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臓器提供について たんぽぽ  -- 2006/06/16 ..
 先日以来、子供の臓器移植についての問題をきっかけとして、このサイトで臓器移植について発言させていただいています。

 子供の臓器移植が認められて良いものかどうか、臓器移植を提供する側から検討したいと思い、色々と調べてきましたが、このサイトの皆さんと共有しておきたいと思う情報がいくつかありましたので、紹介させていただきたいと思います。
 
 まず、2000年10月から臓器移植法の見直しが始まっているとのことです。改正案はいくつかありましたが、2004年2月25日に、自民党は厚生省厚生科学研究費研究班のメンバーである町野朔氏による町野案の路線で決定したそうです。以下、大阪市立大学教授である森岡正博氏の「臓器移植改正を考える」から引用させていただきます。

2000年10月から現行の臓器移植法の見直しの時期にはいりました。厚生省の厚生科学研究費研究班のメンバーである町野朔氏は、2000年2月18日に改正案中間報告を発表し、8月22日に最終案を厚生省に提出しました(2節に全文公開)。それは、

(1)法律によって、脳死を一律に人の死とする。脳死の拒否権は認めない。

(2)脳死になった本人がドナーカードをもっていない場合、「臓器移植に自己決定して死んだ」ものとみなし、家族の承諾があれば移植できるようにする。

(3)親権者の承諾があれば、意思表示のない十五歳未満の脳死の子どもからも移植ができるようにする。

 次に、町野案の一部を引用します。

b[人間像の問題] 問題は法がいかなる人間像を前提にするかである。日本の臓器移植法は、本人が生前に死後に自分の臓器を提供することを申し出ていない以上、彼はそれを提供せず墓の中に持っていくつもりなのだ、と考えていることになろう。そうであるからこそ、本人が何もいっていないのに臓器を摘出するのは彼(死者)の自己決定権に反するのだ、と考えるのである。しかし我々が、およそ人間は、見も知らない他人に対しても善意を示す資質を持っている存在であることを前提にするなら、次のようにいうことになろう。——たとえ死後に臓器を提供する意思を現実に表示していなくとも、我々はそのように行動する本性を有している存在である。もちろん、反対の意思を表示することによって、自分は自分の身体をそのようなものとは考えないとしていたときには、その意思は尊重されなければならない。しかしそのような反対の意思が表示されていない以上、臓器を摘出することは本人の自己決定に沿うものである。いいかえるならば、我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在なのである。

 「我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在」であるそうです。

2005年1月5日に自民党と公明党が河野案を提出予定とあります。河野案については、後ほど紹介したいと思います。
2006年1月、3案が国会提出準備中ということですが、注目しなければいけないのではないでしょうか。


トマトの気持ちさんへ   たんぽぽ
トマトの気持ちさんへ   りお☆
りお☆さんへ、そして会計報告で思うこと。   トマトの気持ち
たんぽぽさんへ   トマトの気持ち
たんぽぽさん   りお☆
トマトの気持ちさんへ   たんぽぽ
たんぽぽさんへ 続きです   トマトの気持ち
たんぽぽさんへ   トマトの気持ち
りおさんへ   たんぽぽ
我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在」   トマトの気持ち
前回投稿内容に誤記がありました   りお☆
疑問に思えてしまうこと   りお☆
改正案2案、今国会提出   たんぽぽ
町野案に対する日弁連の声明   たんぽぽ
河野案   たんぽぽ




 

   >>> トマトの気持ちさんへ たんぽぽ   -- 2006/06/16..
 
 トマトの気持ちさん、こんにちは。

 ご返信いただき、ありがとうございました。

 トマトの気持ちさんのスレッドから、色々と考えさせていただきました。

 私は、今の法案には反対ですが、ここでお話になるかたの中にも、役にたてるのなら提供したいと考える人は多いのですから、本人の意志を無視することで提供数を増やそうとするより、成人していれば、本人の意志が確認されれば、家族の反対を無視できるようになったほうがいいのでしょう。

 これからも色々と教えてくださいね。

 
 





   >>> トマトの気持ちさんへ りお☆   -- 2006/06/14..
 
