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どなたか教えてください。 roko  -- 2002/07/19 ..
少し前に
「私はこんなことで悩んでいます」と掲載して頂いたrokoです。
今回の内容は、もしかしたら、
このページにふさわしい話題ではないかもしれませんが・・・。

一昨日、中絶してしまいました。
夫とよくよく話し合った末に、自分で決心したことですが、
手術日については、あまりにも急に決まってしまい
(12週以降になると、死亡届が必要とか、、手術が困難とか、、
そんな理由で、受診日当日の午後、即手術と決まりました。)
もう、どんなに悔やんでも仕方ない、元には戻せない事実です。
お腹の中は、空っぽです。

手術の終わった夜は、泣いている夫を私が慰めて、励まして・・・
「rokoは強いな」と夫に言われ、自分でもそう思ったのですが、
今は、気が付くと、泣いてしまっています。
後悔・後悔・後悔・・・
こんなに後悔するとは思いもしませんでした。
どんなに周りから反対されようと、頑張るべきだった。
中毒症を起こさないように、私が死ぬ気で頑張れば良かった。
実際、あと、僅か7ヶ月ぐらい、全く味のないものを食べたって、
死にゃあしないのに・・・。
どうして、夫に「私は絶対大丈夫だから!!」と言えなかったのか?
どうして、早々と諦めてしまったのか?
子供にとって、
母親の胎内が、一番安心できる気持ちの良い場所なのに・・・
突然引きずり出されて、あの子はどんなにびっくりしたか・・・?今日、夫と2人で、水子供養をして頂いて来ました。
でも、いくら手を合わせて拝んでも、気持ちは楽にはなりません。
あの子が、このお腹の中で元気だった時に、
歩いた道、買い物した店・・・
どこに行っても、思い出しては泣いてしまいます。
私が泣いてばかりいるので、
また夫を泣かせてしまいました。
夫も、とても苦しんでいます。
私以上に苦しんでいるのかもしれません。
「帝王切開で産めば大丈夫だろう」という最初の判断を、
途中、産業医の先生に相談した日から
「やっぱりrokoの身体では、産むのはムリだ」と、
翻して出産に反対したのは自分だと、自分を責めています。
最後の最後で「手術はやめろ!」と言わなかった事を、
とても悔やんでいます。
「俺を責めてくれよ!その方が少しは気が楽だよ」と言います。
でも、私はわかっています。
最後の最後まで、自分の意志ひとつで、
どうすることだって出来たのは、この私だけだったということ。

あの子は、きっと私たちを怨んだりはしていないと思います。
でも、、、「なんで手術なんかしちゃったんだろう?!」と、
悔やむ気持ちは、どうしても消え去りません。
どうすれば良いのか・・・
どうしたら、ふたり、立ち直れるのか・・・
どなたか教えてください。


たれこげさんへ   roko
みなさん、本当にありがとうございました。   roko
泣いていいんです、泣かなきゃいけないと思います   Loca
思いっきり泣きましょう   みんと
どうしてもまだ立ち直れない   落ち込み中
守ること   たれこげ
今は、夫のことが心配です。   roko
私も中絶しました   Loca




 

   >>> たれこげさんへ roko   -- 2002/07/19..
 
たれこげさん、ごめんなさい!

お返事出したつもりが、届いていなかったようです。
私、いつまで経ってもPCの腕が上がらなくて・・
「普通はそういう事しないけどなぁ×」と、夫が呆れるような事、
しょっちゅうやっちゃってるんです。。

