妊娠・出産・育児

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タクシー2さんへ   -- 2003/04/20 ..
 カイさんところのレスでタクシー2さんが順調に妊娠されておられることを知りました。よかったですね。
 わ〜もう36週ですか。
 もうすぐですね。無事なご出産をお祈りいたします。
 あなたの羊水検査について、また命への真摯な姿勢が印象に残っております。もうこのサイトにお見えでないかと思っていましたが、再びレスを拝見できてうれしく思いました。


タクシー2さん&海さんへ   双子ママ
再びタクシー2さんへ、双子ママさんへ   海
双子ママさんへ   タクシー2
タクシー2さんへ   双子ママ
もう少しです。   タクシー2




 

   >>> タクシー2さん&海さんへ 双子ママ   -- 2003/04/20..
 
こんにちは。双子ママです。

>海さんへ
ありがとうございます!
夫には本当に救われてます。妊婦時代に2ケ月も管理入院してまして36週2日目に小さい児の心音が落ちてきて、翌日に「手遅れになると大変だから手術を!」と主治医に言われたのですが、私自身色々と言われ続けてきただけに「手術をお願いします」となかなかすぐに返答できませんでした。
(渋っていた理由は、何でも受け入れると頭で決めてはいても、その日が来るのがとても怖かったんです。人間て弱いですね)
そんな時も夫は「君は今、将棋で言うと。歩で王将を取れるのに、ここで飛車だして、角だして、それに金までだそうとしている。何のためにそんなことをするのか?僕はこれで何かあったら一生後悔する」と言ってくれました。
この言葉で私は決心をして出産をお願いしました。
主治医も「これから、その言葉を使わせてもらうよ」と言われました。#結局36週4日目に帝王切開していただきました。

>タクシー2さんへ
夫からのメッセージです。
「人生に正解はないです」
・・・・という事です。
元気な赤ちゃんが授かるといいですね。もうすぐ会えるね。では。
 





   >>> 再びタクシー2さんへ、双子ママさんへ   -- 2003/04/18..
 
 もしかしたらもうお産に入っちゃってるかしら?
 過去ログが読めないので詳しいことを思い出せなかったのですが
再び2さんのお話を読んで、倒れそうでいて実はなんてこの方は強い方だろうかと驚嘆しました。
 最後の最後まで自問自答して自分の意志でもう一度医師と話をして、ぎりぎりまで考え抜いて決断された。しかも前向きに。
 そして羊水検査の同意書への疑問もよく医師に話されましたね。
 私ですら、2さんと同じ立場だったら、どうせ話してもわかってもらえないとそこまで医師に話さなかったと思います。
 私は自分の障害をみてもらった医師から「患者の疑問、不満、不安を医師に伝え、医師を育てなさい」と言われたことがあるけれど
そんな私でも2さんの真似はできません。
 そして看護師の言葉もよかったですね。
 話し合える医師、妊婦を理解できる看護師に恵まれて良かったですね。心より安産をお祈りいたします。

双子ママさんのレスも読んで感心しました。
素晴らしいご主人ですね。
ママさんにとって双子の育児はたいへんでしょうが、兄弟がいっぺんにできて、私には少しうらやましい。
双子ちゃんがすくすくお育ちになりますように。
 





   >>> 双子ママさんへ タクシー2   -- 2003/04/16..
 
ありがとうございます。頑張ります。
双子ママさんのだんなさん、「すごいなぁ〜」って思いました。
胎児頸部浮腫で悩んでいる頃に、思いもつかない言葉です。
今でも、そういう言葉は、私には、でないかもしれない。
変な言い方ですが、どうやったら、そういう考え方が
できるような生き方をしてきたのだろう?と聞いてみたいです。

6.7ミリの浮腫を主人に言った時、10分もかからずに、
胎児の中絶をきめました。羊水検査をする2日ぐらい前に、
心臓奇形など確率を知りました。羊水検査をする時には、
それで流産してほしいと思っていました。
3回さされても、流産は、しないものですね。
中絶は、いまさらという時間の流れでしたので、結果がでて
からと決めてました。毎日が、ぼろぼろの状態でした。
母の死と義理父の病気もあるし、兄の子供の先天性の障害児
の問題も考えると、どうしても、そんな考えしかできなかった。

中絶の日に、主人に「どうして、6・7ミリも浮腫があって
染色体異常ではないのだろう?」と病院に向かう車の中で
言いました。確率は、あってないようなあるようなものだと
思ってます。でも、やっぱり、考えてしまいますね。
主人が「次、頑張ろう」と言い、「これで、最後にしたい」
と病院のベットの上で話をしていました。
そして、医師と最後に話をさせてほしいと言い、
赤ちゃんを信じてみようと思って、産む決断をした私です。
考え方をどういう風に、前向きと後ろ向きみたいに、
あの日、考え方を変えてみた。
もう、病人は、嫌!・・から、「もう、来るなら来い」って
母も看病したことだし、子供ぐらい看病できるし、って思って
考え方しだいなんだと、あの時、思いました。
心臓奇形でも、私が手術するわけじゃないし、この子供の
生命力にかけるしかないと思ったし・・。
「赤ちゃんを信じて・・・」今は、それだけです。
産まれたら報告します。母が亡くなって、一番心配してくれる
はずの人がいないから、(だからといって、毎日泣いては
いませんが)心配していただくと、嬉しかったです。
 





   >>> タクシー2さんへ 双子ママ   -- 2003/04/16..
 