レスありがとうございます
本当に、身軽にポンと言う風には行かないですよね…
でも、特に今の場合は、前にも書きましたが、もともとの目標金額を超えた余剰部分だけで十分で、私もそれでよけいに「すぐに回しても…」と思えてしまうものでして…
募金をしたたくさんの方の気持ちがこもっているのはもちろんわかるのですが、Aちゃんなき今となっては、どこかで役立てなくてはならない、そして、一番同様の立場で今一刻を争っている子供がいるならそこに…と思えちゃうんですよね。
私も見守っていきたいと思います。

 





   >>> りお☆さんへ、そして会計報告で思うこと。 トマトの気持ち   -- 2006/06/14..
 
りお☆さんこんにちは。
りおさんの疑問、理解することはできます。
単純にとおっしゃるように、ちょっと考えれば、そうすればすぐに・・・というように思えますものね。
そうしたいという気持ちはあると思いたいです。

ですが、募金で集まったお金、中々そう身軽にポンと言う風には行かないのではないでしょうか?
たくさんの方の気持ちのこもった募金です。そのお1人お1人の額は小さいものかもしれない、けれども、色んな想い(Aちゃんだけを知っていて、Aちゃんの為にならとか、小さい子だからとか、移植医療の今の日本に責任を感じてとか・・・・)は千差万別、募金をしたという行動には色々な想いの元に集まったものだという事を充分解っていらっしゃるのだと思います。
なので、今、自分たちのやるべきことは全て終わった時に残ったお金も責任を持ってどう使っていくか?を考えた上で、寄付する場を選ぶべきなんですよね?
その時の気持ちだけで、全額を譲るということは、たとえしたい気持ちがあっても、出来ないのではないでしょうか?
個人として、募金は出来てもです。
どこに、そのお金を委託するのがいいのか?また、誰に?どんな病状の方に??
選ばねばならない事、会として決めなければならない事があるはずなのです。

そして、その前に、まず、ご自分たちがどう使ったのか?をきちんと会計報告する義務がすくなくともあり、それをやった上で幾ら残金が残っているのかを、まず明確にしなければ成らない作業があるはずです。
前のスレットでも、会計報告の是非、疑問などが色々と上がっていましたが、その額を出すだけでも、
そうとうな作業が必要になってくると感じます。
バランスシート的なものを作るだけでも、その詳細な帳簿的なものはあるはずです。
募金とは違いますが、会社でも経理の仕事って煩雑で大変なことはご存知だと思います。
レシートや領収書が不必要に出てくる日本ではないこともありますし、合計が出てくるまでの作業は、すぐに想像できるのではないでしょうか?

また、会計報告がずさんとの指摘や詳細を公開すべきとの声もありますが、
私個人の意見としては、
どんな膨大な金額を動かしている企業であっても、税務署に提出しているのは、こういった決算処理的なバランスシートだけですので、募金に対してもそれでいいのではないかと思っています。
せいぜい、会計報告士のチェックが入っていれば充分だと思います。
とはいえ、企業には税務署というお目付け役があり、その全てを求め、調査し、間違いをただし、不正を罰する機関がありますので、そういった意味では、第三者的なチェックをする団体があってもいいようには思っています。
今回のAちゃんの救う会はどうされるのかを、見守りたいと思っています。

 





   >>> たんぽぽさんへ トマトの気持ち   -- 2006/06/13..
 
たんぽぽさん、お返事ありがとうございます。

>心臓死といっても、臓器移植を前提としている場合は、手術室に入ってから人工呼吸器を止めることも多いようですから、自然死とは違いますね。

わたしも、それが気になります。
なんか、それって、既成事実を作るためだけにそうしている・・・
そう感じてしまいます。

私も今の法案を全面的に支持しているわけではないんです。
確かに子供の移植に少しだけ門を開けていますが。
でもね、でも・・でも!!
たんぽぽさんのおっしゃるように、心が欠如している様に思うのです。
血肉の通った案ではなくて、性差差別に聞こえるといやですが、なんかこう、
男のリクツだけで作られているような・・・・そういう感覚はあるのです。

提供する側のドナーが納得いく形にならなければ、ウソだ。
その想いは一緒です。そこがクリアできて、初めて、胸を張って日本にはこういうすばらしい法の元、提供する側が増え、その恩恵を受けれる。
といえる日が来ると思うのです。それが本当の姿のはずです。
理想論なのかもしれませんが・・・それを求めなければいけないように思います。

