妊娠・出産・育児

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辛い。 ミミ子  -- 2005/12/06 ..
ろそろ二人目の子供…と思う頃から、何とはなく夫婦間でズレが大きくなりつつあるのを知っていたものの、妊娠した途端、かなり大きくズレてしまいました。二人目が出来たことが重荷だったのか、以来、夫婦関係はありません。

会話は出来ましたから、自分の思っている事などを伝えて、辛いとか、悲しいとか、数年に渡り折々、伝えていましたが、話は、会社から帰ってから、子供が寝てから、になりますので、どうしても夜中になります。だからいつも答え(返事)は「判ったから寝ろ」でした。結婚九年を迎える頃、とうとう、この生活はこのまま何も変わらないだろうという事を自分でも認知し、愛情は徐々に冷めてゆきました。

そんな中で、子供二人の育児をしながら仕事をしていましたが、なんだか、だんなの様子が少しずつおかしい(落し物が多い。毎日必ず立ち飲み屋に寄り道して飲んでしまう)なあと思っていたら、ボコボコに殴られて帰宅したり(どういう経緯か不明)、ある日、「もう会社に行けない。嫌なヤツがいて、そいつの顔を見たくない」と言って、失踪してしまいました。何とか見つけて、その足で病院に連れて行くとうつ病との事。会社は半年休みました。三ヶ月で無給になり、子供にとっても「なんで僕たちは保育園に毎日行くのにお父さんは…。」と思い悩みながらの日々でした。生活は私が支えました。精神的にも、とても辛い毎日でした。

だんなの親からは「どうしてこんなになるまで」と言われたし、実の両親からは「自分が頑張らないと」とハッパを掛けられ、「彼は病気なんだから」と毎日毎日…、会社に残って日々、残業しながら、少しでも給与を、と思うと、同僚の女性社員からは「あの人、子供がいるくせに残業して」と白い目で見られ、変な無視も始まりました。私の担当業務が、仕事上素通りできないところでもあり(無視しようにも出来ない)少しするとやみましたが、私は、私が今陥っている環境まで全部言わなければ、こんな状態から脱することが出来ないのだろうかと辛い日々でした。

半年の休業の後、夫は復帰しましたが、私が出張でいないと、朝、起きられないとか、「行きたくないから会社にウツが出たので行けないって(私に電話しろと言う)言って」とか、四六時中見張っていないと、しっかり出来ません。この間は会社で集金したお金を落としてしまい、盗まれた、と言っていましたが(トイレに立った隙に、取引相手がカバンから盗んだという)管理もしていないカバンから目を離したのは夫のミスですし、会社側も、自分が盗んだんじゃないのか?と、疑うため、自費で弁済しなさいということになり、紛失届けは警察に出しましたが、結局、うちの貯金をかき集めて会社に支払ました。私の給与の五か月分です。何年も前から「スキーに連れて行って」と息子がお願いしていたので、今年こそは、と支払ったばかりのスキー旅行代もキャンセルし、息子には訳を話しましたが、泣き喚かれました。「どうして、どうして」って。

それでも、支払が終わった日、夫は「やっと安心して眠れる」と言って、すーすー寝てました。預貯金はすっからかんになり、月の給料が出るまで、私は、自分の夜ご飯を抜きました。この間やっとお米が買えました…。でもだんなは晩酌はやめません。

愛情なんてもう何処にもない。子供が「離婚だけはしないで。お父さんとお母さん、そばにいて」と言うので、私は八方塞で(本当は顔も見たくない)出口もなく、震えがくるぐらいに辛い状態になりました。会社の先輩が、昨日「ミミ子はここ一年、おかしい。だんなを支えてない」と散々言うので、何もかもぶちまけようかと思いましたが、その人にぶちまけたところで、救われないし、変な興味持たれるのも嫌で踏みとどまりました。

今日はやっと会社に来ました。子供がいるからこそ、偏見にも、負けられない。でも、こんな事が続くと、本当に死にたい。お母さんじゃなかったら、子供たちがいなかったら、とっくに投げられた、と思うし、とっくに死んでいたとも思うし、子供たちがいるからこそ、頑張れるとも思う日々です。
読んでくださってアリガトウございました。まだ負けられません。頑張らないと…。


皆様ありがとうございます。   ミミ子
十分にがんばりすぎの気がします   パフェママ
もう頑張らなくていいのでは?   匿名
元気出して!   にいなまま
読んでいても・・・辛いです。   めら
個人的な意見ではありますが。   もち
時には思い切って身内を頼ることも   マルコバルド
立派ですよ。   りんりん




 

   >>> 皆様ありがとうございます。 ミミ子   -- 2005/12/06..
 
