妊娠・出産・育児

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完全流産しました。 どらねこ  -- 2006/07/30 ..
6月15日に第2子を妊娠してることが判明しました。
私は現在、43歳。生まれる頃には44歳になっています。
欲しいと思っていたので生理予定日に早くも妊娠判定薬を使って陽性反応を確認しました。
喜び勇んで、すぐさま周りの友人たちにも報告。
病院には7月1日に行きました。
最終生理日が5月19日だったので、私としては6週目だと思ったのですが、病院では5週目の診断。
予定日も計算どおりだと2月23日になるけど、おそらく3月の初めになるだろうと言われました。
二週間後にまた来るように言われましたが、7月3日から茶色い出血が・・・
すぐさままた病院へ。
出血を止める薬を貰いましたが、一向に効く気配もなく・・・
そのまま出血は続き、7月8日にまた病院へ。
まだ赤ちゃんが見えないという事と、このまま出血が続けば流産という事を言われました。
でも、その日から出血は減り(完全に止まったわけではありませんが)私も多分大丈夫だと過信していました。
そして、7月13日。
相変わらず出血は止まらない。
念のために他の病院でも診てもらおうと思い、総合病院に行きました。
そしたら、やはり流産の診断。
「連休明けの火曜日にまた来て下さい。その時もう一度診てみて、変化が無かったらそのまま処置した方がいいと思います。でも、この連休でおそらく出血は増えるでしょう。そうなったら救急に入って下さい。」と言われました。
その時には私も覚悟ができていました。
でも、例え流産でも、できることなら、ずっとお腹の中にいさせてあげたい・・・。

お医者さんの言葉通り、翌日の土曜日には大量の出血。
そして、血の塊が出てきました。
それは血ではなくて、まさしく子宮の内容物。
「これは赤ちゃんだろうか?」とも思いましたが、とても触れるようなシロモノではありませんでした。
その塊を持って、すぐさま病院へ。
塊は赤ちゃんが入っていた袋だったそうです。
内診の結果、私の子宮の中はキレイに全部無くなっており、掃除をすることもないということで薬だけが出されました。
だったら、あの塊の中に赤ちゃんがいたということですよね。
先生は「出てきた時、お腹が痛かったでしょう。」と言われましたが、私は全然痛くなかったのです。
出血が始まってから最後まで一度もお腹は痛くならなかった。
そして、子宮の掃除も必要なかった。
母親に痛い思いをさせない赤ちゃんでした。

そして、私は今、後悔ばかりしては泣いています。
「どうしてあの塊の中で赤ちゃんを探してあげなかったんだろう。」
「どうして触ってあげなかったんだろう。」
生理用ナプキンに包まれたままでどのように捨てられたんだろうか・・・
果たしてどこまで成長してたのかは分かりません。
私が探したところで結局は分からなかったのかも。
それでも触ってあげれば良かった。
ごめんね、ごめんね。私の大事な赤ちゃんだったのに・・・。

友人は「また頑張ればいいよ。」と言ってくれますが、次の妊娠を考えるなんて、なんだかその子に申し訳ないような気がします。
もっと気をつけてあげてれば良かった。
安静に・・・と思いつつも上の子供(2歳)がよく抱っこをせがむので、抱っこしたまま何度階段の上り下りをしたことでしょう。
取り返しのつかないことをしてしまった。
もう二度と私の手には戻ってこないのに・・・どうして触ってあげなかったんだろう・・・


一緒にがんばりましょう!   midori
生きた証し   Blessings
ありがとうございます!   どらねこ
頑張って…!   みいこ
本当におつらかったですね   サリー紫
残念です   ぽて子
私も同じだよ。。。   エリリン
お辛いこととお察しします   TAMA
元気だして!   もんもん
同じです   エリス
心中お察し申し上げます。   ふみ
泣いています   Blessings
どらねこさん!   あん
思わず泣いてしまいました。   てん
15年経った今でも思います   姫
忘れ物を取りに帰っただけ。   kusuko




 

   >>> 一緒にがんばりましょう! midori   -- 2006/07/30..
 