それが出来なかったとき、たんぽぽさんのおっしゃるような
>結局は身寄りのない人から臓器を取り出すことになるでしょう。そうなると、本当に人間の最も暗い一面をあらわにする技術となりかねません。
に成ってしまいます。
そういう疑いのある、某臓器移植先進国(とでも言うのでしょうか・・)が、今、問題になっています。
死刑囚から臓器を取り出す・・・・それも、公に公表されるのではなく、闇に隠れている部分で・・・というニュースレポートが出ています。
(国名は伏せさせていただきました)

そのニュースが事実であれば、これこそ、たんぽぽさんのいうところの
どうも他人の臓器に欲望の視線を向ける
の最たるもののように感じます。
とんでもない話しです。
日本がそういう方向へ、それももっと巧妙に進まないことを祈るばかりです。それでなくても、今、現状でも、?は尽きないのですから。

それから、話がやはりちょっと違う角度になりますが、
脳低温療法を受けても、移植できる臓器はあるようです。
腎臓は水浸しにしなくても十分使えるものらしいです。
(日本臓器移植ネットワークの掲示板からの情報です。ここでも、賛否両論いろいろ議論が出ています。移植推進派は多いですが、その方達だけの場にはなっていません)

 





   >>> たんぽぽさん りお☆   -- 2006/06/12..
 
たんぽぽさんへの返信にもなっていなかった私のただの疑問についてのメッセージに、丁寧なご返信をいただき、ありがとうございます。
やはり、私が考えるような単純な案でいくものではないようですね…
たんぽぽさんや他の方々のたくさんの書き込みにより知ることができ、また、考えることができた多くのことについて、今後私も目を開いていきたいと思います。
ありがとうございました!
まだまだ細かい点についてコメントできるほど考えがまとまっていないので、中身のない短いコメントになってしまうこと、どうぞおゆるし下さい。

 





   >>> トマトの気持ちさんへ たんぽぽ   -- 2006/06/11..
 
 トマトの気持ちさん、ご返信ありがとうございます。

 トマトの気持ちさんには、色々と教えていただいて、感謝しています。

 心臓死でも、直後ならば痛みがあるのではないかと書いている学者もいました。心臓死といっても、臓器移植を前提としている場合は、手術室に入ってから人工呼吸器を止めることも多いようですから、自然死とは違いますね。

 こういうことを言ってはいけないのかもしれませんが、私は、どうも他人の臓器に欲望の視線を向けることに違和感をもってしまうのです。

 いったい、どうやったら、私たちは死を受け容れられるのかと考えてしまいます。

 そういう意味では、トマトの気持ちさんが、たとえ脳死状態で意識があっても構わないとおっしゃる気持ちはわかります。もう自分は死ぬのだから、人の役に立てて本望だ、という気持ちで死ねるということでしょう。

 自民党の改正案がとおることがあったら大変だと思うのは、そういう尊い思いが、抜け落ちていくように思うからです。
 色々と理由をつけても、結局は身寄りのない人から臓器を取り出すことになるでしょう。そうなると、本当に人間の最も暗い一面をあらわにする技術となりかねません。

 日本人は、おそらく拒絶反応を示すと思いますが、注目していきたいと思います。
 





   >>> たんぽぽさんへ 続きです トマトの気持ち   -- 2006/06/11..
 
続きです。

心臓死も実際のところ「ご臨終です」と言われても、実は本当にかすかですが、そしてたまになのですが、心臓もトクンと動くし、微細動もし、時に呼吸もあることもありえるのでは?と思っています。脳死に厳格さを求めるのであれば、心臓死についても、今一度、目をむけることも必要?とハテナマークが私の中で動きつつあります。実際、エンジェルセットを装備していただく時、その場から離れるわけで、その時にあれ?と看護士さんたちは思うことってないのかなぁ?と・・・。
たしか火葬までの間は24時間以上空けなければ成らないというような、法律もあったように記憶しています。実際、日本ではお通夜からお葬式まであるので、それ以上の間が空くのが普通なんですけどね。
あまり考えたことがない部分ですが、まだ体温が残っている状態で、心臓マッサージをしつづければ、動くはずではないか?と思うのです。
ドライアイスを置かれるまでにも数時間はありますよね??