沢山の方々からお返事をいただき、ありがとうございました…。
正直、自分にも波があって、浮上したと思うと、また、沈んだり、お礼を書こうと思いつつも、今現在を正視する事が何だか辛すぎて、書くに書けない状態、お礼が遅くなって申し訳ございませんでした。

ただ、ここにこうやって、自分の気持ちを書けたという事は本当に、良かったと思います。自分なりに少し、整理出来たような気もしました。かといって、展望が開けた訳ではないのですが、何処にも吐き出せない、澱のようになった気持ちを、少しでも流すことが出来て、良かったと思っています。

子供のために頑張らなくてはならない、だから頑張って、とおっしゃってくださった方々のご返信、とても嬉しかったです。父親が頼りに出来ないので、寄る辺の無い子供たちはやはり私が頼りですよね。よく判っているのに、どうしてもグラグラしてしまう時があり、そんな時の子供の目は何とも言えません…。上の子はやっと一年生です。とてもしっかりしているのですが、今住んでいる「家」に固執しています。此処からは絶対に離れないと言います。本来なら、こんな心配などしないで守られて安定した生活を送って然るべきなのに、悲しいです。やっぱり頑張らないといけないですね。

それから、もう、頑張らなくてもいいとおっしゃって下さった皆様。自分の在り様(一つ波を越えると、また次の大波が来るという)について、まだ頑張らなくてはいけないのか、まだこれ以上を求められるのか、と溺れるような気持ちでいたところを救っていただき、ありがとうございました。これを書きながら、ずっと、誰かに赦してもらえたら、と思っていたのだと思います。もういいよって、言って欲しかったのだと思います。お金の事もそうですが、時々、病気も手伝って、夫がすごく怖くなる事があります。そして、必ず上の子供は俺にくれ、俺の子供だから絶対に俺と住まわせると言って、尋常じゃない目つきになります。だから、離婚のことなど、怖くてうまく切り出せない状態です。

御自分のご経験についてお話し下さり、アドバイス下さった方にも厚く御礼申し上げます。

人間として(家族として)夫を見ると、見捨ててもいいかどうか悩みます。離婚すれば、きっと堕落して、ホームレスになるような、つまり、子供の事よりも、私の事よりも、自分の方が大切な人なので、息子たちを立派な人間に育てようとか、そういうのは抜け落ちていますから、養育費の事や、子供の事など考えずに仕事を辞めてしまうと思います。子供とは玩具のようには遊びますが(自分の遊びたい時に)。面倒くさくなると、追いやってうるさいと怒鳴る人です。

だらだらと書いてしまいましたが、何だかとても自分自身、疲れてしまっていて、文章も稚拙だし、お礼もいい加減になって申し訳ございません。引き続き頑張ります。そして少しだけ、自分が楽になれるような方法を模索していきたいと思います。

何年か前までは本当に夫が好きでした。でも、返って来ない愛情を、待ち続けて、時に泣いてすがったりしても、千分の一も判ってもらえないという事は、辛くて悲しい事でした。何をしても無駄だと思い、心が冷たくなってからは、一気に気持ちが崩壊していったような気がします…。夫が病気になった時の、自分の、冷たい気持ちにも正直ビックリしましたが…。
 





   >>> 十分にがんばりすぎの気がします パフェママ   -- 2005/12/02..
 
