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着床前診断について リオナ  -- 2006/02/10 ..
この掲示板ではたびたび羊水検査を受けるかどうかで悩んでいる方がでていらっしゃいます。高齢になるとダウン症の確率があがると言われているから仕方ないと思います。
そこで、着床前診断はご存知ですか?体外受精で採卵した時ついでに染色体異常を調べるというものです。最初から異常のない卵を選択するので、羊水検査をする必要はないわけですから、それによる流産の心配もありません。
でもそれを行っているのは、日本では神戸の病院一箇所しかありません。
日本産婦人科学会が許可していないからです。
その病院は学会から除名されています。着床前診断をするたびに新聞にもニュースになっています。
許可しないのは頻繁に行われてしまうと、それがどんな問題をおこすのか恐れがあるんでしょうね。
でも条件をつけるとか、これからは前向きに考えてほしいと思うのです。
高齢出産にはハードルが多すぎます。だから少しでも不安はなくしたい。
不妊症や不育症をクリアしてやっと授かった命はなかなか諦めきれないです。
着床前診断を体外受精の段階で受けられるよう見直してもらいたいと私は思います。


そしてみなさんへ   かな
ぎどんさんへ   トマトの気持ち
ぎどんさん   かな
ちかあきさん、私こそごめんなさい(他の方へも)   ぎどん
ぎどんさん   かな
障害といっても   さくさく
それでも着床前診断   リオナ
技術の進歩と時の流れ   sancyan
障害を・・・   ちかあき
「障害」はどこまで?   ぎどん
日本産婦人科学会様   さくさく
思った事を書きました。   さくさく
横道にそれますが・・・・   トマトの気持ち
ううむ   トマトの気持ち
技術的な事に言及されているので   匿名3.3
その医療を必要とする人々がいる   葉子
社会的コンセンサス:最後に   匿名3.3
トマトの気持ちさんへ   さくさく
難しいことは言えませんが・・・   ちかあき
私が思うこと   かな
本当にそうですね。   トマトの気持ち
ヒトがヒトであるために   匿名3:3
生きる子が欲しい   さくさく
多くの方が関心をもってくれれば・・・   リオナ
難しい問題ですが   nao
以前、テレビの特集で・・・   匿名
発言、迷いましたが   今回匿名希望
ついでに出来るほど簡単なことではないはずです。   トマトの気持ち
選択の試練に   匿名3:3
それは難しいのでは?   ぷぅーにゃん
着床前診断の是非   今回は匿名で




 

   >>> そしてみなさんへ かな   -- 2006/02/10..
 
リオナさん、さくさくさん、そしてこの話題を読んでいらっしゃるであろう、様々な悩みをかかえたみなさんのところへ、元気な赤ちゃんがやってきてくれることを心から祈っています。子供が欲しいという気持ちは捨てようと思ってもなかなか捨てきれるものではないと思います。今は悩み辛い思いをされることも多いと思いますが、でもいつか、着床前診断ができるようになってその結果であっても、またそうでなくとも、いつかきっとと信じて、どうぞ頑張ってください。
外から応援している人間でも何かできるような機会があったらどうぞ呼びかけをしてください。
 





   >>> ぎどんさんへ トマトの気持ち   -- 2006/02/10..
 
ぎどんさん、こんにちは。トマトの気持ちです。
ぎどんさん、そんなにあやまらないで下さいっ!!!
私はぎどんさんの投稿を読んでいて、涙が止まりませんでした。

受精卵だった自分が選別の対象としてあった時、誰一人として、私自身が生まれてこなかった存在だった。選別され破棄された方が良かった思う方はいらっしゃらないです。
選別されずに生まれてこれて、人生を歩めてよかったと思うのが当たり前です。
一方で選別する方の立場にたてば、選別してしまうかもしれない自分が居るのも普通の感情なのではないでしょうか?!
ぎどんさんの意識に問題などありません!!。

それだけが言いたくて、出てきてしまいました。

 





   >>> ぎどんさん かな   -- 2006/02/09..
 
始めに、辛いことを書き込みさせてしまってごめんなさい。

どうして?と私がぎどんさんに言ったのは、ぎどんさんが「調査の結果」という「他人」の言葉に惑わされたように感じたからでした。産みたい、産みたくないというのと、産む、産まないということは違うのでは?と感じたからでした。。詳細を説明までさせてさらにご自身を攻めるような思いをさせて、私のほうこそごめんなさい、といいたいです。

難しい技術のことも何も知らない私がただ思うのは、「多くの人が誤った判断をするかもしれないので」というベースに反論を戦わせるのではなく、個々のケース(リスク)に対応できるような方向性についての論議を交わしたうえで必要な人が受けられるようになって欲しいということだけです。逆に言えば、受けたい人の線引きではなく、必要のない人が受けられないシステムにできないのかどうかを議論して欲しいと思います。技術はあるのですから。きっとその中でもカウンセリングというのは絶対的に不可欠ですよね。
ぎどんさんのケースも、ただ単に女の子が欲しいと思うことや、スポーツ万能な子供が欲しいと思うこととはまったく別次元のことなのに、それが一緒に議論されてしまうことが問題ではないかと私は思うのです。私とさくさくさんのケースもまるきり違います。私は1回目の妊娠の時はその技術を必要としなかった、でも、もし2回目もダウン症を認められたら3回目は切実にその技術を願ったことと思います。でも、現状では、子供をいっさいあきらめる、という選択しかなかったかもしれません。

リオナさん、さくさくさん、私への言葉ありがとうございます。
見た目にもわかるようになって、ここにきてやっと周りに妊娠を告げているのですが、「おめでとう」という言葉にやっぱり一番最初に感じる複雑な思いは消し去ることはできません。。私も子供が無事に生まれるよう願ってる、それだけです。ありがとうございます。

 





   >>> ちかあきさん、私こそごめんなさい(他の方へも) ぎどん   -- 2006/02/08..
 
私はちかあきさんの文から、自分を否定されたような感じは一切受けませんでした。私の書き方が、ちかあきさんにそういう思いを持たせたなら、私のほうこそごめんなさい。私自身を否定しているのは、ちかあきさんでも他のどなたでもない、私自身です。

ちかあきさんや他の方に誤解を与えたかもしれませんが、先の投稿にも書いた通り、私自身は発症しません。でも「障害」を含む染色体は持っていて、それを受け継いだ子供は確実に保因者か発症者になります。

かなさんからご質問がありましたので、お答えしてみますね。

「必要とする人」が技術を使うのは当然です。前の投稿にも書きましたが、それらはとてもよく判りますし、技術を否定しているわけでもありません。

かなさんは、「誰でも使うように走ってしまうのか」と疑問をお書きですね。かなさんやさくさくさんやリオナさんのように、本当に切実に必要な方は「信じられない」と軽蔑なさるかもしれません。でも私は、先の投稿に書いた通り、着床前診断が使えて、かつ卵の選択の余地があったら「遺伝がないほうを選んでしまう」だろう、と自分で想像が付きます。切実な皆さんと違い、私の関与する障害に関しては「バックアップがあって、あまり困らない社会」なのにも関わらず、です。「ほとんど不自由ない」としたら、それは既に障害ではなく、「背が高すぎる」などの「個性程度」ですよね。「個性程度」なのに、悩んでもいないのに、「技術を必要としていない」のに、何で私は「選びたい」んだろう??…じゃあ一体、どんな状態なら、私は「障害に全く関与せず産もう」と思うんだろう?…「社会的バックアップ」の問題じゃなくて、私の意識が問題なんじゃないのか…??

それだけです。前の投稿でも書きましたが、意識が成熟していないのは私自身で、他の皆さんでは絶対にありません。リオナさんは「障害がないほうがいいと思う」とお書きになりましたが、私は…自分の中で「障害」の意味さえ解りません。何度も言いますが、技術が悪いのでもなく、実施している良心的な医師が悪いのでもなく、切実に必要としている方が悪いのでもありません。自分という実例を知っている私は…そんな不心得なヤツは少ない、と思うことができません。意識に問題がある私のような者がいる一方で、切実に技術を必要となさっている方がいらっしゃるからこそ、夫婦に委ねるだけでない線引きも必要、と申し上げています。さくさくさんのおっしゃるカウンセリングが、私のような未成熟な意識をフィルタリングして除けるなら、一種の線引きになってくれると思います。

かなさんは「なぜ、自分が生まれなかったと思うのか」とお書きですね。それは、母が「男の子が生まれた時、『ああ、これで遺伝しない子が生まれた』と思ったんだけど…」と言ったことがあるからです(兄は病気で亡くなりました)。誤解を避けるために付け加えますが、母は私たちを産んで幸せそうでしたし、「保因者であるぎどんが不幸だ」とも思っていませんでした。兄を亡くしたこともあり、「どの子もかけがえがない」と思ってくれているのが身近に感じられました。その母でも、そんな思いを持っていました。父母の時代にはまだ公的な差別がありましたから、尚更その思いがあったのだと思います。

