妊娠・出産・育児

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赤旗「少子化」記事批判(完) 自主独立の40代女性  -- 2005/05/02 ..
 今宵もワインがうまい!
(妊娠中の方、授乳中の方、ごめんなさい)
 保育園病欠の息子としばらく過ごしストレス溜まっています。
 ストレスのはけ口が食べることに向いてしまい太ってしまいます。
 赤旗「少子化」記事批判はどこまで書いたやら。
 たんぽぽさんやボルドーさんにはこの一連の投稿の最初にお返事を頂いて連載?の突破口を開いてくださり感謝しております。
 ですがお二人とも社会政策上は若い人の出産を経済的に支援すべきではないか、若い人に若いうちに産んだほうがよいと助言したいというご意見でした。しかし若い人たちがそういう助言を聞く耳を持っているでしょうか。
 「まだまだ若いから大丈夫、いざとなったら駆け込みで産むわよ」「経済的に支援されてもやりたいことが優先」
「大きなお世話よ、それより自分のこと心配すれば?」と
冷ややかな目で見返されるのが落ちだと想像します。
 今40代の私たちがそもそもそういう助言を素直に聞いたでありましょうか。

 自己実現の道に進みそのために産みたいけれど経済的に産めなかったという場合でも結局は自己実現を優先させた自分の意志の結果に他ならないと思います。

 40代でも産めることを示すのは40代でも産めるという安心感を与えるので良くないのではと言うご心配は杞憂です。

 個人の幸福追求権を認め保障するのが民主主義国家なのだと私は
思っております。

 妊娠出産適齢期を優先した支援策は、私は優生思想に通ずるところがあると敬遠する次第です。

 卵子の老化、自身の体力減退、染色体異常の高さ?(これは疑問に思います)その他の様々な問題を抱えた40代以降出産を希望する私たちは妊娠弱者と呼ぶべきか。
 妊娠出産適齢期の20代30代は妊娠強者と呼ぶべきか。
 20代30代でも病気や障害、不妊で産めない人もいる。
 かたや40代でもぽんと産む人もいる。

 経済的職場的諸条件さえ整えば産めるという妊娠強者に重きを置いていることにも赤旗「少子化」記事には抵抗を感じたのです。

 少し前日本共産党第3回中央委員会総会が終了しました。
 志位委員長の「報告」の中に「国民の苦難と要求あるところに
日本共産党あり」という言葉がありました。
 40代以降出産希望の苦難と要求にも目を向けてくださいね。
 (赤旗編集局にはこの連載?知らせてありますから)
 
 多様な価値観、多様な個人の生き方をもっと認識し尊重しないと日本共産党は膨大な無党派を引きつけられないでしょう。

何人か共産党関係者の知り合いがいます。独身時代の勤務先の地元の共産党市会議員候補の選挙手伝いを少しばかりし、そのときは落選したけれど以後当選しもう十数年年賀状を頂いている某市会議員、障害者のお母さんで障害者運動を長年やって共産党議員に立候補して当選された方、現在住んでいる地元の議員(私は応援で街頭演説しました)など。

 私の実家の地元で長年一緒に共産党後援会で活動してきた方は亡くなったお嬢さんが生まれつき心臓病で、お嬢さんが小学校入学のとき転勤先の学校で受け入れられないと言われ、共産党議員が奔走し入学を認めるのに協力してくれ、お嬢さん亡き後も社会のあり方に疑問を持ち共産党に協力してきました。

 そういう知人にこの赤旗「少子化」記事批判を印刷し送ってみようと思います。議員の方には街頭演説で「若いお母さん」って言わないで、「全ての子育て中の世代」あるいは「子どもを産みたい全ての世代」と演説してほしいと手紙に書いて頼んでみようと思います。


言葉に翻弄されすぎるのも?かな   未久
ぶーにゃんさんに同感   sachi
完結を惜しみ   TYTY
それでも私は…   ぷぅーにゃん




 

   >>> 言葉に翻弄されすぎるのも?かな 未久   -- 2005/05/02..
 
自主独立の40代女性さん
今夜のワインのお味はいかが?
そんな大人な女性に憧れて、お酒を飲んでいた時期もありましたっけ!

基本的には自主独立の40代女性さんの主張されんとしていることには
共鳴出来ますが「若いお母さん」などの言葉に翻弄されすぎるのは如何な
ものかとも思います。
日本語って特に難しくって、わびさびも含めていかようにも取れたりするじゃ
ないですか、だから論争の時も平気でぼけをかましたりもするし、また挙げ足
も取りやすい。
私は自分で「若いお母さん」だと思ってますよ。だって初心者ですから、
胸を張って「初々しい新米の母親でーす1」って言ってます。
え?ずうずうしい?まーね、面の皮だけは厚いんですよ。
でも若さって経験値だったりもするじゃないですか、年とってりゃ良いって
もんでもないし、私は子の年で初体験させてもらって、ずいぶんと謙虚に
なりましたもん。娘みたいな保育園の先生に、教えて下さい!って頭さげて
「お母さん、注意して下さい!」ってしかられて、顔を赤らめてますよ。
ねー初々しいでしょう!
でも「全ての子育て中の世代」はちょっと良いかもしれないですね。
演説中に舌を噛まなければ良いですねー!
 





   >>> ぶーにゃんさんに同感 sachi   -- 2005/04/30..
 
