妊娠・出産・育児

バックナンバー3〜2003年7月

2003年4月〜2003年7月の投稿バックナンバー


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さようなら そして皆さんありがとう めぐみ  -- 2003/05/27 ..
皆さん いろいろ励ましてくださり有り難うございました。やはりどう考えても育てる自信がなく治療を断念します。主人に26歳で会うまで人を好きになったことなどなかった私。一人っ子で親の面倒をみなければいけないのに「○○さんと結婚できなければ一生だれとも結婚しない」と言った私に「誰も反対していないから明日からでも暮らしてもらえ」と言ってくれた父。決して幸福な人生とは言えなかった若い日々だったけど、主人と会って初めて生まれてきてよかったと思いました。先日新婚の頃住んでいたアパートに行ってきました。ドアをあけてあの日に戻れないかと思ったから。結婚して直ぐに妊娠して流産してしまいました。「俺もやっとおやじになるのか」といって喜んでいた主人。主人の父は主人が3歳の時になくなり、母親は3歳の主人を捨てて結局主人は祖父母に大学までだしてもらいました。絶対にこの人に暖かな家庭をと思ったのに。流産したあとに主人を捨てた母親に仕送りをしなければいけなくなってしまい、仕事をやめることができなくなった私。2ケ月でもおなかの子と暮らした日が私にもあったのに。そのアパートは改修して何もかわっていませんでした。あのドアをあけてあの日にもどりたかった。悩んでいる方へ、ボーダーラインはその人の環境により違うでしょう。だけど限界までがんばってください。35歳のときに1度はあきらめて優雅に暮らしてきたのだから・・。40を過ぎて寂寥感が増幅してたからとはいえペットではないのだから育てる経済力も自信もないのに、友達が40で生んだから生みたいなんて私にはやはりできなかった。40年間私は女に生まれてただの1度もゆっくりと赤ん坊をこの胸に抱いたことはありません。
神様はけして耐えられない悲しみはお与えにならないというけれど。私はとても絶えられない・・・。これだけ不妊治療の技術も進歩したのに・・・。あと20年生きたらきっとタイムマシンができるかもしれない。そしたらあの新婚の頃に戻ろうね。あなた。せめてKLCに行こうと予約をしたのに体外受精がおそろしくて足がすくんで帰ってきてしまった35歳のあの日に帰りたい・・・。あのときクリニックに行っていれば院長が「よし。2回で妊娠できるよ」って言ってくれただろうに・・・。だけど全て自分の意思で決めてきたことなのです。わかってはいるけれど。私の人生の一番の幸福は主人に出会えたこと。そして一番の不幸は子供を生めなかったこと。


考え方次第   マルシア
応援してます   ヤッホー
ありがとう   めぐみ
あきらめないで   きのこ
お疲れ様でした   きょん
不幸だなんて思わないで   ぽれぽれ




 

   >>> 考え方次第 マルシア   -- 2003/05/27..
 
めぐみさんの書き込みを読んでいたら気が滅入る思いでした。あなたの考え方がとてもマイナス思考で後向きなんだもの…。全て過ぎてしまった時間や月日は取り戻す事なんて出来ないってあなたも知っているはずなのにどうしてそんなに悲観的なのでしょう。タイムマシンの事もそうですが現在20年後からの旅人が時空を超えて来ていないのだからきっと出来ていないでしょう。「〜だったら、〜できれば」なんてやめて下さい。こんな書き方をするのはとてもひどいと思いますが、あなたが旦那様に出会えたことは人生で一番幸せと書いてありますよね。でもそれはあなた流の考え方をするならば逆に出会わなければこんなに苦しむ事は無かったという風にも感じてしまいました。幸せかそうでないかは考え方一つです。あなたの幸せのスケールが短すぎる。これからの人生どう生きていくかもめぐみさんの考え方次第で変わるんではないでしょうか。あなたの思いを旦那様は深く理解しているのですよね。あなたの暗い想いばかりを見ている旦那様をどう思われますか。笑って過ごすのも泣いて過ごすのも1日24時間誰もが平等なんです。大変生意気を申した事お許し下さい。
 





   >>> 応援してます ヤッホー   -- 2003/05/27..
 