つまり、公的な差別があった時代、父の苦労を知る母は、着床前診断を使った選択ができたら、私を(正確には「女の子を」)選ばなかった可能性も十分に高いんです。もちろん、可能性は可能性でしかありませんから、選んだか選ばなかったかは水掛け論です。ただ、私がその技術を使うなら、人がその技術を使うことも認めるべきですよね。上記に書いた通りに私が「選べる」なら、父母が「私を選ばなくても仕方がない」、それを認めないのは不公平です。それでも私は「選びたい」のか、「選ばない」のか…?リオナさんは「着床前なら」とおっしゃいますが、父と母には、保因者の娘か健常な息子しか生まれませんから、父と母が「選ぶ気になったら」、娘である私も姉も「命になる以前」の存在でしかあり得ません。

私には、答えが出せません。反対でも賛成でもありません。答えが出せないのですから。苦しんでいらっしゃる方が現においでなのに、それでも明確な答えを出せない。意識が成熟していず、結果として技術の普及の歯止めに加担しているのは私自身です。私のほうこそ、本当に本当にごめんなさい。たとえ間接的ではあっても、リオナさんやかなさんやさくさくさんを苦しめている原因には、私自身も含まれると思います。ごめんなさい。それでも私は、自分自身の意識に確信が持てません。本当に、ごめんなさい。
 





   >>> ぎどんさん かな   -- 2006/02/08..
 
ぎどんさん、こんにちわ。

ぎどんさんの発言にいろいろ考えました。

やっぱりでもそういう技術があって、それで助かる人がいるのであれば
その選択肢を必要な人には与えるべきだと思うのです。。

ぎどんさん「私は生まれてこなかった」とはどうしてそう思うのですか?
調査の結果はどうあれ、ぎどんさんはぎどんさんのお母様とお父様から産まれたのではないですか?
選ぶのは他の誰でもないです。「多くの人」あるいは「大多数」は自分に関係のない他人です。

皆さん真剣ですごく勉強されていて、中途半端な意見は言えませんし、私は検査の詳細も、今問題になっている訴訟等詳しいことは何も知らないのですが、でも、「多くの人」が「あやまった選択をしてしまうから」と否定的になるのも、考え方として私には疑問です。
現にこのサイトだけでも、たくさんの反対意見の人がいます。たぶん多くは「必要のない人」からの反対意見だと思います。それでも、誰も彼もが節操もなく着床前判断に走ってしまう世の中になる、そうなのでしょうか、、、。
 





   >>> 障害といっても さくさく   -- 2006/02/07..
 
健常者の私が言っても説得力はありませんが 障害 という一つの言葉はくくりが大きすぎると思う。
知的障害・身体障害では 全く内容が違いますし 普通に学校に通える場合と ベットの上だけの生活とでは 生活が全く違うと思います。

現在 着床前診断でどこまでの遺伝を調べられるかは 私には分かりませんが
自分がその遺伝に苦痛を与えられたから 子どもには与えたくない・・・
という 願いの方が希望されていると思います。
遺伝 といっても ものすごい種類があります。
発病したら死を待つだけ という精神的苦痛の遺伝
注射や手術を繰り返す 身体的苦痛の遺伝
ギドンさんのように「ほとんど困ることはない」という遺伝

目が見えなかった方が 自分の子どもには目が見えるように と望む事と同じではないのかな?と 私は思います。

私が一番言いたい事は >「障害者を生まない」という選択ではなく
生まれてくる子どもに 障害という苦痛を与えない 選択だと思います。
線引きは 他人が決める事ではなく 夫婦の問題ではないのでしょうか?
羊水検査のように簡単に医師が進めるのではなく 遺伝カウンセラーと何度もカウンセリングを行ってから 夫婦が決める事だと私は思います。
 





   >>> それでも着床前診断 リオナ   -- 2006/02/07..
 
パソコンの調子が悪くて、新しく買い換えたりしたのでここを開くのが遅くなりました。みなさん深く考えてくださって、また本音を言ってくれてたんですね。
まずきどんさん、ここに来ていただいてありがとうございます。
障害をお持ちの方の意見が直接聞けて嬉しかったです。
困ることがほとんどないにしても−遺伝していないほうを選びたくなるな−といったあたりは本音かなあと思いました。
うまく言えませんが、私は障害者を否定するのではなくて、障害がないほうがいいと思っているだけです。
そしてきどんさんのようにほとんど健常者に近い方もいれば、一生誰かが面倒をみなければならない方もいると思うと、高齢なので確立が高いと言われれば不安を持ってしまうんです。
たとえば受精卵の段階ではまだ命と呼ばず、着床した段階で生命(魂)が宿ったと考えるのは危険でしょうか。そう考えれば着床前診断も障害(者)を選り分けたとは言えないし、きどんさんが生まれなかったとは言えないと思うのですが。

ちかあきさん、この掲示板には聞いてくれる方がいっぱいいます。
相談にのってくれる方がいます。そういう場所だと思います。
きどんさんはわかってくれてますよ。
私も着床前診断については技術的な事もよく知らないでこんなトピを立ち上げてしまいましたが、いろいろ考え勉強させていただきました。

匿名3:3さん 文章が専門的でちょっと難しかったのですが、着床前診断を乱用されて、生命誕生において偏りができてしまうのを恐れているんですよね。着床前診断は体外受精です。体外受精は流産率が高くなるそうです。そしてお金もかかるし、注射も沢山するし、薬を飲んだり、診察をうけたりと負担がいっぱいです。私もうんざりしました。まず若い方なら敬遠すると思います。
そしてなんてたって自然妊娠が一番いいにきまってます。
夫婦が愛し合っての過程からできるわけですから、子供が実際大きくなって聞いた時、子供にしてみてもそうであったほうがいいと思います。

最初は条件をつけて線をひいて仕方ないと思います。そしてもう少し門戸を開いていってほしい。できるだけ早くです。女性はタイムリミットがある以上待っていられません。

さくさくさん、私何も行動してなくて恥ずかしいです。
着床前診断もできなかったです。海外に行く事も神戸に行く事も。
遠すぎて生活も変わるし、金銭的な理由もありました。
自分の命が海外あるいは神戸に行かなければ治らないと言われたら行くのに、お金もかけるのに・・・。
もう私もタイムリミットでそろそろ諦めなくてはならない年齢になってしまいました。ですが、この問題はずっと見守って応援していくつもりです。

みなさんのおかげで沢山の方が関心を持ってくれたと思います。
私自身も勇気や励みになりました。ありがとうございました。
最後にかなさん、元気なお子さんを産んで下さいね。
 





   >>> 技術の進歩と時の流れ sancyan   -- 2006/02/07..
 
皆様 いつもこちらではお世話になっております。
私は難しい技術論は良くわかりませんが、私の思っている事を書きたいと思います。
私は着床前診断の技術がもっと進んで欲しいと思います。勿論どこで線引きするか?という大切な線引きも必要ですが・・技術の進歩はやはり必要だと思います。私達の母親時代にはインターネット等普及せずにどれだけ不妊という事で悩み苦しんだ方がいたことでしょう・・今はこうして掲示板等で悩んだり困ったりしたら、自分で相談でき心が癒され励まして頂けます。それにはITの進歩のおかげと時代の流れだと思います。そして高度生殖医療も日本の技術力は優れていると聞きます。そのおかげで苦しい思いをしながらも子宝に恵まれた方も沢山いらっしゃると思います。私は精神疾患の体験者ですが、今はとても優れた抗うつ剤も開発されています。
私は技術が進歩していく事は多くの苦しんでいらっしゃる方が救われて行くと言う事ではないか?と感じています。
技術の進歩があり、そこで悩み苦しんだ時に自分でご夫婦で選択できる様になれば・・と願っています。
だれも好きで人工流産という苦しい選択はしたくはありません。またご夫婦で決断した事に賛成も反対も無い筈です。
私は精神科に通院していると会社に判っただけでも白い目で見られ、派遣先も解雇されました。障害をお持ちの方も障害のお子様を持っていらっしゃる方も
そして、今、何かの病気で苦しんでいる方にみな其々悩み苦しみがあると思います。その苦しみが少しでも取れて楽になれる医療の技術の進歩と人に優しくできる世の中になって欲しいと切望します。

 





   >>> 障害を・・・ ちかあき   -- 2006/02/07..
 
ぎどんさん、障害をひとくくりにして考えてしまってすいませんでした。

着床前診断が許されたら、私は生まれなかった・・・と
思わせてしまって、ごめんなさいね。
ぎどんさんの存在を否定している様な文面でしたね。
私はまだ息子の全てをなかなか受け入れられないでいるので、
(私は障害児を生んでこんなに辛いんだ)と
誰かに聞いてもらいたかっただけだったのかもしれません。

ぎどんさんの様に、障害を持っていても普通に生活していける方も
いらっしゃるのですから、
やっぱり着床前診断はとても線引きの難しいものなんですね。
もっと着床前診断について、理解してから参加すべきでした。
ぎどんさん、本当にすいませんでした。
 





   >>> 「障害」はどこまで? ぎどん   -- 2006/02/06..
 
