妊娠・出産・育児

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くらすぶさんへ。 まっちゃん  -- 2002/08/02 ..
拝見させて頂きました。私の専門職は、産科と精神科です。おもには、精神病や精神地帯の患者さんの看護には、長い経験があります。
医学の進歩には、色々意見があって特に生命倫理には、答えのない現実がいくつもあります。
一つは、生命操作、検査の向上、進歩。医学は、毎日が学び場です。看護も、患者さんのニーズにあう看護を客観的、主観的にとらいていきます。
医者は、検査の説明をしますが、決めるのは、本人です。生まれてきても、もし死を宣告されていても、助かったり、症状が安定したりしている方もいます。
すべてが、症例通りの結果ばかりではないのです。数%セント望みも大切な事ですし、検査の向上もあるのなら、手術の進歩や向上もあるのでは?ないのでしょうか?
なぜ、親になる方が、子の死を自ら選択してしまうのですか?その子の力に任せる見守る勇気も大切です。
幸せか幸せではなかったか?は、本人の事なのです。人の命を勝手に決めてはいけないのです。
妊娠、出産は、とても大変な事なのです。リスクがある事実を受けとめる事に軽視しすぎだと感じます。
自分の老後の時に件ですが、福祉や病院を活用したり自立可能な範囲でサポートしたり、援助していく力や努力が必要です。
悲観的に考えてもなるようにしかならない事って、たくさんあると思います。まさに、子育ては、そうなのではないのでしょうか?


よい結果とは・・・   まっちゃん
トリトンさんへ   tototo
まっちゃんさんに質問   トリトン
説明という聞く姿勢とは?   まっちゃん
人を説得すること・・・   明里
ありがとうございました!   まっちゃん
お返事が遅くなりました。2   くらすぷ
お返事が遅くなりました。1   くらすぷ
難しい問題ですよね。   まっちゃん
妊婦の選択   明里
なんだか、話がずれているかな?   まっちゃん
まっちゃんさんはどうしたいのですか?   明里




 

   >>> よい結果とは・・・ まっちゃん   -- 2002/07/31..
 
検査は、みなさんが、考える結果になるといいですね。
しかし、これから始まる子育ては、結果のでる事ばかりでは、ないのです。
考えてもどうにもならないのが、子育てなのです。
私は、これにて、失礼させて頂きたくおもいます。
 





   >>> トリトンさんへ tototo   -- 2002/07/31..
 
まっちゃんさんへの質問に横はいりしてごめんなさい。
でも、トリトンさんの「人間として幸せであろう人生」って表現は、いただけません。
「自分と同じような人生」っていう意味で使いたかったのかな?
幸せは健常者、障害者での問題ではなくて、一人一人が感じるものですし・・・。
それに検査を受ける理由は、親として子供を思っての気持ちよりも、自分の人生を優先させたい気持ちが強い場合が多いのでは?
私が今後もし妊娠して検査をするとしたら、子供の幸せを考えてではなく、自分の今の生活を守りたいからだと思うので・・・。
親の価値観での幸せを得られないだろう人生だから、生まれないほうが子供の幸せというのは詭弁です。
私は障害児を妊娠した経験がないので、検査の結果で生まない選択をする親を責めるつもりもないけれど、決して美化されるべきことではないと思います。
ちなみに私は、高齢出産経験者です。
 





   >>> まっちゃんさんに質問 トリトン   -- 2002/07/31..
 
まっちゃんさんには子供さんがいらっしゃるのでしょうか?高齢で妊娠した経験があるのでしょうか?
いろいろなまっちゃんさんの意見を読まさせていただきました。看護婦という立場からの意見だと思うと理解できるのですが、親という立場からの意見だと思うとどうも理解できないところがあります。

障害のある子が充実した人生をおくる事ができないとは言いません。しかし、親の立場からしてみると、自分の人生経験から得た「人間として幸せであろう人生」を出来れば子供に味合わせてあげたいと思うのは自然な親心ではないでしょうか?そして産む前からその「人間として幸せであろう人生」の大半を味合わせてあげる事が出来ない確立が高いと指摘され、それが分かる検査がすぐそこにあるとしたら、、。理屈はともかく、親として悩みませんか?
 





