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高齢だと思っているあなたに考えて欲しい バナナプリン  -- 2006/04/21 ..
高齢出産ボイスだけに、人生経験をつまれた知的な議論があり、また価値観、意見の違いを目の当たりにしつつも、自分が賛同する、しない、に関わらず多く学ぶ機会があり感謝しています。あらかじめお伝えしたいのですが、私の一個人の意見ですので、みなさんの様々なお気持ち、経験、意見を否定するつもりはなく、むしろ、色々な意見を歓迎します。一部他コメントのコピーになりますが、私が感じたことを今一度ここで発言させて下さい...。どんな障害であっても生む、育てる、幸せである、とおっしゃる方は偽善者でしょうか?私はそうは思いません。それは親としての覚悟です。覚悟が無いから産むかどうか迷うんではないですか?(覚悟が無いから悪いのではありません)。

私たちはみな不完全ではありませんか。
生まれてから病気や怪我などで体が不自由になることもあるでしょうし、お金の心配や人間関係で悩むこともあるでしょう。また、どんなに年齢を重ねても、自分が自分として親(人)に受け入れて欲しい。勉強が出来るから、仕事が出来るから、性格がいいから、外見が可愛いから、健康だから...それらの理由で社会から自分が必要ないと思われても、自分を産んでくれた親が自分を、ありのままの自分を受け入れてくれる、それがあれば、どんな世の中でも生き抜いていく自信が持てます。それを自分の子供たちも望んでいるのではないでしょうか。どなたかおっしゃっていましたが、「オランダへようこそ」、私もとても好きです。私の人生は確かにイタリアではないかも知れないけれど、オランダの良いところ沢山分かってきました。プラス思考でいくことで今まで何とも思っていなかったことに感謝の気持ちが溢れてきました。奇麗事ではないです。ただ、短い人生を最大限楽しみ喜び感謝して幸せを感じて生きたい。余命わずかでも感謝して生きる人もいれば、長生きしていても、自分の人生に苦しみと不平を感じて不幸に感じる人もいるのですから、結局のところ自分が幸せかどうかは、社会や他人が判断するものではなく、自分の気持ち一つなのではないでしょうか。

親として、どんな子供であっても、受け入れて精一杯の愛情で慈しみ育てていきたいです。子供は自分の所有物ではありません。自己投影でもなければ、世間体の道具でもありません。一つの独立した命です。その重い責任を受け入れられないような過酷な状況に自分がいるのであるならば、まずは自分に心の余裕を持てるように、また自分の心が癒されるように、赤ちゃんを持つことではなく、自分の問題解決、自分自身に目を向けるのが先決ではないでしょうか?私自身自分に言い聞かせていることですが、まずは自分自身を愛して下さい。もっと自信を持って下さい。自分自身への愛と自信があってこそ子供にも生きていくうえで必要な愛と自尊心を教えてあげることが出来ると思うので...。赤ちゃんを考えると同時に、夫婦の仲も良くなるように努力することも重要かもしれません。

自分の子供がどんなに健康に生まれてきて、自分の思い通りの姿であっても、育っていく過程で自分が子供にどう接するかによって子供の心の健康に多大な影響を及ぼし、子から孫へと受け継がれます。逆に、たとえ障害を持って生まれてきたとしても、親の接し方、育て方次第で、子供が何を感じ、幸せに夏ために何が大切だと感じて育つか、多大な影響があると考えます。そして幸せとは、お金や物、健康な体でさえも、それがあることによって自動的に幸せと言えるわけではなく、自分の置かれた状況で最大限の努力と感謝の気持ちを持つことによって初めて感じられることもあるのではないでしょうか。説教じみているかもしれませんが、私自身日々感謝して、無いものではなく、恵まれているものに目を向けて生活するように心がけています。人生はあっという間です。だからこそ、一日一日を大切に、幸せを噛み締めて生きて生きたい。子供にも感謝する気持ちと人への思いやり、自尊心を教えたい。それは、決して偽善や理想主義ではありません。幸せになるために不可欠なものなのです。

どんな赤ちゃんか、を心配すること以上に、どんな風に育てるのか、親としてどんな覚悟で子供を受け止めるのか、責任を果たすのか、ということが重要ではないでしょうか。自分の子供のありのままを受け入れること、それはそんなに勇気がいることなのでしょうか...。親としての本能ではないのでしょうか...。高齢だから、と憂い悩まれている方と出会うたびに言ってあげたい。「あなたには、親として、年齢の若い人には無い、素晴らしい人生経験と思慮深さ、知識と知恵があるではないですか。その経験と自信、豊かな知識と知恵は、子育てにとって素晴らしい糧となるでしょう...。いつか待ちに待ったあなたの子供が、貴方から沢山の愛情を注がれ、自尊心と価値観を学び、大人になったときに、きっと、生まれて来てよかった。幸せだよ、といってくれることでしょう...。」




天使さん、みなさん、ありがとう   バナナプリン
トマトの気持ちさんへ   バナナプリン
出会えてよかった   天使
私の思い違いだといいのですが…   トマトの気持ち
ふみさん、ありがとう   バナナプリン
しずくさん、ありがとうございます   バナナプリン
ちかあきさんへ、   バナナプリン
匿名希望さんへ、   バナナプリン
rinさんへ   バナナプリン
ぶう。さんへ   バナナプリン
ありがとうございます。   ふみ
もっとあらゆる情報を   しずく
感動しました。   ちかあき
確認させてください   匿名希望
正論で最もだとは思いますが。。。。。   rin
わらくさんありがとう   バナナプリン
芽生えた命は誰のものか。   ぶう。
わが息子達にもそう思ってほしい   わらく




 

   >>> 天使さん、みなさん、ありがとう バナナプリン   -- 2006/04/21..
 
