非配偶者間の提供精子で生まれて
子の立場から考える

 インタビュー1 提供精子で生まれたことを知らされて
…田口陽子さん(仮名)
掲載日 2011年6月01日
 インタビュー2 AIDで生まれるということ
…佐藤さん(仮名)
掲載日 2011年6月01日
 レクチャー1 AIDで生まれるということ
〜加藤英明さんに聞く〜 Part-1,2
掲載日 2013年5月01日



  インタビュー1

 提供精子で生まれたことを知らされて
 …田口陽子さん(仮名)

聞き手・文/白井千晶 (インタビュー2011年2月)

ご存じのように、DI(非配偶者間人工授精、AIDとも呼ばれる)の歴史は、卵子提供に比べて、非常に長い。
世界で初めてのDIは、諸説を目にしたことがあるけれども1884年のアメリカ合衆国が記録に残るはじめのものと言われている。
動物に対して人工授精がおこなわれたのは14世紀頃から、それが人間でおこなわれたのは1776年(イギリス)、そして「非配偶者間」が1884年。
技術的には難しくないが、人間に対してしてもよいか、パートナー間の外にいる人間の精子を使ってよいか、という「適用」には、社会や文化が関わってきたことがよくわかる。
日本で最初にDIで子どもが生まれたのは1949年(慶應義塾大学)と言われる。
筆者が確認したところでは、江戸期の書籍から男性不妊の記述はあり、人工授精は明治期に試みて成功したという記述がある(詳細は白井2004)

今となっては、人工授精は不妊治療の「ステップアップ」の一つになって、もはや「高度生殖補助医療」(ART)には含められず、「一般不妊治療」に含められる。
しかし、上記のように、父親となろうとする者以外のところから精子を求めるかどうかということに対しては、世界的に見ても、日本で見ても、大きなタイムラグがある。

1997年、日本産科婦人科学会は、はじめて「非配偶者間人工授精」に関するガイドラインを示した。そこでは、営利目的でおこなわないこと、提供者は匿名に限ること、医師は記録を残すこと、とされた。

DIで子どもが生まれるようになって、はや60年以上。
「親」は、「子」は、「ドナー」は、何を抱えて、人生を過ごしてきたのだろう。

近年議論されている、子の「出自を知る権利」は、「ドナーの匿名性の権利(ドナーの個人情報保護保護)」や「親が子どもをもつ権利(子に告知するかしないかも自由に選べる権利も含めて)」と敵対するかのように語られている面があるように思う。

しかし、「DIで生まれた」ということを知らされた人の叫びから浮かび上がってくることの1つは、親にも子にも支援がないと、親は子どもに伝えられないということだろう。
そして一番重要なのは、「DIで生まれる」ということはどういうことなのか。
それを親に隠されてきたということは、どのような経験なのか、ということである。

田口さんの場合、さらに、提供者が親族であったという事実が加わる。
日本では、親族間で精子提供、卵子提供がおこなわれることが少なくない。
親が、病院に提供者を自分で連れてくるように言われたケースもあれば、あの人の提供ならと思って親が決断したケースもある。
提供者が親族であれば、子にとっては、提供者が匿名である場合とは違って、「自分の成り立ちの不確かさ」という欠損感からは、免れるかもしれない。
だが、親族にとって自分の存在があってはならないものなのではないかという自己否定感は、並大抵のものではない。

自分がもしその立場だったらと想像しながら(それは確かにありえない仮定ではない)、田口さんのインタビューを聞いていただきたい。


事実は、父が病気になった時に、母から聞かされました。30代の時でした。
どうしても、私にごまかしきれない状況だったから、覚悟したのだと思います。
目の前の壁がすべて崩れたような気持ちでしたが、父の病気のこともあるので、いったん気持ちを押し込めました。


母は、最初に私に話した時、父と血がつながっていないということと、提供者にはすごく感謝をしているということを言っていました。また、私には言わずにお墓までもっていくつもりだったと。

