼吸法もうまくこなせて、辛抱強かったので助産婦にもほめられた。この勝利の陰にはやはりヨーガがあると、私は単純に気をよくした。今考えれば、23才という若さゆえの安産だったのだろうと思う。
こうしたマタニティ・ヨーガの体験を、ほかの妊婦さんにも伝えたいという思いがフツフツと沸き上がり、マタニティ・クラスは始まった。ヨーガはわがクラスの誕生にひと役かった立役者なのだ。
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