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2005年11月〜2005年12月の投稿バックナンバー


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辛いです ちな  -- 2005/11/18 ..
2週間ほど前に、流産しました。いつもというわけではないけれど、どうでもいいことで涙があふれます。泣く場面じゃないだろうと自分でも思うけれど、自然に涙が出てきます。あの子はどうして私のところに生まれてきてくれなかったんだろうと、辛くて悲しくて、こんなの私じゃないって思うけれど、通勤の電車のなかで、涙がこぼれそうになります。
子供が欲しいのにできないから病院を訪ねた昨年3月、子宮けい癌だと言われました。そのとき36歳でした。「なんで私が?」とは思わなかった。他の人に起こることは、私にだって起こって当然だと思ったから。若くして亡くなる人は世の中にいっぱいいて、その人たちだって何も悪いことはしていなくて、だから私に同じことが起きても不思議じゃないって、そう思っていました。だから、不安ではあったけど、そんなに辛くも悲しくもなかった。
でも、流産はそれ以上に辛かった。癌にまでなった私に舞い降りてきたプレゼントだと思っていたのに、初めて授かった命だったのに、失ってしまった。私の中に宿った小さな小さな命だったのに。まだ7週だったけど、自分が癌で死ぬことを考えたときより、ずっとずっと辛いです。どんなに小さくたって、短く立って、私の愛しい赤ちゃんだった。この手に抱きたかった。
夫は優しい人だけど、やっぱり男の人って、この悲しみはわからないんでしょうか。流産をして、手術をして、2日目にHしようと行ってきました。ああ、この人は何もわかっていないって痛感しました。流産して手術して、身体が泣いていること、ちょっとネットで調べれば誰でもすぐわかることでしょ? 
怒りと悲しみと絶望と・・。自分のことをもてあましています。もうどうしていいかわからない。なのに、外では笑顔を作って、普通にふるまって。嘘つき。


ありがとうございます   ちな
流産しました   あうる
私も・・・   ぺくる
乗り越えて。。。   あきみ
うそつきなんて・・・。   メラティ
ちなさんへ   あん
お気持ち・・ 分かります。   マサキ




 

   >>> ありがとうございます ちな   -- 2005/11/18..
 
こんなに皆さんに励まして頂けるなんて、思っていませんでした。
ここに来るのも辛くて、しばらく本当に感情を殺すように日々を過ごしていましたが、来てよかった。ひとりじゃないって、心から思いました。辛くても仲間がいる、同じ思いを秘めながら、でも頑張っているみんながいる・・。
マサキさんの「もう一生無理!」という発言には、思わず笑ってしまいました。そして、少しホッとしました。
あんさんやあうるさんのように、癌になり、そして流産という辛さを味わっている方が他にもいると知って、そしてお辛いにも関わらず励ましの言葉を送ってくれて、私も頑張れるかもしれないと思いました。自分をかわいそうがるのは嫌だから。
メラティさんの「流産しなくてすむ安心感」というのも、今はすごくわかる気がします。もちろん子供は欲しいし、それはこの辛さが本当に深いからこその言葉であるわけですが・・。もうこんな思いは二度としたくないって、やっぱり思ってしまいます。
あきみさんのように、辛さを乗り越えて、我が子を手にできた方のお話を聞くと、やっぱり頑張ろうかなと思います。もちろん、だからといって私にも再び命が宿ってくれるかはわからないけれど・・。すごく不安だけど・・。
べくるさんも辛い思いを抱えていらっしゃるんですね。でも、あきらめない強さ、私もそうなりたい。少しの間でもおなかで一緒に生きた命を、また迎えにいきたいです。
みなさん、本当にありがとう。また辛くなったら、ここに来ます。外では嘘つきな私も、ここでは本当の気持ちを素直に出せそうです。
 





   >>> 流産しました あうる   -- 2005/11/10..
 