はじめまして,めぐみさん。
あなたの「返信の書込」を見て涙が出てきました。里親制度の登録
を考えておられるのですね。とってもいい選択だと思います。応援してます。
ご主人もきっかわいい赤ちゃんを見ると変わると思いますよ。
私は34歳で長男を出産したのですが,そんな私が言うことを不快に思われたら申し訳ありませんが少し思ったことを書かさせてもらいますね。
今1歳近くに息子はなりますが,私が予想だにしなかったおもしろい行動をしたり,私達夫婦どちらともに無い表情をみせたりします。「この子は私のものではなく,尊重されすべき一人の個性ある人格だ」との思いが育てていくうちに強く思って(分かって)きました。個人同士が縁あって親子になれた。そのことを感謝しつつ,しっかりと育てて行こう,血のつながりなんて大きな問題ではない,と思うようになってきました。
大切な事は産むことではなく,どれだけ愛情を注いで育てるかです。
子供の魂は親とは別のところからやってきて,どこの家にいこうかなとお空で決めてから産まれると書いてた本がありましたありました。(江原啓之の子育てスピリチュアルという本です。すばらしい本です。ぜひ読んでください。)
きっと,「めぐみさんに育ててもらうおう」と思って産まれてきたかわいい赤ちゃんに会う日が来ますよ。行動を起こされているから,きっとその日も近いでしょう。
応援しています。
 





   >>> ありがとう めぐみ   -- 2003/05/26..
 
きのこさん ありがとう 実は父親に死なれ、母親に捨てられた主人に子供ができなかったことは意味のあることと思い、先日児童相談所に行って里親制度の説明を受け6月の○の会の説明会の予約もしました。その子が寂しくないように一戸建てで犬を飼ってあげようと新しい家を見に行ってきました。ただ主人がどうしても、養子はいやだというのです。会えば絶対にかわいがると思うけど、もう一度説得してみますね。この世のどこかに今の私の寂寥感と同じくらい不安と孤独な子供がいるのではないかと。
 私が生まれる前の赤ちゃんだったら、やっぱり我が家の子に生まれたい。親がいなくても貧困の中で苦学して東大まででて、世界的に著名な研究者となったパパです。おだやかでやさしくてパパがお勉強もテニスも野球も教えてあげるから。ママはねとてもお料理がお上手。パパは「こんなに美味しい夕飯が待っているのに僕は会社のために残業までして働こうなんて思わない」って新婚以来ほとんど残業していないの。パパはね毎月のように会社の保養所に連れていってくれるの。ゲームや卓球を一緒にしたいな。パパはママを喜ばせよう食卓のテーブルはね、お嫁入り道具で買ったドイツ製で子供が怪我をしないように角が丸くなった大きなテーブルです。8人はすわれるの。ママは3人の子供を産むつもりだったから。ママは赤ちゃんを待ち望み、ルソーやモッテソリーやシュタイナーの教育論、ニーチキンの知育遊び 何冊の本を読んだことか。うちの子になってくれれば、この世で最高の教育を受けさせてあげたい。
 二子多摩川の高島屋でかわいいお洋服をたくさん買ってあげるから・・・。きっとどこかに今孤独と不安に身を震わせている小さな命がいるのではないかしら・・・。うちの子に迎えてあげたい。
 





   >>> あきらめないで きのこ   -- 2003/05/26..
 
心の底から響いてきました。あなたの苦しみ、哀しみ。あきらめないで、いくつになっても挑戦しなさいなんて安易には言えません。でも、子供は産めなくても育てることは出来ます。私の親友は、永い不妊治療の末、施設から男児を貰い、育てて今年中学生になりました。本人にも、養子と言うことを知らせて、育てました。彼女は親です。産むことは出来かったけど立派に育てています。私も、母が子供が産めなくて、養女です。でも、母は私にとって本当の母です。ご主人と相談して見て下さい。あなたの愛を待っている子供がどこかにいるかも知れません。ごめんなさい。いらないお世話ですが、親友のこと見てたら、こんな道もあるってあなたにお知らせしたくなりました。
 





   >>> お疲れ様でした きょん   -- 2003/05/25..
 