天使さん、コメントありがとうございます。
とても貴重でかけがえの無い体験を分かち合ってくださってありがとうございました。天使さんのお話を読んで涙が止まりませんでした。私も全くその通りだと思います。生きようとしている命。その事実は私には決して否定できません。そして、私の友人の事がふと頭に浮かびました。

10年以上不妊治療を続けていた親友が、「どんな子でもいい。健康で無くてもいい。私を親として選んで来てくれるならばそれだけで嬉しいの。」と言っていたのを思い出しました。

ある時悲嘆にくれている彼女にかける言葉も無く、けれども彼女がどんなに子供を欲しいと願っているか痛いほど分かっていたので、「もし私で良かったら、代理出産させて。」と話してみました。自分でもリスクなど考えた上での発言でした。結局法的金銭的医学的に代理出産は難しいだろうと彼女達夫婦の判断で私の提案は却下されましたが、私はあの時に彼女に言った言葉を後悔していませんし、彼女が望むならいつでもそうできる、との気持ちがありました。

私に子供ができた時に、彼女は複雑な気持ちだったに違いありません。けれども、自分の手作りのベビー用毛布を作ってくれて、プレゼントしてくれました。そんな彼女のために私が出来ることは何でもしてあげたい、と思ったのです。その気持ちはこれからも変わらないでしょう。

そんな彼女にもコウノトリは舞い降りて、十数年に及ぶ不妊治療の末に、去年可愛い赤ちゃんが生まれました。その喜びは計り知れません。
育児は予期せぬ出来事もあり、大変そうですが、彼女は今も変わらず言います。「生まれてきてくれたそれだけで十分。勉強をさせなきゃとか、将来こうなって欲しい、とか、そういう期待は無いね。毎日この子といる幸せを噛み締めてる、それだけ。」

奇麗事や偽善と言われても仕方の無い話をまたしてしまいましたが、その友人の信念というか、わが子に対する思い、愛情を感じ取れ、色々と教えられます。そして喜びや悲しみを分かち合ってくれて励ましあえる友人がいることは感謝すべきことだな…と日々感じています。

人の価値観は色々あって当然のこと。正しい答えはそれぞれ違っていていい。それを皆さんから教えてもらいました。

そして、どなたかがコメントされていましたが、こちらでコメントされている方はみな、不妊治療やお子さんを待ち望んで妊娠された方が多く、その上で羊水検査うんぬんという論議が成されたとしても、賛成、反対という単純な言葉では決して言い表せないようなそれぞれの思い、葛藤、苦渋の決断、悲しみ、喜び、が交じり合っていることを再認識させていただきました。それを教えてくださった皆さん、ありがとうございます。今までの自分の偏見を深く反省すると共に、目を開かされた思いです。

最後になりましたが、皆さんの願いが叶いますように…祈っています。

 





   >>> トマトの気持ちさんへ バナナプリン   -- 2006/04/21..
 
トマトの気持ちさん、コメントいただきましてありがとうございました。
最近になって高齢ボイスを知りトマトの気持ちさんの投稿もよく読んでいますが、過去に色々な葛藤があったのですね…また読ませていただきたいです。

時間が経ってから振り返ると、なんだか感情のままに書いてしまって、意味不明、理屈っぽくて、ドン引き?されてしまっても仕方なかったかなあ…なんて反省している今日この頃です。

友人の間で、普段の私は何の悩みも無さそうな?能天気で明るいだけが取り得の人間に思われているようで、もちろん日々の生活の中でこんな風に感情が高まった発言を友人にすることはあまり無いのです…。けれども、たまにふと色んな事を突き詰めて考えたい、と思う時があるのです…。この掲示板だからこそぶつけてしまう、それが自分にとっては大切なことであっても、他の方から見ると?????ってこともあることでしょうね…。でも今回のスレッドを通して、自分が考えていることを受け止めてくださって、誠実で率直なコメントをしてくださった全ての方々に心から感謝しています。今後は読む方専門に戻りたいとは思っていますが、これからも明るく楽しく子育てしていきたいと思います。

トマトの気持ちさんに色々考えさえてしまってごめんなさい!
 





   >>> 出会えてよかった 天使   -- 2006/04/20..
 
初めまして。
高齢出産で21トミソリー、ダウン症の子を産みました。
不妊病院に通いやっと出来た子だったのでどんな子でも産む覚悟で羊水検査はしませんでした。
分娩台で染色体異常の疑いがあると言われ
それから毎晩病室では泣き続けていました。
それに伴い合併症の心疾患・・・。
その時は絶望的で、悲劇のヒロイン状態でした。

昨年4月に息子は手術をしたにもかかわらず1歳4ヶ月で天使になってしまいました。
でも産まなければよかったとは一度も思いませんでした。
むしろ産んでよかった。
出会えてよかったです。
信じてもらえないとは思いますが、
また子供が欲しい・・・それも・・・ダウン症の子が生まれてきたら嬉しいって思っています。
私は偽善者でもなんでもありません。

ダウン症・・・それだけで、私は息子の成長に期待をしませんでした。
ダウン症の子は成長が遅いのでのんびり構えていましたが、
うちの子の場合は
4ヶ月で歯が生え始め
6ヶ月ではトイレでうんちが出来るようになり、
おしっこもさせればトイレで出来るようになったので
1歳で入院したときは検尿用紙コップにおしっこを採ることできました。
(すいません、親バカの自慢でした^^)
期待していないわけですから、出来ないと思ってることが出来ると
それはそれは大喜びで、普通以上に喜びを感じさせてもらったと思っています。