前の文章、思い出しながら、再び送付させて頂きます。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

たれこげさん、
私のために、願ったり・祈ったりしてくださって、
本当にありがとうございます。
以前の「ただ悩んでいるだけのお目出度い私」のことも
考えてくださっていたのですね。
ありがとうございます。
たれこげさんのお名前は、私もよく存じておりました。
「優しい人だなぁ。。」という印象がありました。
確か、9月にご主人様の立会いで出産されるご予定でしたよね。
とても羨ましいです。
あと2ヶ月ほど、暑くて大変でしょうけれど、
頑張って下さい!!
うちの中学一年生の娘も9月生まれです。
13年前は、大きなお腹で暑くって・・
私、サーティーワンのアイスばっかり食べていました。
その反面、体重増加を気にしていたので、
ご飯をしっかり食べてはいませんでした。
“栄養不足”が、中毒症の最大の原因だったと思います。
たれこげさんに、その心配は要らないと思いますが、
どうか、油断はしないでくださいね。
私に中毒症の症状が現れたのは、
予定日のたった2週間前だったのですから。。
それ以前は、まったく順調で・・
34週まで、会社勤めもしていました。
結婚してすぐ出来てしまった子供だったので、
まだお金も貯めたかったし・・
それで、産休をとった後は、
子供を保育園に預けて仕事を続けるつもりでした。
37週で、体重が9.5キロ増。
38週には、10.5キロ増。
受診する度に、体重チェック担当の看護婦さん(お局さま)から
「増えすぎよっ!」と怒られ・・
「もっとご飯を減らさなきゃいけないのぅ??」と、
不思議でした。
通っていた産科は、勤め先の近くの総合病院で、
妊婦さんの数も、とても多かったので、
色々な面での指導が不足していたのは間違いないとは思いますが、
やはり、自分自身でもっと勉強すべきだったと反省しています。
38週の時には、足の甲のむくみ♯がもの凄かったのですが、
それを訊ねても、特に指導事項はありませんでした。
自分が『塩分の摂りすぎ』だなんて、
私、夢にも思っていませんでした。
39週の時には、11キロ増。
この日は、むくみはモチロン、
血圧も高く(145-89)、尿蛋白も初めて++になってしまい、
ドクターから「入院してもらわないとなぁ。」と、
冗談交じりのように言われました。
でも、私が「え〜??」と言ったら、
「じゃ、家で安静にしていてくださいよ。」と、
それだけで、その日は、買い物しながら帰宅しました。
自分の状態が、どういうものなのか・・
“安静”と言うことは、どういうことなのか・・
そんなことさえも、私は理解していなかったのです。
娘は、その1週間後、
予定日ピッタリ40週で、自然分娩で産まれましたが、
その後のことは、ずっと以前のメールの通りです。

思えば、私って、
この13年間ずっと〈親不孝・夫不孝・娘不孝〉を
続けていたのですね。
自分では、すっかり健康になったつもりでいたけれど、
結果的には、あの子を産んであげられなかった。
周りの皆は、私のことをずっと心配してくれていたのでしょう。
今頃、そんなことに気付きました。
あの子が、私に気付かせてくれました。

トイレトレーニングを始めた頃から、
ずーっと、鬼のように接してきてしまった娘も、
お蔭さまで、ぐれもせず、素直に育ってくれました。
夫曰く「奇跡だよ!」
そう、ホントに奇跡です。。
(私なら、とっくにぐれている^_^;)
有り難いことだと思います。

周りの皆に感謝して・・
あの子に感謝して・・
【目指せ、前向き人間!!】を合言葉に、
頑張って生きていきます。

たれこげさん、ありがとう!
ご安産をお祈りしています。
 





   >>> みなさん、本当にありがとうございました。 roko   -- 2002/07/18..
 
落ち込み中さん、みんとさん、Locaさん、
お便りありがとうございます。

本当に、みなさんだってお辛いでしょうに、
私のことを励ましてくださって、ありがとうございます。
昨日は、朝、娘が学校に出掛けた後、PCを開いて、、、
でも、すぐにお返事することが出来ませんでした。
「私にメッセージをくださった方が、
こんなにたくさんいらっしゃる」と思っただけで、
嬉しくて、有り難くて、涙がこぼれて、、、
「ありがとうございますー」と、
声をあげて泣いてしまいました。

落ち込み中さんは、もう、胎動も感じていたのですか。
それは、本当にお辛かったでしょうね。
でも、、、
赤ちゃんに会って、お別れが言えたのですね。
ママに頭を撫でてもらって、
あなたの赤ちゃんは幸せだったと、私は思います。
(私は、子供のこと、なんにも分からなかったから。。)
色々、漢方治療なども有るみたいじゃないですか!?
この次は、元気な卵が育つよう、
ご自身のお身体が大丈夫なら、
頑張ってみてはどうですか??
・・・なんて、私、軽々しいこと言ってますか?
他人事だと思って言っているのではありません。
もう、自分には無理だと思うから、
希望を託しているのですが、、、
でも、もしも気にさわったら、ごめんなさい。

