妊娠・出産・育児

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昨日と今日 その1 こんこん  -- 2006/05/08 ..
 昨日は亡くなった息子の6才の誕生日でした。そして今日は6回目の命日です。
 6年前・・・元気に産声をあげた息子。出産でへとへとになってた私は分娩室でうとうとしていた。夫が分娩室から出て行ったことも気にもとめていなかった。2時間後、医師が深刻な表情で部屋に入ってきた。その時36才だった私は「もしかしたら子どもに何か障害が見つかったのかな?」そう思った。しかし医師から出てきた言葉は「亡くなった・・・」という内容だった。息子に対面した。まだ暖かかった。出産直後はあまりゆっくり顔を見る余裕がなかった息子をまじまじとみたら本当に可愛かった。その日は亡くなった息子と一緒にベッドで寝た。亡くなった原因を知るために解剖をするかどうか考えておいて欲しいと言われた。こんなに小さな身体にメスを入れるなんて忍びなかったが、原因がわからないことは、つらいというか納得できないこともあり、してもらうことを決意。結果は心臓の血管の付き方の異常によるものだった。翌日息子のお葬式をあげることになった。私は入院しているのででれないと思っていた。でも医師と話をした結果、身体の調子が良ければ退院しても良いこと、無理しないようにできるのであればお葬式にも出ることをすすめられた。迷わず退院することを選んだ。翌日夫の実家に戻った。小さな棺が届き息子はそこに入れられた。それまでにいっぱい抱っこして、写真も撮った。小さな祭壇に息子の生まれた直後の写真、ミルク、夫が急遽買ってきたたくさんのぬいぐるみなどを飾った。親戚の人たちが集まってくれてお経をあげてもらったあと、
霊園にいった。焼かれてしまう前にほっぺをなぜた(ような気がする)。小さな骨だけになってしまった息子のお骨をひろった。つらいことではあったが、
全てのことに立ち会えたことは本当に良かったと思っている。あとになって夫は息子の様子が急変して呼ばれ、最後を看取ったことを知り、一人でつらい思いをさせてしまったことを申し訳なく思うのと、自分もその場にいて息子の最期を看取ってあげたかった。たかったと思った。出産直後で私は動いてはいけない状況下での判断だったのであろうが。NICUのある大きな病院に搬送するはずだったが間に合わなかったそうだ。
 本当に悲しいできごとであったが、実感がわかないような気持ちもあった。息子との思い出をつくるにはあまりにも時間がなかった。
 友人たちが、夜夫の実家に駆けつけてくれて嬉しかった。
 その後、一言では言えないいろんな思いを感じた。悲しかったのは一部の友人というか仲間が気をつかってか、あえて息子の死にふれようとしなかったこと。つらいけれど敢えて私は息子のことを話したかった。だって息子は確かに存在したのだもの。そんな思いも伝えた。
 あれから6年。今我が家には、4才と2才の息子、3ヶ月の娘がいる。4才の息子はいろんなことがわかるようになってきて、亡くなった息子のことも話し、自分には兄ちゃんがいたことをわかってくれている。それがとても嬉しい。日々の子育ては自分の未熟さもあり、トホホ状態ではありますが・・・。
 明日から夫や私のの実家に帰省する。その時は亡き息子が眠っているお墓に(入れることもとっても悩み迷ったのですが)、きれいなお花を持って行こうと思う。
 何か心配なこと、お願い事、ここぞという時にはかならず亡き息子の写真に語りかけている私です。
 お空で幸せにいて欲しい!!!そしてずーーーーーーーーっと心の中に共にいる息子です。


レス、ありがとうございます!   こんこん
本当に涙が…   Margarita
涙が出ました。   kusuko
ありがとうございました。   みいこ
悲しみに耐えて、素晴らしい人生。   バンビ
息子さんは幸せですね。   anomi




 

   >>> レス、ありがとうございます! こんこん   -- 2006/05/08..
 