現在50歳代のダウン症の方が近所にいますが、
その方が子供の頃は普通の学校では受け入れが無く
自立支援もなかったそうです。
でも今は早期療育などで訓練をさせてくださり、
幼稚園も学校も普通に受け入れてくれるところも多いです。
実際大学を卒業して英語をマスターし翻訳のお仕事していらっしゃる方もいます。

長くなってすみません。
私がいいたいことは・・・うちの子はダウン症でとても短い命でしたが
出会えてよかったってことです。
不妊で子供が出来なかった時期を振り返るとやっと授かった命でしたし
やっぱり産んでよかったです。
そして今は少しずつですが社会も受け入れてきてくれています。というちょっとした情報提供でした。

私はバナナプリンさんの意見に同感です。
授かった命が自ら生きていくことをギブアップしたとき、
流産してしまうんだと思っています。
でも生きようとしている子はお腹の中で一生懸命頑張っているんだと思います。
息子が生まれてすぐ母乳をあげた時、吸う力が無くて全然吸えていないのに
一生懸命口を動かして吸おうとしているのを見たとき
生きようとしているんだと感じました。
頑張っているんだから私がメソメソしていたらダメだと思いました。

もちろん私も反対意見があって当然の事だと思っていますし、
反対意見の人を責めるつもりもありません。
ダウン症でも幸せいっぱいだったという事も皆さんにちょっとでも
知っていただけたらと思いました。
 





   >>> 私の思い違いだといいのですが… トマトの気持ち   -- 2006/04/19..
 
バナナプリンさん、はじめまして、トマトの気持ちといいます。

私の羊水検査に対する思い、考え方は、過去ログVol7にイヤというほど書き込んであるので(^^;もし良かったら、そちらを読んでみてくださいませ。
最近の発言は、その想いから少し落ち着いたところからの言葉になっていると、自分では思っています。


さて、今回、レスしたく思ったのは、そのこととはまた別に、これは私のホントに思い違いかもしれないけれど…、何となく文章の取りまわしというか、書き方が、その頃の自分に似ているように思えて、そして其処からの引っかかりなので、まったく違っているかもしれないことです。

バナナプリンさん自身が、今、何かしらの心の中で切羽詰っていませんか???
このスレットの書き込み、さらにそのレスを読むにつれて、その危機感っていうか、張り詰めすぎているような気がしてならないのです。。。
うまく表現できなくて、もどかしいのですが、時に理詰めで考えることも必要ですが、本当は感情の爆発が必要なときが迫っているのではないかしら?
どんな理不尽で自分で納得の行かない想いが心にもたげて来ていたとしても、それもまぎれもなく、自分自身です。それも認めてあげる必要があるのかも??

的外れだったら、トマトは何を言ってるんだ??をいをいと笑い飛ばしてやってくださいませ。。
失礼致しました。
 





   >>> ふみさん、ありがとう バナナプリン   -- 2006/04/17..
 
ふみさん、心動かされました。息子さんの力強い言葉に...。心配する親をよそに、子供の持つ愛の大きさ、笑顔、素直さ、それらに大人の方が心癒され、成長させてもらう機会を与えられているのですね...。

実は私も元来かなりマイナス思考です(汗)。
子供の頃結婚に対するイメージがあまりにも悪かったため、私は一生独身で男には頼りたくない!自分のことも愛せないのに子供の事をちゃんと愛せるか自信が無いから子供も産めないだろうな...なんて後ろ向きな考えの持ち主だったので、その頃まさか将来自分が3人の子持ちになろうとは予想もつきませんでした。

それでも、そんな私が結婚してもいいと思える人に出会うことができて人生が180度変わったと思います。本当に奇跡としかいえません(笑)。もちろんそれでも子供の頃のトラウマというか、精神的な葛藤があり、自分に自信を持つことはいまだに難しい時があります...。結婚生活13年になりますが、その間も波乱万丈?でした。ルーツをたどっていけば、それは自分の父親、その親…と原因?は分析できるんですが、私の代でそろそろこのマイナス思考というか負の連鎖はストップさせねばならない、ということに気がつきました。

自分の中で、人生に期待しちゃいけない、人には必ず裏切られる…という心の準備?というか、傷つかないように自分を守る防波堤を作ってきたような気がします。けれども、その壁のために、本当に大切な人にさえも素直になれずにいた自分がいて、幸せを幸せと感じられなかった時も多々ありました。本当に自分の幼稚で卑屈な性格にうんざりしたこともあります。

幸せの足かせになっていた、自分の弱点を結婚によって、子育てによってまざまざと痛感しました。子供に対しても全力で愛し守っていこうと思いながらも、忍耐力の無さや必要以上の期待でもって子供たちにプレッシャーになっている気がします…。


<私はまだ、一人の人として親としてどう生きるのか、悩み続け、模索している最中です。
困難にぶつかったときも、生活の中の小さな幸せのおかげで人生って意外に捨てたもんじゃないと思います。
もがき、不器用に生きる私を見て、何かを息子が学び取ってくれればと思います。結局はこの子が私を母親になれるように育ててくれているのかも知れません。

私も同じ思いをしています。一人の人として親としてどう生きるのか、信念を持っているつもりでも、たえずそれで本当に正しいのか、悩み葛藤します。
けれども、まだ見ぬことを憂うのではなく、今ある生活の中の小さな幸せをかみしめて楽しみ、喜びを見つけて生活するように心がけています。
そして、同じく不器用な私ですが、子供達によって母親になれるように育てられている気がします。20歳の頃、キャリアウーマンになることが幸せの近道だと信じていた私ですが、確かに何かが変わったんだと思います。

自分でコントロールできることは最善を尽くし、予測不可能なことについては、悩みもがきながらも、自分なりに納得のいく答えを見つけて進んでいけたら、と思います。頑張っているみなさんにエールを送りたいです。頑張りすぎないで、時には休息しながら、人生を楽しみましょう…。



 





   >>> しずくさん、ありがとうございます バナナプリン   -- 2006/04/17..
 