はじめまして!双子ママ(10ケ月)です。
#不妊治療の末に双子を授かった者です。
レスを拝見してついつい他人事ではなかったのでメールさせていただくことにしました。
私自身妊婦時代の15週目頃に双子胎児の体重差がかなり大きくなり、主治医から「体重が軽い方は、18トリソミーかもしれない。産んでもかなり短い寿命かもしれない。とにかく大きい方の子だけを育てるようにしなさい。もちろん産んでみないとわかりません」とかなり厳しいことを言われて続けてきました。
その時に夫が「何かあっても受け入れるから。もし何かあったら常識をとっぱらったらいい。他人と比較しなかったらいい」と言ってくれたのが嬉しかったです。
それからというもの「もう何がおこっても受け入れるから」「産後病気が発見される児もいるけど、うちはたまたま早くから、そうかも?と言われてるだけ」と開き直り、常に自分と赤ちゃんの運を信じて「大丈夫。大丈夫!」とお腹に語りかけながら乗り切ってました。
28週目で妊娠中毒症になり2ケ月程入院し、その時も病院へ救急車で運ばれてくる患者さんや色々と大変な患者さんに接することがあり「悩んでるのは私だけでない」ということに気づきずいぶんと楽になりました。
結局 小さい子は体重が軽いだけ(1100g)で産後2ケ月NICUに入り退院できました。
小児科医が体重が軽すぎた児を見て「脳性麻痺になるかもしれない」と産後は言われましたが、お陰様で現在まで問題ないです。
高度医療になり、出生前に「そうなる確率が○○%」と言われる時代です。
ならば「そうならない事も多々あります。どうか、そうならない確率にかけてみませんか!!」
どうぞ、どうぞご自身と赤ちゃんの運にかけてくださいね。
元気な赤ちゃんが授かりますようにとお祈りします。では。
 





   >>> もう少しです。 タクシー2   -- 2003/04/14..
 
こんにちは、海さん。
気にとめていてくれて、うれしいです。ここまで、これるとは
思ってなくて、不安は、ありますが、
なるようになるでしょうと思って過ごしています。
義理父の病気や、私の兄の子供の先天性の事。
母が、8週ぐらいで、亡くなった事。12週で胎児頚部浮腫
が、6・7ミリもあった事。ダウン症の確立が、6割〜7割
心臓奇形、その他の問題が、2割〜3割と言われ、羊水検査
を受け、その間の2ヶ月間は、泣いている毎日。
羊水検査は、問題なしと言われ、それでも、浮腫の呪縛から
とけずに、中絶日に、産んでみると思ったあの日から・・。
今日で、37週を迎えました。胎動や体の痛みなど、幸せを
感じつつ、過ごしています。
私の羊水検査でされた注射の回数は、3回。
いまだに、一ヶ所だけ注射の跡が、残ってます。
こんな所からも、忘れられない心の問題が、よぎります。
羊水検査の同意書の「検査結果が間違っていても、OK」
「流産してもOK」とそんな用紙にハンコを押した私。
この間も、医師に、あの同意書は、納得がいかないと
話したところです。(羊水検査を受けた病院と出産の病院が
違う為、医師に聞きやすい)
F県にも、周産期センターが出来るみたいで、そして、
私の嫌いな大学病院の他にも、2ベットでは、ありますが、
そういう施設をつくる病院が、出来た事。
良かったと思いました。数に問題がありますが・・。
母親学級で、ずいぶん、羊水検査や、心の問題について
話してきましたが、これからは、産んでからと思ってます。
(母親学級が、何回もある病院だったので、その度に話ました)

私が、中絶日に看護師に言われた言葉は、「妊婦さんの不安は
幸せな気持ちが、不安を消すのに、あなたは、不安のほうが
勝ってしまったのね」でした。その時、20週でした。
はじめて、妊娠って幸せっていうか、うれしいものだと
思い出したのです。あと、私の不安をやっと、わかってもらえた
事が、嬉しかった。もう一つ、母の病気は、ガンでした。
闘病生活をずっと一緒にしてきて、もう病気は、嫌だと思い、
でも、赤ちゃんも、母も、一人も、二人も看病は、同じだと
ある意味、投げやりに、なんとかなるかと思った事。

妊娠生活ももう少し、元気な赤ちゃんが産まれる様に・・。
海さん、がんばります。気にとめてくれて、嬉しかった。
本当に・・・・・。