どらねこさん、こんばんは。

私は先週の木曜日、7月20日に稽留流産で2人目の赤ちゃんをお空に帰しました。このサイトは時折見ていたのですが、今日、どらねこさんのお話を読んで涙が止まりませんでした。私は42歳、この6月19日に第2子の妊娠が判明、やはり2月23日に我が家に新しいメンバーが加わるはずでした。古いアパートに住んでいるので自宅のある4階まで、8ヶ月になる長男をスリングで抱えつつ生活を送っていましたが、体力にも自信があったし、自分としては十分気をつけながら生活しているつもりでした。7月19日の検診で赤ちゃんがすでに息を引き取っているという話を突然、伺ったときの悲しみは一生忘れることが出来ないでしょう。私も、たくさん泣きました。
でも、この時期に亡くなる子は、赤ちゃん自身の遺伝子の異常でママの責任ではまったくないこと、それから、わが子を抱っこする、といったような日常の動作は流産の原因にはならない、と主治医が仰言っていました。
やさしいママがたくさん泣いてくれたこと、悲しんでくれたことはお空の赤ちゃんもきっと感じて心配しているはず。
いまそばにいるお子さんもママの様子をみて、心配していると思います。
もう、新しい一歩を踏み出されているとは思いますが、私も、今いる子供と彼を大切にしながら、また我が家にきたいなって思ってくれる赤ちゃんがいたら、ぜひ、心から歓迎したいと思っています。
主人ともお空に帰った赤ちゃんのことは、いつまでも家族のメンバーとして
大切にしていこうね、と話しています。
どらねこさん、一緒にがんばりましょう。
それから、くれぐれもお体を大切になさってくださいね。
 





   >>> 生きた証し Blessings   -- 2006/07/23..
 
どらねこさん、

その後どうされているかな、と思っていました。、(きっと他の皆さんもそうだったことでしょう)

妊娠判定薬、ずっと持っておられたのですね。どらねこさんの優しいお心が伝わってきます。大切な赤ちゃんの生きた証しですね。
無理に感情を押さえずに悲しい気持ちをありのままで表して下さいね。
愛しい命を惜しみ、すぐに立ち直れなくてもそれは自然なことだと思います。赤ちゃんにとって、どんなに小さくてもどんなに短くても確かに息づいた大切な命としてこんなに強い愛情で慈しんでもらえるのはお母さんの他にいないと思います。
お子さん方にとってたった一人の大切なお母さんであるどらねこさん、そうぞご自分をいたわってあげて下さいね。

陰ながらお祈りしています。
 





   >>> ありがとうございます! どらねこ   -- 2006/07/22..
 
皆さん、優しい言葉をどうも有り難うございました。
今回の流産に関して、私は誰の前でも泣いていません。
多分、夫も私がここまで悲しんでるとは思ってないと思います。
やっと一週間が経ち、今までの日常生活に戻りつつありますが、まだまだ思い出すと涙が出てきます。
陽性反応が出た妊娠判定薬はまだ捨てられずにいます。
こんなにしっかりプラスの表示が出て、自己主張をしてるように見えるのに・・・もういないんだな。

もちろん、この先、死ぬまで忘れることは無いでしょう。
でも、頑張らなくては・・・ね。

赤ちゃんへ。
母さんが死んだら会えるのかな?その時はいっぱいいっぱい抱っこしてあげるからね。
 





   >>> 頑張って…! みいこ   -- 2006/07/20..
 
 どらねこさん、おつらいでしょうが、でも、確実におなかの中に赤ちゃんは来てくれたではないですか!これからも、来てくれる可能性があると、示してくれたのではないですか?
 つらい気持ちは時間が解決してくれると思います。…どうか、今は、ご自分の体をいたわって下さい。
 





   >>> 本当におつらかったですね サリー紫   -- 2006/07/20..
 