こんにちは。
私は…うーん、明確な意見は言えないのですが。

別スレッドに書いたこともありますが、私は、とある軽微な伴性遺伝障害の保因者です。私は発症しないけれど、父は発症者ですし、息子は1/2の確率で発症者、娘は1/2の確率で保因者です。

とても軽微な障害なので、介護も介助もいらず(介助がいる場合は皆無とは言い切れませんが…父は介助を必要とはしていません)、公的な差別は廃止の方向にあります。それでも就職の制限などはありますが、制限のある職種のほうが少なくなっています。通常生活は全く問題ありません。命にも別状ありません。見た目も変わりません。「障害」の定義に入るかどうかすら不明です。他に言いようがないので「遺伝障害」と呼びますが。

それでも。
こんなに軽微な障害でも、生まれる前に知ったら産みたくない!という人が多い、という調査結果を見たことがあります。

この掲示板においでの方のように、介護や介助で深刻な問題を抱えておいでだったり、どうしても生きている子供の顔が見たい!というお気持ちだったりする方は、よく解るのですが…

通常生活に問題ない障害でも産みたくない、という人が多いという事実を前に、私は考え込んでしまいます。…なんで産みたくないんだろう??そりゃあ、困ることが皆無だとは言わないけれど、でも…そんなに不便か?経済的な負担だって、ほとんどないはずなのに、それでも産みたくないって…何で?
そんな世の中で、かつ、「障害者を産まない」という選択肢が無制限に与えられたら(私の障害は遺伝子の問題なので、調べようと思えば調べられます)、本当に「障害者をバックアップする社会」なんかできるんだろうか?

まあ、少しでも困ることがあるより、全然困らないほうがいいかもしれない。私だって、「子供に障害が遺伝したら…」と悩んだので、子供に遺伝による負担をかけたくない、という気持ちは解ります。でも…産みたくないほどの障害か?と言われると…どうなんでしょう?私にとっては「産める程度」でも、他の人にとってはそうでないのかもしれないし。介護も介助も経済的負担も命の心配もないんだけどなあ。一方で、例えば私が複数の受精卵を前に「こちらはあなたの障害が遺伝しています。こちらは遺伝していません。他はほとんど変わりありません。どちらを戻しますか?」って言われたら、遺伝していないほうを選びたくなるだろうな、と思いますしね。「ほとんど困ることはない」と身をもって知っている私ですら、です。はあああ、じゃあ、私自身が生まれないってことだなー。それでも…困らないほうが、いい、の、かなあ…??うーん。私にはわかりません。

これに明確に答えられない私は、出生前診断の結果による選別に対して、明確な意見を持つことができません。

技術が悪いのでも、実施している良心的な医師が悪いのでもなく。

意識が成熟していない人にも選択肢が与えられる。そこが問題なので、線引きをきちんと!という意見にも、非常にうなずけるのです。もちろん、「成熟していない人」というのは、上の答えを明確に出せない私自身です。

私の障害に対しても着床前診断が許されたら、ぜーんぜん苦労も何もしていない私も、同僚で同じ障害を持っているハンサムで優秀な男性も、生まれないわけかあ、はああああ…と思うと、少し複雑ではあります。それが線引きの範囲内なら、もちろん仕方がないことなのですし、現時点でこの障害が線引きの内側に入ることはもちろんありえないのですが。
 





   >>> 日本産婦人科学会様 さくさく   -- 2006/02/04..
 
着床前診断を希望する ペンネームさくさくと申します。
こちらに書かせていただいた事は 私自身が体験し 思った事を書かせていただきました。
大谷医師とは 全く関係ありません。
子どもを欲しいと願う 患者の1人の意見として読んで頂けるようお願いします。
 





   >>> 思った事を書きました。 さくさく   -- 2006/02/04..
 
匿名3.3さんへ
貴女のおっしゃっている事が 私にはあまりにもぶっ飛んでいて 理解ができません。
長い間 着床前診断は日産婦が重いふたをしていました。
その為 海外に行くか 隠れて?行ってきました。
1年半前に 着床前診断を推進する会を発足。日産婦を相手に裁判。
裁判の大きな目的は 日産婦に着床前診断を見直させるためです。
少しずつですが 筋ギスの患者さんに許可が下り 今回転座の患者に認める決定が下される事になりました。
着床前診断を望む患者は 病気が進む人もいれば 卵巣が年を取り卵が取れなくなってしまった人も沢山います。(私の その1人です)
日産婦があまりにも長い間ふたをしてきたため 苦しんでいる患者が増えていくのが 現状です。

リオナさんへ
ずいぶん横レスになってしまい ごめんね。
>障害者をきちんとバックアップできる国にしていかないといけないと思います。
私もそう思います。だから 一人一人ができることを行っていきましょうね。

葉子さんへ
始めまして。葉子さんは お医者さん?記者さん?文面を見てびっくりしました。
過去レスもいくつか読ませていただき 葉子さんのファンになりました。
温かいお言葉 ありがとうございました。これからも よろしくお願いします。

ちかあきさんへ
仕事柄 お子さんの様子が手に取るようにわかります。
私の中には 二つの矛盾した自分がいます。
一つは 貴女がうらやましいと思う気持ち。
私の子どもは 死を待つだけ。初めて子どもを抱いた時 全ての機械を外し 天国に送ってあげたときでした。
親として何も子どもにしてあげれなかった。
だから お子さんが生きられて親になれたあなたが うらやましい。
その反面 もし子どもが生きていたら 心が親になれたのかしら?
ちかあきさんのように 素直に自分の心を見つめられたのかしら?
うらやましいと思いながら 健常児を望む自分がいます。
(介護から逃げ出したような気持ちの自分がいる)
お子さんの 心と身体が元気で幸せでいられるように願っています。
応援してます。

かなさんへ
元気な赤ちゃんが生まれるように 願っています。

最後に・・
生まれてきた子どもは、どんな障害をもっているにせよ、手厚く保護し支援する。一方、それとは別にこれから生まれる子どもには可能なかぎり障害がないようにした。
ダブルスタンダード というそうですが 私はこの言葉のようになって欲しいと願っています。



 





   >>> 横道にそれますが・・・・ トマトの気持ち   -- 2006/02/04..
 
この投稿はひょっとしたら、横道にそれてしまうのかもしれませんが、
着床前診断を考えるとき、実は不妊治療の事ももう一度きちんと考えなければいけないように思います。
それは両方とも受精卵を扱う技術であるからです。
受精卵は果たして命なのでしょうか??
命の元(仮に言うなら)なのでしょうか?

くしくも、さくさくさんが

着床前診断で選別された受精卵が着床しなかったとしても、
>ショックで落ち込んだ反面 悲しくない自分に気がつきました。
私にとって命は 妊娠した時初めて命になり 着床しなかった卵に対し 命を亡くした悲しみはありませんでした。

とおっしゃっていますが、これは不妊治療を受けられている方々も同じ気持ち(感覚・感情)なのでしょうか?
だとすれば、命の元であって命ではなく、命ではないものを少々人工的にいじる量が増えるだけの話なので、命を授かるための技術であり、少々乱暴なことがあったとしても、あまり関心を呼ばないことにならないでしょうか??

実際、凍結され、体内に戻されなかった受精卵たちは、あっさりと破棄されているような感覚を私は受けています。
(そんなことないっ!とおっしゃる方も多数いらっしゃることを覚悟で書いております。)
なぜ、こんなことを言うかというと、今その受精卵たちもES細胞が注目を浴びている中で、使われなかった受精卵たちをどうにか利用したいと考える向きもあると見聞きしたことがあるからです。

(成人幹細胞の方が最近では注目度は高いかもしれません)

流産(堕胎)してしまった胎児から取り出す場合もあるES細胞ですが、受精卵からES細胞を取り出し、自分の臓器のスペアパーツを作ったり、自分の遺伝子上の不具合を調整したものと差し替えたり、クローンも作り出せる時代は案外SFの世界だけではなく、目前にあるのかもしれないんです。
目ざとく商魂たくましい商人がいれば、もう少し研究が進むと、とうぜん破棄するのであれば、ほしくなるわけで・…。
その時、わたしの受精卵(があったとして)は所有物として扱われるんでしょうか?

