妊娠・出産・育児

バックナンバー7〜2004年8月

2004年6月〜2004年8月の投稿バックナンバー


高齢出産VOICE TOP

babycom高齢出産という選択 TOP

高齢出産VOICE バックナンバー一覧

ワードで検索!ワードを含んだ投稿リストが表示されます



娘の奇形2 ハスの花  -- 2004/07/12 ..
以前「娘の奇形」というタイトルで投稿したハスの花です。
たくさんの方に励ましをいただいて涙して読みました。
また読み直して涙が出ました。

体外受精で産まれた娘はもうすぐ5ヶ月。
小さいながらも順調に成長してくれて、笑い声や寝返りなどに悩殺されっぱなしです。
先日、娘の外来の帰りに平日のデパートの行きました。
その日はセールと言うことで予想外に大混雑。
授乳室も座る場所を探すほど混んでいました。
ミルクを飲ませ、おむつ替えをしたいのですが、なかなか出来ませんでした。
娘は明らかに外見上の性器の異常があります。
そして人工肛門もあるのでガス抜きも必要なんです。
隣どうしでおむつを替えることが・・・・出来なかったのです。
一度授乳室を出て何度も「少しは空いたかな?」と見に来ては引き返しました。
結局、1時間ほどしてマザーズバッグをたてにしておむつ替えをしました。
帰り、車の中で泣きました。
なんて情けない親なんだ・・・って。

私達夫婦は2人目も希望しています。
凍結卵があるのでこの夏にもETをと考えています。
前回の時はあえて羊水検査もせず、授かった命を大切に育てると決めていました。
ですが、もし次に妊娠したら色んな検査を受けるつもりです。

娘は尿道と膣と直腸が一つになっているという奇形です。
腸は人工肛門でウンチを出しています。
いずれ膣と尿道の整形が必要です。
そして、尿路感染をしやすいのです。
つい最近も尿路感染で入院していました。

40を過ぎた私達夫婦は娘は本当に本当にいとおしい。
自分の命と引き替えにでも助けたいと思うほどです。
でも、病院の付き添い、毎日の病院がよいは、想像以上に大変です。
娘の至る所に管を入れられ辛そうな顔・・・・本当に辛いです。
熱を出すたびに心臓が止まるほど心配です。
これから何回も入院手術が待っています。
自分たちが子供が欲しいと思うエゴで娘が苦労しているなら、身が裂けるほど苦しい。

一つの異常が様々な合併症を伴うということを知りました。
もし次の子を妊娠できたとしても、その子にこんな苦しい思いはさせたくないと思ってしまいます。
本当にカワイイ我が子、だからこそ辛い思いをさせたくないって思ってしまいます。
強くなりきれない親で情けないです本当に。

まとまりのない文章ですみません。
以前の投稿を読んでチカラ出そうとしています。


ありがとうございます   ハスの花
ご自分をほめてあげてください   明里
スターチス・・さんの発言について。   なおゆうぎ
スターチスさん、しずよさんへ   ハスの花
融通のきかない私ですが・・・・   しずよ
傷ついていませんよ   スターチススーパーレディピンク
ありがとうございました。   ハスの花
親の思い   しずよ
私の思うこと   スターチススーパーレディピンク
はじめまして。   どんぐり
よいことはいっぱいある   しずよ
応援してます。。   なるまん
ありがとうございます   ハスの花
いいお母さんですよ・・   ぷりんぱん
本当に頭がさがります。   かおる
私の体験(3)   スターチススーパーレディピンク
私の体験(2)   スターチススーパーレディピンク
胸が詰まりました。   バンビ
私の体験(1)   スターチススーパーレディピンク
うちの息子も・・・   メイ
思いつめないで・・・   なおゆうぎ




 

   >>> ありがとうございます ハスの花   -- 2004/07/12..
 
