妊娠・出産・育児

バックナンバー10〜2005年8月

2005年5月〜2005年8月の投稿バックナンバー


高齢出産VOICE TOP

babycom高齢出産という選択 TOP

高齢出産VOICE バックナンバー一覧

ワードで検索!ワードを含んだ投稿リストが表示されます



「養子はどう?」発言について    晴天US  -- 2005/07/20 ..
アメリカと日本でありとあらゆる治療をしてきましたが、いずれも妊娠反応すら出ることなく三年が過ぎ、もはやFSHが閉経の値となり、もうあきらめるしかない状況です。自分の子供がほしくてほしくて気が狂いそうな日々でした。将来夫婦二人だけの生活など想像もできず、自分の子供が産めないくらいならいっそのこと…と思ったこともあります。不意にやってくる切なさ、悲しさ、苦しさ…。それでも生活していかなければならない辛さ…。女性として子孫を残す機能を持ってこの世に生まれたのに、それを果たすことなく人生を終えてしまうーこの無念さは、一生消えることはないと思います。それでも一喜一憂しながら何とか乗り越えようとしている渦中の人に、子育てを満喫していらっしゃる方からの「養子はどう?いいと思いますけど〜」の発言は、私にとって非常に不快なものでした。今後の色んな選択肢は、夫婦で充分話し合うはずでしょうし、ましてや実経験のない方から提案される筋合いのものではないと思いました。

養子をとって幸せそうな家族を当然のように目にするアメリカ。女優のアンジェリーナ・ジョリーさんも、カンボジアの男の子につづき、近々エチオピアから養女をとるそうです。お互いが幸せになれば本当に素晴しいことだと思います。しかし、長年こちらに住んでいても私の場合、養子をとってもいいかなーとは一度も思ったことはありません。主人同様、これからもないと思います。私のアメリカ人の知人は養子をとった後離婚し、ある年輩のご夫婦の養女さんは成人する前に自宅で自ら命をたたれました。幸せな家族ばかりではないことも事実です。こういう例があるからではなく、ただ私は「自分と愛する主人との血を分けた子供がほしかった。会って見たかった。」ただそれだけなんです。今後人生切り開いて行くとしても、気持ちを切り替えて楽しくやっていくとしても、子供が持てなかった心の傷は、時間がたとうとも癒えることはないだろうーと思っています。



考える機会を与えていただきました、ありがとう!   サリー紫
産めなかった人も母親です!   梅雨明けJAPAN
諦めることの難しさ   たんぽぽ
ありがとうございました。(4)   晴天US
言葉の重み   ごまめ
晴天USさんへ   もんきー
トマトの気持ちさんへ   カフェオレ
その2   トマトの気持ち
その1   トマトの気持ち
ご意見、ありがとうございました。(3)   晴天US
傷つけてしまってすみません。   sachi
ご意見、ありがとうございました。(2)   晴天US
ご意見、ありがとうございました。(1)   晴天US
トマトさん   ごまめ
大したことじゃないと思います。   たんぽぽ
もうこれ以上は・・・   ひろこ
子どもは全て愛されるべき存在   もんきー
的外れですよ   カフェオレ
それは違うように感じます。   トマトの気持ち
追い討ちかけないで   ひろこ
不愉快に感じた心の裏側・・・   トマトの気持ち
養子を迎えたいです   ボルドー
そうですね・・・。   ジェン
養子について   G子
寂しいけれど   たんぽぽ
同感です   あきみ
日本人にはむずかしいかも。   ぷぅーにゃん
同感です。   ももこ
確かに。   きりん




 

   >>> 考える機会を与えていただきました、ありがとう! サリー紫   -- 2005/07/19..
 
晴天USさん、はじめまして。(まだ目を通してくださってるかな〜)
最近、店頭をにぎわしてますものね、某アンジェリーナの二人目の養子ちゃんの話題。
私、レジの前で、つい某People誌購入してしまいました。
気持ちは、毎日、揺れています。養子について、です。
今のところ、半分半分です。まだ、踏み切れていません。
戸籍のこととか、やはり、日本的な「血は水よりもうんぬん」とか。

でもね、やっぱり、私の人生だから。
私が何をしたいか、といいますと、
「お買い物」にいっしょにいきたい。
「映画」をいっしょに見に行きたい。
「サッカー」とか「ピアノ」のおけいこにくっついていきたい。
「宿題」をいっしょにやりたい。
「ボーイフレンドからの電話」を、にやにやして、取り次ぎたい。
「キャンプ」にいきたい。

こんなことをね、「その子」とやりたいわけなんです。
うちのだんなは、「うーん、定年がきても、がんばって稼がんといかんのね〜」とうなっておりますが、まぁ、いいでしょう。

問題は、私の中の、「決断」と「勇気」ですね。

これが、実子だったら、こんなに悩まなくっていいのになぁ。
簡単じゃないですか。生まれてきたら、もう、すべての「法的な権利」があるわけだし、
世間様のアプルーバルだって、ばっちりですもの。

やっぱり、私が踏み切れない理由としては、「職場ですごく話題になるんだろうなぁ」とか
そんな、自分が好奇の目でみられることがこわい、ということが一番の理由かもしれません。
自分が、その子をかわいがれないんじゃないか、とか、そういう懸念はいっさいありません。

ま、このまま踏み切れなかったら、だんなと二人、楽しく生きていきます。
もし、踏み切れちゃったら(!)、そうしたら、晴天USさんに私の経験をお話ししますね。ありがとう、いろいろと考える機会を与えていただきました。

それから、たんぽぽさん、泣けました。なんだか、肩を抱いていただいたような、そんな錯覚すら覚えました。ありがとう。
そして、Sachiさん、トマトの気持ちさん、ありがとう。とても励まされました。

 





   >>> 産めなかった人も母親です! 梅雨明けJAPAN   -- 2005/07/18..
 
 このレスが晴天USさんのお目に止まるのに間に合いますように。
 晴天USさんご自身は、「養子発言」を一度も「お気楽発言」だとおっしゃっていません。
 みなさん、もう一度USさんの最初の投稿をお読みになってください。その後のUSさんのお返事にもお気楽発言」と受け取っていらっしゃる様子は微塵も感じられません。

 「お気楽発言」と書かれたのは別の方です。その方がUSさんはそう感じているのだろうと推測されてそう表現されたのでしょう。
 だからUSさんの投稿を誤解なさっています。

 USさんは、実の子を持っている方が「養子発言」された意味の深さはよく理解されていらっしゃるのだと思います。
 ただ「子育てを満喫されている」方からの「養子発言」はつらかったと正直なことをおっしゃっているだけです。

 「養子発言」された方もその友人の方も、過去にどんなつらい悲しい思いをされ、生死に関わるかもしれなかった病気を体験されましたが、終わりよければすべてよしで、現在は心身とも健康で
確かに実の子の「子育てを満喫されている」ことは事実ではありませんか。
 私も実の子を育て、満喫しているので、余計に実の子をもてなかった人の痛みはどんなだろうかと想像させていただいています。
 
 「養子発言」された人、他人の心理分析をなさった方、
「子どもを産めないことはたいしたことではない」と発想の転換をなさった方は素敵な方たちです。

 希望を捨てず、出来る限りの努力を一生懸命されてきて、かなわなかった辛さを切々と語られ、自分を抑えどなたの返事へもつとめて穏やかに書かれた晴天USさんも素敵な方です。
 貴女の投稿から悲観的なことも、ネガティブなことも、ねたみも
少なくとも私には全く感じられませんでした。
 最後の未練を心身から追い出し、やがて清々しさを迎えるために
最後にこの気持ちをわかってほしいと、産めなかった大事な我が子のために大粒の涙を流している「聖母」のように思えます。

 晴天USさんはじめ、長くも尊い希望と努力の末あきらめようとなさっている方たちを「産めなかった聖母たち」と呼ばせていただいては失礼でしょうか。お心を傷つけてしまうでしょうか。
そうだったらどうかお許しください。
 産めなかった方たちも、お子さんはいなくても、貴女の心のなかにかわいいお子さんは一生いらっしゃいます。
 みなさん、立派な「お母さん」たちですよ!
 どうか、こう発言させてください。
 
 産んだ人も産めなかった人もお母さんなのですから、どうか壁をお互いにつくりませんように。お互いに自分の子どもだけでなく地球上の全ての子ども達を見守っていくことを願っています。

 
 
 
 
 





   >>> 諦めることの難しさ たんぽぽ   -- 2005/07/18..
 