ただ、この技術が進むと、その一方で今の脳死移植の抱える問題点(赤ちゃんや人を商品のように闇取引も横行?!)や、脳死判定の是非等の問題も、更に言えば、国内の臓器移植の抱える問題も(別スレで七海ちゃんを救いたいというスレを立てました)今よりはもうちょっとトーンが変わることもあるわけで…。と考えてしまいます。

なにがしかの立法がされるのであれば、又、何がしかの規制ができるのであれば、まず、この受精卵の定義部分からきちんと明文化、線引きされなければならない問題なのではないかと思うのです。
それとも、すでに、それはなされているのでしょうか??
ご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ、教えて欲しいです。


DNAの話題ですが、最近ではどこそこのあたりの○○と書かれている場合、こういう疾患の症状がでるらしい、とか、この障害はどこのDNAのこういう不具合が原因で起こっているという原因究明が、凄いスピードで解明されているようです。私は科学には疎いので、難しい話はよく解らないですが、こういう解析が進めば、おそらく、誰一人として、パーフェクトな状態のDNAであることはありえないですよね?
私はそれが個性だと思っているのですが。
自分たちが老人になる頃、私たち老人は誰一人として健常者と認められないかもしれないです。そして、その未来の時代の受精卵であったなら、誰一人として生まれてくることすら出来なかったかも・・・・しれないです。
少々空想がすぎました。。。失礼しました。

 





   >>> ううむ トマトの気持ち   -- 2006/02/04..
 
別スレットにある情報のように、日産婦への1月末までの一般からの投稿には、間に合わなかったのですが、2月1日2時半ごろに下記のようなメールを送ってみました。

期日が過ぎてしまってのメール、ご容赦くださいませ。
わたくし自身は41歳で高齢出産を経験し、幸い何事もなくすくすくと育てている一人の母です。科学に疎い女性ですが、妊娠時に高齢出産におけるリスクを色々考慮するかなで、新しい科学の技術が日々進んでいることを知り、倫理的な門題も含め、非常に関心を寄せているものです。

私個人の意見はともかくとして、現在Voiceというホームページ上
(VoiceのURL)の掲示板で、
この着床前診断の議論が活発にされております。
障害者の立場での発言こそ少ないのですが、高齢というキーワードの元、不妊に苦しむ女性、また、ダウン症が羊水検査で見つかり、諸事情により堕胎を選択せざるを得なかった女性等等、切実な言葉がそこにはあります。
そして、この着床前診断についての意見も、賛否両論とても真摯なものが多数よせられております。
お手数かもしれませんが、ぜひ、生の声を聞いていただきたく思い、期限後であることは重々承知の上で、メールをさせていただきました。
ぜひ、御検討くださるようお願いいたします。

2月3日現在、何の返信もないですけど、見てもらえることを願っています。

余談ですが、日本産婦人科学会と日本産婦人科医会があるのですよね。
私にはどういう住み分けかイマイチ良く解りませんが・・・。

日本産婦人科学会(以下、日産婦)をわたしは擁護するつもりは無いのですが、やはり腐っても・・・の例えでいうなれば、何らかの役割はしていると思えます。着床前診断にしても、立法を願い出る要望書を出されているようですし、全国の産婦人科医が集って出来上がっている組織である以上、学会の基準がなにがしかの歯止めの役割をしており、国が立法にむけて動き出せば、その下地をも日産婦の力が必要とされるように思います。
(母体保護法の元、とんでもない理由(本音)での堕胎がまかり通っていてもです。すでに立法されている部分のことなので、拡大解釈の○○については違法=堕胎罪 とでも判決が出れば、医師の保身のためかもしれませんが、また動きは変わるものと思いますが。その拡大解釈の被害者はすでに言葉を発することが出来ないのでおそらく訴訟は起こらないのでは?とも思います)

着床前診断になんらかの立法が成ったとしても、私個人の予想では、母体保護法と堕胎罪程度のものしか出来てこないように思います。
そして、着床前診断の立法の枠組みはこのくらいのものでいいと思っています。(そのくらいしか期待していないと表現したほうが正しいかもしれません)
万が一、ガチガチのものが出来たとしても、抜け道を作る事はおそらく出来てしまうのではないでしょうか?
たとえば、規制のゆるい諸外国のどこかに頼るなど・・・つまるところ、金銭の問題になり、裕福であれば何でもアリになり、残念なことに庶民に降りてくることはなくなってしまい、本当に必要な人は恩恵が受けられないという事態になってしまうような気がします。
匿名3.3さんのおっしゃる
>今は、体外受精は、「最後の手段としてしかたなく受ける医療」であるわけですが、着床前診断について、明確な規則がないグレーゾーンが続けば、金銭的に余裕があり、なんらかの価値観をお持ちの方にとっては、「進んで受ける医療」になりかねない事態となりかねません。
と相反することを言っているように見えるかもしれませんが、私もその部分も危惧している一人です。どちらに傾いたとしても、お金持ち優位になってしまいますよね?本来なら医療は国民に平等に行き渡るべきもののはずなのですが、さて、それでもどちらがいいのかを選ばねばならないのかもしれません。

となるとやはり私たちが自らを啓蒙(どんな考えを持つかは自由です)するか、医師を啓蒙(やはり日産婦に頼るしかない?その中での自己規制に期待でしょうか??)し、なおかつ、自分の意志と同じ志で医療に取り組む医師を見つけ出すしかないということになるのではないでしょうか?

自己責任に全てを押し付けられるのは私も本意ではありません。

 





   >>> 技術的な事に言及されているので 匿名3.3   -- 2006/02/03..
 
>一方で、着床前診断で受精卵の割球1個で検査する項目は限られるので、漠然といろいろな病気を調べることは不可能です。

最近GE(旧:アマシャム・ファルマ)から発売されている試薬セットを使うと、非PCR系列で総DNA鋳型そのもを何倍にも増やすことが出来ますから、その気になれば、割球1つでもマイクアレイにかける事も技術的には可能です。 どのようなチップを利用するにもよりますが、そうですね細胞10個もあれば、既知のSNPs100〜200程度は余裕でタイピングできます。良いチップをデザインすれば1000を目指すこともできるでよう。羊水検査課、絨毛検査にこれを組み合わせれば、それこそ10000SNPsも、チップさえ準備すれば出来ましょう。

数を多くすることにあまり意味を感じませんが、今の状態では、10000個の遺伝子を調べるのも1個の遺伝子を調べるのも同じ土俵といいますか、規制があるわけではありませんから、大変危険な状況と言えるでしょう。また、どのような遺伝子であれば検査の対象として良いのかについても何の決まりもありません。

遺伝子診断が産声を上げ、鎌型赤血球など数少ない遺伝病に対して検査が行われていた時代とは、今の検査技術の水準が違いすぎます。私が、青春を謳歌した時代には、夢の技術だったのですけどね。

たしかに重度ないし最重度の障害を回避する目的で、患者にとって世の中の平均に比べて極度にリスクの高い状態にある少数の遺伝子を、是々非々で考えて行く必要はあると思います。

>男女生み分けを心配する人は多いですが、着床前診断には体外受精が不可欠なので、人口の男女比率を大きく変えるほど普及することはありません(不妊で体外受精を受ける人の場合、性別を限定すると受精卵は半分になり妊娠率も半減しますから、自分から妊娠する確率を下げるようなことはしないと思います)。

【しないと思う】という期待にすぎませんよね。 これが問題なのです。近代史の中で、誰もが【しないと思う】と思っていたことが、何度も現実のこととなったことをふまえれば杞憂ではないように思います。現在、体外受精はずいぶんお金がかかりますよね、この負担に耐えられる人がどのぐらいいるでしょう。今は、体外受精は、「最後の手段としてしかたなく受ける医療」であるわけですが、着床前診断について、明確な規則がないグレーゾーンが続けば、金銭的に余裕があり、なんらかの価値観をお持ちの方にとっては、「進んで受ける医療」になりかねない事態となりかねません。

疾患の範囲には入らなくとも、嗜好であるとかある種の性格と遺伝子の相関が見つかりはじめています。もし、ある遺伝子における特定の対立遺伝子をホモ型で持っていると、その他の遺伝子型に対して、IQが平均して15(たいした差ではありませんが)あがる(もしくは下がる)という研究があったとします。夫婦がそれぞれ、この遺伝子のヘテロ接合体であった場合、どうしますか? 1/4の確率ならIQ15upを確実に狙いたいと思うカップルは、今でも多いのではないでしょうか? (日本以上に学歴が幅を利かせている、お隣の国は大丈夫だろうか?)

実際のところ、効力が何処まで一般化できるかには、人種や環境要因がありますからかなり怪しいものですが、鬱傾向であるとか、注意力であるとか、精神医学上のスコアであるとかと遺伝子との相関に関する研究成果も珍しくなってきました。今の技術水準ではパーフェクトを目指すことは出来ませんが、注目する1つか2つの遺伝子について、希望する組み合わせを選ぶことは、最重度の疾患を回避するための選択と全く同じ方法で実行可能です。

神戸の先生は、いまのところここまではやっていないことは理解していますが、これを行ってはいけないという根拠がこの国にはありません。これは個人の医師の倫理観にゆだねられる問題ではないと思います。私は、善良な公共の倫理観をお持ちであろう神戸の医師とそのスタッフを批判しているわけではなく、今の現状をふまえれば、第二の彼が現れ、その方は彼とは違う倫理観を持っていたとしても、誰も規制することが不可能な現状にあることが問題だと考えています。神戸の医師についていえば、もっと是々非々の議論を積極的に行うべきであると思います。たしかに線引きを行ってしまっては、どうしても一線によって区切られる者が生じます。悲しいかなこれは現実です。しかし、それであっても遺伝子で我が子のグレードアップを競争するような時代が来ないよう、その抜け道は法的に無くしておくべきだと思います。本当に、この辺で最後にしておきます。
 





   >>> その医療を必要とする人々がいる 葉子   -- 2006/02/03..
 
