妊娠・出産・育児

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本当に有難う御座いました。 uchaco  -- 2002/04/20 ..
皆様に色々とアドバイスを戴いたuchacoです。

切迫流産について色々とアドバイスを戴き、症状も落ち着いて
お医者様のお許しも戴き、やっと安心して普通の生活を取り戻し
数日を過ごしました。
ところが再び出血し慌てて病院へ・・・、お薬を戴き再び安静の
日を数日過ごしました。
ところが前回とは違っていました。

痛みが前回よりひどく、出血も多量ではないのですが「固まり」が
見られるようになり、腰痛を伴っていました。
激痛では有りませんでしたが、痛みはかなりのものでした。
予定の通院日まで待てず、電話の上病院へ・・・・。

診察台へ上がり、検診して頂いたときには既に手遅れでした。
進行性流産だったそうです。
子宮内で組織が剥離しており、赤ちゃんも子宮口近くに落ちて
しまっていました。
心拍はありませんでした。
即刻入院、翌朝手術を受け、昨日の午後に帰宅しました。

お医者様も詳しくお話して下さいましたし、ネットでも検索して
自分なりに調べてみました。
「仕方のない事」だったのは自分なりにきちんと理解しているつも
りなのですが・・・・・。

七週間と五日の短い・短い生命でした。

結婚して十年、当初は子供が欲しいと思っていましたが、
「我が家にはコウノトリさんは縁が無いんだね」って覚悟して、
私達夫婦は子供のいない人生を受け入れていました。
検査・不妊治療等を受ける事も無く、本当に「晴天の霹靂」の
如く我が家に赤ちゃんの存在が登場しました。

戸惑いました・・・・五十歳に手の届く夫と四十二歳の私。
精神的・体力的・経済的に、遅くにやってきたこの赤ちゃんに
充分な事をして上げられるのだろうか?・・・・と。
それ以前に、出産までの色々な事をクリアして行けるのか?とも。

何日も何日も話し合った上で、夫婦で決めました。
「最初で最後のチャンスかもしれないから頑張ろう」って。

本当に「人生なんでもアリアリテンコ盛り」の波乱万丈の結婚
生活です。夫の仕事が軌道に乗らず、経済的に厳しい
状況が続いていました。

そんな中、私が三年ぶりに仕事に就き「さぁこれから!!!」と
全てが回り始めた矢先の妊娠でしたから・・・・。
戸惑いも不安も大きかったです。

それでも「産んじゃう!」って決めたときから「大きな喜び」に
変わりました。
女の子の一人っ子の私の両親も家族の縁が薄く、諦めていた
「孫」の登場に戸惑いながらも本当に喜んでくれました。
親不孝ばかりしてきた私も「これでひとつ親孝行が出来るかな?」
と・・・嬉しかったです。
空喜びさせてしまいました・・・心が痛みます。

夫・両親・友人・夫の同僚・・・沢山の方々のお陰で「切迫流産」
を乗切る事が出来ました。
多くの人の優しさに支えてもらいました。
「よっしゃ・よっしゃ!」これからだ!と・・・・。

まさか「進行性流産」だなんて考えもしませんでした。

生憎個室が一杯で、四人部屋での一泊入院でした。
病院側も恐縮してましたけど・・・。
深夜に出産・授乳の妊婦さん達。
本当に息苦しい一昼夜でした。

手術が怖いとか痛いとか、そんな事は何も感じませんでした。
言葉にならない「喪失感」だけが有ったような気がします。
看護婦さん達の優しさ・気配りに救われました。

他の妊婦さんや新米ママ達を目の当たりにしても、さほどの
動揺もありませんでした。

ただ・・・・、多くの妊婦さん達が流産をしている・・・・、
でも、もっと沢山の妊婦さん達が無事に赤ちゃんを産んでるのに、
どうして私は・・・・、と思わずにはいられませんでした。

今は随分と落ち着いてきたような気がします。

ひょっとしたら「もう一度チャンスがあるかもしれない!」
と考えられるようにも成ってきました。
諦めちゃったらそれまでですもんね!
次のチャンスが巡ってくる事があったら、その時は「待ってまし
た!」と云える様になります。

こちらの掲示板には、私の何倍もの悲しい思いを乗り越えて
頑張っておいでの方が沢山いらっしゃいます。

これからも時々覗かせて頂きながら、元気を分けて戴きます。

短い間でしたが、「母になる喜び」をくれた赤ちゃん・支えて
くれた人々・掲示板を通してアドバイスを下さった皆様・
そしてわが夫に、心から御礼申し上げます。

臆病にならずに、前を見て行きます。

本当に有難う御座いました。







頑張って下さいね   hana
すごく残念です   ちいちゃん
顔洗ってきました。   Mie
その気持ち痛い程わかります。   春よ来い
回復を祈っています   Kumiko
みんな同志です!   むらさき




 

   >>> 頑張って下さいね hana   -- 2002/04/20..
 
私も同じ頃から 流産の可能性が有るって言われて
uchacoさんの事自分のように思ってみていました。
残念な結果になってしまいましたね。
でも元気を出してくださいね。
私は、まだハッキリしないままです。
赤ちゃんは、育っていないみたいで・・・・・
ただ安静にしているだけの日を過しています。

 





   >>> すごく残念です ちいちゃん   -- 2002/04/17..
 
uchakoさん、かげながらずっと応援していました。
とまどいと不安を抱えた中での妊娠だったと思います、その中から少しずつ希望がふくらんでいたでしょう。
流産というのはuchakoさんのせいではなくて赤ちゃん自身の体が弱かったんです、私の流産もそうでした。
私も1泊の入院では看護婦さんや先生方がとても気をつかってくださって入院中は一度も涙を流さずに済みました。
2ヶ月たってやっと悲しみから解放されてひそかに次の妊娠を考えています。
44歳と6ヶ月ですが・・・若いお母さん方をうらやましく思いながらもこの年でまだ妊娠したいと願う自分が不思議です。
でもuchakoさん、体と心が癒えたら一緒にがんばりませんか?
お仲間がいると私も勇気がもてます。
今、食事と運動に注意して生活しています。
また、この場でいい報告が出来たらと思っています。
 





   >>> 顔洗ってきました。 Mie   -- 2002/04/17..
 