母は子宮ガンで亡くなりましたが、最後の最後に痛みとモルヒネの競争になり、
モルヒネを打つ間隔がどんどん短くなり、最後はこれを打てば、おそらくもちませんが・・・・といわれ、最後の1本をお願いして打っていただき、それ以上の措置はなく、酸素マスクこそ、つけていましたが、母は旅立ちました・・。
その時、徐々に心拍は弱まり、呼吸も浅く、小さくなっていったのですが、本当に体が冷たくなるまで・・3時間以上かかったように記憶しています。
また、義母の時は心臓マッサージで随分と長い時間、まだ死んではいない状態を保たせてしまった経験も有るので・・・・そんな疑問が沸いてきています。


それとはまったく別な話なのですが、
脳死移植に目が行っていますが、実際は生体間移植にも完全な死からの移植という、目をむけなければならない問題が、この脳死移植と関連して横たわっています。
移植医療がなぜ、これほど脳死→移植に魅力を感じているかが、それを少し見ると、わかるような気がします。肉親からの移植優先なんていう話がでてくるのも、生体間移植ですでに通例になっているからなのでしょう。

日本が厳格に脳死を求めているからこそ生まれてきた低体温療法もこの技術が進めば、また、脳死の話はだいぶ違うところへと基準が動いていいものなのも確かなことだと私も思っています。
ただ、それを行ってもなおかつ、脳死は完全にはなくならないのではないかとも、思っています。

私個人としては、脳死→移植は過渡期の「選択できる医療」なのかもしれないと考えがまとまってきました。
ではその代わりのものはなにか?といえば、この一連のスレットで人工臓器→移植という話が出ましたが、これこそ、私たち女性にひょっとしたらさらに身近な問題であるかもしれないと思えるのです。

法案のゆくえから、話がだいぶそれてしまいましたが、スレットタイトルが「臓器提供について」なので、今、目前の法案もものすごく重要ですが、いろいろと書いてしまいましたこと、ご容赦くださいね。


 





   >>> たんぽぽさんへ トマトの気持ち   -- 2006/06/11..
 
たんぽぽさんこんにちは。

脳死→移植については賛成もし、ドナーに成ることもきちんとしたものができればという前提付ですが、なりたいと思えるという事を書いていますが、
今現状でも、正直なところ日本の脳死→移植のための脳死判定には信頼を持っていないことは、何度か書かせて頂いているとおりです。
本当に、今の移植法がどうなっていくのか?注目していかなければいけないことなのに・・・・・

何も知らないうちに「我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在」と決められてからでは遅いのに・・・と思っています。

脳死判定が厳密なものになれば、関心の無さから、今よりも該当できる人は減るかもしれない。それでも、しっかりとこの行方を直視して、関心を寄せてくれる方が増えれば、厳密なものになったとしても、増える可能性もあると私は思っています。

さて、脳死の判断の部分で、すでにたんぽぽさんは読まれているかも?と思いいながらも、参考として載せておきます。
ただ、長いので、検索してくださいませ。

「死体からの臓器摘出に麻酔?」というHPからリンクで「視床下部機能例を脳死とする危険」というタイトルのところへいけると思います。
いつもどおりYAHOO!などで「死体からの臓器摘出に麻酔?」ですぐ出てくると思います。

この中で、「脳血流の話が、杉本 侃:脳死状態における循環機能の維持に関する研究、医学のあゆみ、134(6・7)、471−472、1985もほぼ同内容の論文で、以下はこの2論文の考察部分の要約。」に出てきてます。
そこから下の文章は医学用語が結構多く、わたしにはわかりづらいですが、
脳死もパタンと死亡するのではなく、徐々に移行していくものであることが、解ると思います。

ただ、やはり、ベクトルは間違いなく死へ向いているのですが・・・・
その中の文章で、”この段階で「ご臨終です」と宣告されたら当人に聞こえる可能性があるし、臓器を摘出したら激痛、恐怖を感じる患者が含まれる可能性があるからです。”という一文があります。

私は、逆にドナー登録(今のものであれ、新しいものになったとしても)「確固とした気持ちでそれに○をしている方なら、死を納得できるような気がしました。はっきりと、聞こえるように、「このまま数時間がたてば肉体的にも死亡します。あなたはドナー登録しているので、これで脳死と判定して、臓器摘出を行います」と言って欲しいと思ってしまいました。
そして、苦痛無いよう、きちんと麻酔などの処置を行ってもらいたいと思いました。それで十分納得できるところにいるように感じたのです。
そんなセレモニー的なものもありなのではないか?と・・・。
なんでこんなことを?と思うかもしれません。


 





   >>> りおさんへ たんぽぽ   -- 2006/06/10..
 