どらねこさん、
今回は本当におつらかったですね。
私はどらねこさんのお話しを読みながら、
泣けて泣けて、しかたがありませんでした。

私も、3年ほど前に7週で完全流産をしました。
ピンクのかわいらしい袋とちいちゃな胎盤が自宅で、
でてきました。

でも、私は、赤ちゃんが私の身体から出ようとする時に、
「何で一緒にいてくれないの!!!」と、
泣きながら、責めてしまったんです。
今回は大きくなれないから、できるだけ、私の身体に負担が
かからないようにしてくれたおりこうさんだったのに。
私はお空に帰ってしまった子が、もう一度、今度は
元気に戻ってきてくれることを祈り、そして気長に待ちました。

どらねこさん、お空に帰ってしまった赤ちゃんは、
短い間だったけど、命のある間、ずっとずっと
ママに全身で抱いてもらっていて、幸せだったと思いますよ。

どうぞ、今は、お身体をいたわって下さいね。
 





   >>> 残念です ぽて子   -- 2006/07/20..
 
どらねこさん、はじめまして。
私も第2子妊娠を目指しているものです(なかなかできませんが)。

つらい経験をされましたね。
高齢になると、だんだん流産率が高まるといいますが、妊娠の喜びから一転して流産となると、自然淘汰と言われてもつらいですね。

でも、ご自分を責めないでください。
私も偉そうなことは何もいえませんが、いつかまた深みから浮かび上がれる日が来ると思います。

私も直接はお会いできませんが、応援しています。
 





   >>> 私も同じだよ。。。 エリリン   -- 2006/07/20..
 
はじめまして・・ 辛いですね。悲しいですね。本当に・・わかります。
私は46歳、夫49歳、再婚して4年です。
望んで望んで、待って待って、やっと来てくれた天使は3月に9週で空に帰りました。

ドクターに「今回は駄目かも・・」と言われても「あと一週間待って!」「もう3日待って!」と言い続け、他の病院に行ったりもしました。
でも結局このままだと大出血の可能性があると説得され、総合病院での入院手術がきまりました。

そして迎えた手術の朝・・・
お腹の張りで目覚め、やがてその張りは定期的に段々強くなりました。
そう、正に小さな陣痛の様に・・・  そして病院に向かう5分前、トイレで出血の後、ポチャン。。と卵の様な塊が落ちました。
「あっ・・赤ちゃん・・・」真っ赤な便器を見つめながらボー然としてしまい・・・
コックをひねって水を流してしまったんです。
流した瞬間、「赤ちゃんがいるのにー・・」と我に返ったけど・・後の祭りでした・・・
病院に向かう途中ずっと「私、赤ちゃん流しちゃった。下水に赤ちゃん流しちゃった。」と取り乱しっぱなしで・・・

結局、子宮の中は綺麗になってて、「これからのお母さんの体の為にも一番良い。親孝行な子だ」と言われました。

どらねこさん・・・
私も一杯自分を責めました。 「仕事すぐ辞めてたら・・」「車運転しなければ・・」「買い物なんてしなければ・・」
ドクターにはこの時期の流産は遺伝子の問題やらで仕方ないから、と言われても自分を責めました。
ましてや、トイレに流すなんて・・・

どらねこさんは、とても優しいお母さんです。2歳のお子さんにも、天使になったチビちゃんにも・・・  手で触れてあげる事は出来なかったけど、優しい心がチビちゃんの体中を包み、撫でてあげてます。

今は悲しみがいっぱいだと思います。
私も流産後すぐの頃、ここに投稿した時<<時間は誰にも平等に優しい>>との励ましを頂いて、今すこしずつそれを実感してます。

忘れずに、愛し続けて、心で触れ続けていこうよ。。。
体休めてね。。心休めてね。。

 





   >>> お辛いこととお察しします TAMA   -- 2006/07/20..
 