スレッドを読んでいて昔、父に私が言った事を思い出しました。
>子供が「離婚だけはしないで。お父さんとお母さん、そばにいて」と言うので
私は小学生時代に父に泣いてこのセリフをぶつけたものです。
私の母はいわゆる「悲劇のヒロイン症候群」で家で「私は病弱だから」の一言を免罪符にほとんどベットで生活していました。
しかも、「息子(弟)の為になら何でもやってあげる母親で娘(私)は所詮将来家を出て行く(嫁ぐ)身なので今のうちにコキ使っておこう」という考えの母親でした。

そんな母でしたので当然家事などはしなく、浪費だけは人の数倍ということで父は朝30分帰宅する時間をやりくりするのがやっとというほど働いていました。
日中は家業をして夜はタクシーの運転手といった「二足のワラジ」生活をしていたのです。

ただ、まだ小学1年だった私は父の実態は理解出来ず、母の「いつだって私は離婚出来るのにパパと離婚しないでやっているのよ。離婚したら息子だけ連れて実家に帰るから」と言われつづけていたため余計に父に「私のために離婚しないでね」と訴えていました。

結論的には私が大学生のときに両親は離婚しました。
私は大学が遠方だったので自宅にいなかった事もありますが、離婚したことも離婚して1ヶ月後に知らされた状態でした。
父は自分の生家なのに母に玄関の鍵まで変えられて裸一貫で締め出されました。
ちなみにその15年間の間に母は自分の趣味を活用して税理士の資格を取り、会計事務所を設立して自分の生活費は自分で十分に稼げるようになったので父が不用になっワケです。(それまでは無収入の専業主婦でしたから)

父は離婚して1年の間にまた死に物狂いで働きある程度の生活水準を保てるようになって初めて私に電話をしてきました。
私に電話する電話代すらない状態だったのです。
でも、その時の父の声はツキモノが取れたかのように清清しく活気のある声で「まだ学費などを払ってやれるほどではないけど、今がんばっているから。娘が卒業するころには胸を張ってあえるようにするから待っていてくれ」と言っていました。
離婚後、母にはつかず父方に戸籍は残し大学の学費は奨学金・バイト代でまかないました。

すでに大学を卒業して15年ですが、今でも思うのが父に私が「離婚しないで」と呪縛の言葉を投げなければもっと楽な人生を送れたのでは?ということです。

「離婚する」は決してマイナスだけではないのです。とはいっても離婚を勧めているワケではないですよ。
お子さんと対等に相談してみてはどうでしょうか?
離婚することでミミ子さんが楽になるのでしたら絶対にお子さんにも良い影響があると思います。

私は30年前に父にぶつけた「私のために離婚しないで」と言う言葉に今でも後悔しています。
私の父に話したらきっと「バカだな。私の判断で決めた事でキミが責任を感じる事ではないよ」と言ってくれるのも解っているので言えずにいますけどね。

長々カキコさせていただきましたが、がんばりすぎずに少しは自分に楽な道を選んでください。
 





   >>> もう頑張らなくていいのでは? 匿名   -- 2005/12/02..
 
ミミ子さんとは状況が少し違いますが、こんなケースもあるので参考まで…。
私の夫は仕事こそ行っていましたが、妊娠発覚後からのDV(言葉&暴力)がひどく精神的に病んでいる(仕事ストレスが原因)のが明らかでした。
しかも、精神的に病んでいる事を自身がなかなか認めず2年くらい続きました。
そして、まさに今のミミ子さん状況になった時(つまり限界状況)、今まで我慢していた思い初めてを夫に訴えました。
㈰あなたの行為(言葉&暴力)はDV。つまり、あなたは病んでいる
㈪この状況によって自分も壊れた(私が鬱病になりました)
㈫もう限界
そして、決心して最後に放ったこの一言
㈬このままこの生活が続くなら別れます

2歳の子どもを抱えての決断でした。
夫は私の真剣度合を察知したのでしょう。
あれだけ拒んでいた病院に自ら足を運び(躁鬱病でした)、その日以来3年が経ちますが、言葉と身体の暴力は一切なくなりました。

男の人って、妻はなんでも許してくれると思っている気がします。
その「許容範囲」を違えたのが我が家のパターンかと思います。

ミミ子さん、まずは冷静になりましょう。
「死にたいと思う」と書いていますが、ミミ子さん自身の精神をまずは安定させる事が先決かと思います。私も通院してはじめて自分の状況を冷静に考える事ができました。
そして冷静になったところで、愛情がないと書かれていますがもしご主人が180度変わってまだ検討の余地があるならば、どうぞご主人の今の状況、自分の限界の状況を話してみてあげてください。ちなみに私の場合「愛情」というより、もはや人としての「同情」で話した気がします。
それでも伝わらないようでしたら向かうべく方向に踏み切ったほうが賢明かと思います。

ミミ子さんは十分頑張ったと思います。
もう、頑張らなくていいと思いますよ。
 





   >>> 元気出して! にいなまま   -- 2005/12/02..
 
