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皆さんお返事遅れてごめんなさい!そしてあんさんへ 未久  -- 2005/03/14 ..
皆さん!!まずは言い訳言い訳しちゃいます!
とある山中で万博たる催しが準備中でして、ちょっと関わっている私は朝7時から
夜11時まで娘を保育園に預けて日帰り出張を繰り返しております!!!
そんな中、娘が保育園で腕を骨折しちゃいました、、、辛い。
もちろん保育園が全面保証と協力をしてくれていて、介護士も含むシッターさんを
マンツーマンで娘に付けてくれ、私の仕事に可能な限り支障のない様に、してくれ
ておりますが、親としては心が痛むばかり。しかし本人はありがたい事にケロっと
しており、骨折時が未だに確認出来ない程、痛がりも泣きもしません。
救急病院に行った時に、医者にぐりぐりと腕を動かされたときと、レントゲンで私からはなされた時に泣いただけで、元気で遊び、相変わらずの良く寝、良く食べ
の生活なんです。医師も「ありえない。よほど良い折れ方したんだね」とびっくり。
そんな時に、私のん自宅のPCが壊れました。おまけに老父に転移の疑い。
細木先生曰くの大殺界の3年目、、、。味合わせて頂いております。
来週には落ち着きますので、皆さんに必ずお返事いたします!待ってて下さいね!

あんさん
驚きました!悲しいですね。
私も15年前に母を亡くしました。時は経っても当時の悲しみは言える事なく
蘇って来ます。41歳で私を初産した、高齢出産の先輩だった母。
母は亡くなる前の7年間を失語症と半身不随で闘病いたしました。そして倒れる前、私は20歳から24歳までアメリカに留学していましたので、成人した女性同士として母と対話が出来なかった事が、何よりも悔やまれます。
告白しちゃいますが、母の名前は「久子」です。自分の仕事への欲が捨てられずに
ちゃんと介護が出来ずに病院で死なせてしまった母の、せめて命を繋ぐ子供を
産みたい、と言うのが出産を願った動機の一つでした。ですからこのサイトに出会った時に、迷う事亡く「未来の久子ー未久」とペンネームを付けました。
そんな親不孝な私に母は娘をくれました。
あんさん、母親っていつまでずーっと天国からでもも子供を思ってくれていますよ。
そんな愛する人の死にふれると、自分が死ぬのがちょっと怖くなくなりませんか!
だって会えるの楽しみですもんね!自分の話しちゃってごめんなさい!
お母様のご冥福を心からお祈りいたします。


共通点がありました   紫陽花
いつもながらにお元気ですね!   たんぽぽ
横レスですが「あんさん」へ   いちばん星
万博、行こうかしら!   あん




 

   >>> 共通点がありました 紫陽花   -- 2005/03/14..
 
未久さん

お嬢様、大丈夫なんですか?
いつもながら、あっぱれなお嬢様。骨折しているのに泣かないなんて・・。お見事過ぎます!
「よほど良い折れ方」とは不幸中の幸いなのでしょう。早く完治しますよう、お祈りしています。

未久さんのお名前の由来・・・そうだったんですか。。
いろいろな意味が込められていたんですね。
実は、私の義母も同じ名前なんです。義母も43歳で夫を出産した高齢出産の先輩でした。が、認知症で、娘の誕生はおろか、私達の結婚もきちんとは理解できていない状況です。実の娘や息子に会っても、わからない時の方が多いくらいですから、仕方ないですね。その義母のお見舞いもあまりできていない自分を反省しています。

娘には「お友達のおばあちゃまも同じお名前なの」と報告しておきました。そして、「お誕生日が一日違いのお友達は骨を折ってしまっても元気なのよ」とも言いました。
何か、また、勝手ですが、親しみを感じてしまいました。

お仕事がかなりハードなご様子。未久さんご自身、お体大切になさって下さいね。春の声を聞いたはずなのに、随分と寒い様子ですね。無理なさらないで下さいね。

私も、万博行きたいです。またのスレッド楽しみにしています。
 





   >>> いつもながらにお元気ですね! たんぽぽ   -- 2005/03/12..
 