みんとさんは、お家でも『供養』されているのですね。
私は、それをしていませんでした。
私達が水子供養をお願いした薬師様は、
夫婦の名前を記した小さな金色の像を
建物の中に並べてくださるだけで、
(これが数え切れないほど・・自分の子供がどこにいるのか、
 とてもじゃないけど、乱視のひどい私には分かりません。)
お札のような物などは、何もくださらないのです。
だから、薬師様を訪れた時に、像の前でお線香を焚いて、
手を合わせれば、それで良いのだと思っていました。
でも、一昨日、
友人のお母さんに、この辛い気持ちを聞いてもらった時、
教えてもらったのです。
「自己流でいいから、21日間、家で供養してみたら?
 そうすれば、気持ちがすっきりするよ。」と。
それで、すがる思いで、きのうの朝から、始めました。
きのうは、手を合わせているだけで、涙が止めどなく流れました。
朝っぱらから目を腫らして、
また夫を辛い気持ちにさせてしまったと思います。
でも、そのお蔭なのでしょうか?
きのうの昼間から、すごく気持ちが楽になったのです。
「私は冷たい人間なのかしら?」と、気がとがめる程、
涙を流さないでもいられるようになったのです。
今朝は、手を合わせていても、涙がこぼれませんでした。
本当に、不思議なほど楽になりました。

みなさん、その友人というのは、
12年ほど前、天国に行ってしまったのです。
私が娘を出産した2ヶ月ほど後に、彼女は男の子を産んで、、、
私が腎臓、彼女が心臓を治療していました。
出産後、実家に子供を託しているという同じような境遇で、
歳も近かったから、
病院の計らいだったのでしょうが、
しばらく後に同室になって知り合ったのです。
長い入院生活で落ち込み気味だった私にとって、
彼女は恩人だと言っても過言ではありません。
大げさでなく、彼女が隣のベッドに来てくれたのは、
もう、気が変になる直前でしたから。
彼女が亡くなった後、ご主人が再婚もせず、
お母さんが息子さんを育てていらっしゃるので、
年賀状と、年に一度、お母さんのお誕生日にお花を贈り、
お電話でお話しする程度のお付き合いが続いています。
入院していた時、彼女から
「私は3番目の子供なんだ。上の2人、亡くなってるの。」と、
聞いたことが記憶のどこかにありました。
それで、自分の母には話せないことを、
申し訳ないと思いつつ、
彼女のお母さんに聞いてもらって泣きました。
そうしたら、思いがけず、供養のことを教えてもらえたのです。
また、彼女に助けられた思いがします。

落ち込み中さんも、やってみませんか??
(あ、そういうのは、既に実行されているかもしれませんが・・)

Locaさん、度々ありがとうございます。
虹を見てから、気持ちを切り替えようと思ってはみたものの、
やはり、いつまでも心は重かったのです。
空元気を出して、夫に話しかける言葉も
自分ながら空々しくて・・
気を抜くと涙がこぼれてしまうし・・

それで、みなさんの仰るように、心のままに泣きました。
ひとりの時に、思いっきり、わんわん泣きました。
それで涙が涸れたのか・・
昨日からの『供養』のお蔭なのか・・
私は、少し元気になりつつあります。
みなさんも、どうか、お元気でいてください。

みなさん、本当にありがとうございました。
 





   >>> 泣いていいんです、泣かなきゃいけないと思います Loca   -- 2002/07/17..
 
虹がとってもきれいだったんでしょうね。
きっとじゃ行くねと挨拶してくれたんだと思います。
私、泣きたい時に泣いていいんだと思います。
泣かなきゃいけないんだと思います。
ご主人と二人で「泣こうよ」と思いっきり泣いていいんだと思います。
ご主人も泣かないといけないと思います。
感情を表に出すのは決して悪いことではなく、むしろ前に進むために必要なことだと思います。
そして、娘さんとご主人と3人で心から笑いあえるように・・。その時、お空へ行った赤ちゃんがrokoさんの心の中で一緒に笑ってるんだと思います。
泣きましょう。
大声で泣きましょう。
私も泣きました。とはいっても一月ぐらいたってからですが・・。
rokoさんに言えませんね。
でも、それからふっきれた気がします。
 





   >>> 思いっきり泣きましょう みんと   -- 2002/07/16..
 
私も、昨年、13週で、中絶しました。先生に異常があると、親の
選択をさせられ、目の前真っ暗で、辛い選択でした。娘が、妹を望んでいたため、このこのために、産みたかったのですが、娘のためおろしました。泣いて、泣いて、子供のいない産休は、どんなに、
辛かったことか。今、rokoさんは、起きてても、寝てても、こども
さんのことが、頭から、離れないと思いますよ。がまんしないで、
思いっきり、泣きましょう。私も、一人だけこんな体験をしてると
思ってたですが、日本のどこかで、同じ体験をされて、涙を流してます。毎日、亡くしたこどもに、手をあわし、拝んでますよ。
きっと、きっと、見守ってくれてるよ。時間が、すこしずつ、忘れさせてくれます。でも、心の中には、いつも、いるからね。
だから、いまは、涙がなくなるまで、ご主人と、二人で、泣きましょう。がんばってね。みんと
 





   >>> どうしてもまだ立ち直れない 落ち込み中   -- 2002/07/16..
 