 anomiさん、バンビさん、みいこさん、kusukoさん、Margaritaさん、お返事ありがとうございます。G・Wで夫や私の実家に帰省していて留守にしていたため、お礼が遅くなってしまいました。
 皆さんに息子の話を聞いて頂いて、私もとても嬉しかったし、きっとお空の息子も喜んでいると思います。本当にanomiさんの娘さんとお空で仲良く遊んでくれていたら、すごく嬉しいです!!!
 生きてるってそれだけですばらしいこと・・・皆さんに改めて教えて頂いたように思います。私はといえば、悲しい経験をしたにもかかわらず、日々の子育ては本当にしっちゃかめっちゃかです(泣笑い)。自分の未熟さもあり(年齢は42才なのに)、情けなくなることしばしば。4才と2才の息子たちはパワフルで、もちろん仲の良いときもありますがケンカ(それもすぐ手、足がでます)もたえず、いつも声を荒げている私です。トホホ・・・。また、未久さんの投稿へのレスで書いたことがあるので覚えていてくださった方もいるかもしれませんが、3ヶ月の娘は顔に単純性血管腫(赤あざ)があり、合併症もあるかもしれないため定期的な検査が欠かせません。てな具合で日々悩んだり落ち込んだり・・・でも笑ったり、嬉しかったり・・・いろいろあるけど、それが生きてるってことなのでしょうね!
 この高齢出産ボイスでいろんな人たちのいろんな生き様を聞いたり知ったりするにつけ、置かれている環境や状況は違っても、皆、一生懸命に生きていて
・・・人間っていいな、愛おしいなあって思います。また皆さんとこれからもいろんなお話しがしたいです!これからもよろしく。
 





   >>> 本当に涙が… Margarita   -- 2006/05/02..
 
涙があふれて止まりませんが、こうしていつまでも時々、下のお子さん達に
亡くなられたお兄ちゃんの事を話してあげるのは、良い供養になるような気がします。
亡くなられた息子さん、またその悲しみは到底忘れることなど出来ないとは
思いますが、亡くなった人への一番の供養は「その人を時々思い出して、その人の話をする事」と実家の檀家の住職さんは言っておられました。
こんこんさんの場合、忘れてないから、思い出すという表現は適切では無い
と思いますが、どうかこれからも無くなったお兄ちゃんを含め、下のお子さん達4人、そしてご主人とご家族に楽しい思い出が沢山出来ますように。

辛いご経験だったと思いますが、これからはう~んとこんこんさんご一家が
幸せになられますように!!
天国の息子さんが、家族をきっと幸せに導いてくれるとも思います。
 





   >>> 涙が出ました。 kusuko   -- 2006/05/02..
 
こんにちは。こんこんさんの、亡き息子さんへの想いに涙があふれました、、、
どんなにか悲しかっただろうと思います。でも、息子さんはこんこんさんの中に生きているんですね。(なんだか陳腐なことしか言えなくてすみません。)
この投稿を読んだ私、そしてみんなの心の中に、息子さんの安らかなお顔が浮かんでいることでしょう。そして息子さんは、がんばって生まれてきて良かったとお空で思っていることでしょう。
こんこんさん、息子さんの思い出とともに、ご家族でどうぞお幸せに。
 





   >>> ありがとうございました。 みいこ   -- 2006/05/02..
 
 読ませて頂いて涙が出てきました。私も生まれて来られなかった姉・弟がいます(死産だったそうです)。仏壇には父が書いた手書きの戒名(‥でよいのかしら?)のお札がいつも置いてあります。
 生きて産まれて来れた事をもっともっと大切に思わなければいけないな、と気持ちを新たにしました。
 大切な事を思い出させて下さってありがとうございました。
 





   >>> 悲しみに耐えて、素晴らしい人生。 バンビ   -- 2006/05/02..
 
こんこんさん、悲しくなりました。でも現在3人のお子様に恵まれ、本当に良かったですね。人生にはこれ以上の辛さはないと思うほどの体験を誰もがしますがやはり、分身がいなくなる悲しみは想像を絶します。

生まれ来る命、絶える命、ここに参加していると色んな場面に涙を流します。どうかどの涙も無駄ではありませんようにと祈るばかりです。こんこんさんもanomiさんも今ある幸せを亡き子供が守ってくれてるときっと実感しておられることと思います。壮絶な体験だったと思います、頑張って前を向いて今があるのですね。貴重なお話をありがとうございます。

お空の息子さんに祈りが届きますよう・・・・。そしてanomiさんのお子さんにも。二人が仲良く、手を取り合って、笑ってる姿を想像すると、悲しい反面少しほっとした気持ちになります・・・。

 





   >>> 息子さんは幸せですね。 anomi   -- 2006/05/02..
 
感動しました。辛い経験でしたね。何も言うことありませんがこれだけ、、私は47歳初産、娘1人ですが本当は双児でした。産まれてから1時間後に1人は亡くなりました。娘の誕生日が命日になりました。でもいまでも一緒に成長してると思ってます。二人とも愛してます。こんこんさん、今朝は天国の娘に、こんこんさんの息子さんを探して一緒に遊ぶように伝えましたよ。きっと、仲良くしてると思います。お話ありがとうございました。