しずくさん、ご意見ありがとうございました。
私の方こそ、何が言いたいのか明確に伝えられなかったらごめんなさい...。また、もし何か不快感を与えるような発言をしてしまっていたらごめんなさい。

>障害に対する知識をたくさん持っている私にとって、今の世の中で障害児を持ちたくないという気持ちはわからなくもないですが、本当に100%そう望むのであれば妊娠自体不可能になると感じています。
羊水チェックを受けるかどうかを悩むと同時に障害児を持った場合にどんな暮らしが待っているのかについても知って(知らせて)欲しいと思います。

同感です。現実的な情報や知識、体験談を聞くことは大切だと思います。また、関わる医師が出産まででなく、その後どのような連携でフォローしていくのか、ということも課題であり、また社会の認識も現在の状況では厳しいのが現状だと思います。
私にとって親友だと思える大切な友人がいますが、彼女は障害を持つ子供を育てています。もう一人子供が欲しいと思うものの、その子のお世話があまりにも大変だという事と、次の子供も障害を持つ可能性が高いと医師に言われていることから、おそらくもう妊娠の選択はしない、と言っています。それでも時に赤ちゃんが欲しい、と悩んでいる姿を見て、「私よりずっと若いんだから、今すぐ決める必要は無いよ。きっと産めるよ!」と言いそうになる自分がいます。
でもそれがどんなに無神経で軽はずみな発言であるかを考えて、何も言えないでいます。ただ彼女と彼女のお子さんとは家族ぐるみでお友達です。そして彼女から、また彼女のお子さんから学ぶことが沢山あります。彼女の苦しみや葛藤をどんなによく理解しようとしても限界がありますが、少なくとも彼女と彼女のお子さんのありのまま全て含めて好きです。

奇麗事では済まされない現実があります。それらから目を背けることなく、個人が、社会が、寛容で住みやすい世界を作っていく必要があります。もちろんそれはある意味で理想論であり、現実はもっと厳しいものかもしれませんが、たとえ少数派になったとしても、そんな社会の実現を望み、子供たちにも心の壁を取り払い人の痛みの分かる人に成長できるように教えてゆきたいものです。自分の信念を持つことと同じく、別の価値観についても、同調できなくとも、尊重できる、そんな人でなくては、と心に戒めています。

しずくさん、色々と考えさせてくださってありがとう。また色々な場でご意見お聞きできることを楽しみにしています。
 





   >>> ちかあきさんへ、 バナナプリン   -- 2006/04/17..
 
ちかあきさん、お辛い経験をされましたね...。でも本当に息子さんはあなたのもとに生まれて幸せだったことでしょう...。

私は全然良い親ではありません。いつも自分の子育てに対して、これでいいのかな?と自問自答しながら生活しています。でも、後悔が無いように、一日一日を過ごしています。

私の長男は2年ほど前に脳の病気を指摘されました。目に異常が見つかり脳腫瘍の可能性があったので、MRIをしたところ、脳腫瘍ではありませんが、別の病気が見つかりました。とても希な病気で治療はありません。今のところは普通に生活していますが、今後どうなるのか、脳外科医にもわかりません。
勉強やスポーツも大好きで、弟の面倒も良く見てくれて、素直で明るくてとてもいい子です。どうしてこのような病気が...、どうしてこの子に、どうして神様はこんな試練を与えたのだろう...と悩み悲しみました。変われるものなら変わってあげたい、とも思いました。本人にはもちろん知らせていません...。でも、告知を受けたその日から、今まで当然に思っていた健康の有難さや、自分が生かされている、という事実を強烈に感じ、もっともっと親としてできることは無いか、と考えるようになりました。

そしてまだ起こっていない未来の出来事に対するおそれや不安のために、今あるこの大切な時間を暗く悲しい時間に取って変わられることは出来ませんでした...。今こうやってこの子はしっかりと生きていて、この子の笑顔が見られる幸せ...。それだけを考えて私も共に生きていこうと、決心しています。

誰のせいでもなく、自分が何かの罰を受けているのでもないのです。
人生には予期せぬこと、コントロールできないことが沢山あります。
でも、自分の思い描いていた未来と現実が違っていたとしても、その時に、自分がその運命にどう直面し、逃げることなく、一日一日幸せを噛み締めて生きられるのか...。
毎日泣いたり笑ったりしながら、悩んだり迷ったりしながらも、自分がもっとポジティブになれるように日々努力しているつもりです...。

このサイトで皆さんの投稿を読むたびに心潤い、心が安らぎます。

>亡くなった息子は私にいろんな物を残してくれました。
それは、自分が生んだ子は何にも代え難いとても大切な命である事。
親として自分のお腹に宿った以上、生んで分け隔てなく育てる、
我が命をかけても守り育てていく義務がある事。
どのような状態で生まれても、喜んで責任持って育てたい。
これは、子供を亡くして私も初めて感じた事です。

ちかあきさん、ありがとう。
 





   >>> 匿名希望さんへ、 バナナプリン   -- 2006/04/17..
 