どらねこさん、はじめまして。TAMA43歳です。同い年ですね。
今はどんな言葉をかけても、その辛い気持ちを
慰めることはできないだろうと思います。辛い経験をなさいましたね。

私も2月に流産しました。どらねこさんと同じく、完全流産だったので
子宮内をきれいにする処置はありませんでした。そして、たくさんの血の
塊が出たのは、駆けつけた婦人科のトイレの中でした。お腹も
生理痛の軽いくらいのもので、大したことはありませんでした。
外に待っておられる方もいたため、どうすることもできず
トイレをそのまま流しました。しばらくは、お腹にいた子をトイレで
流した自分を責めましたが、今はどうしようもなかったんだと
理解しています。
どらねこさんも辛いですね。でも、その手で赤ちゃんをさわって
あげられなかったとしても、どらねこさんの赤ちゃんを思う気持ちは
ちゃんとお空に戻ったお子さんに通じています。だから、自分を
責めないで下さいね。
お世話になっている鍼灸の先生が、「赤ちゃんが自分で子宮内の
状態を良くしに来たんだよ。だから自分で綺麗に中をしていったでしょう」
とおっしゃってくれました。あれから5ヶ月。前向きに考えて
赤ちゃんが来てくれる日を待っています。
どらねこさんのせいではありません。今はとにかく体の回復を
一番に考えて過ごしてくださいね。かならず次のチャンスがめぐってきます。
どうぞお大事になさって下さいね。
 





   >>> 元気だして! もんもん   -- 2006/07/20..
 
どらねこさん!元気だして!!
目を開けて前を向いてください。かわいい我が子があなたのことを心配してますよ。
いまいるわが子、泣いてても構わずやんちゃ盛りのその子こそが現実なんです。ママを求めてるんです。
私は一人目の妊娠でまったく同じ経験をしましたよ。
完全流産・・こんにゃくのかたまりみたいなものが大量にでてきても私も痛くなかったです。そして流産してしまう少し前かから”もう今夜でお別れだな・・さようなら”とお腹のわが子に語りかけたのが最後でした。
私はまだその時子供がいなかったけど、どらねこさんにはやらなきゃいけないことがたくさんあるんですよ。子供ってママの動揺をキャッチするんです。
妙にいい子になってみたり、悪いことばかりして困らせてみたり・・どちらにしろ、”ママ!ぼくはここにいるよ”のサインなんですよね。
元気だしてください。そしておからだ大事にしてくださいね。生意気言ってすみませんでした。
 





   >>> 同じです エリス   -- 2006/07/20..
 
どらねこさん、辛いお気持ちよくよくわかります。
私も43歳。3月に二番目の子を妊娠し(私の場合、IVFで)
5月に11週で流産しました。
私は繋留流産でしたが、検査をするための超音波で、赤ちゃんが
亡くなっているのがわかりました。
あの、頭の部分がゆらゆら浮かんでいるだけの、生命力のない
赤ちゃんの映像が、目に焼きついています。
私はアメリカですので、こちらでは自分で処方された薬で流すのです。
膣剤を入れて、子宮の中身を流すのですが、
自宅のトイレで、何度も塊が出てきました。何ともいえない気持ちでした。
本当なら、手厚く葬ってあげるべきなのにね。
その後、日本のお寺で供養しました。

私も一歳半の子供を抱っこして階段の上り下りもしましたよ。
でもね、医者に言われましたが、初期流産は
卵の異常によるものなので、この時期の妊婦の行動は
流産に全く関係ないものだそうです。
しかも、この年だと卵の90%が異常な上、
流産率も50%だと言ってました。
そのようにリスクの高い年齢なのですね。
仕方ない、あきらめるしかありませんでした。

私の場合は、凍結受精卵があったので、実はおとといですが
移植したばかりです。
やっぱりもう1人欲しい。まだ諦め切れません。
もし今回妊娠できたら、私はあの流れてしまった子の魂が
帰ってきてくれたのだと思っています。
 





   >>> 心中お察し申し上げます。 ふみ   -- 2006/07/20..
 