 りおさん、ご返信ありがとうございます。

 私は、臓器移植を望む子供たちのお一人お一人のことは、知りません。しかし、アメリカの医療費は高額だと聞きますので、かなりかかることは確かです。会計報告などを見ていると、だいたい7千万円でまかなえると思います。

 残りは、その子のために三年間凍結して、その後はトリオ・ジャパンに寄附したり、同じような難病の子供たちのために何百万円かずつ寄附している人も結構いました。

 お金のことは分かりませんが、これだけ批判がでているのですから、救う会の方も、もっと詳しい報告をした方が良いのでしょう。
 でも、寄附は寄附ですから、それに価値があるかどうか判断するのはご本人であり、してしまったことに関しては、後で何を言っても始まらないとも思います。各人が判断するべきことだと、私は思います。

 それよりも、臓器移植を希望する子供たちのご両親が、子供であっても「脳死を人の死であると認めて欲しい」と訴えられる際に、自分の子供がドナーになることを想定されているのかどうかが気になりました。「我々レシピエント」などという表現があると、ドナーにもなりうるのに、その立場からは考えていないのではないかと、思えてなりませんでした。

 難病の子供だけではなく、健康なお子さんもいる場合、本当に脳死と判定されたら、子供の体がまだ温かいうちに、他のお子さんのためにメスを入れることができるのか。臓器提供に向かない難病のお子さんについても、心臓死後の角膜提供だけでもできるのか、本当に考えておられるのか、疑問があります。角膜提供でも、眼球ごと抜き取られます。自分の子供のこととして、そういうことを想像しておられるのかどうかが気になりました。

 このスレッドをたてたのは、臓器移植法改正に注目していただきたいと思ったからです。日本の場合、実際に「脳死者」として臓器提供される方は非常に少なく(44例)、年に数例しかありません。そのため心臓や肺、肝臓などの臓器移植ができず、海外で移植を希望する人が絶えません。そういう事情があって改正が求められているのでしょうが、「本人の意思」を除外すると、どうなるのか、きちんと見なければいけないと思います。

 明確な拒否を表明している人以外、人は脳死からの臓器移植を認めているということになると、結局拒否する家族のいない人や、家族から愛されていない人が提供者になる可能性が高いということです。そういう方から、臓器を抜き取って当然ということになると、臓器移植の崇高な一面が、完全に奪われてしまうことになると思います。

 脳死からの臓器移植が、これほど問題になる原因の一つとして、救命処置と臓器保存術が完全に対立するという事実があります。

 脳に障害を受けた場合、脱水状態にして体を冷やし、脳の温度を32度程度に冷やすという「脳低温療法」が有効であることが知られています。しかし、臓器を新鮮に保つためには、水分を補給して尿の出を極力減らし「水びたし」の状態にする必要があります。

 救命と臓器保存は対立するのです。

 家族のいない人の場合、後でこのようなことに問題があっても、誰も問題にしないでしょう。
 法的脳死判定21例目については、御遺族が病院を提訴しています。1.3.4.8例目については、日弁連より人権侵害勧告書が提出されています。
 このようなことはなくなるでしょう。
 そして、そのことが我々日本国民への重大な人権侵害にあたるのではないかと考え、このことに注目していただきたく、スレッドをたてました。

 私も、「脳死」について、何も知らなかったので、基本的な事実だけご紹介したかったのです。
 





   >>> 我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在」 トマトの気持ち   -- 2006/06/09..
 
たんぽぽさん、私の処理能力を超えている部分での、スレット、ありがとうございます。本当なら、いいだしっぺの私がまとめて、問題提起しなければ!!というところなのですが、感謝です。

さて、
「我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在」

これだけをポンとクローズアップすると、え??!なにそれ??って反応になると思われます。たぶん、そんな自己決定していない!!と思う方が圧倒的なはずです。
ので、補足として、一部引用をします。
これは、「生命学ホームページ」の「臓器移植法を考える」の中にある「てるてる案(西森豊氏著) 現代文明学研究:第3号(2000):139-179 脳死否定論に基づく臓器移植法改正案について」のP146からの引用です。