コメントありがとうございました。

>これは、先日からの「羊水検査」に関連してのものなのでしょうか。高齢母そのものだけでしたら、大多数の方が胸をはって育児にたずさわることができると考えます。特にこのサイトでみかけられる方たちは素晴らしい方ばかりです。ですから、あえてその事を取り上げなくても、みなさん誇りを持っていらっしゃるのではないでしょうか。

みなさん素晴らしい方達ばかりで、いつも感動しながら読ませていただいています...。でもあえてその事を取り上げさせていただいたのは、匿名希望さんのおっしゃるとおり、「羊水検査」に関連するからです。
あのスレッドで、私はそれぞれの方の投稿に涙しました。というか、こんなに泣いたことは無いぐらい泣きました...。今回のコメントでも、涙が出て仕方ありませんでした...。いつもは読むだけにしているのですが、どうしても、自分の心が抑えきれなくなって投稿してしまいました...。気分を害してしまったらごめんなさいね。

羊水検査についてはそれぞれの判断にゆだねられるべき問題であり、他人が決めることではありません。けれども、悩んでおられる方に対して、あるいは、「あなたならどうしますか?」と問われた時に、「自分だったら、こう思う。」ということで発言することはとても意義のあることだと思います。
それぞれの経験や価値観に基ついて、経験や意見を分かち合うことはとても貴重なことであり、もちろん公共の場で発言するわけですから、それを見た人の気分を害することや、誤解が生じる、というリスクもあるわけです。

けれどもあえて、皆さんが発言されているのは、悩んでいる方の気持ちを考えて発言されているものがほとんどであり、決して他の人の考え方を否定しているわけではありませんし、何が善で何が悪か、何が良くて何が悪いか、そういったことを議論することに争点があることは本意ではないはずです。

<「親になる覚悟」「障碍」というフレーズが前半部分にあるので、高齢なるがゆえに起こり得る障碍児出産にまつわることにポイントを置かれていらっしゃるのではないか、と読み取れたもので。もしそうであれば、投稿主旨も変わってくるのではないか、と思うのです。

私は特に何かにポイントを置いているのではなく、また、誰かを責めているつもりもありません。でも、もし何か私の投稿趣旨について読み取ることができたのであれば、また投稿趣旨について考えられた点があるのであれば、それは各自の判断にゆだねさせていただきたいと思います。

ただ、一つだけとても悲しかったのは、心からの誠実なコメントを出されている方に対して、かなり酷い発言があったことです。その発言をされた方を非難しているのではなくて、その方が、どんな境遇にあって、どのような心身ともに過酷で辛い立場にいるのか...ということを考えた時に(そのような状況にある方でなければそういった発言を他人にすることは考えられなかったので)、本当に悲しくなり、涙が止まりませんでした...。自分がしていると思っている苦労の何倍もの苦労をこの方はしてきているんだろうか...と思うと同時に、本当にその方が幸せで、明るい気持ちで生活できる日が来ますように...と願わずにはいられませんでした。

ですから、どちらかというと、上からモノを言うつもりではなくて、エールを送りたい気持ちで投稿したのですが、匿名希望さんに本意が伝わると良いのですが...。コメントありがとうございました。
 





   >>> rinさんへ バナナプリン   -- 2006/04/17..
 
rinさん、はじめまして。コメントしていただきありがとうございます。
確かに正論で極論だと捉えられても仕方の無い投稿だったのかも知れません。気分を害する発言をしてしまったらごめんなさいね...。だれしも最初から完全な覚悟があるとは限らず、子育てを通してだんだん親として成長するものだと、私も思います。私自身も頭では分かっていても実際はいつも反省することばかりでとても自分が立派な親だとは思いません。むしろ、子供から教えられることの方が断然大きく、毎日新しいことを学んでいます。

>覚悟のある人も無い人も居て当然だと思います。良い悪いの問題ではなくてその人なりのキャパと言うか。。。。

その通りだと思います。良い悪いの問題ではないです。キャパは人によって違いますし、ただがむしゃらに頑張れば良いというわけではありませんね。

>親の本能と書かれていますが他の動物のように本能があるなら虐待や子殺し(中絶も含め)は無いはずです。高等動物なのに最低の動物かも知れません。

動物には「罪の意識」や「後悔」という気持ちはありませんよね。
それが動物と人間の決定的に違うところの一つでしょう。
人間は誰しも完全では無いので、間違いを犯さないというということはありません。悩むこと、間違った決断をすることはそれ自体自然なこと、避けて通れないことです(私自身間違った決断を何度もして後で痛い思いをしてきました)。けれども、大切なのは、一度自分が決めたら、それを人のせいや環境のせいにせず、自分の信念を通していかねばなりませんし、それから来る責任や結果を謙虚に受け止めることになる、ということです。そして出来れば、次に何かを選択する状況に遭遇した場合、過去の経験を踏まえて、自分が納得できて、後悔の無い選択をすることになります。

私自身の価値観を押し付けるために発言したつもりは無いのですが、投稿した時に少し感情的になっていたようです。もっと冷静になることも必要だと感じました...。一気に書いて読み返すこともせず投稿したので、とても身勝手に聞こえたことでしょう...それでも読んでくださって、お返事いただきありがとうございました。
 





   >>> ぶう。さんへ バナナプリン   -- 2006/04/17..
 
ぶう。さん、本当に辛い思いと決断を経験されたんですね...。どんな慰めの言葉も軽々しく聞こえてしまうと思うのでぶうさんのお気持ちを考えるとただただ涙が出ました...。

それぞれの人生に色々な予期せぬ出来事があり、その時々にそれぞれが自分の気持ちに正直になって直面し受け止めていくしかないんですね...。
でも、自分で悩みぬいて決意したことだから、きっと後悔の無い決断であったと思います...。

>中絶した方を責めてるわけではありません。
悩んでいる人たちに、私のような考え方をする人もいるって知ってもらいたかったんです。
この問題には正解はありません。
ひとりひとり出した答えが、正解なのです。

私も同感します。一人一人出した答え、それは誰が責められるものではありません。それぞれが自分で決意し、その結果を受け止めて、共に生きていくしかないのですから...。その時に選んだ道がずっと後になったとしても、長い時を経たとしても、確信になり、幸せに繋がっていること絵を願います。ぶうさん、辛かったと思いますが、赤ちゃんのことを一生懸命考えてあげられたんですね...。幸せな時間をもたらしてくれた赤ちゃん...生まれてこれなかったけど、その子が存在した意味は確かに大きかったんだと思えてなりません...。
 





   >>> ありがとうございます。 ふみ   -- 2006/04/17..
 