晴天USさん、こんにちは。

 私は晴天USさんを叱ったりしませんよ。そんなこと、できるはずがありません。私には晴天USさんのお気持ちは痛いほど分ります。いっしょに頑張ろうと誘っているだけです。

 結局、子どもを、そして自分の希望を諦めることがいかに難しいかということなのだと思います。ここでは高齢であってもみんなで励ましあって希望を捨てずにいようとしています。しかし、私たちの多くには、やはり諦めなければならない日がやってくるのです。それが現実です。運が良かったか悪かったか、そんなことで線を引いても仕方ありません。授かった方は運が良かったのです。

 自分の願いは全て叶えたいと思うことは、現代の日本では悪いことだとは言われません。むしろ、非常に肯定的に捉えられているといえるでしょう。しかし、そんなことは所詮無理なのです。私たちは、多くのことを諦めざるを得ません。

 sachiさんは、どうしても諦めなければならなかったときの心の持ち方を示唆してくれたのでしょう。それが実子をもった方であったために、傷ついた人もいたのでしょう。しかし、sachiさんの提案は無駄になったでしょうか。

 晴天USさんは、「長い間冬眠していたようなサビついた頭をフル回転させ、自分が今まで味わうことのなかった喜びや生き甲斐を求めて、知らなかった別の世界を見てみようと思っています。」とおっしゃいました。その決意は、利己的なものではないと、私は感じました。どのように他者とつながり、短い生の喜びを共にするか、そういうことを考えていこうとされているのではないでしょうか。

 実子とだけ心が通い合うのではない、そういう境地に晴天USさんは向おうとしておられると思います。そして、それだけが実子を持つことができなかった、もしくは持てないであろう私たちに残された道であるように思います。

 私は、実子を持つ身でありながら養子発言をされたsachiさんの勇気を、賞賛します。
 





   >>> ありがとうございました。(4) 晴天US   -- 2005/07/16..
 
遅くなりましたが、sachiさん、子育てでお忙しい中レスしていただきありがとうございます。言葉を選びながら書くというのは、本当に時間がかかるものですね。トマトの気持ちさんやsachiさんのような「お母さんたち」と、「母になれなかった者」との間にはどうしようもない「立場の違い」があるのは事実だと思います。そして、その「違い」から生じる「言葉の重み」も、相当違ったものになるのだと思います。受け取る側の問題で、私が卑屈になっているからだーと言われればそれまでです。この話題に関心のない人からすれば、ただの同年代の女性同士にすぎないのでしょうから…。私の悲観的な投稿により「傷つけた」「傷つけられた」など、「辛さ」を競うような流れとなっては、このサイトの主旨に反するようで建設的ではありませんでした。申し訳ありません。こんな投稿さえなければ、このサイトももっと愛と勇気に満ちたものになるのでしょうが。しかし「高齢出産」というカテゴリーの中に、「授かった人」と「授からない人」が同時にやってくる場としては、微妙な感情が交差するのも仕方のないことだと思います。こういう発言をすると「持てる者と持たざる者とを分けるのをいい加減になさい!」と、たんぽぽさんに叱られそうですが、私の心の器はまだまだ小さいのが現状です。

私は自分の今の気持ちを書き留めて投稿することによって、こんな気持ちもあるのだとわかってもらいたい、この辛さを誰かと共有したい、そしてこの呪縛から何とか解放されたいーと願っていたのかも知れません。しかし結局は、こんな自分とどう向き合っていくか、どう消化しながら生きていくかが問題のようです。そして、この投稿を最後に、この「不妊の世界」からそろそろ足を洗う(失礼)つもりです。治療に費やした三年間、このサイトが私の生活の一部となり、この掲示板なしでは生きていけないくらい依存してきました。いつの日か「○歳!奇跡が起こりました!」というタイトルで、報告することを夢見てきましたが、叶わぬ事となった今、もうここへ来る意味もなくなってきたように思います。このサイトのアドレスも、Bookmarkから削除するつもりです。「わが子」が授からなかった「切なさ」は、自分の中で生涯消えることはないと思いますが、長い間冬眠していたようなサビついた頭をフル回転させ、自分が今まで味わうことのなかった喜びや生き甲斐を求めて、知らなかった別の世界を見てみようと思っています。
"Life is short! " ですものね。

皆さん、数日の間でしたがこの場をシェアしていただいて、どうもありがとうございました。
 





   >>> 言葉の重み ごまめ   -- 2005/07/15..
 
今カフェオレさんからのトマトの気持ちさんへのレスを読みました。私も、この前トマトさんがカフェオレさんに書かれたのを読んで、それは違うんじゃないかなって思ってました。

悩んでいたり傷ついている人って、人にどうのこうの分析されたくないし、(特にそれが間違って分析されている場合は)だから、私は前のレスで、そおっとしてあげませんか。って申したんです。

きっとトマトの気持ちさんって、(いい意味で)皆のまとめ役と言うか、問題解決してあげたいタイプの方なんではないでしょうか。でも言葉って本当に怖いものです。相手の事を傷つけないように、自分が「こうだ」と思っても、それを単刀直入に「それって、xxxっていうことですよね。そんなのさみしすぎませんか。」とか分析されない方がよいのではないでしょうか。私もこれを書くことによって、失礼にあたったらどうしようとドキドキしながら書いていますが、もう少し気をつけられた方がいいのではないかなと思って、よけいなおせっかいレスをさせていただきました。インターネット上だけではなく、人とのお付き合いって毎日のことですよね。

私も気をつけないといけないなといつも思っています。長いレスを読んでいただいてありがとうございました。

 





   >>> 晴天USさんへ もんきー   -- 2005/07/15..
 
晴天USさん、お返事をくださってありがとうございます。私はどうも文章がヘタクソで・・・皆さんのを読みながら勉強させられたり自分の文章力の無さに赤面したりしていたところです。

・・・sachiさんと私とは同じ時期に妊娠が判明しました。お互いに励ましあっていたのも束の間、私は心拍確認できたにも関わらず流産となってしまいました。4度目の流産でした。自分の赤ちゃんが旅立ってしまったことはとても悲しかったです。でもだからこそ同じ時期に息づいたsachiさんの赤ちゃんに元気で生まれてきて欲しいと心から思ったんです。sachiさんは私に諦めないで次頑張ろう!とエールを送り続けてくれました。逆の立場だったら私は彼女に同じことが言えただろうかと思うと、sachiさんの愛情と強さに頭が下がる思いです。本当に嬉しかった。

でも、こんな私でも初めて妊娠して流産となった時には同じ時期に妊娠した友人を恨めしく思い、醜い感情が抑えられなくなり、自己嫌悪の繰り返しでした。晴天USさんがおっしゃっていたように子どもがいて「家庭」というような考えから抜け出せなかった。夫婦二人でも立派な家庭。そう言えるようになるまで随分と時間がかかりました。両親からの期待が諦めに変わっていくのを肌で感じながら、それでも授かる方法があるのなら頑張りたい、諦めたくないと思って7年間頑張ってきました。

私達夫婦にとって唯一の治療を経て、今おなかに新しい命が宿ってくれました。毎日が流産の恐怖との戦いです。二人で選んだ道ですからこの現実と戦っていかなければと思っています。
前回施設での子どものことを書かせていただきましたが、自分だけに注がれる愛情を欲していたのは事実ですが、決して不幸なかわいそうな子ども達では無いということを付け加えさせてください。皆自分達の力で未来を切り開いていくたくましさがありました。彼らと向き合った時に恥ずかしくない自分でいたい、そういった意味で幸せにならなくちゃと思います。
また支離滅裂な文章でごめんなさい。お一人お一人に対しお返事を書かれる晴天USさんに誠実なお人柄を感じました。
この場をお借りして
たんぽぽさんの7/11のお返事を読ませていただき、涙が溢れました。心に訴えかける文章、沁みました。



 





   >>> トマトの気持ちさんへ カフェオレ   -- 2005/07/13..
 