 産婦人科学会が、均衡型転座保因者の習慣性流産への着床前診断を認める方向にあるのは良いことだと思うのですが、転座保因者に限定せず、重篤な遺伝性疾患・転座のない夫婦の習慣性流産・重篤な伴性劣性遺伝病での男女産み分けも、認められるべきだと考えます。
 着床前診断は倫理的に問題があるから学会が慎重な態度をとったわけではないです。日本の不妊治療は世界最高水準ですので、着床前診断を実施可能な施設はかなりあります(よく読めば、有名施設のHPや著書に書いてある)。ずっと昔に決められた会告が、現代の生殖医療の現状にそぐわなくなっても、見直されることがなかった。なぜ見直し作業が行われなかったのかわかりません。それが今になって見直す動きになったのは、大谷医師と習慣性流産で着床前診断を受けた患者さん達が治療の正当性を主張して訴訟をおこし、大筋で認められたためです。
 着床前診断が「命の選択につながる」とか、「受精卵の段階で疾患を排除することが障害者の人権侵害につながる」と言いたげな新聞報道、日本のマスコミは、正確な情報を報道するよりも、医療不信を招くような論調が目立ち、建設的な議論の妨げになっています。
 そもそも体外受精では、「卵の選別」が不可欠です。通常は受精卵の卵割状態や形を見て育ちそうな受精卵を選ぶところを、着床前診断ではFISH法による染色体検査(あるいは疾患遺伝子のPCR検査)をして胚を選別することにより、染色体異常による流産や重篤な遺伝性疾患を回避できる、そのような治療で救われる患者がいる。そういうことが十分に伝えられていないために、「そういう患者さんにはどうしてあげるのがいいか?」という視点での議論が少なすぎます。
 一方で、着床前診断で受精卵の割球1個で検査する項目は限られるので、漠然といろいろな病気を調べることは不可能です。ましてデザインベビーだのパーフェクトベビーを作る技術などありえません。男女生み分けを心配する人は多いですが、着床前診断には体外受精が不可欠なので、人口の男女比率を大きく変えるほど普及することはありません(不妊で体外受精を受ける人の場合、性別を限定すると受精卵は半分になり妊娠率も半減しますから、自分から妊娠する確率を下げるようなことはしないと思います)。

もし、当事者の方が読んでおられたら、
理解している人間は確実に増えていますから、どうか頑張って下さい。

 





   >>> 社会的コンセンサス:最後に 匿名3.3   -- 2006/02/02..
 
学会が機能を十分に発揮していないことに乗じて、生命の誕生に対して何でもありの状況を生み出してはいけません。

>男女産み分けの為に お腹の中の子どもを殺す病院(母子保護法)には目をつぶり そんな日産婦を 私は信用していません。

これについては、堂々と告発すべきです。「あの方々も黙認しているのだから、こっちも認められるべきだ!」という論法では民意の合意形成は困難です。「善悪については保留するが、あいつがやっているのだから、私だってやってもよいはずだ。そして私の方がもっと上手に出来る。」非常に残念なことに、このように聞こえてしまいます。男女産み分けに関して言えば、最重度のX染色体性の遺伝病を回避するために、男女の産み分けを行うことは認められるべきだと思います。これは我が国における倫理規定でも、「遺伝病を回避する以外の目的では、羊水検査における胎児の性別をクライアントに伝えてはいけない」と明文化されています。

特に着床前診断について、もう一度考えてみてください。この診断は、体外で受精し、培養室の中である程度発生した胚に対して行う診断です。つまり自然妊娠では選択することが出来ない診断です。

近未来的な危惧についてお話します。着床前診断が野放の状態になれば、この検査を受けるために自然妊娠を拒絶するカップルが世の中にあふれる恐れがあります。そうなれば、母親の年齢を問わず、子供は愛の結晶ではなく、欲しい時に病院にいって妊娠する。そのような時代が来るかもしれません。しかし、ヒトがヒトであるために、そのような事態はさけなくてはなりません。何故なら人間は機械で生産されるべきモノではないからです。
 私が考えるあるべき基準は非常に明確なものです。「リスクは誰にでも平等に存在する。」ですから、着床前診断は、ハイリスクのカップルに対して、そのリスクを、平均的なレベルまで軽減するためにこそ利用されるべきものだと考えます。(これは命の選択もありえますが、この範囲であれば社会的コンセンサスも得られるのではないかと思います。)しかし、ゼロリスクを目指すために使われるべきではないと考えます。これは、ありえない理想の彼方ですから。

私は、個別のケースについて是々非々をのべる立場にはありませんが、件の先生もせめて、自分なりのブレのない明確な倫理的な考えを明確にして、社会に対する説明責任を果たすべきです。

再び訊ねます。
もし、自分が30歳であったとして、遺伝病等の家族歴が無い場合にも、高度な出生前診断や体外受精による妊娠を希望しますか? 

私は、学会の倫理規定ではなく、立法措置として、積極的に利用する部分と、歯止めをかける部分を、明らかにすべきだと思います。何もかも、個人の選択と医師の良心に責任を押し付けるのは不可能ではないでしょうか?
 





   >>> トマトの気持ちさんへ さくさく   -- 2006/02/01..
 
横レス ごめんなさい。
トマトの気持ちさん お久しぶりです。
お子さん大きくなった事でしょうね。。

羊水検査について 日産婦に聞いてみたらいかがですか?
医師が簡単に進め カウンセリングをきちんと行わず 羊水検査を行っている現状を どう思っているのか ぜひ聞いてみてください。

私は 以前にも書きましたが 日産婦には期待を持っていません。
身内が 着床前診断を行っても 問題にはせず 男女産み分けの為に お腹の中の子どもを殺す病院(母子保護法)には目をつぶり そんな日産婦を 私は信用していません。

早くお偉いさん方が引退し 患者を一番に考える日産婦になって欲しい。
 





   >>> 難しいことは言えませんが・・・ ちかあき   -- 2006/02/01..
 
皆さんの様に難しいことは語れませんが、1つの意見として読んでください。

私の息子はお腹の中にいる時に異常が見つかり、羊水検査をすすめられました。
やっぱり健康な子供がほしい、と思い、染色体異常なら中絶する覚悟で
羊水検査を受けました。
結果、正常でしたので妊娠を継続、出産しました。
しかし、生まれた息子は障害児でした。
もうすぐ2才になりますが、寝たきりです。
口からもほとんど食べ物は食べれず、気管切開しているため声は出ません。
身体には10カ所以上の手術の跡。
胃ろうも造設しています。

気管切開部から痰の吸引をしないと痰で窒息してしまうので、
24時間そばから離れられません。
息子が生まれてからは、夜中も何度も吸引です。
そしてこれからも、息子が生き続ける限り続きます。
息子の身体が成長するのは嬉しい事ですが、
その分介護側は負担がかかってきます。

今は小児慢性特定疾患等の制度で医療費もそんなにかかりませんが、
保険でまかなえない物品などは1部をのぞき全額負担で、
日常の私の自由もない上に、お金まであっという間に消えていきます。
小学生の娘がいますが、息子の長期入院等で
私が付き添ったりしたため、かなり寂しい思いをさせてきました。

障害児を持つ方とたくさん知り合えましたが、
障害児を持ったために家庭崩壊した方も残念ながらいました。

障害の重さ、親の志、家庭環境等、さまざまだと思いますが、
私はやっぱり健康な子供がほしかったです。
今でもたまにそう思います。
これも私に与えられた試練、息子は私を選んで生まれてきてくれた、と
思うようにしていますが、日々気持ちは変わります。

着床前診断の事も詳しく知りません。
ただ、長期の不妊、不育症、障害児を生むリスクの高い患者さんには、
なんとか門戸を広げてあげてほしいです。

息子への支援はいろいろあり、活用させていただいてますが、
まだまだ不便です。
障害者にたいしての法律もよくない方向に改正され、
ますます暮らしにくくなりそうです。

障害は不幸ではない・・・と毎日心から思える日が来るといいな・・・と
思っています。
着床前診断を本当に必要としている方に、明るい未来が開ける事を
祈っています。
 





   >>> 私が思うこと かな   -- 2006/02/01..
 