こちらに意見をよせる方々は本当に思慮深く、感情的になった自分の浅はかさが恥ずかしく、情けなくなります。

バナナプリンさん、ありがとうございます。
あなたのように強く、生きれたらと思います。

わたしはダウン症の子が生まれてきたからこそ幸せをより感じています。
ですが、当然、妊婦の時は(別の障害の可能性を指摘されていた)揺れ動く毎日でした。
どんな障害だろう?どんな子が生まれてくるんだろう?どんな問題があって私にそれを乗り越えられる力があるのだろうか?

生まれてきたら、想定外の知的障害児?
再び「ええ!聴いてたのと全然違うじゃない。」と思いましたよ。

今が穏やかな毎日であるだけに嵐のような毎日のこと、忘れてました。
自分の子だから、可愛くて大好きで、なのに障害の事実は受け止められない。
自分が情けなくて悔しくてどうしていいかわかりませんでした。
ある時、受け入れに2年かかるのが普通だと言われ、力が抜けました。
なんだ、そうなの、ってね。

いざ、生まれてみたら、覚悟が出来てても心が揺れ動き、そんな自分に憤りを覚えながら、日々が流れていく、そんな感じでした。
それが多くの人の通る道であると思います。

かつての私は泣いていて、今の私は幸せにひたっている。
さて、この先の私は・・・?

あの時、もう、おしまいだと一瞬、思ってしまった私。
21トリソミーを育てるとはこういうことだと知っていたら、あんなに悩むことも苦しむこともなかったと思います。
一番の恐怖は未知なる物に対しての不安から来ているのではないか?

おしまいだと思ったのにこんなに楽しい日々がある。
人生、本当におしまいのときなんてそうそう、ないものだなと思います。

実はかなりのマイナス思考の私、
だからこそ、歌います。
ケセラセラ、なるようになる〜 明日のことなどわからないわ〜


死の淵をさまよい、舞い戻ってきた息子を抱きしめながら、毎日のように涙浮かべて大好きだよと囁いていた私。
この子が最初に言った言葉は「かあさん」や「まんま」ではなく、「ちゅき!」でした。

論点がずれてますね、ごめんなさい。
私はまだ、一人の人として親としてどう生きるのか、悩み続け、模索している最中です。
困難にぶつかったときも、生活の中の小さな幸せのおかげで人生って意外に捨てたもんじゃないと思います。
もがき、不器用に生きる私を見て、何かを息子が学び取ってくれればと思います。結局はこの子が私を母親になれるように育ててくれているのかも知れません。





 





   >>> もっとあらゆる情報を しずく   -- 2006/04/16..
 
障害を持って生まれてくる子を受け入れるかどうかが個人的な親の覚悟の問題にされてしまっている世の中を残念に思います。
どんな障害を持っていたとしても当たり前に生きていける世の中であれば、こうまで障害児を産むことにためらいや畏れを感じる必要はないはずです。
高齢出産における障害児の発生率や羊水チェックの情報ばかりが知らされて、障害児をどう育てればいいのか、いったいどんな形で助けてもらえるのかといった情報は障害児を持った親が必死に探してこないといけないのが今の状況です。

私は障害者を支援する仕事をしています。
いろいろな障害を持つ人とのお付き合いも20年以上になりました。
どうやって育てればいいのかも、自分たちが先立つ前に仲間や支援者を増やし、自立させてやることが可能だということもたくさんのロールモデルが目の前にあり、イメージすることができます。
産まれてきた我が子が障害児であった場合にショックを受けるのは確かだと思いますが、受容も立ち直って歩き始める自分もイメージすることができ、障害児を持つことに対する不安は何も知らない方に比べれば格段に少ないと思います。
要するに知っているか知らないかの違いがとても大きいのです。

正しい知識も持てずに障害のある子をぽんと腕に抱かされれば絶望するのは当たり前だと思います。
避けられるものなら障害児など産みたくないと思うのも無理のないことだと感じます。
もっと障害児やその家族が暮らす姿が身近に感じられる世の中になって欲しいです。
足りないなりに障害児を育てるための支援があること、自分だけでなくすでに障害児の親として暮らしている先輩や仲間がいることを知らせて欲しい。
もっとどんな子でも安心して育てていける世の中になって初めて、命の重みを考えることができ、親としてどんな子でも受け入れる覚悟も持てるのではないかと思えてなりません。

我が家には出生前診断ではわからない発達障害を持つ子がふたりおります。
次の子はもしかしたら知的障害を伴う自閉症の可能性も高いと覚悟しております。
当然これも出生前診断ではわかりません。
障害に対する知識をたくさん持っている私にとって、今の世の中で障害児を持ちたくないという気持ちはわからなくもないですが、本当に100%そう望むのであれば妊娠自体不可能になると感じています。
羊水チェックを受けるかどうかを悩むと同時に障害児を持った場合にどんな暮らしが待っているのかについても知って(知らせて)欲しいと思います。

障害児の親になるということに焦点を当てて書きました。
バナナプリンさんの趣旨からはずれていたらごめんなさい。
 





   >>> 感動しました。 ちかあき   -- 2006/04/16..
 