 ここ数日のめぐみさんの投稿を拝見して、治療を断念される結論を残念に思う反面、お疲れ様でしたと言いたいです。頑張っているのに「頑張って」と言われるのもつらいものですよね。最近、このサイトを去られた海さんの投稿を拝見して、子供を生んでからここに参加し始めた私は、果たしてここで励ましのエールを送ることが良いことなのか、少しでも力になりたいと思うあまりに、実は相手を必要以上に追い詰めることをしているのではないか、と危惧しております。
 もし、一連の私の書き込みがめぐみさんを追い詰める結果につながっていたとしたら、申し訳ない気持ちで一杯です。

 私が治療中に何気なく読んだ本で「沢口さんちの不妊治療な日々」というエッセイ(殆どがマンガですが)があるのですが、不妊治療の経験談は大抵が最後は妊娠してハッピーエンドなのに、結果的に40歳で治療を断念される結末に大泣きしてしまいました。心の片隅にあった治療の最後を意識した瞬間でした。

 世界で初めて体外受精の成功が好評された時、「試験管ベビー」なんていうネーミングにとてつもない恐怖感を抱きました。まさかその数十年後に自分自身がその治療をするとは予想も出来ず、体外受精でしか妊娠がかなわない体になった時から、倫理面での問題は全くと言っていいほど見向きもしないで治療を始めた私。今さらながらに息子に治療のことを将来話すのか、隠しておくのかと悩んだりします。

 以前にも書きましたが、子供をあきらめるということも選択肢にいれていた私達夫婦は、どうしても養子をとるという選択肢は持てませんでした。お互いの遺伝子へのこだわりが捨てきれず、養子を育てる自信は無かったのです。

 めぐみさんが育てる自信が無い、体外受精が恐ろしいと思われる以上、治療を断念されるのも賢明な、そして尊い選択なのだと思います。
 私は息子に恵まれましたが、早々に息子の人生に負担のかからない人生を送ろうと、色々考え始めました。息子も一人っ子になるので、将来私たち親の面倒を見なくても済むように、とか、私たちが息子のひとり立ち前に逝ったとしても経済的に困らないように、とか若い頃の出産なら到底考えもしなかった人生設計です。

 最後に、私は不妊治療をしていた5年間(私の場合は35〜40歳まででした)は命と真摯に向き合った時間と思って大切に思っています。どんなことがあっても、命は尊く美しいものだと信じています。私にも生まれてくることの無かった妊娠が3回あり、事あるごとに「生まれていれば子沢山だったなあ」と思いつつ、自分の人生を全うした時に思い切り抱きしめてあげる魂があるのだと思っています。(私は無宗教ですが、何故か失った命についてだけはそう思うのです)

 めぐみさんの結論に静かに涙が流れました。今そばにいたら何も言わずにただ抱きしめてあげたい気持ちです。でも、ネットの中では言葉が全てです。つらつらと長く書いたことが余計傷つけはしないかとも考えましたが、どうかご自分の選択に誇りを持って欲しいと思います。人生で一番幸せと思わせてくれたご主人とのこれからの人生にも。
 





   >>> 不幸だなんて思わないで ぽれぽれ   -- 2003/05/25..
 
いろいろな人生があります。
 子供を産んでも全ての人が幸せとは限らない。私も38歳で流産しました。40歳を目の前に悩んでいます。どんな結果になろうともそれぞれの人生はかけがいのない者だと思うから子供を産めなかったことを不幸だなんて思わないで欲しい。あなたにはあなたの人生の役割がきっと用意されているはずだから。
 私は週に1度老人ホームにボランテイアにいくのですがアメリカのおばあちゃんはとっても元気。80歳くらいじゃあまだまだ女。孫が何人もいて幸せそうなおばちゃんもいるけど中には子供を産んだことのないおばあちゃん、結婚をしたことのないおばあちゃんもいますけど、どちらも素敵なおばあちゃんですよ。
 自分を不幸だと思ってしまったら悲しくて私は素敵なおばあちゃんになれない気がするので、どんな人生になろうとも自分で生きた道を否定したり後悔したりはしたくない。めぐみさんは未練があるからそう思うのでは?
 もしまだこだわりがおありなら深く悩みすぎず不可能なその日まで子作りがんばってもいいんじゃあないでしょうか? もし本当にあきらめるのなら子供がいなくてもほかのことで人生をエンジョイするからいいの、と胸をはっていってほしい。
彼のおかあさんに仕送りをしたことで子供を産めなかったといういいわけはないんじゃあないかなあ。素敵な御主人さまとお幸せに生きていってください。