こんばんは。思わず最後まで引き込まれるように読んでしまいました。
私はミミ子さんの辛さ、本当には分からないと思います。でも、文面を読んでいる限り、旦那さんも、お子さん達もそれぞれ苦しんでいるように感じました。お子さんの「離婚だけはしないで。お父さんとお母さん、そばにいて」
って言葉、涙が出ますね。ミミ子さんが旦那さんに対して愛情がなく、顔も見たくない状態なのに、お子さんにこう言われてしまって気持ちが八方塞になってしまったというのは分かる気がします。いっそ、旦那さんと一時的に距離をおいてみることはできないのですか?離婚ということではなく、別居という形で、週何日かだけ決めて会いに行くとか。とはいえ、旦那さんも精神的には半病人ですから、一人暮らしは心配ですよね。旦那さんの親に来てもらうことはできませんか?そもそも、旦那さんの親は旦那さんのことをそこまで重症だとは思っていないのでは?でも、会社に支払ったお金の件といい、ミミ子さんが一人で全てを背負うのはもう限界にきているように感じます。
それから、せっかく復職できた会社ですが、旦那さんに別の仕事を探してもらうことはできませんか?不況の折、厳しいとは思いますが、「行きたくない」「朝起きられない」というのは、うつの原因が取り除かれていない証のような気がします(素人考えでしたらごめんなさい)。このままの状態が続くと、ミミ子さんがダメになってしまいます。私もめらさんの意見に同感です。会社の人に話すのが抵抗があったら、友人でもカウンセラーでも誰でもいいから苦しい胸のうちを打ち明けて、少しは楽になって下さい。応援しています!
 





   >>> 読んでいても・・・辛いです。 めら   -- 2005/12/01..
 
 よく頑張っていますね。身体も心も心配です。
 
 同じ経験のない私がコメントするのもどうかと思ったのですが、一応意見を・・・。
 人って、好きなこといいますよね。自分に余裕があると、(経済的にも気持ち的にも)言いたい人には言わしておける強さとか余裕ってあうとおもうのですが、自分に余裕のない時って、そうではない部分ってあると思います。
 前置きがながくなりましたが、要するに、周りの人に1度か2度だけ状況を話していいと思います。
  
 「会社の先輩が、昨日「ミミ子はここ一年、おかしい。だんなを支えてない」と散々言うので、何もかもぶちまけようかと思いましたが、その人にぶちまけたところで、救われないし、変な興味持たれるのも嫌で踏みとどまりました。」

 → なにもかもぶちまけていいと思います。そのように言った先輩の言葉を怒るのではなく、冷静に今の状況を話すのです。「このような状況なので、私自身おかしかったのかもしれませんね」っとさらっと、話してみていいと思います。人はなにも知らず、いろんなことを話します。状況がわかれば、いらぬことを言うことをやめるだろうし、なにか、プラスになることがあるかも知れません。もちろん、変な興味を持つ人もいるかもしれません。その状況にたいして、いらぬコメントをするひともいるかもしれません。でも、そのような人は、きっと状況がわかっていても、またわかっていなくてもいろんなことをいう人です。
 どっちにしろ、言われるのです。なら、状況をわかってもらったほうが、いいんじゃないかしら?っておもうのです。
 1度か2度というのは、あまり何度もいうと「同情してほしいの?」なんて反感をかわれることが予想されるからです。

 どうぞ、いまからは、少しでも状況が回復していけるように、願います。
 





   >>> 個人的な意見ではありますが。 もち   -- 2005/11/30..
 