バナナプリンさん、はじめまして。ちかあきといいます。

とてもすばらしいご意見、何度も読み返し、何度もうなずき、
心が温かくなりました。

お子さんをほしいと願っている全ての方が、
バナナプリンさんの様に思えたら、
子供を持っていない人も、このように皆が思えたら、
きっと日本は健常者も障害者も皆平等に暮らせるのに、と思いました。

私は今年の2月に障害を持つ息子を1才10ヶ月で亡くしています。
息子が生きている時は、毎日が息子の介護中心の生活でしたので、
自由がなくとてもイライラしていました。
何度も障害を持つ息子を心から愛せないと思いました。

でも急性脳症であっという間に亡くなり、
突然目の前から息子が消え去り、もう2度と会えないと知った時
(障害を含め、障害を持っていた息子がかわいくて大好きだった。
だから息子の事では一生懸命になれた。)
と思えました。

また子供がほしくなり、授かれる様頑張ってみるつもりですが、
たとえ授かれても羊水検査はしません。(息子の時はしました)
障害を持って生まれても、育てていく自信あります。

亡くなった息子は私にいろんな物を残してくれました。
それは、自分が生んだ子は何にも代え難いとても大切な命である事。
親として自分のお腹に宿った以上、生んで分け隔てなく育てる、
我が命をかけても守り育てていく義務がある事。
どのような状態で生まれても、喜んで責任持って育てたい。
これは、子供を亡くして私も初めて感じた事です。
体験していないとなかなか思えないかもしれませんが、
でも、お腹に宿った命は尊いかけがえのない命であると、
赤ちゃんを望まれる方が思っていただけたらいいな・・・と思いました。

バナナプリンさん、本当に貴重なすばらしいご意見をありがとうございました。
 





   >>> 確認させてください 匿名希望   -- 2006/04/16..
 
投稿させていただきたいのですが、論点がぼけてしまいそうなので、確認させてください。

これは、先日からの「羊水検査」に関連してのものなのでしょうか。高齢母そのものだけでしたら、大多数の方が胸をはって育児にたずさわることができると考えます。特にこのサイトでみかけられる方たちは素晴らしい方ばかりです。ですから、あえてその事を取り上げなくても、みなさん誇りを持っていらっしゃるのではないでしょうか。

「親になる覚悟」「障碍」というフレーズが前半部分にあるので、高齢なるがゆえに起こり得る障碍児出産にまつわることにポイントを置かれていらっしゃるのではないか、と読み取れたもので。もしそうであれば、投稿主旨も変わってくるのではないか、と思うのです。

2段落目からの要旨は「高齢」だけではなく親になる人すべてに共通するのではないですか?
 





   >>> 正論で最もだとは思いますが。。。。。 rin   -- 2006/04/16..
 
はじめまして、45歳シングル3人の母です。
バナナプリンさんの言う事は凄く正論です。しかし極論のようにも思います。冒頭に書いておられるようにみんな不完全なんですよ。だから覚悟のある人も無い人も居て当然だと思います。良い悪いの問題ではなくてその人なりのキャパと言うか。。。。

それに年齢と人生経験、知恵、知識などは全く無関係だと思います。20歳でもとてもきちんとした行動や言動が出来る人もいますし、40歳を越えてもいい加減な人も居ると思います。全体的には私はバナナプリンさんの意見には賛成ですが、すこし決めつけ過ぎのようにも思います。

たとえばガンの告知を覚悟できている人に言ったとして必ずしも平気とは限らないのと同じで、障害を持つ子供を受け入れる覚悟をしていても実際には受け入れられない人も居るのです。逆に凄く不安がっていた人なのにいざと言う時のは覚悟が出来たりと。。。人間はやはりその時の状況や立場にならないと分からないと言うのが現実ではないでしょうか。最初からパーフェクトな親なんか居るんでしょうか?子供を産んで子供を育てながらだんだん親になっていくのでは?

私は3人子供が居ますが全部父親が違います。二番目の子供は子供の父親と別れた後に妊娠が分かったんです。最初は中絶するつもりで手術まで予約して手術台の上に乗って麻酔が入る直前に「やっぱり産みます」と言って産んだ子供なんです。一人目の事を考えるとなんでこの子だけが生まれる権利を奪われるのかと考えて産む決心をしました。でももしこれが最初の子供ならどうなったか分かりません。私は一人目で学習した事が多く有った訳です。中絶が悪い事は誰だって知っています。しかし産める産めないは別の問題だと思います。

障害児だって受け入れるくらいの覚悟は妊娠すれば皆望むのでは?でも、実際に受け入れられるかどうかはやはり別の問題だと思います。

親の本能と書かれていますが他の動物のように本能があるなら虐待や子殺し(中絶も含め)は無いはずです。高等動物なのに最低の動物かも知れません。

悩む事は悪い事では無く答えまでのプロセスだと思います。このサイトでその悩みから少しでも脱出できたら良いじゃないですか。高齢だから出る勇気と高齢であるが故に持つ不安は相反するのでは?私も偽善とは思いませんが自分が平気だから他人も平気とは限らないように思います。人それぞれの物差しは違って当たり前なのでは?

これはあくまで私の意見です



 





   >>> わらくさんありがとう バナナプリン   -- 2006/04/16..
 