まず晴天USさん、トマトの気持ちさんへの返信をこの場を借りて書き込みさせていただくことをお許しください。

トマトの気持ちさんへ
晴天USさんのコーナーなので、あと1回だけレスさせてもらいます。文章ってなかなか相手に伝わりにくいですね。
私には古いつきあいの友人が数人いますが、ほとんど全員子供がいます。自然にすんなりできた人もいれば、不妊治療の末授かった友人もいます。若い時から全てを知り尽くしている仲で、つきあいは全く変わりなく続いています。現在の住まいの付近のつきあいも子供がいる人もいない人もいます。私の文章には子供を持った人とのつきあいが無くなったとか喜べないなんてどこにも書いていませんよ。
*子供を持った人と持たない人とは違う・・・というのもこれはまぎれもない事実があるということで、でもそれで上下や優劣があるわけでも、つきあいができないわけでもありません。
トマトの気持ちさんは人の書き込みを読んで自分なりの考えを発展させすぎて、こうだろう・・・と決めてしまうところがあるように思われます。そこら辺が相手に気持ちが伝わりにくい、または誤解を招くような感があるのではないでしょうか。

 





   >>> その2 トマトの気持ち   -- 2005/07/13..
 
最後に、ごまめさんとカフェオレさんから、名指しで頂いているのでスレットをお借りすることを、ご容赦くださいませ。


ごまめさんへ
最初に…優しい言葉をありがとうございます。
わたしは傷つきませんでした。むしろ、感謝しています。
細かく書いてしまうと話がこのスレットから脱線してしまうので、なんかのおりにぶぅさんとの時のことは、スレットを建てることもあるかもしれません。
今現在、ぶぅさんはその出来事すら前向きにとらえていただけて、その心の広さに、わたしは、更に彼女のことを敬愛しています。

カフェオレさんへ
すでにこの前の私の書き込みで、カフェオレさんへの返信になってしまっているかもしれませんが、この1文は少々悲しすぎるコメントなのではないでしょうか?

>「子供が持てた」「「子供を持てなかった」この違いは天と地ほどの差です。
>どんなに不妊治療を経験しても、どんなに辛い気持ちを経験しても「子供を持てた」人は向こう側に行ってしまって「持てなかった」気持ちを理解することはできなくなります。
いろんな人生を歩んできて、その経験したことすら、自分と同じ時でなければ理解が出来ないのでしょうか?
カフェオレさんには一緒に頑張った仲間はいらっしゃらないですか?そして、一足先にベビちゃんが授かったお友だちは、もう、友人ですらないのでしょうか?もう、付き合いたくない相手になってしまうのでしょうか?
幸せそうな笑顔を友人として良かったねと、すぐに言ってあげることは難しいかもしれない。でも、ほんとうは喜んであげたい、だって、一緒に頑張った仲なんですものと、ほんの少しでも思えないのでしょうか?…
子供をもてなかったこちら側からの言葉しか、届かないのであれば、もし、同じ時を共有しているものからの言葉でなければ届かないのであれば、私はもう、自分が今悩んでいることしか書き込むことができません。どなたの辛さにも共感も共鳴もしてはいけないことだと、肝に銘じて、ROMに徹することにしたいと思っています。

 





   >>> その1 トマトの気持ち   -- 2005/07/13..
 
晴天US さんへ
まず、少なくとも突っ返さないでいただけたこと、お礼をいいたいと思います。
そして突刺す言葉に見え、生意気にみえ、申し訳なく思っていることも追記させてください。
私は自分の心を真正面から見なければならなくなった時、養子〜と言ってくれた方の言葉、額面どおりに取ることが本当に辛かったんです。
自分の醜さを愕然と受けとめましたし、ましてや、幸せそうな妊婦さん、可愛い新生児に囲まれた中で言われたという出来事だったので…、鮮明にその時の気持ちを覚えています。
つい、自分と重ね合わせてしまう、ということが自分の欠点ですね。

晴天USさんの感じたことを否定するつもりは私にはありません。
ただ、同じようなおもいをされたのだと思ったのです。
そして、わたしはそこから一つのことを自覚しました。
そうやって感じてしまうことは自分の痛みを解って欲しいと言いつつ、必死に自分と同類を探しながら、さらにその方たちまで結局私とは違うと、どんどん心から私に思いを寄せてくれている方たちまで切り捨て、勝手にその裏で、あなたになんか私の気持ち解る筈が無い!とたかをくくり…結局それは、自分で自分を孤独にしてしまうことなんだと。それだけならまだしも、そうして、逆に他人の思いや辛さは、まったく自分には関係の無いことと目をつぶって見なくなってしまう事なのだと。自分はそうとう我侭で自分勝手な奴なんだと自覚できたことは、その後の自分の考えるに、少なくとも、善意で言ってくださる言葉には、そのままをすっぽりと受け取ることが出来るようになりつつあるのでは?と思えるのです。単純にそんな自分は好きじゃないと思ったんです。

発端の「養子〜」の発言をされた彼女も、過去ログを読んでいただくとよく解るのですが、もんきーさんやたんぽぽさんがおっしゃっているような心優しいそして、いっぱい苦悩し苦しみ、それでも前を毅然と向いて頑張ったステキな方です。
ただ、この掲示板を見ていらっしゃる方が全てその時をともにしているわけじゃないし、当然そんなことは知らない方も多いのは重々承知しています。

それなので、彼女はそんなつもりで発言したわけじゃないと言いたかったのですが、それはこちら側の都合であり、事情であるから、いえる訳ないんです。
受ける側がどう感じ、どう思うかが大切なんだと私は思っています。
ハラスメントも言葉の力も、受けた側の感覚なんですよね。

それならばと自分(を過去の当事者から)の経験として載せたつもりで、決して分析なんて高飛車になったつもりではありません。それでも私は自分自身も、たくさんの方も傷つけ、ドキドキさせてしまいましたが。
子供が居る今でも、同じようなことは山のようにありもします。
自分を例えば高齢ママと区分けしてしまえば、若いママからの何気ない言葉にも同じように傷つくこともあるのです。私の中にある陰湿な単語の序列や自己嫌悪と私も戦っています。そしてそれを一つ一つ消し去る作業をしています。うまくいかないで悶々とすることも多々の毎日です。

>ただそれは気持ちに余裕ができれば、隠れてしまうだけのことではないでしょうか。
わたしは、少なくとも違うし、また、それでは絶対にいけないのだと思っている1人です。そして子育てにも気持ちの余裕などまったくありはしないのです。
ここで学べることの大切さは、子育ての唯一の支えでもあり、原点にしています。
だから、このサイトから離れることが出来ずに居る1人なのです。


 





   >>> ご意見、ありがとうございました。(3) 晴天US   -- 2005/07/13..
 