昨年の夏エアコンのウヲンウヲンうるさい部屋で6ヶ月になる赤ちゃんを中絶しました。法律的にギリギリの時期なんだそうです。
主人は年が離れていて、再婚でもあり、前妻との間に成人した子供達がいます。子供は要らないと言われてはいましたが、昔から子供好きだった私は、誕生日に何が欲しいと言われると“赤ちゃん”と言って彼を困らせていました。 結婚して2年目に彼が大病を患い、悲嘆に暮れながら看病している私を見て、自分がいなくなったらこいつはどうなるんだろう。と思ったらしく、子供を作る気持ちになったようでした。 去年の3月間違いなくおめでたですよ。と産婦人科の先生に言われた時の幸せな気持ちは忘れようもありません。 それから好きなお酒も一切口にすることなく、残業の多い管理職の仕事の合間を縫って、栄養のある夕食を時間の許す限り一生懸命作りながら、気がついたらいつもお腹をなでていました。主人は触っても感じなかったらしいけど、ポコポコ動いているのを私はお腹の中で感じていました。
ただ、私が39歳で始めての出産という事もあって、乗り気でない主人を説得して受けた羊水検査の結果が陽性になってしまったのです。 検査を受ける前にいろんな雑誌を見たり、検査を受けたことのある友達に話を聞いたりしましたが、みんな検査の結果OKだった人たちばかりで、実際染色体に異常があります。といわれた時に覚悟はしてても、こんなにつらい思いをずっと引きずることになるとは予想もしなかったのです。 
無理やり出産した赤ちゃんは欲しかった女の子で、お別れをした時、頭をなでてごめんねというのが精一杯でした。しっかり赤ちゃんの姿をしていました。もうすぐ一年が経ちますが、小さな女の赤ちゃんを見ると、抑えても目頭が涙でいっぱいになります。
私の場合は父親のパーキンソン病とその介護に係わる母、仕事のプレッシャー、夫婦二人の年齢など等、いろいろ考えたのですが、やっぱり障害のある子供が生まれた場合、成長するまで夫婦共々頑張ってやっていくんだという信念と自信がもてなかったのです。
でも、産めなかった、殺してしまった。という気持ちは今も私の中で事ある毎にくっきりと浮かんできます。親友の悪気は無かったかもしれない言葉が今も頭の中を何度もよぎります。検査の結果がそうだったとしても、大切に育てて頑張るっていった人が産んでみたら、なんでもなかったっていう事もあるのよ。障害があっても生活が大変でも一生懸命頑張ってる人もいるのよ。 可哀想だけど、あなたは死んだ子の年を数えながらこれから生きていかなくちゃいけない。" もちろん彼女は他にもいろいろ慰めの言葉をくれたけれど、あの言葉が今も心に突き刺さって、それが真実を突いているかもしれないので、よけいに思い出してしまって落ち込んでしまいます。
でも、あんなことをしてしまった以上、苦しむのが当たり前なのかもしれないので、あえてどん底まで落ち込んでいます。慰めようが無くて困っている主人には悪いけど。
 





   >>> 守ること たれこげ   -- 2002/07/16..
 
こんにちは、たれこげと申します。
私は前のrokoさんの投書を読んだ時、これは何よりも先にお医者さんに相談して、自分も子供も安心できる答えを得るか、あきらめる覚悟をつけるかが必要だろうと思いました。でも、生む事に前向きでいらっしゃるようなのでレスを入れるのをやめました。
生きてると守りたいものが増えてきますよね。でも、一番守りたいもの、その時守りたいものが必ずしも守れないときがあります。rokoさんは、お腹のお子さんの命を守りたかったのでしょう。で、今は守れなかった事で後悔されたり、自分を責めたりしてらっしゃるのでしょう。だけど、もしその命を守ったことでもしかして守れなかったかもしれないものを考えると、それも怖いと思うんです。rokoさんの命、ご主人との人生、今生きている上のお子さんの幸せ。いつか、それらをご自分やご主人の決断と無くしてしまった命で守ったと思える日が来ることを切に願います。
ご自分を責めないで、と言いたいですが、もし、ご自分を責める事で気分がまぎれるのなら今は仕方ないのかもしれません。でもこれは、誰を責める事でもないと思います。ご主人の事をご心配なさっているようですが、自分の事もちゃんと心配してあげて下さいね。
つたない文章ですが、rokoさんの気持ちが少しでも楽になる日が来るよう、心よりお祈りしています。
 





   >>> 今は、夫のことが心配です。 roko   -- 2002/07/16..
 