わらくさん、いつも力強くて心温まる投稿読ませていただいています。
わらくさんとは共通点が沢山あります! 3兄弟を育てていることや(うちは7歳、3歳、1歳です)、料理が好き、そして、何も無い田舎の山を走り回っていた子供の頃!! 昔は嫌だった田舎暮らし...でも夏休みに子供たちを連れて帰る度、子供たちが虫かごと虫取り網を持ってトンボやカブトムシを取りに走りまわっている姿を見るたびに、田舎で育った幸運を感じています。不思議ですよね(笑)。 

私も子供の頃親に愛されていないのでは、と思ったことがありました。父がアルコール依存症で母に暴力を振るう姿を見て育ち、自分がいい子じゃないから父はこうなってしまったんだと考えたことや、自分の存在は親にとって何の価値も無いのではないか、と悩んだこともありました。でも、それらの経験も含めて、今、親に感謝しています。自分をこの世に産んでくれたこと、父自信子供の頃に経験した悲しみ苦しみを理解することが出来て、今自分が父と母を優しく包めるようになったのも、自分が年を重ねて色々な苦労や喜びを経験した体と思うのです...。悲しみ苦しみは時が癒してくれることもあるんですね...。子供の頃の葛藤や悩みを乗り越えて自分が一回り成長できた気がします。

そして、自分の子供には楽しくて幸せな幼少期を過ごさせてあげたいのです...。しつけは厳しくしているつもりですが、笑顔で他愛も無いことで笑っっている子供達を見ると、不安やおそれも無く、素直で元気いっぱい明るく育ってるのが感じられ、親としてこれ以上の喜びはありません...。

このサイトのみなさんは本当に思慮深い方ばかりです...。とても素晴らしい親になれる才能をお持ちだと思います。赤ちゃんを望んでいらっしゃる全ての方にいつの日か可愛い赤ちゃんが授けられますように、また、子育てをされている皆さんが、忙しさや疲れの中にも、お子さんの笑顔で癒されて子育てを楽しまれますように、心から願っています...。
 





   >>> 芽生えた命は誰のものか。 ぶう。   -- 2006/04/15..
 
バナナプリンさんはじめまして、ぶう。と申します。

>親として、どんな子供であっても、受け入れて精一杯の愛情で慈しみ育てて>いきたいです。子供は自分の所有物ではありません。自己投影でもなけれ
>ば、世間体の道具でもありません。一つの独立した命です。

バナナプリンさんのご意見に同感です。

私は17週の時におなかの娘が、短命と言われている18トリソミーと分かりました。

羊水検査後すぐの超音波で、娘は可愛くクネクネと動いてくれました。

胎児頚部浮腫が12週に見つかったので、その時から染色体に異常があるからといって、中絶するのは出来ないと思っていましたが、かわいい姿を見たとき、どんな結果であろうと中絶はできない!と強く思いました。

結果を聞いたとき、絶望的な気持ちになりましたが、生きること・死ぬこと・生まれてくることを考え抜いた時間を持つことができました。
そして、おなかの中の子の命は誰のものか・・・・それはおなかの中の子のもの、私のものではなく、娘の命は娘のものだと思い、妊娠期間を過ごしました。

娘は予定日の日に心臓が止まっていたので、私は障害児を育てることはできませんでした。なので、偉そうな事を言える立場ではありませんが、死産を通して娘から教えられたことはたくさんあります。
幸せな時間もいっぱいいっぱいもらいました。

そして、次の子を授かることができたとして、次の子にも何かあったらどうしようという迷いは無くなりました。
娘は受け入れて、次の子がまた染色体異常だったら中絶するという事は出来ないです。
もしも、染色体異常だったら・・・・そりゃ泣くと思います。でも、泣きながらでも育てていく。

オランダへようこそ!に書かれているように、自分の想い描いていた未来とは違ってしまったけど、そこにたどり着いたからこそ得られる幸せがあるんです。

私は偽善者と言われても良い。
おなかの子の命はおなかの子のものです!!!


中絶した方を責めてるわけではありません。
悩んでいる人たちに、私のような考え方をする人もいるって知ってもらいたかったんです。
この問題には正解はありません。
ひとりひとり出した答えが、正解なのです。
 





   >>> わが息子達にもそう思ってほしい わらく   -- 2006/04/15..
 
こんにちは わらく です。
私は45歳、三人の息子達は8・6・4歳になりました。

35歳で結婚して、自分の中では「三人欲しいけど、無理だろうなぁ…」と
思っていたら、すっかり希望通りになり本当に嬉しくてたまりません。
このサイトに遊びに来て、自分達は本当にラッキーなんだとあらためて
思っています。
母業初心者のうちは、「この子だけ年寄り母でかわいそう…」なんて悩んだ
こともあります。 実際一人で泣いたこともありました。
でも、二人・三人と子供を産むと、そんなこと言っていられない!
とにかく悩んでいるヒマがあったら動け動けでここまで来ました。

以前投稿したメッセージですが、

高齢ということは、それなりに経験があるということです。
仕事でも人生でも何かしらの知恵がある。
いざというときの信じられない力も持っていると思っています。
それを自信にして笑顔で過ごしませんか?
『笑う門には福来たる』とは本当だと思います。
子供が出来てから、あんなに卑屈だった自分が影を潜め、明るい母を
めざす自分が日常になりつつあります。

前からこんなこと書いていましたね。

子供の頃から出来の良い兄弟達と比べられて卑屈に育った私が、
母になるということで大きく変わりました。
何事にも負けちゃいられない! そんな気分です。
高齢ということは、それだけ長く生きているということ。
若いママにはお肌の張りや体力ではかなわない分、経験と知恵で
ついていきましょう。 張り合うこともない、共存です。
どちらにもそれなりのいいところがあると思えば、高齢も個性です。

今まで経験してきた総てが、今の子育てにつながっている気がして
本当に人生には無駄がないものだと思います。
ただ好きだったお料理やお菓子作りはもとより、何もない田舎の山を
走り回っていたことまでが経験豊富な母となって役立っています。

高齢だからと悩むのもわかりますが、そんなに悲観することはないと
思います。 自信を持って胸を張りましょう。

高齢だからこそ欲しくて出来た天使達。
孫は見られないかもしれない分(笑)子育てを愉しみましょう。

そして、これからママになろうとしている皆さん。
可能性を信じて頑張って下さい。 陰ながら応援しています。

最後にバナナプリンさん、ステキな話題をありがとうございます。