カフェオレさん:
10年もの間、子どもを待ち望んできたカフェオレさんのご心情、計り知れないものだと思います。私もカフェオレさんと同じようなことをよく考えました。子供がほしかった立場の女性として「母親になった人」と「なれなかった人」では、もう人間のランクすら違うかもしれないーと自分を卑下したものです。自分が悲観的になればなるほど、「母親」さんたちとの距離がどんどん広がるーそんな感覚でした。私も自分に子供ができないなんて、夢にも思ってなかったので、そのギャップは相当なものです。カフェオレさんのおっしゃる通り、今は「自分」との戦いです。ため息ばかりでますが、なんとか楽しい人生にしたいものですね…。カフェオレさん(まだ若い!)が、精神的に元気になられることを心から応援しています。

もんきーさん:
施設での貴重な体験、そしてご自身の辛い過去、もんきーさんの人生から培われた子どもたちへの無償の愛が伝わってきます。「何かの形で他人の子どもを育てることに関与していく」「これから育っていく子ども達と時間を共有する」というお考え、ご立派だと思います。もんきーさんがおっしゃる通り“泣いた分だけ、苦しんだ分だけ”ご主人と共にもっともっと幸せになられることを祈っています。

ごまめさん:
私の気持ちを“痛いほど”分かってもらえて(嬉しいという表現はおかしいですが)嬉しいです。私も「幸せなお母さん」から「子どもって本当にかわいいわよ。でも子どもだけが人生じゃないじゃない。貴方なら人生切り開いていけるわよー」と“励まして”もらうたびに、傷がどんどん深くなる思いでした。辛い経験をしても、掛け替えのないわが子の誕生によってすべて報われ、自分でも気付かないうちに“あの当時の痛み”は忘れてしまうのかも知れませんね。そして自分がその立場だったら?また同じセリフを相手にいっていたのかも知れません…。心優しいごまめさんの切なる願いが、どうか叶いますよう心からお祈りしています。

 





   >>> 傷つけてしまってすみません。 sachi   -- 2005/07/13..
 
養子発言をしたSachiです。このサイトは卒業宣言をしたのですがのぞいてみたらこのトピがくりかえされていたのでまたまたしゃしゃりでてしまいました。 たぶん私からの発言はまた不愉快に思われる方もたくさんいらっしゃることでしょう。私の言葉で傷ついたといわれる晴天さんや匿名さんをはじめとする皆様、養子の経験の無い私が安易に発言して傷つけてしまって申し訳ありません。でも私も決してお気楽に“養子いいんじゃない?”なんて発言したつもりもありません。 私が子供を持たないと思っていたときの辛い気持ちを忘れたのか、というご意見もありましたが忘れていないからこそお子さんを授からない方たちの気持ちが痛かっただけです。
私は縁があって子供を持つことができましたがあのときの心の闇をそのまま持つことを思うと養子で人生を変えられることができるなら、と思ったのです。でも養子をするつもりの無い方たちには大変不快な発言だったことでしょう。 私自身は実子ですが私の姉は養子です。 子供を授からないとおもって養子をとったあと私が生まれたというわけです。 きれいごとではなくって姉自身は私に対する嫉妬みたいなものをいつも持っていたように思います。
でも縁があって姉妹になった姉を私は本当の姉だと思っています。
そのくらいシンプルに考えないと養子縁組って難しいのかもしれません。謝っておきながらまた傷つけてしまうかもしれませんがもし匿名さんや晴天さんが私の大事な友人だったとしても(だったらなおのこと)私は同じことを言っていたように思います。
確かに実子のいる人から言われたくない言葉かもしれません。でも子供を産んでみて、自分の子供の命と同じように養子を取った友人たちの子供たちもかわいいんです。でも日本の養子の環境も知らず安易な言い方をしてしまったことはごめんなさい。
泣いても笑っても人生は一度きり。 子供が持つ、持たないにかかわらず皆さんが御自分の中での心の平和を持たれることを願います。レーガン大統領が亡くなられた際に養子になった長男の方が“僕は彼を父に持った幸運な人間だ”と言いましたが偉大な父に育てられてというよりも愛してくれる人を父に持てて幸せだというふうに聞こえて美しいなと思いました。不快に思われてもそれは自然なことなのかもしれません。私も逆の立場だったらそう思ったかもしれません。でも闇を心にもつ人たちに養子をと言う発言は決してお気楽な気持ちでしたわけではありません。
 





   >>> ご意見、ありがとうございました。(2) 晴天US   -- 2005/07/12..
 
トマトの気持ちさん:
励ましのお言葉、ありがとうございます。そして私の「心の裏側」まで分析していただいたようで恐縮です。この掲示板には、前向きでポジティブな意見、勇気づけてくれる投稿、楽しませてくれる書き込み、悩みの相談など様々ですが、私は今回「ネガティブで悲観的な意見」の一つとして、現在もがいている「生の心境」を投稿させていただきました。トマトの気持ちさんが私の投稿を読んで「こんな風に感じた」とおっしゃるように、私にも感じることがあったのです。心の痛みの「正体」なんて、子供さんがいらっしゃる方への「ねたみ」や「嫉妬」、子供ができない「劣等感」など、並べれば陰湿な単語の序列になるかも知れません。私も40代、自分の心の奥などイヤになるほどよくわかっております。自己嫌悪に陥り人相がかわるんじゃないかと思うほどです。改めて“凄く悪い言葉でいえば…”に触れ、グサッときましたよ。言葉って生き物のようで恐いですね。このサイトに来られる高齢で不妊に悩む方々が、自分との葛藤の中で、どれほど自問自答を繰り返してきたことでしょう。誰もが心の闇の部分は持っているわけで、ただそれは気持ちに余裕ができれば、隠れてしまうだけのことではないでしょうか。トマトの気持ちさんのおっしゃる通り、満点の主人と出逢ったことだけでも、充分すぎるくらい幸せじゃないかーと、自分に言い聞かせている毎日です。

ひろこさん:
私も自分の精神的なアップダウンを毎日調整しているところです。気持ちを切り替えて、人生の次のステージに移るべく、自分を奮い立たせて意気込んで見たり、サルサやマンボの音楽かけて陽気な人種をイメージしてみたり…。その一方で、赤ちゃんを目にする場面に遭遇すると、また固まってしまう自分がいるのです…。このモヤモヤは、当分繰り返すと思いますが、こればかりは自分で立ち直っていくしかないですね。ひろこさんにとって、ご自分の納得のいく人生が開かれますよう祈っています。
 





   >>> ご意見、ありがとうございました。(1) 晴天US   -- 2005/07/12..
 
返信してくださった皆さん

お忙しい時間をさいて書き込みしてくださって、とても感謝しています。暗闇に包まれたような、背後からコウモリでも飛んで来そうな陰気で悲観的な投稿にもかかわらずつきあってくださった皆さんのご意見、何度も読み返し、真摯に受けとめています。
皆さん、どうもありがとうございました。

きりんさん:
米国では、自分の体型をこれ以上崩したくないからと二人目を養子に取る人もいます。日本に比べるとそのシステムも充実してるわけで、お手軽な(失礼)感覚もあるのかも知れません。ちなみに女の赤ちゃん(新生児)が最も人気があり、希望を叶えるのはかなり難しいそうです。米国人は東洋人が固執する「血縁」についてこだわるのではなく(中には自分のDNAにこだわる人もいますが)、グローバルな心で子供の「親になる」ことを重要視するのだと思います。

ももこさん:
こんなネガティブな投稿に同感してくださって恐縮しています。米国の「アダプション」と日本の「養子縁組」は、その背景や感覚がかなり違いますよね。米国でも州によってその条件も違うようです。生まれて間もない韓国の女の赤ちゃんを望んでいた私の知人は「親と養子の年齢差が40歳以内」ということで、40歳の時大急ぎで申し込みましたが、1年待ちということで断念しました。日本でのかなりきびしい状況の中、ももこさん自身、真剣に考えておられたのですね。いずれにせよ、ももこさんが幸せである道が開けますよう祈っています。

ぷぅーにゃんさん:
日ざしが差し込んでくるような明るい文面、興味深く読ませていただきました。おっしゃる通り「心の傷は自分自身が作って深くしてしまうもの」なのかも知れません。そして傷を癒していくのも、結局自分自身の葛藤と努力あってのことだと思います。自然体のぷぅーにゃんさんの願い通り、早くコウノトリがやってくることを祈っています。

あきみさん:
子育てに関するご主人の反応、うちも同じような考えです。これまで治療に没頭してきた私ですが、主人の年齢を思うと、残りの人生を二人でいかに充実したものにするか、今後の社会生活も含めて考えなおす時期がきたように思います。あきみさんもご主人とどの道を歩まれるにしろ、お二人の絆が一層深いものになることを祈っています。