はじめまして。
投稿をみて涙がとまりませんでした。
上の子をだっこしたことが原因ではないですよ。
どうか、ご自分をそんなに責めないで下さい。
まだ、お身体もしんどいと思います。
どうか、ご自分を大切になさって下さい。
早く、穏やかな日々が戻りますように・・・。

 





   >>> 泣いています Blessings   -- 2006/07/19..
 
どらねこさん、

妊娠を知った喜びで一杯のあなたと、その直後の悲しい展開に打ちひしがれている姿が手に取るように伝わってきました。
私は結婚も妊娠も経験していませんが、どらねこさんがどんなに小さな尊い命を愛し慈しんでいたかと思うと胸が熱くなりました。そして、どらねこさんの胎内で健気に息づいていた小さな赤ちゃんを想い、私も泣いています。

どらねこさんは、大出血の中で、恐れや不安で一杯だったにも関わらず血の塊をとっさに手でそっと包んでナプキンで覆ったのですね。
それは、母親の直感で大切に扱わないといけないものだと感じたからではないでしょうか。
その時、赤ちゃんはどらねこさんの手の中で包まれたのです。ちゃんと大切に扱われたこと、いえ、お腹の中にいる時でさえ、どらねこさんの喜ぶ声を聞き、自分を覆うお母さんの胎内が活気に満ちていたのを赤ちゃんは感じていたことでしょう。ほんの数週間でも、赤ちゃんはたくさんの愛情を受けて安心して人生を全うしたのだと思います。
大切な赤ちゃんを失った悲しみが癒えるには時間がかかるかもしれませんが、どうかご自分を責めないで下さいね。
どらねこさんの、深い深い愛は赤ちゃんにちゃんと届いていると信じています。
暑い中、くれぐれもお身体をご自愛下さいね。
 





   >>> どらねこさん! あん   -- 2006/07/19..
 
どらねこさん、とても悲しいですね、つらかったですね。
でも、どらねこさんが赤ちゃんのために後悔する気持ち、それは深い愛情の印です。
どうして触ってあげなかったんだろうと苦しむお気持ち、それで充分です。
赤ちゃんは、どらねこさんの気持ち、わかっていますよ。

どらねこさんを苦しめないように、痛みを与えないようにお空へといった赤ちゃんの気持ちを、どうぞ、くんであげてね、
ママが嘆き悲しむことを、赤ちゃんは望んでいないと思いますよ。

今は辛いけど、いっぱい泣いて、そして、また!元気になってください。
赤ちゃんはお空からニコニコ笑いながら、どらねこさんを見ているんですヨ、
だから、ゆっくりとでいいから、早く元気になってくださいね。
お体、ご自愛ください。
 





   >>> 思わず泣いてしまいました。 てん   -- 2006/07/19..
 
3歳と2ヶ月の2人の母です。
つらかった、というか、今、さぞおつらいことでしょう。
読んでいる途中で思わず泣いてしまいました。
私は流産の経験はありませんが、二人目を妊娠したとき、双子だったようなのですが、片方は育ちませんでした。
どうしてなんだろう、と考えたときもありましたが、私に双子は無理、と神様が一人にしたのだろう、と思うことで納得しました。
実際生まれてみて、双子は無理だったな、と思えたので納得できたのだと思います。
あなたのような方のお腹で育ててもらって、その子は幸せだったと思います。生まれる前からそんなに大事に思ってもらって、残念ながら生まれなかったけど、我が子として大切に思ってもらっているのですから。
だから母に痛い思いもさせずに、来たところに戻っていったのだと思います。
どうかご自分を責めないでください。
こういう一期一会もあるのだと。
きっと「おかあさん、ありがとう。」と言っていると思います。
ご縁があれば、きっとまためぐり会えると思います。
それにおかあさんが余り自分を責めてしまうと、上のお子さんも責任をかんじてしまうかもしれません。
きっとその子の魂は、なにかの都合で帰っていったのだと思います。
元気を出して、といっても無理はなさらずに。
明るいおかあさんにいつか戻れる日が来ます。
 





   >>> 15年経った今でも思います   -- 2006/07/19..
 