 私も流産したばかり。これで2度続けてです。今回の流産は、8週7日で何の前触れもなく、胎児の心拍が止まっていました。一度動いた心拍が、止まっていた。すごくショックでした。悪夢のようでした。その日も朝からつわりがあったのに。今でも一人になると運転中にウワ−と発作的に号泣したりしています。
 私も子宮頚癌です。今でも半年事にフォローアップを受けています。私も癌だと言われたときより今回の流産のほうがこたえました。夫の理解がない点も同じです。今はエッチしたくないと言ったら夫に「自分で勝手に不幸になってる」みたいな捨て台詞を吐かれました。ははは。最低ですよね。涙こぼしながら、こんなサイテーの家庭に赤ちゃん来なくて正解かもって思いましたよ。
 でも私も仕事があります。私も職場では平然と振舞っています。流産手術の日も、全身麻酔が切れていないボーっとした状態のときにも、携帯電話に職場からガンガン電話がかかってきて、もうろうとしながら指示を出している私がいました。術後6日の今も出血が止まらないし、心の中は隙間風がびゅーびゅーふいています。誰にもわかってもらえませんが、仕方のないことですし。
 なんとか乗り切らないと、と頭で分かっていても辛すぎる毎日。でも、ちょっと言わせてください。ちなさん36歳は若い。いっぱいいっぱいチャンスあります。頚癌も今妊娠が望めるということは上皮内癌だったのでしょう?それも絶対大丈夫。どん底最低で高齢の私に言われても嬉しくないかもしれませんが、ちなさんには未来があると、私は思いますよ。
 今は何のなぐさめも耳に入らないと思いますが、同じ気持ちの人間がここでも頑張っているということも忘れないで下さいね。
 





   >>> 私も・・・ ぺくる   -- 2005/11/09..
 
ちなさん、はじめまして。
このたびは本当にお辛かったですね。心中お察し申し上げます。
私も2年前、1年の間に2度流産を経験しました。1回目は6wで進行流産。出血と腹痛で急遽手術となりました。2回目は7wで手術をせず自然に出しました。

なぜか手術のときは冷静で、しばらく経ってから悲しみがこみ上げてきました。IVFによる妊娠だったため、胚の写真もありましたし、胎のうの写真も残っています。

私たちは二人の子供に名前をつけました。わずか数週間しかお腹にいなかった子供ですが、かけがえのない子供だと思って供養もして頂きました。
以後、出産予定日と私のお腹から消えてしまった日には、お花とぬいぐるみ、ベビー用のお菓子を持って供養していただいたお寺におまいりに行っています。それ以外の日でも、会いたくなったときは私一人でお線香をあげに出向いたりしています。
「ここにいるんだ」と思うだけでなぜか落ち着いた気分になれます。

2年経った今でも、思い出して突然なぜだか悲しくなることがあります。
そのときは我慢せず涙を流すようにしています。
そうしていつまでも私の心の中に、2人の子供は生き続けています。

うちはセックスレスのためそういったことはありませんでしたが、手術の日は主人は付き添ってくれず、私一人で望みました。休日には朝からテニスに行ってしまったり、ネットで資産運用して失敗したり…もう少し私の気持ちも分かってよ!と思いました。

ちなさんも今後ふとしたときに思い出すこともあるでしょう。いや絶対に忘れないと思います。でも少しの間でもちなさんのお腹にしがみついていたわけですから、どうかBabyちゃんのこと、忘れないでいてあげてくださいね。
そして辛くなったら我慢せずに涙を流しましょう。

結婚11年目、赤ちゃんを腕に抱けるようになるまで、もう少し私の挑戦は続きそうです。2人の天使が見守ってくれているから、頑張ろう!と思って…
だからちなさんも頑張って!!
まずはお体と心の回復をお祈りしています。無理せずどうぞお大事に…
 





   >>> 乗り越えて。。。 あきみ   -- 2005/11/08..
 
私も1年に2度の初期流産を経験しました。
1度目は、念願の妊娠の嬉しさのバラ色気分から突き落とされたショックと、
初めて経験する流産のショックでした。
2度目は、半年後の妊娠でしたが用心しながら極度の不安感の中でのショックと、永遠に深く暗い穴に落ちていくような恐怖感に打ちのめされました。もう私はダメなんじゃないかって。。。
その時の自分の気持ちと ちなさんの今のお気持ちが同じです。

私は、その後しばらくして、確率論で考えるようにしました。
1つは、自分が妊娠できているということに希望を持つ。
そして、病院で無理と言われていないんだから、そのうち何度目かの妊娠では無事に出産まで漕ぎつけられるはずだ!と。
2度連続で流産する確率も少ないですけれど、3度連続で流産することはもっと少ないです。私は高齢出産の流産率をネットで調べて、3回連続で流産する確率はありえない程の数値だと思い、プラス思考に考え直しました。
高齢出産の流産は、(受精率と)着床率と卵の質との戦いですから、良い卵が何度目かの生理にうまく着床するチャンスを待てば良い訳ですからね。