たんぽぽさん:
こちらのサイトに通って三年ほどになりますが、たんぽぽさんの優しさ、思慮深さ、的を射る文章の的確さから多くのことを学びました。レスいただき光栄です。結婚したら「家庭」を持つことを当たり前のように思っていた私にとって、それがもう不可能である「現実」とのギャップがそう簡単に埋められず、もがき苦しんでいる真
只中です。それも「運命」なのだと受け入れるしかないのでしょうが、正直辛いです。自分の子供に注ぎたかったエネルギーを今後どこに向けるかー、私にとって大きな課題です。

G子さん:
私も含めて、人の心の痛みは、実際に経験してみてわかっているはずでも、状況が変わることによって、本人も気付かないうちにその微妙な感覚は忘れてしまうものなのかも知れませんね。

ジェンさん:
治療の真っ最中なのですね。なかなか結果がでないその辛さ、よく分かります。そして養子縁組も視野に入れてらっしゃるとのこと。人の心の痛みがわかる思いやりあるジェンさんに、どうか奇跡が起こりますよう祈っています。

ボルドーさん:
ご自分の子を持つ望みが捨てられないご主人と、養子を迎える決断にゆれるボルドーさんのお気持ち、お察しいたします。「一人の人間の成長に責任を持つこと」。本当に重みのある言葉ですね。今後様々な葛藤があるかと思いますが、「命をはぐくむ」ことの素晴らしさを経験されてるボルドーさんが、より一層幸せになりますよう願っています。

 





   >>> トマトさん ごまめ   -- 2005/07/11..
 
トマトの気持ちさん、

私も最初の「ねたみ」という言葉には少々驚いてしまいました。傷ついているのです、晴天USさんは。そっとしておいてあげませんか。

それと、もしトマトの気持ちさんがお子さんがいらっしゃらなくって病気を持たれて苦労されていた時にこれを書かれたのなら、他の方にこんなに言われることはと思うんですよ。もし、その時でも今でもご自分では変わっていらっしゃらなくても、状況が変わると言葉の重み(意味)も変わるものなのです。

以前もぶうさんへのメッセージで結構長いやりとりがありましたよね?あの時もご本人(トマトさん)は善意で言われても、それがうまく伝わらなかっただけだと記憶しています。辛い思いをしている人にとって、健康児をかかえた幸せなお母さんから、渇を入れてくれるような慰めをされても、素直に受け止められないのですよ。そういう時はそっとしておいて上げるほうがよいと思います。偉そうなことを言ってごめんなさい。でも私も10年近く体外をしていますが、まだ授かっていません。だから、晴天USさんや他の方のお気持ちが痛いほど分かるんです。「ねたみ」という言葉を読んで、心臓がドキドキするぐらい私も辛い思いをしました。

トマトさんのおっしゃるように、ここでは意見交換が出来る場です。相手のことを思いやる書き方も大事だと思いました。もし私の文言によって、貴女のことを傷つけてしまったら、反対にごめんなさい。
 





   >>> 大したことじゃないと思います。 たんぽぽ   -- 2005/07/11..
 
 子どもをもてない苦しみは、よく分かります。狂いそうになったこともあります。晴天USさんのお気持ちは分ると思います。

 そんな私だから言わせてください。

 子どもを持てないなんて大した苦しみではないです。

 いったい、他の人のどんな苦しみを私たちは理解しているのでしょう。極度に貧しい人、差別を受けている人、障害をもつ人、病気の人、苦しんでいる人なんて山のようにいるのです。
 私たちは、その人達の苦しみを理解しているのでしょうか。そして、その人たちに嫌な思いをさせないように、普段から気を遣って暮しているのでしょうか。

 障害者の多くは、結婚することも子どもを持つこともできません。外出さえままなりません。そういう苦しみを共にしてきたでしょうか。

 ホームレスの人達は、真冬に一人寒空で寝ています。明日は起きられないかもしれないと知りつつ眠る人たちの苦しみを、誰にも悲しまれることなくこの世を去る人たちの気持ちを、私たちは理解しているでしょうか。

 世界中の人々の苦しみが分るのでしょうか。戦火の中に生きる人の気持ちが分るでしょうか。

 私には分りません。連続殺人をするような人たちの、心の闇も分りません。私は、恵まれて生きてきた人間の一人です。

 子どもができないことは苦しいです。それはよくよく分ります。しかし、人間だれでも何等かの苦しみは抱えて生きているはずです。子どもができれば全てハッピーという訳ではありません。人知れぬ苦しみを抱えた人が沢山いることくらい、この歳になれば分るではありませんか。

 トマトの気持ちさんは、子宮まで全摘することに同意した上で手術されたのでしょう。その手術台に乗るときの苦しみなんて、経験していない者には決して分りませんよ。

 持てる者と持たざる者とを分けることを、いい加減やめませんか。恵まれている人に分ってもらえないこともある。けれども、恵まれているからこそ分かってあげられないことの方が多いのです。

 発言している人の言葉の意味を、率直に一つの意見として受け取った上で、自分の意見を持てばいいのではないでしょうか。そういう訓練をしていくしかないと、私は思います。

 子どもを持てないことぐらい、大した苦しみじゃない。私なら、こう言っていいですか?
 





   >>> もうこれ以上は・・・ ひろこ   -- 2005/07/11..
 
今回「養子は?」と発言された方の言葉は善意と受け取ることができました。一方「ねたみでは?」と言われたのには傷つきました。

私の心がそう感じた、それだけです。
どちらも実子を授かった方からの言葉ですよね。
ボーダーラインなんか、ひいていません。

あと、前置きしたからいいというものではないということも、
付け加えさせていただきます。

ここで争うのは本意ではないので、もうこれ以上レスは控えます。

 





   >>> 子どもは全て愛されるべき存在 もんきー   -- 2005/07/11..
 
晴天USさんこんにちは。

ももこさんのお話の中にあった施設の子どものお話、少しだけさせてください。若かりし頃勤務していた小学校の近くにまさにこの児童養護施設がありました。別れた亭主にそっくりだからと虐待され保護された子、有名な作曲家の先生があちこちで産ませた子を引き取り置いていったケースもあります(異母兄弟が5人以上いました)。母親の育児放棄で入所した子どもの参観日には、母親は一度も姿を見せず、代わりに交際相手の男性が毎回きてくれていました。
施設では皆お世話をしてくれる先生がいて、生活には不自由しません。ですが、どの子も「自分だけを愛して欲しい、自分だけを見て」という思いがとても強かったです。親の愛情がもらえるのが一番の幸せですが、今の制度では新しい家族の元で愛情をもらうこともできない。実際に子ども達と接していてとても切なくなりました。

子どもは全て愛されるべき存在なんだと思います。
私も過去4回の流産を経験しています。まだ我が子をこの手に抱いたことが無いので、我が子の可愛さなどというものは想像の範囲を超えることはありません。でも、友人の子、知り合いの子を見ていると本当に愛しいです。たんぽぽさんのお返事の中にあった
>何等かの形で、他人の子どもを育てることに関与していきたいとは思っています
との意見に同感で、自分がこれから育っていく子ども達と時間を共有し、「共育ち」できたら幸せだなぁと思います。

養子発言をされた彼女は確かに今は子育て中です。でも過去に切ない思いもされてきていますし、私が流産した時にも悩んでいた時は心から励まし応援してくれた方です。決してお気楽発言ではなく、彼女がこれまで送ってこられた人生の中で培われた愛の形を表現したまでだと思います。

晴天USさんのおっしゃるように、今後の夫婦の選択肢はご夫婦でよく話しあって決められるべきものだと思います。私達夫婦もさんざん傷つけあって泣いて悩みながらここまできました。悲しい過去は消えることは無いけれど、その分貴重な人生勉強ができたのだと今は思います。私はとっても欲張りだから(意地っ張りなだけかな?)泣いた分だけ、苦しんだ分だけ幸せになりたい、なってやるんだと思っています。
 





   >>> 的外れですよ カフェオレ   -- 2005/07/11..
 