Locaさん、
ご自身の悲しい経験をお聞かせくださって、
そして、励ましてくださって、、、
ありがとうございます。

辛い選択をして、苦しんでいるのは、
私たち夫婦だけではないんですね。
世の中には、同じ痛みを持って、
それでも、頑張っているご夫婦が、
本当にたくさん生活しているのでしょうね。
それは、
水子供養をして頂いた薬師様に並んでいた、
数え切れないほどのご夫婦のお名前からも
うかがい知ることが出来ました。

私の方は、ちょっとだけ、
気持ちの切り替えに役立つような出来事がありましたので、
聞いてくださいますか?

今朝、虹を見ました。
昨夜は、あのメールを送ってから、
なんだか夫のことが心配で・・・
酔いつぶれて眠っている彼の寝顔を見つめていたら、
眠れなくなってしまって・・・
結局、朝方までぼんやりとテレビ画面を眺めていました。
空が明るくなってきたので、
洗濯を始めて、それをベランダに干そうと、
ふと、空を見上げると、虹が架かっていたのです。

なんだか、あの子が、
「これから、この虹を渡って天国に行くよ!」と、
挨拶をしに来てくれたように思えました。

「虹が出てるよっ!!」と、夫を起こして、
部屋で寝ている娘を、わざわざ起こしに行って、
その虹を見せました。
あの子が、
「パパもママも早く元気になってね!」と、
言ってくれているような、そんな感じがしました。
自分に都合の良い、勝手な解釈なんですが。
でも、これをきっかけにして、
立ち直ることを考えなければ!!

夫にも、そのことを話しました。
「これからは、優しい母親になれるよう、
娘のことも理解するよう努力するから、
今までのこと、許してくれる?」と聞いたら、
うなずいてくれました。
私は、本当に、娘を褒めてやれない、
冷たい母親だったのです。
娘のことを思って言っているつもりなのですが、
ガミガミと口うるさい鬼母で、
娘を四六時中怒っているような、
そんな悪い母親です。

でも、あの子が産まれて、四人家族になったら、
私たち母娘の関係も、何かが変わるのじゃないか・・・と、
そんな期待もしていました。
それが叶わぬことになってしまった今、
あの子がいなくても、
三人で仲の良い家族にならなくては、
あの子が悲しむんじゃないかと思うんです。

Locaさんも仰るとおり、
あの子は、
三人の生活を守る為に犠牲になってくれたのですから。

虹を渡って、
楽しい国に行ったあの子が、
安心して見下ろしていられるような、
そんな家族にならないといけないですね。

時が癒してくれるのを、
待ってみます。
きっと、それ以外に方法はありませんね。

だけど、、、
泣けないのは、やっぱり辛いです。
我慢していると、
うつ病にでもなってしまいそうな不安を覚えます。
泣きたい時には泣いて良いのかな??
でも、、、
夫の前では、泣いてはいけないのかな??

多分、私は大丈夫です。
母親ですから。
でも、、、
今は、夫のことが心配で、
不安で仕方ありません。
 





   >>> 私も中絶しました Loca   -- 2002/07/15..
 
私は昨年10月に8週で中絶しました。
私はrokoさんとは違い、自分の都合なのです。
できた時は、とても嬉しく、きっと女の子だと思いました。
でも、年齢のことや仕事のことなどを含め実家の両親に大反対されました。
悩みました。生む方向でも考えました。夫とも何度も何度も話あいました。
でも、私の仕事の都合と子ども達の保育代など経済的に無理だという理由で中絶に踏み切りました。
私は仕事を選んだんです。
悲しくて悲しくて、今でも思い出して涙が出ることがあります。
そして心の中で、ごめんね、孫として生まれておいで・・・と話しかけます。
断ち切ってしまったお腹の子の命はやっぱり今でもいとおしいです。
たぶん、ずっと忘れることはできないと思います。
rokoさんもそうだと思います。
罪悪感はなかなか消えないかもしれない。でも、その子がrokoさんの身体を守ってくれて幸せにねって言ってくれているんだと、rokoさんお二人が幸せになることがその子の望んでいることなんだと思います。
お二人で自分自身を責め合わないで、この子は今幸せかな・・と考えられればいいのかなと思います。
ごめんなさい。こんなことしか私には言えません。