   >>> 説明という聞く姿勢とは? まっちゃん   -- 2002/07/29..
 
人に言われて行動をとるという考え方に疑問があります。
大人の社会とは、他人に教わったから仕事が出来るとか出来ないとかではなく、自分で考えたり勉強したりして仕事をしていくものですよね。

教えられていないから、分からないとか、理解出来ないとかいう方が増えています。(自分で考えるという行為にたいして。)

すべて、人任せで。学生では、ないのだから....
自分で、考えて行動をとるのが大人の社会ですよね。
検査の説明などは、患者さんのニーズにあった説明を心がけています。
しかし、聞く側の聞き方もなっていませんよ。わからなくて、当たり前でいいのですか?
自分の身体の事なのですよ?
聞く側の聞く姿勢がなかったりすると、話が感情的になるだけで、答えは出ません。
例えば、お金を出すから、公共の食べ物屋さんでも散らかしてもいいのよ。と同じ考えです。
親は、公共の場で、子供の食べ散らかしを片付けて帰るのが大人の親です。お金を払っていても、人としての礼儀なのです。
これは、教わるとかの問題ではなく、人としての考えや問題なのです。
教えてもらわないと分かんないと言うのは、大人が、あえて話す問題ではありません。
相手に尋ねるのならば、自分の分かる範囲内で、考えも取り組む姿勢もないと話が出来ないのではないでしょうか?と。
夫婦で決めるけど口は出さないで!とは、むしがよすぎませんか?

あなたの検査も病気した時の医療費も、みんなの払う健康保険料からなのです。
人は人や社会に助けてもらっているのだから、夫婦の問題だからと言うならば、相手に説明や話す事も逆にあたえない話し合いとなるだけです。
もちろん、決めるのは、当事者なのですから、何事にも、知らなかったとは、いえない自己責任の時代でもあります。受け身な考えには、自分の自己責任も問われられるのです。

 





   >>> 人を説得すること・・・ 明里   -- 2002/07/29..
 
う〜ん・・・
クラスプさんの言うとおり確かに収拾がつかなくなるおそれが
でてきたので
書こうか書くまいか迷ったのですが・・・・

ただ、ここのサイトでは出生前診断について
いろいろなアドバイスを求める書き込みが多い中で
まっちゃんさんが、現在3つの話題の中で書き込みをされているの
で、情報を求める人たちが、書くのを後込みしてしまうのでは
ないかと、あえて書かせていただきました。

まっちゃんさんの意見は反論がほとんどです
それは、意見が正しいとか間違っているとかいう以前に
相手を「覚悟がたりない、勉強がたりない。認識不足」と
決めつけているので読む側が逆上してしまうのです。

まっちゃんさんだって看護婦として苦労して判断したことを
医者から「あんたは全く間違っている、私がただしいんだから
判断するな」って言われたら腹が立つとでしょう?

看護婦さんとして、無知識な妊婦さんをたくさん見て
腹立たしい思いをしてきたらしいことも
よくわかるのですが

やはり看護婦さんという職業が影響しているのか
「一つの検査に何の意味があるのか?
みなさんを苦しめる、サポートの出来ない検査なら、検査がない方が、いいとも感じます。」
という書き込みには違和感を感じます
患者さん達、妊婦さん達が十分にことの是非を考えられない
と思うのは医療従事者のおごりです。
自分たちのことですから、知る権利はありますし、
判断をする責任があります。
検査の望む人たちをやめさせるのではなく
その検査を望む人たちに十分な知識と
いざというときのサポートを与えるのが医療従事者の
役割です。けっして「(判断が)わからないなら知らせない方がいい」
という、そんな時代ではありません。
胎児に障害があった場合、それを受け入れるかどうかは
その夫婦の宗教観、倫理観であり、社会が許す範囲ないで
あるかぎりそれは尊重されるべきです。

