妊娠・出産・育児

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更年期と出産 南朋  -- 2006/01/24 ..
先月39歳になりました。7歳の息子がひとりいます。1度目の出産後すぐにでも第2子が欲しかったのですが主人が脱サラして独立、新しく事業を始めた為にタイミングを逃してしまい現在に至っています。事業も軌道にのり、私自身仕事にやりがいも感じているので、ひとりっ子でいいやと割り切って考えていたのですが、主人からは娘、息子からは弟をと毎日のように懇願され続け今非常に悩んでいます。と言うのも私に、更年期障害のような症状が最近見られるからなのです。度重なる偏頭痛、夜中の激しい動悸や耳鳴り、天と地がひっくり返ったようにグルグル回るめまい、多汗・・・周囲に心配をかけたくないので誰にも相談していませんが情緒不安定でちょっとしたことでパニックになるなど精神的な不安があるのです。もちろんお医者様にも診て頂きましたが血液検査の結果や血圧などは健康そのものでどこも悪いところはありません。子宮癌検診で久しぶりに内診をして頂きましたが産婦人科の先生からは太り気味なのでもう少しやせるようにとの指示を受けただけでした。こんな私がこの場で高齢出産の相談をするのは本当にぜいたくな甘えた悩みだと自分でもわかってはいるのですが、単なる「葛藤」ではなく不安神経症のような心の問題で妊娠・出産に迷いのある方またはそれを乗り越えられた方がおられましたら是非お話をお伺いしたいです。ただいま更年期障害のような症状は食事療法と漢方薬、大豆イソフラボンなどのサプリメント服用によりかなり軽減されていますがいつまた発作のように起きるのかわからない状態です・・・


ありがとうございました   南朋
同じ様なことがありました。   うさ
乗り越えつつあります〜体験談〜   とろりん




 

   >>> ありがとうございました 南朋   -- 2006/01/24..
 
うささん、とろりんさん貴重なご意見本当に
ありがとうございました。
とても参考になりました。
第1子の妊娠中は、マタニティ・ハイとでも
申しましょうか、気力・体力ともにみなぎり
世界で一番幸せな妊婦のような気がしていました。
あれから7年、たった7年でこんなにも
精神的にも肉体的にもボロがでてくるとは
想像もしていなかっただけにおのれの身体の変化に
戸惑いを隠せないのが今の現状です。

昔TVで野村沙知代さんが40歳を過ぎて産んだカツノリさん
のことを、「命にかえて産んだ子」と自負していた時
命にかえて?出産で?生死にかかわる病気でも
ないのに?大げさな事を言う人だなーと
失笑した記憶がありますが30年以上も前では現在よりも
困難な状況、心の葛藤などさまざまな諸事情が
あったのではと今となっては思いはかることもできます。

自分自身が悩んでいなかった時などは同じく
高齢での出産を懸念している年上の友人に、
「経産婦でしょ?大丈夫、大丈夫、松阪慶子や
 兵頭ゆきを見てごらんよー」なんて
立ち読みの女性週刊誌で得たような
無責任な知識で脳天気な発言をしていた私。
・・・バカでした。

今朝、主人にそれとなく「高齢出産てこんなリスクが
 あるんだよー」と、あわせて私の体調についても
少し話す事ができてよかったのですが
2歳年下の夫は「絶対大丈夫だよー♪」と相変わらずの
脳天気ぶり。
何の保証もないのに「絶対」なんてその確信に
満ちた自信はどこからくるの?
まったく人の気も知らないで!と思ってしまいましたが
同時に、本当に純粋に子供が欲しいんだなーって
いう彼の気持ちも痛いほど伝わってきました。

妊娠すると、この厄介な心の持ち主である私自身の中に
もうひとつの宇宙が存在することになるんですよね。
そして10ヶ月もの間、栄養も環境も時には
感情さえもともにするんですよね・・・
目に見えない閉塞感は私自身の心の中でのこと。
もっと開放しておおらかな気持ちで
第2子妊娠に向けてがんばりたいと思います。

この掲示板に出会えて本当によかったです。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
 





   >>> 同じ様なことがありました。 うさ   -- 2006/01/23..
 
