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育児情報_きくちさかえ育児エッセイ

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きくちさかえの育児エッセイ 2

『I LOVE YOU太』その1
『I LOVE YOU太』その2
 ●やってくれます中学生
 ●鼻ピー息子
 ●昔を思い出して
 ●制服のなぞ

『I LOVE YOU太』その3
 ●離婚
 ●家族
 ●いろいろな家族




『I LOVE YOU太』 その2

この春から、うちの息子は中学3年生になった。
中3といえば、私自身、中学高校の学生時代を通して一番おもしろかった時代だ。ほんのちょっぴり悪さもした。万引きが見つかったり、妊娠がばれたり(私はこのあたりには縁遠かったけど)すると、親が呼ばれ、仲間が停学や退学処分になったりした。学校の中の隠れた部室で、タバコを吸ったり酒を飲んだり、下校のあとで私服で学校に遊びに行ったりと、せいぜいそのくらいのことで、先生や親はめくじらをたてていた。

ときは学生運動はなやかかりし頃。ゼンガクレンが核材や石を持って、町中をあばれまわっていた、そんなはるか昔の話だ。新宿や新橋、渋谷で学生が機動隊と衝突し、山手線が止まった。まったく今のオウム事件のように、その頃の様子を私はテレビでポカンと見ていた。「フムフム、警察や国家権力というのは、このように学生を弾圧するのか」とかなんとか、おやつのせんべいをポリポリしながら。
そのとき突然、電話が鳴った。一番仲のいいクラスメイトからだった。
「今ねえ、渋谷にいるの」(え?渋谷には機動隊と学生が・・・)
受話器の向こうではワーワーと騒ぐ町にあふれかえる人々の声がする。
「あたし、デモに参加してるんだあ」(何やっているんだこいつは!)
「今、機動隊におっかけられてねえ、頭きたから舗道の石をはがして投げちゃった」
(中学生のぶんざいで、しかも私たちは私立の女子校生なのだぞ!)と思いつつも、心の隅では『すごい!』とか思ってしまっていた若かりし頃。
その彼女は高校を中退してポルノ女優になった。彼女といっしょに学校で酒を飲んで酔いつぶれてしまったもうひとりの仲間は成績優秀でアメリカに留学。21才のとき、ワシントンで暴漢に襲われ、強姦された上にナイフで40ケ所もからだ中を刺されて殺された。

14〜15才のときの思い出は、私の中で今でもキラキラ光っている。学校に社会に反発し、世の中を斜に構えて見つつ夢見ごこちで、絶望しながらも一方で自分の力を過信していた。からだ中に勢いだけの空気がつまった、はじけそうな風船みたいだった。
そんな年ごろに遊太もなってしまった。


やってくれます中学生
教育ママでもないのに、去年も今年もPTAの役員を引き受けてしまった私は、まったくのおバカさん。この忙しいのに!とはいえ、学校にのこのこと出かけていくたびに、学校の内部事情や子どもたちの様子がどこからともなく聞こえてくるから、けっこう得になることもある。
しかし、そのお陰であるとき私は息子の担任の先生に呼び止められてしまった。
「ちょっと、お話が・・・」
先生に“ちょっとお話”と言われたときにはいい話であるわけがない。それは、自分の中3のときに十分経験ずみだった。ドッキン!である。
担任の先生は私より若い。公立の学校よりずっと自由な校風が気に入って入学させた学校だから、どの先生も小学校のときの公務員タイプとは違って感じがいい。
それでも、センセイという職業に対しては医師や警察官みたいに、なんだか訳がわからなくても一応偉そうなイメージがつきまとうから、面と向かって座ったりすると、それはそれは緊張する。私はすっかり、彼の口からわが家への断罪が今、下されるような気になってしまっていた。
「おたくの遊太君のことですが・・・」(きた〜!)
先生は静かに話をし始めた。私は肩をすぼめて、ちょこんと椅子に座り、耳だけはダンボのように大きくしながら話を黙って聞いていた。

「え〜!? うちの子がそんなことを!?」
私は椅子から1mほどお尻が飛び上がるかと思うほど驚いてしまった。机に置いた手がガチガチと震え、SFXの映画みたいにあんぐり開いた口から心臓がびょこ〜んと飛び出そうになった。
「うちの子に限って! そんなこと・・・(するだろ〜なあ)」とうなだれてしまう。
だいたいわが家の場合、親の性格上、新聞でいじめがとりだたされたときなども、こんな具合になる。
「大変たいへん! 遊太と同じ歳の子がいじめられて自殺したんだって! ユータちゃん、自殺だけはやめてね。ところで、あなたの学校でいじめはないの?」
「◯◯君がいじめられてる。ちょっとね」
私は自分よりいくぶん背の高くなった息子の顔をにらみつけ、「あんたがいじめてるんじゃあないでしょうね?」と迫る。それから「いじめられてる子も、いじめる子も親に言えない悩みがあるのよ。な〜んてかわいそうなんでしょう。何か悩みがあったら、なんでも母親か父親に言いなさいねえ」と急にねこなで声で言ってみたりする。
しかし、親から突然そんなことを言われても「実はさあ」なんて話をする子どもはいないに決まってる。それを息子だってわかっているから「ニヒヒ」とニヒルな笑いを浮かべるだけだった。