>トマトの気持ちさん
的外れですよ、「ねたみ」というのは。
私は現在41才で、不妊治療もして涙が枯れるほど泣いた10年を過ごしたあと、今子供をあきらめるという気持ちと戦っています。
「子供が持てた」「「子供を持てなかった」この違いは天と地ほどの差です。そして当たり前のように子供を持つと信じていた者にとっては、あきらめる頃からまた一生の戦いが始まるのです。
どんなに不妊治療を経験しても、どんなに辛い気持ちを経験しても「子供を持てた」人は向こう側に行ってしまって「持てなかった」気持ちを理解することはできなくなります。
私は以前は「ねたみ」もしましたが、現在本当にあきらめる時期にさしかかり本当にたたかっている相手は「自分自身」だけです。
子供がいない人生だけど、刻々と過ぎてゆく経った一度の人生をどうやって悲観せず
に過ごして行こうかと・・・。
トマトの気持ちさんが言っていることなど晴天USさんは、もう充分過ぎるほど考え経験してきていることだと思います。

 





   >>> それは違うように感じます。 トマトの気持ち   -- 2005/07/11..
 
>実子を持てなかったという思いは一生抱えて生きていかなければなりません。今、自分の気持ちを必死で調整中なんです。

そうです、私もそうやって20年方折り合いをつけて生きてきました。
率直に言ってしまえば、折り合いをつけつつ頑張っている自分にこんな言葉(養子を…という発言)を見せないで!というのなら、それは違うのではないかしら?あまりにも、自己の立場からの視点でしか見えなくなっていると思ったのです。
いろんな角度からの考えがあるからこそこの場はいいのではないでしょうか?
自分が痛い発言はしないでっ。というのは公の場なのですから無謀です。逆にあたりさわりのないことだけの場の方がいいのでしょうか?
少なくとも、ここは繊細でびみょうな事もいっぱい発言できる場なのではないでしょうか?それだけ突っ込んだ内容の話をしていけば、万人に痛みの無い言葉など、おそらく無いと思えるのです。
むしろ、実子をもてた人からとか、障害児を持っていない方からとか、子供の居ない人からとか、同じ不安に襲われたことが無い人からとか、同じ経験の無い人からとか、いろんな自分と違う人からという前置詞をつけて、そういう人からは言われたくない。解っていないんですものと、言い切ってしまうほうが、怖いことのように感じます。
同じ経験、同じ体験、同じ悩み…いっしょじゃなきゃ認めない、聞く耳ももてない、むしろ不愉快と思ってしまう感じてしまう、その気持ちは解りますが、そうしてボーダーラインを山のように引いてしまうことはどうなんでしょうか??

すべて飲み込んでがんばっていらっしゃるひろこさんには申し訳なく思いますが、自分で再生できるまでそっとしておくのなら、あえて、善意でおっしゃられたことに、NOを表明する必要はなかったではないでしょうか?それでも、それを言いたかった気持ち、私は否定はしていません。

最後に、
>私は「養子は?」発言よりも、心理学者よろしく他人の心を分析される方の言葉に深く傷つきました。
という言葉に、
>子供の居るものからの発言、これも、不愉快に感じるかもしれないと危惧しつつですが、こんな風に感じる人間も居るんだと思ってくださいませ。
と前置きしたにもかかわらず、苦い気持ちを呼び起こし、私なりに必死に励ましたかったのに、子供がいるからという理由でましてや、心理学者よろしくなどと皮肉られたことに深く傷ついています。
 





   >>> 追い討ちかけないで ひろこ   -- 2005/07/10..
 
不妊治療の末、子供をあきらめた者です。

某タレントが代理出産の末に我が子を得た後、「もっと養子を迎える人が増えてほしい」というような発言をしていたのを聞いて、
自分はあれほど実子にこだわり、ご主人の遺伝子を残したいと言って代理出産までしたくせに何を言ってるのかと不愉快に思いました。

でも、今回「養子は?」と言われた方の言葉は、なぜかそんなに不愉快に思いませんでした。某タレントとは違って、なんの打算もなく、自分を美化することもない方の発言だったからだと思います。
つまり本当に善意からの言葉と私は感じました。

もちろん私だって、不妊治療を止めて、すっきりしているわけではありません。実子を持てなかったという思いは一生抱えて生きていかなければなりません。今、自分の気持ちを必死で調整中なんです。

ただ、そんな時に他人から(実子のある人から)「養子を勧める人を不愉快に感じるのはねたみだ」などと言われるのは傷つきます。ねたんだり嘆いたり、あがいてあがいて、やっと自分の気持ちを前向きに保っているんですよ。痛みの正体なんて自分で十分に分かっています。他人に心の中を分析なんてしてほしくないです。
私は「養子は?」発言よりも、心理学者よろしく他人の心を分析される方の言葉に深く傷つきました。

お願いですから、追い討ちかけないで下さい。
自分で再生できるまでそっとしておいて下さい。
 





   >>> 不愉快に感じた心の裏側・・・ トマトの気持ち   -- 2005/07/10..
 
晴天USさん、子供の居るものからの発言、これも、不愉快に感じるかもしれないと危惧しつつですが、こんな風に感じる人間も居るんだと思ってくださいませ。

まず、ほんのちょっとだけ私の背景を…。
わたしは卵巣のうしゅをやり、片方の卵巣がありません。
(蛇足ですが、トマトとは、そのなくなった卵巣の事なんです。居なくなっちゃった卵巣、摘出したとき、髪の毛やら、歯やらが出来ていました。あぁ〜この腫れてまるで卵巣トマトちゃんだわ。トマトは子供を作りたかったのねと思ったのです。それから、このハンドルは生まれました)
腫瘍があると解った時は癌の可能性も手術するまでは捨てきれない状態でした。その時すでに39歳、癌だったときは卵巣、子宮その他転移していそうな部分全部を除去することに同意し、サインをして臨んだ手術でした。もちろん、その当時は子供は居ませんでした。なので、子供をあきらめなきゃと覚悟していた時期が自分にもあったのです。
それどころが、自分の命すら、覚悟していたので・・・・。

晴天USさんが不愉快に感じた心、わたしにも似たようなことがありました。手術の入院した病棟は産婦人科病棟、新生児室も目の前にあり、大きなお腹の妊婦さんもいっぱい居る中で、子供が欲しいなら、養子もいいのわよぉ〜と提案されたことあるんです。(おそらく、もし、摘出になった時に落ち込まないようにとの気持ちからなんですけどね。そう言ってくれた方は)

少なくとも私は、その言葉、額面どおりに受けとめることに努力しました。
それ以前から、女性機能の弱かった家系なので、養子を念頭においていたから出来たのかもしれません。23歳で結婚したのですが、プロポーズされたとき、子供が出来ない体かもしれませんと主人に言い、その時に、主人に、子供がいる家庭をと思うなら、その時には養子もいいじゃない?僕も君も他人なんだし、そこに血のつながりが無い子が来ても、3人でうまく家庭を築けると思うよと、言ってくれました。その言葉で安心して結婚したのです。結局、縁のある養子縁組は無かったし、足踏みしていたのも事実なのですが。

>子育てを満喫していらっしゃる方からの「養子はどう?いいと思いますけど〜」の発言は、私にとって非常に不快なものでした。

晴天USさん、なぜ、非常に不愉快に感じたのでしょうか?
彼女の発言が心無いから?本当にそうでしょうか??