私も順調だとばかり思って開いたので、ショックで涙が止まりませんでした。
レスされている他の方をと違い私には流産の経験がないので、何を言っても傷つけてしまうだけなのではないかと思ったのですが、レスせずにはいられません。
辛いね、悲しいね。でも私は何もしてあげられないんですね。
せめて私は7週間と5日、あなたが確かに母であったこと、ご主人が父であったことをずっと覚えていようと思います。
ああ、また顔洗って来なきゃ..。
 





   >>> その気持ち痛い程わかります。 春よ来い   -- 2002/04/16..
 
辛いでしょう。泣きたいでしょう。順調に出産していく方々を横目で見て、『なんで私は・・・』と何度思ったことでしょう。私は、2度流産の経験があります。最初の時は様子がおかしかったので病院で診てもらい、「妊娠していたけど、もう流れちゃったね。」と言われました。2度目はそのこともあって十分注意していたのですが、赤ちゃんが思うように育っていないというので、一日置きに注射しに行き過敏な位に神経を遣っていました。なんとか育って欲しい・・・そればかりを願って。でも、駄目でした。やはり、手術をし、1週間会社を休みました。辛かったです。自分を責めたりもしました。私たち夫婦も同じ位の年齢で、以前同じハンドルネームで投稿させていただきました。uchacoさんの不安手に取るようにわかります。でも、今は私に返信くださった先輩方の励ましに支えられ前向きに自分の気持ちに素直になろうと思っています。まだまだ、諦めません。uchacoさん、お互いに喜べる日がくることを願って頑張りましょう。無理をせずゆっくり休んだら、前を向いて、一歩一歩、歩き出しましょう。これから、良いことがいっぱいいっぱいありますよう、遠くより祈っています。
 





   >>> 回復を祈っています Kumiko   -- 2002/04/15..
 
前のメールにもお返事させていただいたKumikoです。
タイトルを見てよい経過とばかり思っていたので
内容を読んでとてもショックでした。本当に残念でしたね。
悲しい思いをされましたね。
流産の悲しみというのは体験した者しかわからない部分が
あると思います。前も書きましたが私は2回流産の経験があり、
2回ともとても悲しい思いをしました。
特に2回目はなかなか2人目ができずにいた矢先の妊娠で
喜んでいただけにショックは大きく、また仲良くしていた
ママ友が同時期に妊娠し、順調に経過しているのを身近に
見ながらだったので、とてもつらかったです。
ですからuchacoさんの「どうして私だけが」という気持は
痛いほどわかります。時間がかかるかもしれませんが、
心が癒される日が来ることを願っています。
「もう一度チャンス・・・」という個所がありましたので、
まだ次のことを考えられる状態ではないかもしれませんが、
私の体験談を。2度目の流産の時は、次がすぐ欲しいと
思っていたので、医師に確認したところ、3回生理がきた
あとくらいで次の妊娠を、と言われたのですが、ネットで
見つけたある産婦人科のホームページで、よく3回
(つまり3ヶ月)空けると言われるがその必要はないと
明言されているのを見て、結局1回生理がきて、次の排卵の
タイミングで妊娠し、出産までたどりつきました(切迫流産、
早産、入院等ありましたが)。よく流産のあとは妊娠しやすい
と言いますが、この真偽のほどはよくわかりません。
ただ私もそれを体験した一人です。今はまだ心の整理がついて
いらっしゃらないかもしれませんが、そういうケースもあった
ことを知っていただければと思います。「元気を出して」とは
言いません。元気が出てくる日が一日でも早く訪れることを
願っています。あなたの悲しみ、苦しみに共感し、共有し、
回復を祈っている人間がいることを忘れないで。
 





   >>> みんな同志です! むらさき   -- 2002/04/14..
 
 uchacoさん、残念でしたね・・・私も7週目で、初めて授かった赤ちゃんを流産してしまった39歳です。uchacoさんの投稿文を読んでいて、自分の時のことが思い起こされました。流産だと告げられた時のことから、主人や多くの人達の励ましによって、立ち直ろうと懸命に頑張っていた時のこと。辛いですね。悲しいですよね。泣きたい時は思いっきり泣いて下さい。私が前向きになれたのは、友達の“人生で起こる出来事の中で、無駄な事は一つもないからね。”って言葉でした。そうですよね。ほんの短い間でしたが、赤ちゃんは私達夫婦や年老いた両親達、いろんな人に幸せをくれましたよね。私の母は足に障害があり車椅子ですが、赤ちゃんができたとわかった時は、“ベビーカーを押したい!”“妊婦である娘に車椅子は押させない!”という強い気持ちから、車椅子を自ら降り、歩く練習を始めてくれていました。赤ちゃんが母に勇気を与えてくれたんです。ホントにすごいことでした。あの奇跡をもう一度、母に与えて欲しい、私達は自分達のためでもありますが、母のためにも前向きに不妊治療に通院をしています。みんな同志です!uchacoさん、一緒に頑張っていきましょう。必ず、また赤ちゃんはやって来てくれると信じて!