羊水検査、出生前検査という事に対して、検査に対して反対の方が「障害児がいやだから」と出産をあきらめるなんて、、というような言い方をされることをよく目にします。そして、あきらめた側は反論もしないわけですから、それこそ、その言葉がすべてをあらわしているような印象を持ってしまうのではないでしょうか?自分の宿した子供が障害を持っているとわかってあきらめることと、美容整形、ダイエットなどを引き合いに出すのは何の関係があっての事でしょうか?パーフェクトベビーが欲しいなんて、そんな単純な問題ではないと私は思います。

私はこのサイトでこういった問題が語られるたびに「どんな子供でも受け入れる」と言える方は幸せな方だと強く感じています。経済的なこと、子供を育ててその子を一生看護する環境にあるかどうか、そういった問題があってなお「受け入れる」と言うことができる恵まれた方だと思います。

私は一人目を妊娠したときに、ダウン症の確率が2分の一と言われ絨毛検査をを経てダウン症が確認され中絶しました。「今回匿名希望」さん同様、体も心も苦しみ抜きました。私の場合は人工流産に丸1日もかかりました。そして2回目の妊娠の初期、ダウン症の確率3分の一と言われ、それから羊水検査の結果がでるまで、こちらのサイトで相談すらできないぐらい苦しみました。中絶した苦しみ以上でした。今回もダウン症であったとしても、今回は産むという選択はありえませんでした。中絶した子供に対してもそれは絶対できないと思いました。ただ、その後自分でその苦しみを乗り越えられるのか、その事実に向かっていくことができるのか、頭の中がまっしろになりました。
私の場合幸いにも2回目は染色体異常(8、13、21に限ってですが)が認められずその子は今お腹の中で日々育っていっています。しかし、なんらかの染色体異常で流産を繰り返す方、前に染色体異常の子供を宿された方にとって、自分のお腹で育ちだす前に検査をしたい、というのは切実な思いではないでしょうか?
日本では羊水検査の是非を各人の倫理感におしつけてしまう感がありますが、私はフランスでこの問題に直面し、是非とか倫理とかを悩むのではなく、「確率が高いという事実」を目の前に悩みました。
私はリオナさんが提起された「着床前診断」について詳しいことはわかりませんが、フランスでは羊水検査よりもっと早く、妊娠とわかってすぐぐらいの時期に母親の血液から胎児の組織を抽出してダウン症を確定することができる検査の許可がもう目前に来ているということを医師から教えていただきました。「着床前」ということはそれ以前ということですよね。

本当に美容整形を必要とする人と、単に顔をいじりたいと思う人が第3者から同じステージで語られてしまうのは仕方がないことなのでしょうが、必要とする人がいる限り、私は日本も倫理を語るだけでなく、技術をも伸ばしていって欲しいと思っています。そして反対論を語るのだけではなく、それを必要とする方が受けられるというシステムをうまく作っていけないものなのでしょうか。何かが良し、とされれば、まるで全員がそれを受け入れるかのような日本的な捕らえ方ではなく、全員ではなく個人をもっと尊重した観点で進んでいって欲しいと思っています。

 





   >>> 本当にそうですね。 トマトの気持ち   -- 2006/02/01..
 
リオナさん、わたしも多くの方が関心をもってくれれば・・・と思っている一人です。なので、過去の議論もぜひ見ていただきたいなと思ったので、そう書きました。あやまることなんて、まったく必要ないと思います。
何回でも、何十回でも何百回でも・・・・スレットになるべき事だと思っています。過去ログ7にその当時のスレットがあり、いろんな立場からの意見が載っています。今、読み返しても、重い内容です。

>しかし着床前診断については賛否両論で結局これ以上前には進まないんでしょうか。線引きが難しいということで引かないまま終わってしまうんでしょうか。私は賛成のひとりでこのまま終わってほしくないです。

私はこの技術を使うのに全面的に反対してはいません。
そして、おそらくいつの日かわかりませんが、使われる技術になると確信しています。
日産婦は門をほんの少しだけ開けたようです。


横レスになってしまいますが、さくさくさん、私は貴女のことずっと気になっていました。貴女の元気な赤ちゃんがその手に抱ける日を私も願っています。

ですが、少しだけ言わせて頂きたいことがあります。
>単純に 障害児が嫌だから・・という考えで受ける事はあまり賛成ではありません

わたしもそれが着床前検査であれ、羊水検査であれ、賛成できません。
そして、現状が羊水検査に至っては、そうであることも残念なことに事実なのですよね。

日産婦はその現状を
>出生前診断は母体保護法に従った本人の自己決定権に基づいた選択である と羊水検査を支持し
ているわけではないと思います。
建前に聞こえると思いますが、堕胎の理由はあくまでも、
妊娠の継続又は分娩が身体的理由により母体の健康を著しく害する場合やレイプなどの本人の意思以外での強制によるもの等と母体保護法は規定されているはずです。
更に経済的理由もその中に入っていると思います。
それで、この経済的理由というあいまいな文言のせいで、それのとんでもない拡大解釈の上で、堕胎の現状がそうなっているはずなんです。

羊水検査そのものは、この拡大解釈を支持し、バックアップするためのものでは、あってはならないとわたしは思います。
日産婦はこの状態を着床前診断にも危惧するのは当然のことではないでしょうか?
今現状で羊水検査ですらそうなっている生命の選別に当たる行為、これを反対をしているのだと思います。

どうしても、気になったので書かせていただきました。
私のいわんとするところは、自分から見ても建前論なのですが、公共のボーダーラインを作るうえでは、この建前が重要なことに思います。
それすらなくなってしまっては、おそらく歯止めはどこにも無くなってしまい、何のための科学か解らなくなってしまうのではないでしょうか?

使う私たち側にも、しっかりとした倫理観、知識を得た上で、その技術を使う使わないの個としての判断する力や決定権を手にするのだという自覚、必要なことだと感じています。

 





   >>> ヒトがヒトであるために 匿名3:3   -- 2006/01/31..
 
リオナさん
言わんとすることはわかります。しかし、見たくれにしか価値観を見いだせないとしたら悲しい限りです。もちろん顔の極端な変形、歯列や顎の異常など、世の中の普通の範囲(母子手帳における±2SDのラインもそれ)を大きく外れる場合において、美容整形などもありえることだと思います。これは、火傷による傷跡の修復などと相通じるものがあると思います。
しかし、世の中にありふれた範囲に収まる人が、自分は今と違っているように見えなければならないという脅迫観念にかられている世の中だとすれば、何とも空恐ろしいように思いませんか?

別の話をします。「人の物を盗んではいけません」当然のことですよね。では、この理由を説明できますか? 多分、理論的に説明するのは非常に難しいことではないでしょうか? それでも、人間の「決まりごと」として、他人の持ち物を盗んではいけないのは、当然のことです。では、この決まりは、いつごろどのような理由で出来たのでしょう? 多分、数万年の人類の歴史の中で培われてきたものでありましょう。生殖医療にしても遺伝子技術にしても、私たちが、これに触れるようになったのは、長くともこの半世紀程度で、実際には30年あるかないかです。 だから、これに対する人間としてのコンセンサスが得られていません。しかし、「人の物を盗んではいけない」と同じように、これに関しても何らかの決まりは必要なはずです。

さて、この科学を乱用して、身体ないし精神の特定の障害は人間として絶対に許容しがたいと見なす規範的な考えを発展させる人たち、この種の人々に対抗できるだけ私たちは成熟しているでしょうか?

私は、物理学者で「車椅子の天才」と呼ばれるスティーブン・ホーキング博士を思い浮かべます。彼は最重度の障害を持ちながら驚異に値するほどの充実した人生を送っています。いったい誰が幸福や喜びを設計したり規格化したいと願うのでしょうか? 幸福に座標などありません。たとえ自分や両親が設計したのとは全く異なった人生でも、幸福でありえるのです。私たちは、幸福という概念が金銭、若さ、余暇といった外的な条件の産物になりさがり、人間性を失ってしまわないよう用心しなければなりません。

子供を授かることは、それ自体が目的ではなく、共に生きる人生の始まりにすぎないことを忘れてはいけません。とことん検査を行っても見つけることが出来なかった親の希望に適合しない子供を授かったとします。貴方はそれを認めることが出来ますか? 愚問ですね。認める認めないの問題ではなく、生まれた時点でその子は貴方の子供なわけです。今の最新の技術を使っても、全ての疾患を排除できるものではありません、ですから生まれてくる子供の人生について幸福を願うのであれば、全ての人にとって暮らしやすい社会を願わずにはいられないはずです。

検査によりダウン症と知って、その子を天に帰した、その心の奥底を私は知るよしもありません。また、これを否定することも出来ません。が・・・この選択に対して、第三者が有形無形の圧力をかける事態はあってはならないことだと思います。
 





   >>> 生きる子が欲しい さくさく   -- 2006/01/31..
 