 南朋さんこんにちは。42歳のうさです。私も2年程前からイライラしたり急に不安になったり、夜中に汗ビッショリで目が覚めることが、毎日ありました。主人の転勤や息子が転校を嫌がりなかなか馴染めなかったりしたことも原因だったかもしれません。その時は、女性外来という所でカウンセリングや検査・漢方を処方してもらい、少しずつ軽減していました。でも昨年4月に、主人が転職をして、転居・転校をしました。また同じ症状が出始め、生理の周期もバラバラになり、更年期かも・・・とあきらめていました。
 もうすぐ11歳の息子はずっと兄弟をほしいと言っていましたが、流産が続いたこともあり、一人でいいと思い始めました。仕事を始め自由な時間もとれるようになり、二人目のことは諦めていました。
その間も漢方を飲んだり、豆乳を飲んだりは続けていました。
 何が良かったのかわかりませんが、今妊娠8ヶ月。3月に出産予定です。妊娠だとわかったのも恥ずかしいことですが病院に行ってからです。(更年期で診てもらうつもりでした)
出産が近付くにつれ、元気な子が生まれてほしいとか、また1から育児ができるのかな・・とか、不安です。でも息子はとても楽しみにしています。
 参考にならないかもしれませんが、同じ様な経験をしたので出てきました。
私がカウンセリングの先生から言われた言葉です。「止まない雨はない、明けない夜はない。」誰もが知っている言葉ですが、私は少し楽になりました。
お互い、身体と心に気を付けましょうね。
 





   >>> 乗り越えつつあります〜体験談〜 とろりん   -- 2006/01/22..
 
南朋さん、こんにちは。とろりん、38歳です。息子は5歳で2人目出産を目指していました。

私は結婚直後から、働きながら抑うつの治療を続けています。完治後長男を出産できましたが、息子が1歳のときに再発、また長い服薬生活が始まりました。そして、病気休暇をはさみつつ、昨年秋に服薬をほぼ中断できるくらいに心身が回復しました。

第2子は自分自身半ばあきらめていましたし、夫も「またお母さんがおかしくなるのはいやだ」と望んでいませんでした。しかし、だんだん年齢が高くなる中、今挑戦しなければ一生後悔すると思い、年末に恐る恐る1度目のチャレンジでなんと待望の妊娠!!!私にもやっと春が来るのかと喜びましたが…結果は、流産。それも胞状奇胎との診断に愕然としているところです。持ち上げては落とされるような現実を前に、また抑うつが悪化しないかと心配ではあります。

そんな私ですが、まずは信頼できる精神科の主治医と出会うことが、第2子出産の1歩だと思います。私は幸い、抑うつの再発時に良い先生にかかることができて、そのことが第2子挑戦への原動力となりました。今回妊娠報告をしたときに、精神の主治医がとても喜んでくれたのが不幸中の幸いでした。

そして、夫と一緒に受診するなどして、家族に病気のことをよく理解してもらうことも重要です。精神の病にはいまだ誤解や偏見が多く、初めは家族にも本当のことが言えない状況はよくわかります。しかし、闘病の過程で家族の協力は不可欠です。私の場合はきちんと服薬し、焦らず治療を続けてきたことが、自分の中で大きな自信につながっています(ママ友の第2子ラッシュのときはかなり凹んだけれど)。

精神の合併症を持つ妊婦を受け入れている病院もあるようですので、妊娠・出産の希望を含めて相談にのってもらえるような病院を探すことが大事かもしれません。1歩ずつ問題を解決していければ、もう一度赤ちゃんをこの手に抱くことは、決して夢ではないと思うのです。希望を持って、前進しましょう!