小学校4年の息子が万引きして補導されそうになったとあたふたする友人がいても、私は「だいじょ〜ぶよ」と軽い感じでなぐさめていた。高校生の娘がやはり万引きして警察に補導され、夫婦で娘を迎えにいったという話を聞いても「たいしたことないわよ。そんなことで不良の道に入ることなんてないんだから」と、あははと笑っていた。実際問題、たいしたことはないのだから。
しかし!ことがわが子となると、からきし弱い。なんていうことだろう。
「ちょっと、最近むしゃくしゃしているのか、教室で悪さをしているようなんですよ。黒板にツバを吐きつけたり・・・」と、先生は言う。
遊太は万引きはおろか、タバコを吸ったわけでもなかったのだけれど(ばれてないだけかもしれないが)、私は「え〜!!!うちのむすこがコクバンにツバを〜!?」とばかりあからさまに動転してしまった。
親というのはまったく子どものことを言われると、実にはしたなくなる動物である。
『親が離婚したせいかしら?(何か不都合なことが起こると私は反射的に離婚がすべての原因だと思ってしまう癖がある)、それとも最近忙しさにかまけてかまってやれていないのがいけないのか?、はたまた晩ご飯の献立がかたよっているのか?』などなど重箱の隅をほじくるみたいに自分のいたらなさに思いをめぐらせてしまう。
「あ〜、なにもかも、私が悪い母だからだわ!」


鼻ピー息子

息子の学校は小学校から高校まで一応つながっている。だからPTAの会合には、小学校から高校までの親が集まってくる。小学校低学年のお母さんは、まだ若くて幼稚園のPTAののりだ。そんなひとりがこんなことを話していた。
「この学校は自由だから、小学校の女の子もピアスしてるんですねえ。耳のピアスはかわいいんだけど、こないだね、校門のところで鼻にピアスを開けている中学生の男の子を見て・・・」と、驚いていた。鼻にピアス、しかも、学校に。
「そ、それ、うちの子です」と言ったのは、私だった。

中学に入ってロック少年になった遊太は、中2になるといきなり「鼻にピアスをしたい」と言い出した。
「あのねえ、穴を開けるなら耳にしなさい。顔に傷がついちゃうわよ」と親は説得にかかるが、本人は「開けたい、あけたい。開けるぞ、あけるぞ」と念仏のようにとなえていた。
夏休み、私とふたりでロンドンで3週間の休暇を過ごしたときも、まだピアスのことを言っていた。本場ロンドンである。街には鼻だの眉毛の上だのくちびるだのにビチビチに穴を開けた少年少女たちがあふれかえっていた。
「勝手にすれば」とは言ったものの、こんどは彼のほうが「痛いのはいやだ。麻酔をかけるクリニックを探したい」とほざく。
「穴を開けるのはパンクス魂でしょ。痛いとか言ってる場合じゃない」とあきれても、それとこれとは彼の中では話が違うらしい。強がっているようで、結局は穴開けもファッションなのだ。
あと数日で日本に帰るという日になって、やり残した仕事をかたずけるようなつもりで、私は18年前(!)、自分がピアスを開けたケンジントン・マーケットの店に遊太を連れていった。地下のショップ街にある実にあやしげな小さな店だ。
腕に刺物をしたマッチョマンが数人、順番待ちをしている。店の主人もハード・ロッカーくずれのようなおやじだ。
「息子が鼻にピアスをしたいんですが、こちらでは穴を開ける際に麻酔を使いますか?」と聞くと、おやじは私をにらみつけ「そんなものは、使わねえよ」と吐き捨てるように言った。
「開けるなら早くしな。入れ墨をする客が待ってるんだ」
あらまあ、これは大変、早くしなくては。しかし、肝心の遊太は麻酔がないと聞いてグズグズしている。
「とっとと、開けちゃいなさいよ」と、うむも言わせず私はビビる息子の背中を押した。ショットガンのような機械で、一瞬にして彼の鼻にブスッと穴が開く。 「ギャッ!」
「痛かったよー」と鼻を押さえて泣きべそをかく息子に、「おしゃれには根性が必要なのだ」と母は言い、ふたりでロンドンの地下鉄に乗った。


昔を思い出して

ある人が、「子どもを育てていると、自分がその歳だったときのことを思い出せて楽しくなるよね」と話してくれた。だけど私は、遊太が小さい頃はそんなこと思ってもみなかった。思い出すにはあまりに記憶が古過ぎた。でも、今やっと自分の中3の頃と彼を重ねて考えることができるようになっている。
育児って、そんなことをしながら楽しんでいくものなんだろう。私が赤ん坊だった頃、幼稚園児だった頃、小学生の頃をふり返れたら、もう一度子ども時代を体験できるもんね。
過ぎてみると、とても貴重な子ども時代。だから、子育て時代もきっと貴重なんだあろうなあ。


制服のなぞ

息子を今の学校に入学させたのは、つまらない校則にしばられる生活を彼にさせたくなかったからだ。だいたい、こんな勢いのある若者たちに制服を着せるという世の中の体質がそもそも理解できない。
「そんな中からファッション・デザイナーは生まれない」とは遊太の父親の弁。それを聞いてみょうに納得してしまった。自由な発想は同じものを着せられ、規制された中からは生まれないよ、やっぱり。
最近は、坊主頭やリーゼントなんて子は都会にはいない。茶パツの長髪に学ラン、ピアスに学ランの時代なのだ。そんな子を街で見かけると、ほほえましくて笑ってしまう。
なんでそのおかしさを、大人は矛盾と気がつかないのだろう?



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