>自分の子供がほしくてほしくて気が狂いそうな日々でした。将来夫婦二人だけの生活など想像もできず、自分の子供が産めないくらいならいっそのこと…と思ったこともあります。不意にやってくる切なさ、悲しさ、苦しさ…。それでも生活していかなければならない辛さ…。

晴天USさんの心の中、ネガティブになっていらっしゃらるように思えて仕方がありません。凄く悪い言葉でいえば・・・ねたみです。
どうか、どうか、今のご自分を悲観されないで欲しいです。
鬱憤や辛さ、切なさを感じていらっしゃるのは充分わかります。ですが、それを「養子」問題が、子供のいる彼女が発した言葉だから逆鱗に触れて、痛かったのではないでしょうか?逆にいえば、子供の居る彼女だからこそ、そこにご自分の痛みを載せれたのではないでしょうか?
痛みの正体を心の中に見出すこと、出来ないでしょうか?
これが出来ないと、不幸の競い合いが始まってしまうように感じるのです。(例えば…もし、私が癌で全摘出だったとしたら…、不妊治療できただけいいじゃないですか。私には治療する女性機能すらないです!!養子をもらいたくてももう、命の保証の無い自分にはそれすらも叶わないです。)←この括弧の中の言葉、実際に思ったことあるんですもの。

どうか、今のご自分の環境、状況はまんざら悪いもんじゃないさ。
愛する夫がいて、安定した生活があって。ひとつだけ、一番欲しかったものは得ることができないかもしれない。でも、それでも、自分は幸せだと思えるように心持を持っていくこと、出来ないでしょうか?
胸を張って、夫と二人がベースで、80になっても90になっても、二人で腕を組んで、ラブラブしていようねといえる夫婦になることが目標で…
そんな風な、自分の最大限の持てる幸せを満喫しようとポジティブに思えるようになって欲しいと、願わずには居られませんでした。

そういう余裕が出てきてこその人生、そう思えてこそ、その先、例えば、養子の事ももう一歩視野の広いところから見つめて、考えることが出来ると思うのですが…。そんなときは、どんな方からの提案であろうと、一つの意見として、不愉快な気持ちもなく、受け止めることができるように思えるのです。

どうでしょうか?思い当たる節、かすりもしませんでしたか??
的外れだったら、どうかご容赦くださいませ。

 





   >>> 養子を迎えたいです ボルドー   -- 2005/07/09..
 
私は結婚が遅く、最近43歳になりましたが未だに実子に恵まれていません。
夫と私は子供を作るために結婚したわけではありませんが、夫は家族という形に子供が不可欠という価値観の持ち主です。
実は私は、結婚前に子供好きな夫に私が高齢のために子供が授からない確立が高いと伝えてあります。夫が、授からなければ養子を貰おうと言ってくれたので結婚しました。
そういう心持で築き始めた家庭ですが、実子を授かることなく5年たった今でも私達は養子を迎える決心ができないでいます。
私自身は実子を持つことは宝くじにあたるような確立だと自覚していますが、夫は実子への最後の望みが捨てられないようです。

私も子供を育てることをしない人生より、血の繋がりのない子供と親子の絆をつむいでいく人生を選択するつもりではいるのですが、やはりどうしても「二人の子なら、どんな顔になるかな?」「どっちに似ると利巧な子になるかな?」なんて考えてしまいます。

その上、43歳を目前にした頃から、いまさら子育てすることに自信も気力もなくなりつつあることを感じています。これだけ長い間自分を束縛するものがなかった生活を続けてしまうと、子育てを真剣に考えるとき、少し気後れがするのです。
実子が授かれば全力であたれると言い切れるのですが・・

そして養子を以前より真剣に考える今は、養子を迎えることには無視できない困難があるとわかりました。
私の夫の国ではあまり問題はないようですが、日本の場合は私の年齢では新生児を迎えることはできないそうです。
しかも夫の国の子を養子にした場合、その子に日本国籍は与えられません。

一番難しいことは、ある程度成長した子で産みの親との縁を切らなければならない子の過去の環境は複雑で、心の傷を持った子達だということです。その子を幸せにするどころか、実の親を失った苦しみ以上の苦しみを与えてしまうかもしれません。

養子を考えたときはじめて、目標が「妊娠」から「一人の人間の成長に責任を持つこと」になり、大きな転換を強いられます。そこには妊娠中という準備期間はありません。
養子を迎えるということは、夫婦二人の生活か、子供のいる生活かという選択では終わりません。後者を選んでからの方が考えることが山ほどあります。

でも、苦労の末実子が授かった方が子育ての喜びを知り、血縁がなくても幸せな家族になれますよ・・って言ってしまう気持ちはわかります。
犬と人間を同等に扱っては顰蹙かもしれませんが、私は仔犬を引き取って7ヶ月半育てました。私の過失で死なせてしまい、いまだに失った悲しみ、死なせてしまった後悔はぬぐえませんが、あの日々は喜びに満ちていて、あの仔犬が私に与えたものは何よりも素晴らしい宝物だから、少しくらいは「命をはぐくむ」ことの素晴らしさが想像できますし、その気持ちを分かち合いたいお気持ちはわかりました。

 





   >>> そうですね・・・。 ジェン   -- 2005/07/09..
 
晴天USさん、

おっしゃっていること、本当によく分かります。私の場合は、何度IVF・ETをやってもまだ妊娠できず、このまま赤ちゃんを抱けなくって一生終わってしまうのかなぁ。と何度も泣きそうになりました。(今でもそうです)

私の場合ですが、やはり自分の子供がいいに決まっていますが、もし自分で子供を生むことができなかったら(子供が非常に好きなので)養子縁組をと考えています。でもそれって、自分でたどり着く決心だと思うんです。だから、気軽に、それも特に、自分が養子を取っていらっしゃらない方が、「養子取ってみたら?」発言は私ももう少し気をつけて発言されたらいいのではないかと心配していました。そういう意味で、ももこさんのご発言、すごく説得力がありました。(もちろん、養子をお勧めになる方は、好意でおっしゃっているというのは、よく分かっています)

私がもし自分の子供が出来なくて養子縁組をした場合でも、ご自分の赤ちゃんが出来ない方に、お勧めすることはしにくいのではないかと思います。ただ、養子を取った経験など、よい点などについて相談されたらもちろんするとは思いますが・・・。

取り留めのないレスになって申し訳ありません。いつも思っていることを言ってくださった方がいらしたので、思わずレスをしてしまいました。もしお気に障るようなことを書きましたらお許しください。

 





   >>> 養子について G子   -- 2005/07/09..
 
実子のない不妊に悩む人に、『養子はどう?養子だって自分の子供として育てていくのに全く問題ないわよ。いいわよ!』と、言えるのは、実際に養子を貰い、実の子と変わりない愛情を注いで育て上げた経験のある人だけだと私は思います。

自分の卵子と愛する夫の精子で妊娠し、自分のお腹で10ヶ月育てた正真正銘の自分の赤ちゃんを授かり、自分に似た(又は夫に似た)目の中に入れてもカワイイ実子の子育てを満喫していらっしゃる人に、『養子はどう?』って言われても、私は素直に受け止められません。とても傷付くと思います。

その人に対して、『そんなに熱心に人に養子を勧めるのであれば、貴女こそ実子のご兄弟に第二子としてこれから養子をもらいになって育てたらいかがでしょうか?』と言いたいですね。
 





   >>> 寂しいけれど たんぽぽ   -- 2005/07/08..
 