何度か着床前診断を行いましたが 残念ながら妊娠をしていません。
私自身が体験し 感じた事を書かせえいただきます。

単純に 障害児が嫌だから・・という考えで受ける事はあまり賛成ではありません。が 現実では 羊水検査の結果を診て 点滴で子どもを人工的に産み お腹の中の子どもを殺しています。(私もその中の1人です)
この行為に対し 日産婦は 出生前診断は母体保護法に従った本人の自己決定権に基づいた選択である と 羊水検査を支持し 着床前診断は生命の選別に当たる為 反対をしています。

障害 といってもいろいろな種類があり 病気が伴う障害が沢山あります。
(21tが生きられる子かどうかは 医者の領域だと思います) 
私は 子ども達の死を見たくない 生きられる子が欲しい為に 着床前診断を受けています。

私は命を選別し 正常な受精卵をお腹に戻しました。
妊娠判定薬で 妊娠をしていない事が分かった時 大変ショックでした。
ショックで落ち込んだ反面 悲しくない自分に気がつきました。
私にとって命は 妊娠した時初めて命になり 着床しなかった卵に対し 命を亡くした悲しみはありませんでした(妊娠を望み 生理が来てしまった時と同じでした)
お腹に戻さなかった 染色体異常の卵達は 現在病院に眠っています。
この子達はお腹に戻せば 100%死を待つだけの子どもです。
目の前で ただ死んで行くだけの我が子を授かった私にとって 着床前診断は 子どもの命を助けてくれる 生きられる命を選ぶ選択です。

チャラ妻さんのスレッドにも書いてありますが 転座の方の着床前診断が承認される事になります。
日産婦は 転座で線引きをする予定です。
これが決定する事により 今の医学では分からない習慣性流産の患者は 着床前診断を受ける事ができなくなります。
 





   >>> 多くの方が関心をもってくれれば・・・ リオナ   -- 2006/01/31..
 
貴重なご意見ありがとうございました。トマトの気持ちさん、過去ログで何度も定義された問題でありながら、また発起してしまってすみません。しかし着床前診断については賛否両論で結局これ以上前には進まないんでしょうか。線引きが難しいということで引かないまま終わってしまうんでしょうか。私は賛成のひとりでこのまま終わってほしくないです。
この掲示板にきたばかりの方、まだ着床前診断を知らない方にも考えてほしくてまた取り上げてしまいました。いろいろ問題はあるにしろそれでも着床前診断を望んでいる方は沢山いると思います。この掲示板をみるたび、ダウン症を心配する方が多いと感じるんです。
着床前診断の賛否イコールダウン症の賛否に変わってしまいがちなのですが、
私にもダウン症児を妊娠した経験があります。自分から死産を選択しましたが、後悔はしていません。暫くはそれでよかったのかと自分に問いかけ、それに関するものをみたり聞いたりしましたが、自分がそうであったならと考えた時、そうすることが一番だったと思えるのです。
今の日本は障害者にとって生きていく上で、暮らしやすい万全の体制のある国とは思えません。「安心」があれば違った選択をしていたかもしれません。
これから高齢化社会と少子化が進み、障害者にしわ寄せがこないとも限りません。命の選別をするような事は良くないかもしれませんが、ひとりでも子供を増やし、障害者をきちんとバックアップできる国にしていかないといけないと思います。

また中絶は許されて、選別は許されないのも疑問があります。
おなかをけり始めた胎児をお空へ返すのと、最初から選別するのでは前者のほうが罪の意識が大きい気がします。妊婦にとっても大きな負担です。

では障害の発生率の高い高齢の妊娠希望者は妊娠してはいけないのかというと、それは酷というものです。やはり子供は欲しいんです。そして着床前診断という技術があるとわかった以上なんとかならないかと考えてしまうんです。

匿名3:3さん、いつかのある番組で容姿体系が醜いために整形手術を受けさせてくれる番組がありました。泣きながら訴えていた方ばかりだったと思います。まわりの人が自分を気味悪がったり、いじめにあったりしたら、明るく振舞おうにも限度があると思います。整形に頼りたくなる気持ち私はわかります。
障害のある方の気持ちや、顔が醜くいじめにあってしまう人の気持ちはその人本人じゃないとわからないと思います。はかりしれないものだと思います。
だから整形だって着床前診断だって必要な人はいるんだと思います。

線引きが大変難しいのはわかりますが、この件は前向きに進んでほしいです。
下手な文章ですみません。気分を害された方がいたらごめんなさい。

 





   >>> 難しい問題ですが nao   -- 2006/01/31..
 
私は着床前診断にことさら違和感は感じません。人間の単なる欲望だけの産み分けには利用する必要はないとは思いますが。どこからが命の選別に値するのか?私はそれよりも出生前診断などで良い結果を得られず、妊娠の継続を諦める、その方がその後の罪悪感が大きくなってはしまわないでしょうか。どうしてそういった場合や、自分達の勝手でする堕胎には日本は寛容で、生み出す側の、例えばこの着床前診断や代理母などの導入にはしり込みをしてしまうのかなと思います。勿論、実際それらを法的に認めるには様々な取り決めをしていかなければならない、誰も彼もが利用できるわけではなく、皆さんがおっしゃる通りの線引きがとても難しいのだとは思います。けれど現実的に高齢出産はこの先増えていくでしょうし、それに伴い少子化も更に深刻化していくことと思います。「変えていく」ということは必然なのではないでしょうか?新しいことには賛否が必ずあります。現に日本で初めて体外受精がなされた時などはきっと着床前診断の比にならないくらいのバッシングがあったのではないでしょうか?今はどうですか?それをこんなにも大勢の人が救いにしてるではないですか。
 





   >>> 以前、テレビの特集で・・・ 匿名   -- 2006/01/30..
 
以前、着床前診断のことを取り上げた番組でやっているのを観ました。

ただ、その着床前診断は別にダウン症などの染色体異常を見分けるためにするものではなく、
何度も何度も何度も、妊娠はするものの決まって流産してしまう夫婦にのみ行っている検査だったように記憶しています。


なかなか難しい問題ですよね・・・・
 





   >>> 発言、迷いましたが 今回匿名希望   -- 2006/01/30..
 
この掲示板では、羊水検査受診そのものが否定されている雰囲気があるので、発言にとても迷いましたが、皆さん真摯にお答えになっている方ばかりで、私も真剣に考えた結果発言させていただきます。

高齢出産と言われる年齢ですが、まだ子供はおりません。実は、羊水検査と並ぶ確定診断である絨毛検査でダウン症ということがわかり、人工流産(いわゆる中絶です)しました。全身麻酔でわからないうちに、というものではなく、人工的に陣痛を起こしての処置です。ですから、何が起こっているのかは、自分のこの身で確かに受け止めました。半日かかりました。

その前に、クワトロ検査も受け、2分の1という耳を疑うほどの高確率でしたので、覚悟はしていました。ただ、妊娠がわかってから、絨毛検査の結果が出るまでは、「私は大丈夫」だと信じていたこともまた事実です。矛盾していますが。でも、大丈夫ではなかった。初めての子がダウン症だったのです。

夫と話し合った結果、中絶を選択しました。

この罪悪感は、一生背負っていきます。きれいごとだとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。どんな子でも受け入れるという覚悟がないからバチが当たるんだ、という論調の方もこの掲示板で見ました。そういうご意見も、もちろんそのまま受け止めます。

着床前診断は、多分、想像するに、この罪悪感は薄められるのではないでしょうか。精神的にも身体的にもダメージは余りないような気がします。体外受精で、グレードの高い卵を取捨選択するのと変わりはないように思います。分割はしているのに、見切りをつけて捨ててしまうのですよね。障碍を持つ子供でも受け入れる覚悟がある方には、中絶してしまった私も同等と思われるかも知れませんが、精神的のみならず、身体的にも大きな痛みを伴った処置を経験した私は、それを同等とはみなしたくありません。ベッドで、陣痛の痛みを経験した半日という時間、ずっと「これは私に対する子供からの悲痛なメッセージなのだ」と思っていました。そして、一生忘れない、と思っていました。

不妊治療を経験し、やっと授かったと思ったら、その子は障碍を持っていた。着床前診断は、その確率を下げてくれるでしょう。でも、何の罪の意識もなく行われてしまうことに、戸惑いを感じます。特に、ダウン症に限って言えば、自然流産することなくお腹の中で育ち、出産まで至るのですから。それを取捨選択し、命をストップしてしまうのであれば、親も痛みを背負わなければならないのではないか、と考えるのです。それとも、もうお腹の中で育っているのにそれをストップしてしまうほうが残酷だ、分割を始めたばかりのほうが子供にとっても幸せだ、ということなのでしょうか。
 





   >>> ついでに出来るほど簡単なことではないはずです。 トマトの気持ち   -- 2006/01/30..
 
