妊娠・出産・育児

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子沢山・・・って・・・  たらぴ〜  -- 2002/09/30 ..
私の仲良しの友人の話なのですが・・・
彼女は只今3人の子持ちで
上から5歳2ヶ月、3歳1ヶ月、1歳8ヶ月・・・と
結婚してから立て続けに3人を出産しました。
そしていま、なんとまた妊娠してしまったらしいのです。
しかも、双子・・・
多分、現在5〜6週ぐらい、ということなのですが、
本人は産むかどうか、真剣に悩んでいます。
最初に相談された時、どうしてキチンと避妊しなかったのか、と
思いましたが、今その事を言っても何も解決しないし・・・
私自身は不妊経験があるので、是非産んでほしいのですが、
ご主人が転勤族、実家はどちらも遠い、実家の両親は高齢、
そして彼女自身が3人目出産後腰を痛めてしまい、
臨月まで耐えられるのか・・?という不安・・・
そして、何より5人もの子供の教育費用は?という心配。
夫婦の話し合いの中でも、答えが出ないらしいのです。
彼女もそろそろ高齢出産、といわれる年齢にさしかかり、
「産みたいけど、育てていけるのか?」と
毎日苦しんでいます。
もしも、諦めるのなら早い方がいい、と
病院でも言われているらしいのですが、まだ悩んでいるようです。
「なんとかなるさ」と言うのは簡単ですが、
産むのも育てるのも、友人夫妻。
私は「産んで欲しい・・・」と言うのが精一杯で、
なんだかもどかしいです・・・
もしも産むとなれば、出来る限りのお手伝いは
するつもりなのですが、
皆さんはどう思われますか?
また、子沢山の家庭には、公的な補助は無いのでしょうか?
そして、同じような経験をお持ちの方がいらしたら、
是非お聞かせください。
身近なところで、消えかかっている二つの命・・・
なんとかしてあげたいのですが、どうしたらいいのか・・・
少子化問題が取りざたされている今日、
こういう家庭に、何か援助があればいいのに、と
心底思います。
不妊で悩んでおられる方からは、贅沢だ、と言われるかも
しれません。不快に思われたら、ごめんなさい。


5人姉弟で育ちました   とろりん
同じことで悩んでいました   ひかり




 

   >>> 5人姉弟で育ちました とろりん   -- 2002/09/30..
 
もし、お金が第一の心配でしたら。ぜひ、産んでいただけないでしょうか。無責任に発言できないことは、わかっているつもりです。それでも、双子のお子様に、生きるチャンスを与えていただきたいのです。
私自身、5人姉弟の2女として育ちました。父は小企業のサラリーマン。40代でリストラにあい、ひたすら貧乏、貧乏の幼少期でした。満足に物を買ってもらったり、家族旅行に行った思い出がありません。両親の実家は遠く、近所に育児を助けてくれる親戚もありませんでした。友達の家は、多くても3人兄弟なのに、うちは5人。だから貧乏なのだ、と正直言って親を恨んだ時期もありました。毎日が、それはみじめな生活でした。
けれど、嵐のように貧乏時代は過ぎ、気が付くと姉弟5人見事に成人しました。児童手当3人目からは1万円、保育料3人目からは無料など(地域によって異なります)、不十分ですが行政の助けもあります。高校、大学も夜間・通信など、本人が働きながら卒業できる制度があります。家計の状況によっては、奨学金、授業料減免制度もあります。もちろん、結婚費用も子供たちがそれぞれ貯金してまかないました。
今は別々に暮らす5人ですが、正月などに全員揃うと、賑やかで楽しいです。兄弟が結婚、出産すると、また家族が増えますし。
母体に危険が及んでまでは、と思いますが。経済的な理由であれば、5人兄弟にはお金に換えられない何かが、絶対にあります。
下の2人を保育所に預けて、フルタイムに再就職して頑張った母も「産まずに後悔することはあっても、産んで後悔することはない」と、よく言っていました。
自分が母親になってみて、つくづく両親に感謝の毎日です。
実家は、老後の貯金が一切できなかったようですが、これからは姉弟5人で支えていく覚悟です。
 





   >>> 同じことで悩んでいました ひかり   -- 2002/09/28..
 
たらぴーさん、初めまして。
私もつい先日まで、同じことで随分悩んでいましたので人事思えず、参考になるかどうか分かりませんがお話します。
私の場合は3人目を生むか生まないかでお友達よりずっと少ないのですが、もともと子供は一人か二人で・・・と思っていたので思いがけない三人目の妊娠を素直に喜ぶことが出来ませんでした。主人は子供好きなので手放しで喜び、またその姿が余計に私をいらだたせることも多く話し合いというよりも、ほとんど喧嘩のような毎日でした。おまけに上の子二人ともつわりがかなりひどく入院してしまい、同じように実家の遠い私に出産はとても辛いものだという記憶が日に日によみがえり、40歳をまじかにして体力にも自信もなく(私もかなり二人目の妊娠中から産後にかけて腰を痛めていました)何を考えてもマイナスナことばかりで毎日つわりもあり、うつうつと過ごしていました。そうこうするうちに超音波で赤ちゃんの心拍をみたり、友人の暖かい励ましや主人の献身的な協力と神様の授かりもの・・・という言葉に背中を押され次第に前向きに考えられるようになり結構時間はかかりましたが出産をがんばろうと思えるようにもなりました。赤ちゃんの名前や性別を考えるのも楽しくなってきた矢先に、検診で突然に赤ちゃんの異変を知らされました。子宮内胎児死亡、いわゆる初期流産でした。自覚症状の全くないままの宣告で日に日にショックは強まるばかりでかなり自分を責めました。私がもっと速く心から赤ちゃんを受け入れていれば・・・とか中絶を口にしたりしたからだとか。処置のためのオペの日は自分でも止められない涙が待合室から止まらず、オペの前も終わった後も「私の責任ですか?」と麻酔のまだ覚めないおぼろげな意識の中で何度も先生に聞いたのを覚えています。1日の入院でしたがドアをへだてた向こうには赤ちゃんの元気な鳴き声や、それを喜ぶ家族に笑い声が聞こえどうして生んであげられなかったんだろう、と泣きつづけていました。私のせいではないと何度も先生にはお話を聞きましたが素直に喜べなかった自分をずっと責めつづけていますしこの先も忘れることの出来ない悲しい出来事でした。
たらぴーさんのお友達は5人になるのだし私とはもちろん事情もかなり違うのかもしれませんし、是非生んであげてください、という無責任な発言ももちろん私のすべきことではありません。
ただ私の場合は、本当に今でも赤ちゃんに対しても申し訳ないという気持ちがずっと残っているので・・・
ごめんなさい。あまり参考にもならないでしょうがあまりに私の体験と似ていましたので。いづれにしてもお友達の後悔の残らない結果になるのが一番いいことなんでしょうね。