医療の現場を知っていますが
実際、障害児が産まれた場合、それをうまくサポートできる
医師や看護婦がいかにすくないことか・・・
あらかじめ障害がわかっていれば障害のサポート団体などを
通じてどれだけ心の支えを得られることか
私は顕微鏡受精のためターナー症候群などの
可能性が普通より高いですが、念のため通院している病院で
ケアの実体を聞くと、そのような子供をあつかったことが
ないので教科書レベルしかわからないと言われました。

私がたとえばまっちゃんさんの患者となったとき
患者として望むことはふたつあります

「「夫婦の自己決定権」は、もちろん患者さん、個人などのニーズな事なので、もちろん尊重するべきです。が、私は、その検査の深い意味や理解度が、どれだけの方が、認識した上で、検査をしたりしているかが問題だと思っています。」

患者が勉強不足、覚悟がたりないというなら、
それについて知識の機会を与えるのは看護婦、医師の役目です
そのうえで判断した患者の選択を最重視してほしいということです。検査の結果中絶を選ぶ人たちを「覚悟が足りない、
妊娠の意味が分かっていない」と決めつけないでです。
あなたは、人を指導しサポートする立場なのですから。

もうすこしで、羊水検査より安全な胎児診断が普及します。
母胎血から少量の胎児の血液を分離し、遺伝子診断することが
実験段階では可能になっています。
流産のリスクがなければ、そして高齢出産が増えれば
その検査の是非を、どのように叫ぼうと、その需要は
増えていくでしょう。8週ぐらいで診断ができれば、それこそ
中絶はいまよりもっと増えるかもしれません。
その時代の流れの中で、大切なのは妊婦さんにまた妊娠前に
十分な知識と命の尊さの教育をすることです。
だれだって、お腹に宿った
子供の命を喜んで奪う母親はいないのですから。

そして、やはり最後に決めるのは夫婦だと思っています。


 





   >>> ありがとうございました! まっちゃん   -- 2002/07/26..
 
くらすぶさんの意見を、何回も読ませて頂きました。
忙しい育児のあいまにありがとうございました。
くらすぶさんや明里さんの他のページでの意見も、すべて読みました。
今回は考え方は、一つではないし、意見として話す事に勉強させられました。
私の言葉の足りなさに、くらすぶさんの意見が、答えを話してくれたかに思えます。
感情論ではない意見交換を出来た事に感謝しています。
ありがとうございました。
 





   >>> お返事が遅くなりました。2 くらすぷ   -- 2002/07/26..
 
>>続き

■妊婦の自意識について
妊婦だけではなく、彼女を取り巻く全ての人々の自意識についてともいえます。
おそらく、まっちゃんさんはココを一番強調したいんだと思います。子供を得ることに夢や希望を馳せてもいいのですが、物事にはリスクが伴う事が常であります。
まっちゃんさんは、例えば基本的な問題に直面して今更のようにオロオロする人たちを沢山見てこられて、歯がゆい思いをされてきたんだろうと思います。
そんな基本的なことをどうして今まで放っておいたのか、など。
確かに、自分の体のコトなのに何も知らない女性が多すぎたり、他力本願な人がいたりします。
それは私も前から、気になっていた事柄でした。
ただ、まあ、頻繁に起こりえない事に関しては、専門でもない限り最初から想定しろといわれても難しいかもしれません。それが突拍子もないことであれば、なおさらです。
最近は色々な情報がWEBにありますから、知りたければ知ることは出来ます。
収集して知識を得ても、動揺してしまいますけれど。

親になるという事は子供を得る代わりにいろいろ切り捨てていかないといけないモノがあったり、意識改革が必要だったりするんですが、そういう変化に対する対応をしたがらない人が居るのもまた事実です。そういうのを親になる覚悟というのであれば、果たしてどれだけの人が持っているか…。
また、親になるニンゲンとして、怖いから知りたくない、解らないから触れないという言い訳は不味いのではないかと思います。
避けて通れない問題が多くなるのに、これでは親が幼稚すぎます。知ることは時として、残酷な仕打ちを受ける事にもなるでしょうが、そうしたことをも包括していってこそ、親になれるのではないかと、考えます。