--------以下引用----------

旧中山案・町野案と同様に、心臓死後・脳死後どちらでも、本人の生存中の書面による承諾がないときには、遺族が書面により承諾すれば、臓器を提供できるとしている国は、多い。
フィリピン、台湾、オーストラリア(クイーンズランド州)、ヨーロッパ(ヨーロッパ評議会)、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、カナダ(ブリティッシュ・コロンビア州)、および、USAの「モデル法」、そして、WHO(世界保健機関)の「臓器移植に関する指導指針」(1991年5月)でも同様の規定をしている。8)
この点をさして、町野案では、多くの国では、人間は死後の臓器提供へと自己決定している存在である、との人間観に立っている、と述べている。

「およそ人間は、見も知らない他人に対しても善意を示す資質を持っている存在であることを前提にするなら」
「たとえ死後に臓器を提供する意思を現実に表示していなくとも、我々はそのように行動する本性を有している存在である。」
「反対の意思を表示することによって、自分は自分の身体をそのようなものとは考えないとしていたときには、その意思は尊重されなければならない。しかしそのような反対の意思が表示されていない以上、臓器を摘出することは本人の自己決定に沿うものである。いいかえるならば、我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在なのである。」
「多くの国が、本人の明示の承諾がなくても摘出できるとしているのは、このような人間観に立っているからであろう。これらの国が、死者の自己決定権を軽視していて、日本の現在の臓器移植法だけがこれを重視している、というのではないと思われる。」

この町野案で述べられている人間観に比較的近い考え方を、野村祐之が「死の淵からの帰還」(岩波書店、 1997)で述べている。野村は、USAで、脳死者から提供された肝臓の移植手術を受けた経験に基づき、「提供者」をさす「ドナー」という言葉を次のように説明している。9)

なお、町野案は、旧中山案では、見直しまでの期間は5年であったが、現行の臓器移植法では、3年に短縮されたのは、旧中山案の修正によって、本人の書面による承諾を臓器摘出の要件としたため、「有効な意思表示をなしうる能力の欠如している小児が死後にドナーとなることは不可能」となったのを「早期に再検討すべきであると考えていた」からであると述べている。
このような問題意識は、移植患者団体の一つ、「トリオ・ジャパン」が、心臓移植を待つこどものために、こどもからの、脳死後の臓器提供も可能にするような法改正を求めて、提出した要望書とも合致する。


---------引用はココまでです。-----------

あと、少々余談になりますが、
たんぽぽさん、引用のルール、いろいろな表記があってそれに則っていく作業、大変労力が必要かと思います。トマトのブックマークはトッ散らかりすぎていて、いざそれを引用したくても、ひぃ〜〜どこをみればわかるのぉ?ってな状態であります(^^;
どうか、無理をなされませんように。。。。
 





   >>> 前回投稿内容に誤記がありました りお☆   -- 2006/06/09..
 
>「いくらなんでも1億2千万も必要とは…

すみません!Aちゃんの目標金額は9000万円でしたm(__)m

 





   >>> 疑問に思えてしまうこと りお☆   -- 2006/06/08..
 
こちらの掲示板での最近の書き込みで、臓器移植に関する、いままで知らなかったいろいろな面を知ることができました。

まだまだ私は、自分の考えが語れるほどまとまっていないのですが、どうしても疑問に思えることがあり、迷ったのですが、書かせて下さいませ。

実名は一応伏せますね。
私は、Aちゃんの臓器移植のための募金のことを知り、
「臓器移植以外助かる見込みなく、今のままでは○月まで生存する可能性はわずかに○%」
との内容に、同じく子を持つ親としていてもたってもいられず、募金に走りました。

臓器移植についてはほとんど知識がなかったのですが、
「いくらなんでも1億2千万も必要とは…病院が設けに利用してない??」
などと思えてしまいました。
また、そのときBちゃんという、既に臓器移植を受けている子のHPも知り、見てみたところ、こちらはなんと、目標金額を大きく上回る、2億以上の募金が集まっていました。

「あれー、こんなに集まっているなら、あまってる分をAちゃんに回せばAちゃんの目標はすぐに達成できるのに?
Bちゃんへとされた募金をAちゃんに回すことは何かずいことがあるのかしら?」

など思ったのですが、Aちゃんの募金はあっというまに目標額に達し、この疑問も忘れ、AちゃんBちゃんの状態をかげながら見守り応援していました。

そしていま、Cちゃんが同じような、時間を惜しむ状況で、Bちゃんと同じように渡米して手術を受けるために募金をつのっていますが、目標の半分にも達していません。
Bちゃんは、残念ながら天国へ…そのお別れの集いでCちゃんの両親と会ったBちゃんの両親は、”以前の自分たちを見ているようで…微力ながら応援することしか出来ないが、出来る事は協力させていただきたい”とHPで語っていました。
BちゃんのHPには、CちゃんのHPがトップページでリンクされています。

…で、私の最大の疑問なんですが、Bちゃんの募金の一部(それも、余剰分)をCちゃんに今すぐ回し、Cちゃんの目標額に達するようにすることが一番いいように思えるのですが…そんな単純なものではないのでしょうか
 





   >>> 改正案2案、今国会提出 たんぽぽ   -- 2006/06/07..
 