一度だけ、母に堰を切ったように怒りを伝えたことがあります。告げられて数日後でした。
私はもう結婚して子どももいる。何も知らずに子どもを生んだことが、本当にショックだった。なぜもっと早く伝えてくれなかったのかと怒りを伝えました。
母は、ごめんね、でも産みたかったと泣いていました。
私も母の前で泣きましたけれど、それ一度きりで、以後、この件に関しては全く話をしていません。
この人に怒りをぶつけても仕方ないと思いました。
産みたかったと言うばかりで、子どもがどんな思いをするのかは、伝わらないと思いました。

本当に責めれば、母がつぶれてしまうので、もうぶつけることはできないと思っています。私には母のフォローは絶対にできません。
母にも私にも相談できるところがあれば、関係は変わっていたかもしれませんが。



父とは似ていない、顔だけではなく、何一つ似ていないというのは、幼い頃から感じてきました。気持ち的に疎遠なまま、過ごしてきました。
告知されて、ショックだったけれど、父との違和感には納得ができた、やっぱり私の感覚が間違ってなかったと腑に落ちる感じがしました。
父は、私が事実を知っているということを知らないまま亡くなりました。

父母の時代には、子どもを生まなかったら、母は実家に帰されていたかもしれないし、また男である父に原因があるなんて口が裂けても言えないような時代でした。
父には子どもをもたなくてはならないという重圧があっただろうし、母には、子どもを産ませてもらったという父への負い目があっただろうと思います。
私自身、事実を知ってからは、父に対して、この人もつらかったのだろうと察することができるようになりました。
だんだん親族の男性の方に似てくる子どもを見ているのは、きつかっただろうと思います。

そんなふうに、母を推し量って、父を推し量って、私は誰にも言えなくて、自分の気持ちを押し込めてきたけれど、それはつらいことでした。


当時、母が不妊治療をしていた病院で、子どもをもつためには、精子提供者を連れてきなさいと言われたのだそうです。
親族の男性だったのですが、その男性の妻には内緒で来てもらったのだそうです。
母は、一生十字架を背負っていくつもりだと言っていました。

周りの人たちに内緒なので、私の存在そのものが、生きていていいのか、その親族にも申し訳ないという気持ちがずっとあって、自己否定感が強かったです。
戸籍通りなのだというふりをしているけれど、それだと自分が自分であってはいけない、本当の自分であってはいけないという気持ちになります。
親族が集まると、自然と、誰と誰が似てる似てないの話になりますが、その話になったら、いたたまれなくなるので、会っていません。昔から、父も母も、あまり付き合いをしないで、疎遠にしていました。
母も親族と嘘のままつながっているというのは、きついだろうと思います。


もし、オープンな関係であったなら、提供者に会って、どこが似ているのか確認したかったし、いろんな思いを聞きたかったです。
子どもを捨ててしまうような気持ちがあったんじゃないか、提供した時の気持ちと、生まれてからの気持ちは違うのか、自分の家族にもいろんな思いがあっただろうし。
でも、提供者を親だとは思っていません。
提供しただけで、親になることを放棄したわけですし、善意ということばを使って欲しくない。自分の遺伝子を受継ぐいのちが生まれることに対する畏怖が感じられない。

嘘をつきとおして、そうすることで生まれた子どもを守ろうと考えたのなら、それは間違いだと言いたいです。


次の世代にも引き継いでしまうことになるから、私も子どもには言わなくちゃいけないと思って、話しました。
子どもたちは、自分のダメージが大きい、不安になるというより、「それはお母さんも大変だよね」と逆に励ましてくれました。
家族の中で話ができるというのは、本当に助かっています。


DOG(※)のことは、数年前から知っていたんです。でもしばらくは連絡ができませんでした。
事実を知ってから、長い間ずっと自分の思いを押し込めてきて、
奥のほうのつらい思いに向き合うのも怖かったし、父が生きている間は考えてはいけないという思いもありました。
同じ立場の人に出会えて、親本人にぶつけられない気持ち、
例えば、夫婦以外の人から、たとえ親族であっても、精子の提供を受けて子どもをつくって、隠し続けるなんて、私なら絶対にしないという、怒りや恨みのような気持ちが、当事者にはわかってもらえる。

親を恨みたくはないのに、そういう気持ちがどうしても自分から離れていかない苦しさをわかりあえる。

自分は何者なのかがわからなくなってしまう、アイデンティティーの喪失感を共感できる。

同じ思いをしている人がいるんだというのはとても大きくて、少し解放されました。

※DOG=Donor Offspring Group(非配偶者間人工授精(AID)で生れた人の自助グループ) http://blog.canpan.info/dog/