どらねこさん。
とても辛い気持ち、後悔の気持ちよく分かります。

わたしも15年前に14週で流産した時に長男がまだ1歳前でした。
14週という事で陣痛をおこして出したのですが、胎盤がなかなか出てこず器具を突っ込まれてもの凄い痛みでしたがそれ以上に悲しみで涙がとまりませんでした。
2日入院しましたが、同室の年輩の方が手にパワーを持ってると言って、処置後に痛がるわたしに「お腹をだして」と言い手をかざすと不思議とお腹がカーッと熱くなってきて痛みが和らぎました。

退院する時に、埋葬許可証と死亡診断書と共に発泡スチロールにバスタオルを
巻いた赤ちゃんを渡され火葬場まで行きました。
男の子でした。

私はその時怖くてその箱を開ける事ができず火葬しました。
今でもその事を悔やみます。

なぜあの時、見てあげなかったのだろう・・・
なぜ触れてあげなかったのだろう・・・
生きてれば15歳・・・毎年、歳を数えてしまいます。

この思いは一生消えないでしょう。
どんな子になってただろう・・・
どんな顔、どんな声だったんだろう・・・
次から次へと思いは消えません。

どらねこさんも今は悲しみの極地だと思います。
本当にお辛いと思いますが、時間が少しは和らげてくれます。
私も無理に忘れようとはしませんでしたし今でもそうです。
でも月日と共に確かに悲しみは和らぎます。

お母さんに苦しい思いをさせない優しいお子さんでしたね・・・
どうか、お体を大切になさって下さい。
きっと、お空で見守っていてくれてると思います。
少しでもどらねこさんの心が癒えますように。。。

 





   >>> 忘れ物を取りに帰っただけ。 kusuko   -- 2006/07/19..
 
どらねこさん、はじめまして。
私も昨年のちょうど今頃、6週でおなかの子を完全流産しました。
なので悲しい気持ち、すこしはわかるかなあと思って出てきました。
おなかは痛くなったものの、あとの処理も必要なく、45日後に生理も復活しました。

ご存知かとも思いますが、その週数での流産はお母さんに責任はありませんよ。
無理をしないでずっと寝ていたとしても、結果は変わらなかったことと思います。

私が周りの人に言われた言葉で印象に残って、少し元気が出たのは
「きっと忘れ物をしたから、あわてて取りに帰ったんだよ。また戻ってくるよ」
これを言われたとき本当にそんな気がしました。
それから、「その子は、お母さんのために子宮をきれいにして、毒をだしてくれたんだと思う」
これは東洋医学に詳しい友達が言ってくれた言葉です。

これらの言葉が、どらねこさんを少しでも元気づけてくれればいいのですが、、、(もし、かえって傷つけてしまったら本当にごめんなさい。)でも、帰ってしまった私の子も、どらねこさんの子も、母親思いの優しい子ですよね。
だからきっとお母さんが自分を責めている姿をお空から見ているのは悲しいと思います。

いっぱい涙を流したら前を向いて、ぜひ、次の子を迎える準備をしてあげて下さいね。
それから、上のお子さん、とても愛しく感じられませんでしたか?
私はそうでした。この子がいてくれて良かった、本当にそう思いました。(この頃は魔の3歳児と呼びたくなるほどで、悪戦苦闘していますが^^;;)

実は今、おなかに新しい命が来ています。でも、今でもお空に行った子のことは忘れません。それが私にできる唯一のことだと思っています。