私は、さらに半年後の妊娠で無事出産することができました。
今は45歳で2ヶ月の息子の育児に追われる毎日です。
夫と、しみじみ「去年の今頃は深くて暗いトンネルの中にいるようだったね。気持ちもギスギスしていたし。。。1年後の今の息子を抱く私達を想像できなかったよ。」と、幸せをかみしめています。

ちなさんも(マサキさんも)私のように希望をつなげて、
是非 自分の胸に赤ちゃんを抱いてください。
応援しています。
 





   >>> うそつきなんて・・・。 メラティ   -- 2005/11/07..
 
ちなさん、時々このサイトにお邪魔しているメラティと言います。
私は結婚2年目から不妊治療を始め、6年間で6回流産を経験しました。4回目の流産後不育治療もはじめましたが、不妊・不育ともに原因不明で不育治療をしたにもかかわらずその後2回の妊娠も流産となりました。
 流産のつらさは回数ではないと思います。私も自分の子供も守ってやれなかったと今でも全ての子供に申し訳ない思いと、なぜ私がこんなことにという恨めしい思いが交錯します。3回目のときだったと思います。1ヶ月ほど電話にも出れず、外出しても知っている人に会うのが怖くて、用事だけ済ませてすぐに家に返る日々が続きました。部屋で泣いてばかりでした。
 2回目と4回から6回目は、たまたま非常勤の仕事が入っているときで、休むこともできず泣きたい思いをこらえて仕事に行きました。当然職場には流産は隠していました。ちなさんはうそつきとおっしゃいますが、そんなことはないですよ。自分を責め、泣き、苦しむ、それこそ子供に対して本当にすまない気持ちを自分が認めていることだと思うのです。
 私の場合は幸運にも夫が全面的に支えてくれました。痛みと悲しさで布団をかぶって泣いている私を抱きしめ、何もできなくてごめんと言って一緒に泣いてくれました。やっと立ち直ろう(決して忘れることはできないのですが)とした頃に実家の母に「流産はしちゃったけど、子供ができる体だってことが証明されたわけだから、お母さんは安心した」と言われました。これには打ちのめされました。実の母ながら、なんと人間味のない人だと腹が立つよりあきれました。私の母は、一番上の子供(私の姉)を死産で亡くしています。それなのにこの発言。お恥ずかしいです。
 私の夫はおかげさまで何より私の体を心配してくれて、2回目の生理が終わるまで必ず待ってくれました。でも、やはり女性のように実感があるわけではないので、子供を失ったという感覚は薄いように思います。
 いくら時間がたっても、子供を亡くしたという思いは変わりません。おなかが大きくなってからよりはショックは少ないんじゃないかという人もいます。でも、子供がいた事実は大きい小さいは関係ない。確実におなかに命は宿っていた。でももういない、その喪失感はやはり同じではないでしょうか?
 一人の社会人として生きている以上、自分の感情を抑えて行動しなくてはいけないこともあると思います。ちなさん、自分のことをうそつきなんて言わないで下さい。うそつきなんかじゃないですよ。
 今主人は単身赴任で、数ヶ月に1回しか会えません。妊娠の可能性はかなり低くなりました。あせりを感じる反面、流産しなくて済むという安心感のようなものを感じている自分が、ちょっと卑怯に思えることもあります。
何の励ましにもなりませんが、ちなさんは一人じゃありません。
あなたのことを理解できる、同じ経験をしている人間がいること忘れないでください。どうか、体と心をいたわってあげてください。無理はなさらず。
 





   >>> ちなさんへ あん   -- 2005/11/07..
 
