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2度目の手術を終えて戻ってきました ぽち1  -- 2003/08/02 ..
以前に羊水過少症で21週で中絶を決意しなければならなくなったぽち1です。その際には多くの方に励ましの言葉を頂きましてありがとうございました。
実は昨日、2度目の子宮内容除去術を受けて退院してきました。
私の娘は7月3日に手術を行い、お空の神様のもとに預けました。

手術は予想外に大変なものになってしまいました。ラミで子宮口を広げる前処置に3日かかり、最終的には18本ものラミを入れたことで痛みが激しく、座薬を入れて痛みを抑えながら時間が経つのを待ちました。そして手術の際には入れたラミが取れなくなり1時間以上格闘する事になっただけでなく、あまりに痛みがひどかったので特別に「無痛分娩」の手法を取ることにもなりました。その後陣痛促進剤を徐々に子宮に入れていったのですが、一向に陣痛は起こらず子宮口も広がらず、更に羊水が少ないため余計に赤ちゃんがスムーズに出てこれないという事も重なり、朝から始まった手術が夕方になっても目処が立たないため、一旦は場合によって明日に持ち越しということになりました。しかしその間に私が徐々に発熱してしまい、40度近い高熱となってしまった事から、医師は感染症の疑いを懸念し、どうしても今日中に赤ちゃんを取り出さないと母胎が危ないという事になってしまい、急遽全身麻酔の手術に切り替わってしまいまいました。
気がついた時には全てが終わっていて、私は12時間近くいた分娩台から病室へと移されました。その日は意識ももうろうとしていたため娘には会えませんでしたが、翌日の夜旦那が病院に来るのを待って、初めて娘と面会できました。
普通の新生児を運ぶためのワゴンに乗せられてやってきた娘は、やっぱり他の赤ちゃんと比べて小さかったですが、頭に帽子をかぶり私が用意した新生児用の肌着を着て足元にソックスを置いてもらっていました。目も口も鼻もちゃんとしていて、いつでも泣き出しそうに見えましたが、その体にはいくつもの傷があり、見えないように覆われていました。悲しい事ですが、私の体を優先してしまったからでしょうか、生きて産まれることの無い赤ちゃんだからと判断されたからでしょうか、カンシで引っ張り出されてしまったために、そうなってしまったのです。抱っこしてあげたかったけれど、体がしっかりしていないため、できませんでした。初めての赤ちゃんとの対面がこんな事になるとは想像もしませんでしたが、これが現実なのだとその安らかな可愛らしい顔を涙を拭いながら見つめ、心に刻みました。
その後私の退院を待って、13日に火葬を行ないました。普通のものだと娘には大きいので、お人形や涎掛けを小さめに手作りし、私達夫婦の写真も入れメッセージを添え、花を敷き詰めて柩を送り出しました。そしてほんの少しですがお骨も残り、娘はまた小さな骨壷に入って私のもとに戻ってきました。今は自宅の寝室の一角に娘のコーナーを作り、毎日お花とお線香を上げています。
以前にもお伝えしたよう、これでよかったのだと今も自分に言い聞かせています。でも、一つだけ悔やまれてしまう事があり、それは娘を産んであげられなかったことです。カンシで引っ張られてしまって痛かったんじゃないのかな、ちゃんと産んであげられれば傷がつく事も無かったのに、と。そして私自身も出産した記憶がどこにも無いことが、かえってリアリティを感じられず辛いのです。仕方がなかった事なのだと思いますが、何とも心の整理がつきません。
そんな中、今度は胎盤がきちんと出きっていなことが判り、再度手術を受ける事になり、昨日手術を終えて退院し戻ってきたところです。少しずつ心と体が癒えてきていたのですが、あいにく隣の分娩室で出産が始まってしまい、今まで抑えてきた気持ちが一気に噴出してしまい、分娩台で大泣きしてしまいました。「無理しなくていいんだよ」と諭されましたが、頭では全て整理できているものの、自分でもコントロールできない感情があって、何時までたっても涙が止まりませんでした。
まだまだ時間がかかるのだと思います。でも、娘と約束したように、神様に悪かった所を治してもらったら、もう一度戻ってこられるよう、私も元気にならなければいけないのですよね。
御心配を頂いた皆さん、私も新しいスタートに立てるよう頑張りたいと思います。ご報告を併せ再度お礼を申し上げます。


・・・・。涙。   とめこ
きっといつかは・・・   桜子
よく頑張りましたね   せっちゃん




 

   >>> ・・・・。涙。 とめこ   -- 2003/07/27..
 
はじめまして。
大変な事を経験されたんですね。
最初に、お疲れ様でした。と、言いたいです。
私も、早期ですが、2度の流産経験者です。
2度目の流産、39歳ということもあり、ラミナリア入れました。
知識がなかったもので、軽く考えていたら、痛いの本当に、1本でも大変でした。なのに、3日も・・・。絶句です。
座薬なんて、ぜんぜん効かないですよね。
つらかったですね。
誰もわかってくれないと思いますよね。
何で自分だけって。夫のことも私は恨みました。よ。
ゆっくり、時間をかけて元気になってください。
身体も、心も、時間しかないと思います。
一つずつでも、好きだった物・事を積み重ねて、元気になって下さい。
また、きっと、希望は生まれるはずです。
 





   >>> きっといつかは・・・ 桜子   -- 2003/07/27..
 
 ぽち1さん、無理しないでくださいね。泣きたいだけ泣いて
 いいんですよ。辛いことだけ降りかかってくるような
 そんなお気持ちだと思います。
 でもいつか必ず苦しんだ分だけの幸せがやって来ると信じて
 生きていきましょう。
 ぽち1さんが一日も早くお元気になられるように心から祈って
 おります。
 何もしてあげられず、励ましの言葉もかけてあげられずに
 本当にごめんなさい。でもぽち1さんのこと、我が事のように
 思っています。
 いつかまた必ず嬉しいご報告をしてくださること、いつまでも
 いつまでも待っています。
 





   >>> よく頑張りましたね せっちゃん   -- 2003/07/26..
 
とてもつらかったですね。
決断、そして手術、ほんとうに頑張りましたね。
神様のところにいる赤ちゃんが、ぽち1さんのお腹にいられたことを誇りに思っていますよ。そして神様がママのお腹にもう一度連れて行ってくれる日を楽しみに待っていると思います。

無理はせずゆっくりと元気になってください。
甘えたいときはご主人にたっぷり甘えてください。
こんなに頑張った自分自身を愛してあげてください。
ぽち1さんに再び赤ちゃんが戻られますように!