…すみません、なんだか今まで書いてきたことのなぞりにしかならなかったみたいです…。
社会的なレベルで出産制度や福祉制度がもっともっと向上しなければどんどん産む側の負担になってしまいます。
妊婦以外の人の意識改革も停滞したままです。
でも、一番大事なのは、妊婦さん自身がもっともっと色々な意味で賢くならないとイケナイと思います。
障害者の問題に関しては、これから老人介護の問題とあわせて、考えられて行くのではないかと思われます。

明里さん、どうかお体に気をつけてお過ごし下さいね。
 





   >>> お返事が遅くなりました。1 くらすぷ   -- 2002/07/26..
 
まっちゃんさん、明里さん、書き込み有難うございました。
まず、言い訳をさせていただくとすれば、お二方の書き込みに対してどう答えを書いたものかと、この数日考えていました。
すでに収束に向かいつつあるようなのですが、ワタシ宛の投稿でしたので改めて書かせていただきます。
思いの外、羊水検査にまつわるさまざまな意見をやり取りする事になったここ数日でしたが、ドクターでさえさまざまな意見があるテーマなのに、専門家ではない私達が議論した所で答えは出るはずもありません。
医学的な見解からと、検査を受ける妊婦自身の感情・考え方や、そしてワタシタチを取り巻くあらゆる可能性の人・環境など、見る側が違えば答えもまったく違って来るという、手ごわいテーマだと思います。
また、いろいろな問題が同居するテーマでもありますので論じているうちにどんどん、範囲が広がっていってしまい収拾つかなくなってくるおそれもあります。

ですので、箇条書きにして出来るだけ手短にお返事を書こうと思います。(短く出来るかな…汗)

■中絶について
これは明里さんへのレスですが、基本的にワタシは中絶は反対しています。明里さんもかかれていますが、どの時点を持って胎児を「人」とみなすかが最大の争点ですが、それが明瞭に出来ないから、生物学的な危険を伴うギリギリのラインとして医学的見解の判断基準をとったのではないかと思います。>21週以前は中絶可能(母親への体の負担が大きくなるという事は、それだけ母と子の繋がりが堅密になっていると考えられるからでしょうか)
あとは平たく言ってしまえば、感情論をベースに展開されていると言っても過言では無いかと思います。宗教的な考えも含めて。
親側の都合ですが、「夫婦の自己決定権」に関してはそれは重要視されていいと思います。とくに、経済的な問題は誰も肩代わりしてくれるわけではありませんから、シビアに考えざるをえないと思います。
ここで問題なのは、その親がまっちゃんさんの仰るようにそこにたどり着くまでに、さまざまな覚悟をして来ているのかという事です。覚悟をすればいいという問題ではありませんが、中絶する事の意味、周りからの反応への対処のし方、今後の夫婦同士の問題などさまざまなリスクを承知で受けるのであれば、他の誰の所為にもせず、自分達で決めた、と言う認識が生まれると思います。

■羊水検査について
妊婦さんに限らず、だれでも自分のところにはあたりまえの様に健康な子供がやってくると信じて疑わない人が殆どです。
一般に言う「望んだ妊娠」とは、五体満足で健康に問題の無い子という認識かと思います。
また、普通の人であれば障害を持った子供を出産する事を前提に妊娠するわけではないと思います。
幸か不幸か、大部分の人のトコロには何も考えずに健康な子供があたりまえの様に授かる事が殆どですが、一部の人のトコロには試練を抱えて生まれて来ることがあります。
「あたりまえ」ではない人生が展開された時の人間、とりわけ母親は障害の程度に関わらずとてもショックを受けます。
それは、仕事で福祉に携わって、そういうケースをたくさん見てきた方々も例外ではありません。福祉に携わってきたとは言っても、あくまでも自分の事としてではなかったからです。
色々、冷静に妊娠・出産を考えてきた母親でも、出来れば健康な子を、と願ってるのはそれは仕方の無いことかと思います。
誰でも自分の今まで築いてきたペースを乱されることは、出来れば避けたいと思っているからです。
前置きが長くなりましたが、私自身は中絶は出来ないという前提で羊水検査を受けました。
その理由は、検査を受ける事でもし異常を発見した時、これから自分が出来ることを具体的に考えていく判断材料になると思ったのと、先述したように自分の人生が大きく変わろうとする、その変化に早く順応する為に真実を知りたいという気持ちからでした。
どんな子供が生まれても快く迎えられるわという強い意志があれば別ですが、こうした中絶するかしないかの為の検査ではなく、前向きな要素としての検査であってもいいのではないかと思います。
もちろん、検査による流産のリスクもありますし、出来れば100%安全な検査になって欲しいですが、胎児の状態を知ることで早いうちから今後の方針を立てられるメリットもあることは、否定できないと思います。