このままではミミ子さんの身が心配です。
想像するに体力的にも精神的にも、経済的にも。
今のパートナーがパートナーとしての立場をなさないのなら、
三行半突きつけてもいいのではないでしょうか?
お子さんがいくつなのか分かりませんが、ミミ子さんが辛くて
たまらないことを伝えて別れることを考えてもいいのではないのでしょうか?
お父さんが頼りにならない、お母さんが頑張りすぎて倒れてしまった、
なんてことになったらこどもは悲しむと思います。
お母さんの辛さや、頑張りをこどもに知ってもらうことはこどもにとって
悪だけにはならないんじゃないかと思います。
ミミ子さんのこれ以上の”頑張り”が私には心配です。
 





   >>> 時には思い切って身内を頼ることも マルコバルド   -- 2005/11/30..
 
ミミ子さん、こんにちは。
あまりに辛い内容なので、どうコメントしようかと考え込んでしまいました。

私事で恐縮ですが、私が子供の頃、
私の父も「うつ」状態で、ほとんど収入がありませんでした。
だから、母が昼間はパート、夜や休日はアルバイトをして生活を支えていました。
手に職の無い母の稼ぎは、おそらくミミ子さんより低かったと思われるので、
当時私の実家は経済的にはもっと困窮していたはずなのですが、
子供の頃のことを思い出しても、ミミ子さんの書き込みほどには、辛かった記憶が無いのです。
その差はなんだろう?と考えてみました。

一番の差は、母が父のことを100%好きだったことにあるようです。
好きな相手となら、病気も貧乏も乗り切れるのですが、
…ミミ子さんの状態では、どうしようもないですよね。

もう一つの差は、出費を極力押さえた「生活の手段の差」です。
母はサバイバルゲームを楽しむように、貧乏を楽しんでいるようでした。
福祉を調べ上げ、もらえそうなお金は全部もらい、必要の無いものは絶対支払わない。
思い切って身内からお金を借りることも、時には必要です。
(サラ金に手を出すのは厳禁。お金は無利子、低利子の行政の支援や身内から借る。これは鉄則。)
給食費その他、色んな免除を申請したり、
困ったときは地元の民生委員や行政の無料相談サービスを利用し知恵を絞ります。
(だんな様の過失についての書き込みを読んでいて、ホントに胸が痛かったです。
支払う必要無かったのでは?だんな様のご両親に金銭援助を頼んでもよかったのでは?
あと、休職中に傷病手当てがもらえたのでは?)

母は家事を全然やらなかったので、家はゴミ溜めのように汚かったですが、
少し時間に余裕ができると、「リフレッシュのため」映画を観に行ったりしていました。
ゴミでは死にません。

金銭的余裕と、時間の余裕が無いと、「気持ちの余裕」も無くなります。
気持ちの余裕が無くなると、現状を打破するための解決策を思いつくことができません。
どうぞ一旦残業を控え、お身内の方に一時的にお金を借りるなどして、
「気持ちの余裕」をお作りになってはいかがでしょうか?
今が一番辛い時、今後はお子さんも大きくなるのだから、なんとかなります。
 





   >>> 立派ですよ。 りんりん   -- 2005/11/29..
 
ミミ子さん立派ですよ。よく頑張ってるなと思います。旦那さんの実家に事情を話して援助はしてもらいないのですか?がんばってがんばって貯めたお金を不注意とは言え会社に払わなければいけなかったこと、辛かったと思います。きっと旦那さんへは怒りを通り越して何も言う気力も無かった事でしょう・・・私も結婚前から旦那の借金などを肩代わりしたり、やっと借金も無くなり生活も安定してきた所、今度は旦那の実家への月々の仕送り、それでもたりなくなるとまとまったお金を振り込みます。もちろん、私が働かなければやっていけません。旦那からお金の話が出てくるともう、言い返す気力も出なくなりました。でも、子供に私と同じ思いをさせたくないので自分達の老後の蓄えもしていきたし、子供の貯金もしたい。必死に働いています。
今回は息子さんが可哀想で、きっととっても楽しみにしていた事とおもいます。それを叶えてあげられなかったミミ子さんが1番辛かったと思います。一人で抱えすぎないで、でもお子さんの為にも頑張ってください。