子どもは、この人が母、この人が父、と認識していく中で、自分を確立していくのだと思います。それが違っていたということになると、自分が根こそぎ崩れてしまいます。
崩れるのが遅ければ遅いほど、もう一度、自分を作っていくのは、大変になります。

私の親が私に言えなかったこと、親族に言えなかったこと、周囲に言えなかったことは、社会がそういうあり方だったからだろうと思います。
社会に対する怒りは、あります。

医療の責任も大きいです。
子どもができた、おめでとう、で終わってはいけない。
子どもができないことが治療の対象ということ自体、違うと思います。
病気を治すことと、命をつくるということは、全然違います。
つくった命で、その人が70年、80年生きていくイメージがあるのかどうか。
精子提供、卵子提供は、その時は形がなくても、一人の人間をやりとりしているんです。

もしそれが自分だったら、
自分もそういう風にやりとりされたら、そういう風に生まれてきたらどう感じるのか、
と想像してみてほしい。
自分はそういう風に生まれたいのか、きちんと自分に問うてほしい。


生まれてすぐは無理としても、できるだけ早く、本当のことを伝え、家族としてやっていきたいんだということを、何度もきちんと子どもと話し合い、一から信頼関係を作っていってほしいと思います。決して、伝えたら終わりなのではなく、そこからがほんとうの親子関係を作るスタートラインだと考えてほしいです。

提供者を探すことが難しいことだとしても、子どもが知りたいことを一緒に考える、探せないならどうしたらいいだろうか、そばにいて一緒に悩んでほしい。
親の想像以上に子どもは苦しいのだということを、忘れないでほしい。
ですから、同じ立場の親同士や相談できる人とつながりを持って、孤立しないでほしい。

卵子提供は、自然界にはありえないですよね。
育てられない子どもと、子どもを育てたい親をマッチングすることは、生きものとしてやってきたことです。
医療が進んだからできる、選択肢が増えたことはいいことなのか、疑問です。
選択肢があれば、それをしないことにストレスがかかってしまう。
養子は大変だけど、精子提供や卵子提供は、夫婦どちらかと血がつながっているから大丈夫、と思うかもしれないけれど、違うと思います。
変な違和感、緊張感、見えない傷は、中に隠れて、より深くなります。
生きものとして今まで経験したことのない、違和感、不具合をもったまま、
親子をやっていかなくてはいけない、覚悟が必要だと思います。

愛情があるから大丈夫とか、子どもに事実を言わなければわからないとか、それも違うと思います。
戸籍にのらない事実ですから、親が話す意外に、子どもは、ほんとうは自分は誰なのかを知ることができません。
子どもが一人の人間として、ありのままの自分自身を受け入れ、ほんとうの自分で生きていけるよう、精一杯応援するのが、親の役目だと思います。

親が事実を隠しつづければ、さらにそのために嘘を重ねなければならなくなり、子どもが年齢を重ねるにつれ、親の重圧も増していきます。
今はまだ、きちんと相談できるような機関がありませんが、同じ立場の親同士でつながりあい、話し合い、支えあえる関係を作っていってほしいと思います。それが、子どもを支えることにもつながります。




points of view 1

ジャーナリストへのインタビュー
 日本の卵子提供のこれから

points of view 2 

コーディネーターへのインタビュー
 ▼ 卵子提供エージェンシー

 ▼ 生殖医療コーディネート会社

points of view 3

卵子提供を受けた方へのインタビュー

points of view 4

DIで産まれた方へのインタビュー
 非配偶者間の提供精子で生まれて

Lecture

AIDで生まれるということ
 〜加藤英明さんに聞く〜

  Part1 AIDについて考える
  Part2 生まれてくる子どもの権利


卵子提供・代理出産プロジェクト資料室 資料室

卵子提供・代理出産についての日本の制度/海外の制度

精子提供・卵子提供で生まれた人と、提供した人をつなぐネットワーク


卵子提供・代理出産プロジェクト図書室 図書室

卵子提供・精子提供・受精胚提供・代理出産・告知(テリング)等


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