ぶーにゃんさんの意見に同感します。 アメリカに住んでいると自己実現のために高齢で出産した人も多いけど若くしてどっしりとしたお母さんもたくさんいます。離婚率も高いけどそれなりにしっかり子育てをしている人もたくさんいて、日本の若者に比べて大人の部分があるナーと思います。かくいう私も自分のしたいことで精一杯で気がつけば40というところで出産しました。私は幸運にも子供を授かったのですが私の周りには不妊で悩む人もたくさんいます。今の若い女性がもっと体のしくみとかについて知識を得ること
は大事だと思います。結婚して子供がほしくなれば何歳でも可能という考えはだけで現実を知らないのは危険です。
私も自分の人生に後悔はないけれど若くして子供を産む女性を心から尊敬します。
女性の体のシステムが自然に子供を産む時期に産むのがやはり望ましいのではないでしょうか。それにしても若くていい男がいないのは問題ですよねー。日本人は苦労が足りない分、(私も含めて)精神年齢が若すぎると思います。
推奨、ヤンママ!!
 





   >>> 完結を惜しみ TYTY   -- 2005/04/29..
 
こんにちは。
興味深い連載も完結になってしまうのですね。少し残念です。
思うに、政策方針が変わっても変わらないのは社会を構成している人々の意識だと思います。それを変えるためにも自主独立の40代女性さんがおっしゃる街頭演説の場での表現は大切だと思います。
あくまで参考にですが、「全ての子育て中の世代」あるいは「将来母親になるであろう、全ての世代」では弱いですか?
 
「自己実現を優先させた自分の意思の結果にほかならない。」全くその通りだと思います。”社会の中での「自分」は今どこ”的な自己認識が大事でした。社会と接点が遠くなり社会に取り残されることがいやでした。そのため家庭が後回しになってしまったように思います。しかし、結果論でしかありません。それでも、40代出産の方の話を聞くとほんとに勇気を頂きます。
少子化における高齢出産はとても大きな問いかけで、同時に意識の転換期なのかもしれませんね。この連載で気づかされました。
 





   >>> それでも私は… ぷぅーにゃん   -- 2005/04/28..
 
>議員の方には街頭演説で「若いお母さん」って言わないで、「全ての子育て中の世代」あるいは「子どもを産みたい全ての世代」と演説してほしい…。
このことには賛同させていただきます。自身も40代に突入した今も妊娠を待ち望む者のひとりですから。

それでも私は自己実現の道に進みそのために産みたいけれど先送りにしたこの経験を、後に続く女性達にはさらに幸せになってもらうためにはできるだけどちらかを犠牲にすることなく身体的な適齢期の内に出産されることを進めたい。

様々な選択の自由は私達の勝手でそれはそれとして良いのだと思うものの、実際自然の摂理には抗えない現実を無視することはできません。大きな精神的負担や金銭的負担を強いてまで欲しいものを手に入れなければならない現実にも目を背けてはいけないと思うのです。(年令と関係なく不妊に苦しむ若い方ももちろんいらしゃるでしょう)卵子の老化に逆らえない現実を知りながら好きな事を追い求めればいいよ、と言い放つのも経験者としては無責任かと思いますし。もしその年代のその事で迷っている女性に逢う機会があれば私はその点についてはお話したいと考えています。

弱者とか強者とかくくるのではなく(なにか勝ち負け的に聞こえてしまうのが20代30代を敵視しているように思えてしまい悲しいので)比較的適しているということはやはり厳然としてある事だと思うんです。

40代以降の妊娠出産について報じられる時、それを私はやはり心強く思うし自分の可能性にも希望を持ち期待をします。しかし、若い世代にそれがイコール「あ、後回しでも大丈夫なんだ」と思わせてはいけないと、そんな楽観視出来る程の現状では無い事もある意味若い世代にも知る権利があると思うのです。効く耳をもたない人ばかりでは無いと思うし。「今時の若い者は…」ってひとくくりにして言い出したらそれはもう自分の頭が固くなって老化が始まっていると考えた方が良いかも知れないし。意外と素直に耳を傾けてくれるかも知れないじゃないですか。

自分が自己実現の為にガンバって来た事に悔いはないけれど、もう一つ欲張りたい私はどうにかなるものだったら両立して体力もある内に「子供を産む気」になりたかった。
ときどき不安に思うのです、もし子供を授かる事ができたとき、成長する子供を危険から守りきれるだろうか、車が行き交う道路で急な飛び出しなどされた瞬間に駆け寄って助けられなかったら…、火事場のバカ力とはいえ精神力だけではカバーできないのではないかと。高いところから落ちそうになったとき受け止めてあげられるのか…、こんなこと不安に思いはじめたらきりがないのですが自分の年令で気になるのはこんな些細な事が一杯です。

自由と言う名のもとに、ひとは傲慢になってはいけない。自分の持てる力はほんの一握りで自然の摂理に基づいて生かされているのだから。その意味で客観的に自分達に目を向け後輩達に助言することが必要なのではないでしょうか。

それでも少子化が進み続けるのなら、減るべくして減る生き物なのだとも思います、この人間という生物が。

それから余談ですがもう一つ。最近の20代のコと時々仕事で会って話していて感じるは、私達の20代の頃のようにガツガツしていないというか、特になりたいモノや、やりたいコトが希薄なように感じる事があります。そんなにがんばりたくないという感じ。“自己実現より日々の安定”というものを望んでいる風とでもいいましょうか、これって私達世代を見て来た結果なのかな〜なんて感じたりもしてちょっと複雑な気分でした。