 臓器移植法改正案、2案が、今国会で提出されました。
 産経新聞の記事をご紹介いたします。

政治ニュース - 4月1日(土)3時9分 ニュース記事写真動画トピックスNewsWatch 条件検索


臓器移植法改正 2案を国会提出

本人の拒否なく、遺族同意で
子供も実施へ 12歳以上可能
 自民、公明両党の有志議員は三十一日、臓器移植法の改正案二案を議員立法で国会に再提出した。二案とも昨年八月八日、国会に提出されたが、衆院解散で即日廃案になったものと同じ内容だ。
 一つは自公の六議員が出した改正案で、河野太郎衆院議員(自民)が、その土台をつくった。脳死を人の死とし、ドナー(臓器提供者)本人が臓器提供を拒否する意思を示していない限り、「遺族の同意」で提供できる。
 ドナーを確実に増やせ、河野議員は「年間三百人のドナーが現れる」と説明している。
 ただ、心停止後の死体腎移植では、現行法の成立前から遺族の同意だけで腎臓の提供ができた。現行法でもそれは変わっていない。
 ドナー本人の意思をなくした結果、現行法の十五歳以上という提供者の年齢制限が基本的になくなり、子供の脳死移植も可能になる。臓器提供に限って脳死を人の死としたために生まれた「二つの死」という現行法の矛盾点も解消している。
 二つめの改正案は、現行法の枠組みを維持したまま、提供の年齢制限を十五歳以上から十二歳以上に引き下げている。しかし、ドナーの増加には結び付きにくい。
 今国会は、医療制度改革関連法案など重要法案の審議がめじろ押しで、審議時間に余裕がないため、改正案成立の見通しは立っていない。
     ◇
【用語解説】臓器移植法
 臓器提供する場合のみ脳死を人の死とし、脳死者からの臓器摘出を認めている。(1)ドナー(臓器提供者)本人の書面による承諾(2)家族の同意−が条件だ。WHO(世界保健機関)の国際基準は「家族の同意」のみが条件。日本だけが、ドナーの意思表示を求めている。平成9年10月の施行以来、44件の脳死移植が実施された。年間5件の計算で、年間5000件の移植先進国の米国に比べ、少なすぎるとの批判が上がっている。意思表示の年齢も、15歳以上に制限され、子供の脳死移植が閉ざされている。
(産経新聞) - 4月1日3時9分更新
 





   >>> 町野案に対する日弁連の声明 たんぽぽ   -- 2006/06/07..
 
 町野案に対して、日弁連の会長が声明文を出しています。法改正への流れを検討する意味で、日本弁護士連合会のホームページからコピーし、ご紹介いたします。

会長声明集 Subject:2004-03-24
臓器移植法改正案に対する会長声明
このたび、自民党脳死・生命倫理及び臓器移植調査会は、本人の拒否の意思表示がなければ家族の承諾のみで臓器摘出・提供を行い得るとする臓器移植法の改正案をとりまとめた。しかし、その内容は、脳死を一律に人の死とせず「自己決定」を尊重するという現行法の根幹を否定するものであり、到底認めることはできない。

現行の臓器移植法(以下「移植法」という。)は、臓器を提供すること、及び判定に従うことを文書によって明確に意思表示している者に限り、家族が拒まないことも条件として、脳死段階での臓器摘出を認めると定めている。

これは移植法制定時、脳死を一律に人の死と捉えて法律を制定すべきかについて激論が戦わされ、その結果、脳死を人の死と捉えることが社会の共通認識には至っていないことを踏まえ、熟考の結果脳死状態に至ったなら臓器を他者に提供したいと思う者の意思(自己決定)は尊重されるべきだとの結論に達したからである。つまり、脳死を一律に人の死とせず「自己決定権を保障すること」は現行法の根本思想である。