 未久さん、こんにちは。

 万博にも関わっていらっしゃるのですか。すごいですねえ。未久さんを見ていると、自分もがんばらなくっちゃという気持ちになります。永らくくすぶってきましたが、仕事を通してもっと社会と関わっていきたいという気持ちになります。はやく論文を書き上げて、一人前にならなくては。いつか、別なところでお会いして、お友達になったりして。そしてお婆さんになってから、「もしかして、あなたは未久さん?」なんて、聞いてみたいですねえ。こうしてお知り合いになれたのも何かの縁ですもの。いつかはお会いできたりして。

 横レスすみません。
あんさん、お母様のこと、ご愁傷様です。私も4年前に父を亡くしましたので、お気持ち、ある程度は分ります。たしかに、死んだらまた会えると思うと、死ぬことがそれほど恐くなくなるところがあります。忘れることはできませんが、自分は父の血を受け継いでいるのですから、父の分まで生きたいと思います。どうぞ、お体お大事になさってください。はやく赤ちゃんに会えるといいですね。きっとお母様が手を取って連れてきてくださいますよ。
 





   >>> 横レスですが「あんさん」へ いちばん星   -- 2005/03/12..
 
未久さんのたちあげたスレッドですが、あんさんへのメッセージを
お許し下さい。

お母様がお亡くなりになったそうでお悔やみ申し上げます。

不思議な話を聞いてください。
最近、一枚の写真を見つけました。母を火葬している最中の
待ち時間に私と夫と姪(妹の子)の3人で写っている写真です。
なんで、そんな写真を撮ったのかよく覚えていません。

そして、それはまさしく現在の私の家族の姿です。
写真を見つけた娘が、「これ私?」と言ったくらいです。

母が亡くなってちょうど1年目の命日の日の同じ時刻に、
娘は生まれてきました。さらに不思議なことには、病院の
病室のカーテンが、実家の母の亡くなった部屋のカーテンと
同じ柄だったのです。

母が亡くなる前の年の夏、母がガンだと宣告を受けました。
と同じ頃私は不妊治療で妊娠したものの流産しました。
しかし、流産よりも母のガン宣告のほうがショックだったのを
覚えています。それから母の闘病生活がはじまり、
最後は自宅にもどり、とても苦しんで亡くなりました。

春の桜の頃、母が亡くなり、そして次の年の春の同じ日に
娘が生まれてきました。母は火葬場の煙となりながら、
最後の力を振り絞って私のところへ新しい命を届けてくれた
のだなぁと思っています。命って不思議です。

この春、娘は4歳になります。母が亡くなってもう5年もたつ
のですね。

あんさんのお母様のご冥福をお祈りするとともに、命が引き
継がれますよう祈念いたしております。





 





   >>> 万博、行こうかしら! あん   -- 2005/03/11..
 
きゃー!
万博にかかわる仕事をされているのですか!
行こうかしら!!あ。でも開催中はいらっしゃらないのかな?

娘さんの骨折、お父さまの転移・・・心配です。
特にお父さま、なんとか良い方向にむかってくれることを願うばかりです。

私の母は、一昨日お葬式が無事終了し、ひと息ついたところです。
母は雪が降る寒い冬に生まれたのですが、
亡くなった日も首都圏に大雪!の日でした。
雪と共にお空に還って行った・・・そんな感じです。
未久さんのおっしゃるように、死ぬのは怖くない・・・本当です!
誰にでもおとずれるし、
早いか遅いかの差だけですし。
それに私たちが生きている「今」なんて、宇宙の歴史から見れば、単なる光の矢でしかなく、とってもとっても短いんですよね。
だから、迷ったり悩んだりしてる時間がとってももったいなく思えます。
早く頑張って治療再開しなくちゃ!←これが言いたかった!

未久さんは若い頃にお母さまを亡くされたのですね・・・。とても悲しく辛いことでしたね。
でも、未久さんが母となったことで、
それまで理解できなかった母親としての気持ちを身をもって感じることができ、
お母さまの分も、娘さんを大切にすることができますね!
とても素敵な親子像だと思います!

パソコン直ったら、また書き込みしてくださいね!
元気の出る未久さんのお話、大好きです♪では、また!