>>続く
 





   >>> 難しい問題ですよね。 まっちゃん   -- 2002/07/24..
 
「夫婦の自己決定権」は、もちろん患者さん、個人などのニーズな事なので、もちろん尊重するべきです。が、私は、その検査の深い意味や理解度が、どれだけの方が、認識した上で、検査をしたりしているかが問題だと思っています。
時により、情報社会の今、まちがった認識をしている方も多いのも現実。
検査は、したいが、検査へのリスクは、どういう事なのか?
全く無知な方もたくさんいます。妊娠とは、どういう事なのか?を。
それに、お腹の中にいる胎児への尊厳を
私には、無視して語ることは、出来ません。
成熟した社会と言うならば、周りを見るゆとりのある行為や考え方も大切だと思っています。
だれでも、通る妊娠ライフ。
考え方一つで、穏やかな生活が送れます。
ご自身の表情もそうです。
一つの検査に何の意味があるのか?
みなさんを苦しめる、サポートの出来ない検査なら、検査がない方が、いいとも感じます。
検査が、無事に終わる事を願っています。



 





   >>> 妊婦の選択 明里   -- 2002/07/24..
 
まっちゃんさん、わたしも来週羊水検査を控えて
ちょっと神経過敏になっています
言葉が足りない面もあると思います
お互い、意見として聞いてくださいね

まっちゃんさんのような方がいなければ、医療の暴走は
留まることをしらないでしょうし
そのような考えは、倫理的な問題を含む技術のブレーキになるので
社会的にはとても大切です。

でも・・・

出生前診断に関することにしてもそうですが
日本という国は、医療従事者が患者を馬鹿にしているなぁって
感じています。
アメリカやフランス、そしてナチスドイツの悲しい過去のある
ドイツでさえ、第一に「夫婦の自己決定権」が
最重視されるそうです。
とくにドイツは、中絶できる期間が非常に短いため
そのあいだに、医者は義務として羊水検査その他の
可能性を妊婦に勧告し、その判断について影響をおよぼす
ことを言ってはいけない義務があるそうです。

日本では、ご存じの通り、羊水検査やマーカー試験も
医者は「聞かれたら教える」以外は
言うことは好ましくないとされています。
また羊水検査にしても性別がかならずわかるのですが
それも「言うのは好ましくない」とされています
そのりゆうは
「いらない性別の幼児だと中絶してしまうから・・・」
羊水検査にしても、医師や助産婦が聞かれもしないうちから
自分の意見をいいます「好ましくない結果だったら殺すの?」
とか・・・「体外受精は検査を受けた方がいい」とか・・

医者のいうとおりになる患者も勉強不足だけど
(私は大学病院に勤めている歯医者で
研究内容はバイオテクノロジーです)
医者は患者なり妊婦は自己判断できないと思っているのかしら。。。?

羊水検査を含む出生前診断の是非は、答えの出ない問題でしょう
このような場で、意見を求めるのは、私も含めて迷いに迷っているからです。
検査で陽性になったって、産む決意があれば
手術や合併症にたいしての計画や、心構えができるでしょう
そんな情報もとても大切です。
だから、人からの意見は大歓迎です。
しかし。、どんなかたちであれ(望んだ妊娠であろうが、なかろうが)、
当事者である「夫婦の自己決定権」が
最重要視され、尊重される社会こそが
成熟した社会なのではないかなぁと、私はこの一連の
検査についての考えです。

本音は・・・来週がとても怖いです

 





   >>> なんだか、話がずれているかな? まっちゃん   -- 2002/07/23..
 