ところで、今回の自民党案(以下「改正案」という。)は、移植法では小児からの脳死段階での臓器摘出・移植が認められないこと、移植法が施行されてから6年を経過したにも拘わらず、脳死臓器移植が30例にも満たないことから、臓器移植が容易にできるようにすべきであるとする声が強まってきたことに応じたものと言える。

しかしながら、移植を待つ人々の心情は十分理解できるものの、今回の改正案は、脳死臨調での議論を初めとする移植法制定の経緯を無視し、現時点で社会の大多数が脳死を人の死として受け入れているのか否かを検証せぬまま提案されるものである。

改正案によれば精神障害者など意思を十分に表示できない者、どうすべきか悩んでいる者、全く関心がなくそのような情報を正確に理解していない者が全て臓器摘出を容認したものとみなされることになる。まして乳幼児の場合、常に本人の意思は無視され、自己決定は否定される。しかも近時は児童虐待が増加しており、小児科医にとっても、当該傷害が虐待によるものか、事故によるものかの判別が容易にはつかないと言われている。そうであるなら、虐待を行った親自身が臓器摘出に同意するという事態も起こり得る。少なくとも改正案は、以上述べた問題点・危険をいかにして克服・防止するのかといった議論が充分なされた上で提出されようとしているものではない。

確かに移植法の附則第2条には移植法の施行後3年を目途として見直しをすることが定められているが、そのためには28例といわれる移植の実施例の十分な検証や、脳死を人の死と考えるか否かの世論の動き、臓器移植に関する社会的認知の程度等が総合的に判断されねばならない。

当連合会も、脳死臓器移植がなされた初期の事案3例につき、人権救済の申立てを受け、調査したが、脳死判定手続が杜撰であり、施行規則やガイドラインが理解されていなかったことが明らかとなっており、これらについて、2002年3月、2003年2月と3月、人権侵害ありとして脳死判定をした当該病院それぞれに対し是正などの勧告等をしている。しかも、最初の数例を除くと患者のプライバシーを理由に基本的な情報もその後は公開されなくなっているから、社会は検証することすら出来ない状態に置かれている。

それゆえ、社会が「脳死を死と認めるようになった」「拒絶の意思表示がないかぎり、脳死・臓器移植に同意していると推測すべきだ」と評価できるほど社会的状況が変わったと判断することはできない。

当連合会は、2002年10月「臓器移植法の見直しに関する意見書」により基本的立場を明らかにしているが、改正案に対しては、上記意見書に照らし、改めて反対の意見を表明するものである。

平成16(2004)年3月24日

日本弁護士連合会
会長 本林 徹
 





   >>> 河野案 たんぽぽ   -- 2006/06/07..
 
 河野案は、以下のとおりです。河野太郎議員のホームページからの引用です。やはり、本人の意思表示がなくとも、臓器移植が可能になるというものです。


臓器移植法改正に関する河野私案について

 昨年4月に、私自身、生体肝移植のドナーになりました。 しかし、本来、健康な人間の身体を傷つける生体臓器移植は最後の手段であるべきだと思っています。 そういう意味で、我が国における脳死からの臓器提供が年間ほんの数件という現状は、おかしいと思っています。 脳死からの臓器提供による移植を日本でも現実的な選択肢とするための臓器移植法の改正を2004年の通常国会で実現させたいと思っています。 臓器移植法の改正の議論をスタートさせるために、臓器移植法改正私案を作成しました。 皆様からのご意見をお待ちしています。



 臓器移植法改正河野私案要綱

臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案要綱(案)
第一. 臓器の摘出要件の改正
1. 医師は、次のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死体を含む。)から摘出することができるものとすること。
一. 死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。
二. 死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。
(第6条第1項関係)
2. 脳死判定に関して、本人の書面による意思表示及び遺族の承諾を必要としないものとすること。
(第6条第3項関係)
第二. 親族への優先提供(新設)
第一.1.一.の臓器を移植術に使用されるために提供する意思の表示と併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を表示することができるものとすること。
第三. 普及・啓発に係る事項(新設)
国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて移植医療に対する理解と関心を深めることができるよう、臓器を移植術に使用されるために提供する意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、移植医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとすること。
第四. 施行期日等
1. この法律は、○○○から施行するものとすること。
2. その他所要の規定を整備するものとすること。