あんです。
お辛い経験をされましたね・・・、お見舞い申し上げます。

私も癌の手術をし、その後、少しでも早いうちがいいよと執刀医にすすめられ、不妊治療を始めました。
その後2度の流産を経験しました。
ちなさんのおっしゃるように、癌の時のショックより、流産のほうが何百倍も悲しかったです。
夫と自分との悲しみの温度差も感じました。これはかなりこたえましたよー!
こっちがこんなに辛くてこんなに苦しんでいるのに、なんでそんなに冷静でいられるのか、
冷静でいられること自体が「冷たい人」のように思えたりして・・・。
この人は絶対私のことを理解してくれない人だ、リコンだーー!なんて思ったりして・・・。
でも気づきました!
男と女って、マサキさんがおっしゃっているように、「違う」んですよね。
こういう悲しい出来事があった時、一度泣いたら、そこで終り。それが男です。
まさか妻が、ずっと悲しみを宿しているなんてこと思いもしないのです。
かといってご主人は、悲しまなかったわけではありません。感じ方、深さが違うだけで悲しむ思いは一緒です。

どうか、悲しい時は我慢しないでどんどん涙を流してください。
無理して笑顔を作ることないんですよ、だって悲しいんだから!
そして、この悲しみを、ご主人にも話してください。
私はまだまだ悲しいんだと伝えてください。ちなさんのことを、もっともっと知ってもらってください。

知り合いに、もう80近くになる女性がいるのですが、
その方は新婚の頃に流産した子供のことを、ずーーーーーっと思っていて、
最近になってやっとその苦しみをご主人に伝えることが出来、
お二人で子供の供養をしにお寺に行かれていました。
そのご主人は「家内が、そんなにずっと思っていたなんて気づきもしなかった。おしえてもらって良かった」とおしゃっていました。
昔の女性は、流産しても、日々の忙しさに追われて悲しむヒマなどなかったのでしょう。

うちは、度重なる流産で、そのたびに私が暴れ(笑)、
ついに夫はストレスでEDにまでなってしまいました。
男のHは、別の分野の衝動でもあります。
うちみたいにセックスレスにならないように、悲しいことは悲しいと伝え、とことん泣いて、そして、早く立ち上がってくださいね!

余談ですが、
流産後の心の不安定には漢方薬が効きますよ!お試しあれ、です!

心と体の早いご快復を祈っています。お大事に!
 





   >>> お気持ち・・ 分かります。 マサキ   -- 2005/11/07..
 
私も2週間ほど前に流産をしたマサキと申します。2度目の流産でした。一度、流産をしていましたので(1年前)今回は色々ネットで調べていました。2回、流産する確立はとても少ない・・ と、書いてあったので心配な気持ちはもちろんありましたが「今回こそは・・ 大丈夫!!」と、自分に言いきかせておりましたが・・ 前回同様、8週目での繋留流産となってしまいました。頭が真っ白になって、主人に電話をしたのですが涙で言葉が出ませんでした。車での通院でしたが、しばらく車で休んで帰ったのですが途中から涙が止まらなくなってしまい運転が出来ず・・ 何度も路肩で休み、休み・・ やっと家に帰ってきました。

今はまだ・・ 出血も止まらず、気分も沈んだままの私がちなさんを励ます事は出来ないかもしれませんが・・ 少なくても、ちなさん一人じゃないよ と言いたくて出てまいりました。

先日、私が2度目の流産になってしまった時・・ こちらのサイトにあまりに辛くてスレをしました。その時、たくさんの方に励ましていただきました。真っ暗な深い、深い闇の中にいた気分の時に・・ 一筋の光をあてていただいた様でした。本当に救われました。同じ経験をされた方からの励ましは、本当に心に響きます。涙が流れる分・・ 少しずつ、少しずつ心が軽くなるのではないかな? と、思います。だから、ちなさんも思いっきり泣いてください。気持ちのままに・・・ 

男と女は違うものです。ウチも同じです! 優しい旦那様ですが・・ 「いつからエッチはできるの?」と聞いてきました。呆れるやら、ガッカリするやらで・・ 「生理が来るまで無理っっ!! 一生むりっっ!! 気分じゃないのっっっ!!!」と怒ってしまいました。ちなさんご夫婦だけじゃないです!安心してください。女性はメンタルなものが直に体に表れるものです。とても、そんな気分にはなれません。申し訳ないのですが・・ 処理は自分でお願いしてます。少しは、気持ちを分け合って欲しいです。

私も少しずつ、前向きに考える様になりました。立ち止まってしまえば、終わりになってしまいそうでした。ちなさん、私も頑張りたいと思います。旦那様のことも含めて・・ ひっくるめて、自分の選んだ人生です。ちなさん・・ 少しずつ、少しずつ・・ 一緒に頑張りませんか? 貴女を応援する事は、自分を応援する事の様な気がします。ちなさん・・ 一緒に頑張りたいです。