明里さんに、私の表現が、悪いようですね、失礼しました。
お互いの意見に答えがないのだから、意見として、話しましょうね。
私の場合による中絶で仕方がないのは、母子の生命継続が危ない時を指してます。
私は、検査や中絶を反対と理由もなく言っているのではなく、妊娠には、出産という素敵なことがある反面リスクもある事についての、考え方について話したのです。
高齢出産とは、どういう事なのか?妊娠のリスクは、何か?
羊水の検査があり、受けるまでに悩み考えるとは、気持ちは、分かります。が、その時の妊娠されている人の心理状態について、あえて言わせて頂いているのです。
必要以上の悩みやストレスが、胎児によくないのでは?と言いたかったのです。
だって、望んだ妊娠なのでしょ?と。検査や、産む産まないもゲームのリセットではないのだから。「語弊も招く表現のしかたかも知れませんが・・・」はじめから、妊娠のリスクを知らなかったの?と言いたかったのです。
私は、クラスブさんの意見に同感な面があります。
私自身は、妊娠の心得について軽視しすぎではないか?と話しているのです。 
 それに21週までの選択は、母体に危なく中絶
出来る週数にも限界です。
まして、胎児の子宮外生存可能は、22週以降です。そして、妊娠8週から、胎児という事も忘れないで
判断すべきだと言いたかったのです。
だけど、自分にしか、分からない苦しみもありますよね。言葉が足りずごめんなさいでした。

 





   >>> まっちゃんさんはどうしたいのですか? 明里   -- 2002/07/22..
 
まっちゃんさんの意見を拝見しました。
気弱なママさんのところでも書きましたが
すごく正論だと思います。

私は医者ではありませんが医療従事者の一人です。
ですので、奇跡も知ってます。
奇跡を信じることも大切です・・・
でも、それ以上に医療の現実、限界をはっきり見極めたうえで
奇跡を信じなければならないのでしょうか?

と、ここまでいろいろ書こうと思いましたが、まっちゃんさんを
説得するのは難しそうですし、できないでしょうね。

私は正直言って、クラスプさんの意見もあまり賛成できません。
安易なセックスでできた子供を中絶しようが、障害のある子を
反対に反対されて泣く泣く中絶しようが、中絶される側から
見ればかわりないでしょう。

障害があろうとなかろうと、人として「生きる権利」は
確保されるべきですし、その子の運命を親が決める権利はありません。
だたし、それは21週以降のことです。

避妊の権利や受精卵を人かどうかとの議論まで行くなら
べつですが、子供にも生きる権利があると同じように
女性にも産む権利、産まない権利があります。
21週ともなれば体のほとんどができていることは私も
よく知っています。
そして、繰り返し言いますが、中絶は罪であり、
大手を振って容認されるべきことではありません。
しかし、21週までは夫婦はその子を産むか産まないかを
選択できていいと思います。
これは一つの線引きです。

21週がだめなら、じゃあ、8週ならいいのか、着床前ならいいのか?受精卵ならいいのか、避妊も許されないのか・・・
強姦できた子供なら、中絶は認めるのか?
望まない妊娠であっても胎児の側から考えて
必ず産むべきなのか?

まっちゃんさんの意見は正論ですが、目的がわかりません。
出生前診断そのものががいけないというのか、中絶が許せないのか
また、まっちゃんさんのなかで、「許せる中絶と許せない中絶」が
あるのかどうなのか

どんな理由にせよこの世に産まれる可能性を奪われる側から見れば
「殺人」です。
胎児の側にたてば、産まれる可能性ということまで考えれば
「ES細胞」の実験など言語道断でしょう。
まっちゃんさんの中でせんひきができているのかもしれませんが
宗教によっては避妊すら認めてないし、それも一理あると思います。

まっちゃんさんは、どこから許せないのですか?

産む側の都合をいっさい、「生命の軽視」ととらえるならば
これらの線引きはできなくなると思います。