着床前診断について、安易に考えすぎているように感じました。
言葉の一人歩きなのでしょうか?それに怖さを感じます。

着床前診断の議論は以前、さくさくさんが提起していただいたことがあり、過去ログに残っています。ぜひ、ご覧になっていただきたいと思いました。

と、同時に私個人の意見としては、ダウン症児を回避するためにこの技術を使うことには反対といいたいです。
着床前診断を全面的に反対とは思っていません。
ただ、どの場合が使用するべきか?という難題に対して、非常に難しい問題がいろんな角度から抱えており、線引きが本当に難しいことだと感じています。
神戸の医師の勇み足?果敢なチャレンジ?はどう取るべきかも私には何もいえません。ただ、一人の人間の判断での事なので、おそらくは偏りがあるはずだと思えます。そして、日本産婦人科学会の慎重な態度は愚鈍に見えようとも、そのくらいの慎重さが必要な技術だと感じているので、へんな内部の摩擦や軋轢、損得の絡み合う世界が見えない限り、評価したいなと思っています。

ただ、この技術の利用を本当に待ち望んでいる方、タイムリミットを意識して、不妊治療に臨まれている私たち高齢妊婦予備軍にとっては、選択肢としてぜひとも欲しい技術の一つであることには間違いないと思います。
 





   >>> 選択の試練に 匿名3:3   -- 2006/01/30..
 
着床前診断と簡単に言いますけど、受精卵を顕微鏡の下で分割して、一部分の細胞を取り出して、その細胞のDNAを検査したり、もしくは、染色体FISHによって染色体の数を数えたり、転座や欠損した染色体を探すわけですから、どうしてもその後の発生率は落ちます。また、実験動物では、受精卵の分割で、奇形が出る頻度が上がります。ですから人間に対して安易に使える技術ではありません。

たしかに、転座染色体が原因で、高頻度で流産を繰り返すカップルにおいては、死活問題であり医学的エビデンスのある事例について認めないことには問題を感じます。ですから、早急に基準を決める必要はあります。ある一定の範囲であれば、十分に第三者の倫理規定による検証が可能な状態で、治療項目として認めるべきであると思います。転座による習慣性流産の場合には胚に対する操作によるリスクより、そのまま自然に妊娠する時のリスクのほうが大幅に上回ると考えられるわかりやすい事案ですので、普及する可能性は十分にあります。

しかし、何処で線引きをするのかは、非常に難しい問題だと思います。危険率が1/4〜1/2の状態に対して適応すべきかどうか? と 危険率が1/100に対して、適応すべきか? 1/500ならどうか? については、十分な議論が必要だと思います。技術的に可能であれば、「何でもあり」となっては、良い方向に行くとは考えられません。神戸の先生も、テレビや書物で自分の正当性をのべる時には、危険率が極めて高いカップルの例を持ち出して、「これは認められるべきだ!」と正論をのべておりますが、実際に検査をしている範囲は、それを超えているようにも思います。もし、(X染色体病のキャリアでもないのに、)どうしても女(もしくは男)が欲しいという希望をかなえるためなどの理由で、このような検査を認めてしまうと、やはりまずいように思います。

遺伝学的に言うと、自分の子供は、単純に計算すると(8388608×8388608)の(実際には、それ以上)の組み合わせが存在する中で巡り合うことができた、たった1つです。なんて、素晴らしい偶然なのでしょう。もう一度巡り合おうと思っても、二度と出来ることではありません。生命はモノではありません。高度生殖医療とは、人間の生殖過程の1部を、無機的な培養室の中で肩代わりすることです。もちろん、子供が恵まれないカップルにとってそれは前進であり、この技術を否定するものではありません。しかし、操作過程が複雑になればなるほど、時として、生命の誕生に対するリアリティを、当の患者本人が失いがちになります。しかし、技術士が、顕微鏡の下で行ったことであっても、ペットショップでお気に入りのワンちゃんを買ってくるのとは、わけが違います。生命誕生に対するリアリティを失ってはいけません。

世の中には、ある種のメディアが伝える理想的な体形になるために、不健康なダイエット、極端なスポーツ、それどころが美容整形にふけっている人もいます。しかし、私は、美容整形工場で人工的で画一的な身体になろうと思っている男女に取り囲まれたいとは思いません。皆さんはどうでしょうか?
 





   >>> それは難しいのでは? ぷぅーにゃん   -- 2006/01/30..
 
2005年末から風邪でダウン(未だ、くしゃみ鼻水&咳)&仕事のつじつまを何とかしなくてはならず、しばらくこのサイトには覗きにしか来ていませんでした、今年もコウノトリ待ち41歳のぷぅーにゃんです。

着床前診断とは命の『選別』性別の『選別』が人間の判断にゆだねられる事の重さや難しさがある問題ですから。(だってお店で「これが良いわ、あらこっちの方がいいわ」ってお買い物するのとは違うわけですから。)

高齢の焦りや不安でいっぱいでコウノトリを待ちわびる、冷静沈着で聡明で公平な精神状態とはいいがたい私達人間。そんな人間が子供を欲するという『欲』と、自分だけは問題のない子供を授かりたいと思う『欲』に支配されている限り(←その欲求自体を否定している訳ではありません、私だって『欲』持ってますから)必ずどこかで問題は起きて来るであろう技術だからです。

もちろん親なら誰もが五体満足を願うもの。できれば見た目も整っていて、ついでに頭も良くってスポーツ万能、運だって強い。そんな子供に恵まれたら嬉しさ百倍!?かもしれない。

でも、私はこの世の中に可能な診断技術が増える事に伴って人の抱える苦悩も増すような気がしてならないのです。

着床前判断で、命を選別してしまった時、後に抱える罪悪感から逃れられずに苦しむ人だって出て来るでしょう。もちろん選択は個人の自由。その自由が果たして幸せだけをもたらすものなのか…。とても心配でなりません。

人間ってそんなに偉いのかな〜?(運命を切り開く努力をすることとはちょっとちがうような気がするのです)なんでも正当化してしまう人間の『欲』がとてもコワイです。


 





   >>> 着床前診断の是非 今回は匿名で   -- 2006/01/30..
 
着床前診断についてですが、例えばもっと受けやすい環境になったとして、どんな目的で受ける人がでてくるでしょうか...そこが私も知りたいです。

高齢でダウン症の赤ちゃんを望まない人が受けるのか、あるいは、例えば、子供は1人と決めていて、特定の性別、例えば女の子を産み分けたいとか...。

どんな考えが倫理的に許されるのか、社会的に受け入れられる範囲なのか、そこが難しいと思います。でも命の神秘の部分をどこまで人工的に操作して良いのか、という点でもっとディベートされて良い点だと思います。

私の友人は1人目が障害を持って生まれてきて、2人目は欲しいけれど、また同じような障害を持って生まれたら、とても2人は面倒見ることが出来ない、という理由で着床前診断を受けたいと考えています。現在住んでいる国ではお金さえ出せば可能なようです。

別の友人は着床前診断がもっと気楽に出来る環境であったら、産み分けに利用したいと考えています。でも、たとえば産み分けで、これから妊娠する予定の方の9割が女の子を希望していたとしたら、出生率に大きく影響を及ぼしませんか?実際日本人(おそらく母親)の統計で、女の子を希望する人が男の子を希望する人を大きく上回っています。

私にははっきりと何が良くて何が許されないか、断言することは出来ません。
不妊治療をしたことはありませんが、個人的には体外受精であっても、卵子提供であっても、代理出産であっても、その国の法律で許されているならば、問題ないと思っていますし、医学の力を借りてはいるものの、神の領域を犯しているとは思いません。

けれども、勝手な個人的意見で申し訳ないのですが、医学的に相当な遺伝的リスクが考えられるケースを除き、着床診断によって、命の選別がされることに納得がいきません。

しかしながら、卵子の段階で選別することは、赤ちゃんがお腹を元気にけっている状況で人工的に流産させることよりも、女性の心と体へかかる負担はずっと軽いのかな、とも思うのです。

着床前診断は基本的に実施反対と言いながら、もし社会的にそれがごく普通のプロセスで、気軽に?受けられる時代であったならば、きっと私も受けていたと思います。なんだか矛盾した意見でごめんなさい...。性別はどちらでも...と言いながらも、一人目男の子、2人目女の子、と産みわけに利用していたかもしれません。周りがそうしているのなら、自分も…と思うかもしれません。

けれども、理想通りのパーフェクトベビーを手に入れることができたとして、それで、幸せが約束されているわけではありませんよね。
結局のところ、科学医学の進歩とともに、人間はより理想的なものを作り出すとことに執着してしまっている気がします。根本的に、障害を持って生まれた人や、生まれてから障害を持ってしまった人にとって、住みやすい世の中になったかと言うと、おそらく、長い年月を経ても、その歩みは遅く、社会や人の偏見というものは、今も強く根付いているのだな、と感じざるをえません。つまりどんなに高い技術を駆使するようになっても、人の考え方や価値観は、100年前とさほど変わっていないのだと思います。

生まれてきたときぐらい、パーフェクトであって欲しい、という願いは誰でもあるのだと思います。けれども、そこから人の外的条件だけでなく内面も含めて、心身ともに健康な大人に成長できるように、親として育てることの方がずっと難しいのでは、と思います。障害を持っている人が必ずしも不幸であるとは限らない、ということをもっと社会が認識したとしたら、着床前診断自体不必要であると気が付くのではないでしょうか...私の意見は理想論でしかないかもしれませんんが...。