晴天USさん、こんにちは。

 晴天USさんのお気持ちは、痛いほど分ります。私の場合、治療をする経済的余裕もなかったため、治療もしないままに46歳になってしまいました。生理も不定期になってきましたし、もう無理だと諦めています。

 子供ができないならいっそのこと、そういうお気持ち、本当に分りますよ。何度も何度も涙が出ますね。こうして、そのことについて考えるだけで、必ずというほど、涙が出てきます。こんな気持ち、夫には分らないと思います。子供をもてないということは、特に女性にはつらいことですね。

 ただ、このことについては、自分は恵まれない側の人間ですが、他のことについては、恵まれているために分らないことが多いのだと思います。これまでずっと健康でしたし、特に不自由せずに暮してきました。きっと、自分では気付かずに、多くの人を傷つけてきたのだと思います。自分が経験していない痛みは、分らないですよね。

 よく分った上で、私としては、やはり、自分の子どもが持てない場合、遺伝子を遺したいという欲望から子どもが欲しいのなら実子を望むしかありませんが、子どもを育てたいという欲望を満たそうとするのなら、自分で生めないのですから、他人の子供を育てるしかないだろうと思います。

 私自身、別に養子は考えていませんが、何等かの形で、他人の子どもを育てることに関与していきたいとは思っています。そういうことも含めての「養子」発言だったのではないかと、発言した人の「友人」である私は、そう思います。

 夫は大学で非常勤講師をしていますが、ついてくる学生には無償でゼミを開いています。私も応援しています。その学生たちが将来研究者を目指すかどうか分りませんが、学部だけで終ったとしても、学問の楽しみを共有できただけで、彼らの人生には役立つのではないかと思います。全て持ち出しでいい。子供や若い人の人生を少しでも豊かにすることができるなら、何かしたいと思います。

 自分の子どもがもてない、これは現実です。これが現実である限り、そのことは運命だと受け容れるしかありません。では、子どもを生み育てたかったという思いを、どうすればいいのかと考えたとき、他人の子どもに、その思いを向けるということも一つの選択だと思うのです。

 自分の遺伝子を遺せないということは、寂しいことだけれど、自分の子どもに向けられた「愛」を、他人の子どもに向けることも、健全な一つの選択だと思います。

 自分の子どもがもてないということは、本当に寂しいことですが……。
 





   >>> 同感です あきみ   -- 2005/07/08..
 
私も同じ感じを受けていた一人です。
デリケートな問題なので掲示板の文字だけで個々の投稿者の気持ちを判断するのは難しいとはわかっていますが、不妊で悩んでいる方、あきらめようと決心しようとしている方に、お勧めする話ではないのでは?と思っておりました。

日本ではやはり難しいものがあると聞いていました。私も主人に「もし、できなかったら、養子も考える?」と何度か聞いた事がありますが、主人は「養子を貰う程<子育て>をしたい訳じゃない。自分の分身としての子供は欲しいし育てたいと思うけど」と答えていました。

自分達の分身が欲しい というのと、子育てをしたい というのと、世の中の役に立ちたい というのは違う次元のものでしょう。また、自分達の子供が授からないからと言って、子供つながりで世の中の役に立つために養子を取るという発想は返って酷な気もします。

心が穏やかに立ち直って、条件が許したとしても、もっと他に世の中の為にできることは沢山あるわけですから。
 





   >>> 日本人にはむずかしいかも。 ぷぅーにゃん   -- 2005/07/08..
 
晴天USさんこんにちは。

コウノトリを待ち続けて首が長〜〜〜くなっている40歳です。
消極的と思われるかも知れませんが、ある念いがあって私の場合は(一応婦人科で妊娠できそうな身体かどうかってことだけは診ていただきましたけど)自然に任せてひたすら待っています。

そんな、子供にはなかなか恵まれない私ですが>子育てを満喫していらっしゃる方からの「養子はどう?いいと思いますけど〜」の発言は、私にとってはそういう考え方もアリかもというくらいであって不愉快には感じませんでした。(例えば「不妊治療しないの?した方がいいよ絶対!」と誰かから言われたとして、そういう選択肢もあるけどね、でもしないの…とワタシ感じるのと同じくらいなものでした)感じ方はいろいろですから不愉快な方もいるともちろん理解してます。と同時に考え方も色々だからそんなに怒らなくってもいいじゃない?という感じでもあります。そして「自分と愛する主人との血を分けた子供がほしい。会って見たい。」と未だ強く願ってもいます。

宗教感であったり、文化であったり、単一民族で構成されていたりと、日本は血縁関係を大変重視するお国柄でいままでず〜っと来た訳なので無意識の内になにより『養子』には抵抗があるのだと思います。家を継ぐ子がいないからと仕方なく迎える『養子』であったりする事が多かったのにもマイナスイメージも強いのでしょう。『養子』は可哀想とい世間の目みたいな。(ちなみに祖父が養子として育ちました)
この血縁関係重視意識は時に一家心中したり、母子心中したりといった悲しいニュースを耳にするのもどこか自分の子供を『自分の分身』のような気になっていたり『所有物』的存在であったりとの意識がどこかに根付いてしまっているからなのではないでしょうか?良くも悪くもその血縁にこだわる意識が作用しているように思います。子供はあくまで一人の人間。たまたま自分の元にやってきてくれたとしてもそれは別人格なのですから。

欧米は宗教的基盤が違うので子供はそれこそ“神様から贈られた世界の宝みんなの子供”的な考えがあって、それゆえ肌の色の違う子供を養子に迎えて育てている方も珍しくないわけで…。(個人的にはアンジェリーナ・ジョリーさん好きです。最初の養子を迎えられたときもなんだかこちらまで嬉しい気持になったものです。)両親の離婚で不幸になる子も、自殺してしまう子も悲しいかな血縁関係のなかでもいくらでも起こってしまっていること。
養子のせいとは限らないのではないでしょうか?どこにでも幸せも不幸せもあり得るのですから。

子孫を残す機能を活用してみたかったな〜とは思うけれど。それだけに固執してしまっては生きていられないし、生きる価値をそこだけに見い出さずにはいられないのも残念なので(だってそれだけ愛するご主人に出会えたことだけでも“めっけもん”じゃないでしょか?)人間だから幸せには限り無く欲がでるものだけど、授かり物だからこればっかりは誰のせいでもないし、何をも怨めないし…。万能でない人間だから誰しも何かしら無念な思いを抱えているんじゃないのでしょうか。もちろん何もかも上手くいっちゃってどうしましょう!ってくらいの幸せな人も沢山いるかもしれないけれど。広い世界で辛いのは全然自分だけじゃないんだし。

もしかしたら心の傷は自分自身が作って深くしてしまうものなのかもしれませんね。いつか少しでもその無念な気持が癒されることをお祈りします。(だって一度きりの人生ですもの与えられた人生を恨めしく思いながら生きるなんて勿体ない!身近にあるどんな幸せだって満喫しなきゃぁ。と、ワタシは思うんですけどダメでしょうか。)
 





   >>> 同感です。 ももこ   -- 2005/07/08..
 
天晴USさま、私も同感です!

わざわざ嫌な発言をして、場の雰囲気を乱すのもなぁ〜とスルーしてきましたが、天晴USさんの発言に思わず、「そうだ!そうだ」と出てきてしまいました。

「子供が欲しいけど出来ない」方で「養子」をまったく考えたことがない、と言い切れる方がいるでしょうか?
それが証拠に養子を進められて「そうかっ!そういう方法もあったんですね!教えてくれてありがとう。」なんていった人、一人もいないですよね?

私も養子、考えましたよ。
日本で養子を迎えることは、かなり難しいです。
まず、「養子」の対象になる子供が少ない。
今時施設にいる子供は親の事情で親元にいられない子が(経済的とか、離婚してとか、虐待でetc)ほとんどです。
日本では「血は水よりも濃い。」って考えがいまだに強いです。
なので、親のいる子はたとえ施設にいても養子の対象にはなりません。「実親の元で暮らすのが幸せ。」というのがお上の考えだからでしょう。
それに加えて年齢制限があります。
私の住んでいるところでは「親と養子の年齢差が36歳以内」という条件がありました。
今の私の年齢では、8歳以上の子供さんしか養子に出来ません。
どうせ養子を迎えるなら、赤ちゃんの時から育てたい、って思うのはいけませんか?
また、明文化はされていませんが、養子を迎えたらその後は自分達の子供はもうけない、つまり、避妊を暗に強要されました。

そういう日本の状況を知りもしないで、誰かれなく養子を薦める発言、私はかなり不快でした。

 





   >>> 確かに。 きりん   -- 2005/07/08..
 
確かに、子供が出来ないから、じゃ、養子を・・・という段取りはなんだかな〜って感じです。
アメリカの場合、子供が出来ないからという理由で養子をとるわけではないと思います(もちろん、そういう方もいますが)。
もっと地球規模の大きな意味合いを持っている方が多いんじゃないかな?