なおゆうぎさん、
子供に甘えさせる気持ちの逃げ道・・・本当にそう思います。
子供が不安を親にぶつけられる子は救い・・・胸が痛いですね。
娘はまだ後追いもまだですが、今後何回も入院を繰り返すでしょうから、この言葉は胸に響きます。
今は娘がどんな事をしゃべり、どんな性格になるのかが楽しみです。
ありがとうございました。

明里さん、
励ましのお言葉、本当にありがとうございます。
本当に比べること、比べられることはある程度あることですよね。
ワタシは娘のミルクの時に「ママはいつも味方だよ。一緒に頑張っていこうね」って話しかけています。
まだ5ヶ月なので分かっていないでしょうけど^^;
娘の人生を肩代わりは出来ないのです、本当に。
その分強くたくましく育って欲しいけど、それには一体親のワタシはどうやって教えていけばいいのか・・・。
今のワタシにはそれが課題です。
明里さんはお強いですね。
ワタシもどんと構えた母にならないと。
ありがとうございました。

 





   >>> ご自分をほめてあげてください 明里   -- 2004/07/08..
 
ハスの花さん
ご苦労様です。本当にがんばってこられましたね。
なんていっていいかわかりませんが。
自分をほめてあげてください

私は3歳と1歳の双子の3人の母親です。
一歳の双子は未熟児で産まれ、NICUにも長い間お世話になりました。
双子とはいえ全く違い、兄は入退院を繰り返し、弟は元気いっぱいです。
兄はまだ歩けず、言葉も話せませんが弟は走って回り、いくつか言葉も発し、意思疎通もできます。

兄はなにか問題があるのかもしれませんが、まあ、今心配してもしょうがないと思っています。
兄はたぶんこれから一生、弟と比べられて生きていくのだと思います。
それが彼の運命なのでしょうね。
このごろ彼らを見て感じることは
私は彼らを見守ることしかできませんし、彼らの人生を肩代わりすることはできないのだなぁ、との強い思いです。
彼らに強さがあれば双子だと言うことを生かして成長するでしょうし、もし強さがなければ常に比べられていることに参ってしまうかもしれません。

双子はどうしたって比べられますから。親である私すら、比べることをやめることをあきらめました。
子供を育てていくことで一番子供に教えなければならないことは、正しいことを正しいと主張する勇気ではなく、不当な評価や差別でも耐えていく忍耐力をつけることなのではないかと考えるようになりました。

私はハスの花さんの苦労をわかることはできませんが。世の中とは不公平で、不首尾で、不完全なものです。人はかならず誰かから、自分が悪くなくても、不当な扱いをうけます。だから、娘さんが苦しんでいるときに自分を責めないであげてください。時間は未来にしか進みません。これから彼女が受けるであろう苦労や差別を耐える力をつけてあげられたら、それは五体満足でも、友人からただ嫌われること怖さに犯罪を犯すような弱い子供よりも、ずっと心安らかに世の中を生きていけると思います。

次のETが成功することを祈ってます。

 





   >>> スターチス・・さんの発言について。 なおゆうぎ   -- 2004/07/08..
 
 ハスの花さんへのコメントとはもしかしたら、離れてしまうかと思い躊躇しましたが、スターチス・・さんのコメントが「皆さんへ」とあったので、ちょっと失礼します。

私は、「皆さんへ」と本心を伝えたことで半分以上はスターチス・・さん自身のこの問題に関して、すっきりしたのでは・・と思いました。 私も違った意味で、母に対して不満を持っています。
息子の闘病に、私が思うような助けをもらうことが出来ず、母の自分を変えない強さを嫌というほど見せられました。
母は強くいることが、母の姿と思っているのかもしれません。
でも私は、「お前が頑張らなければ!」「しっかりしなさい!」そんな言葉で時々励ますより、いつもただ傍にいてくれたり、泣いてくれたり、本心から共感して欲しかったです。

母には自分の気持ちがわかって欲しいと思うのが当然ですし、肉親だからこそ、わかってもらえない悔しさもあって当然です。
人間の感情の過程には怒りはあり、スターチス・・さんの気持ちは当然のものです。 ここで吐き出し、今後のスターチス・・さんの人生へのご自分の強さになればそれでいいのでは・・と思いました。

私自身にも高校生の娘がおりますが、私もいわゆる母譲りの頑固で、親子という線を引いた考えを持っていました。
しかし、この数年の息子の闘病、母への思い、娘の成長、などから
決して子に媚びてはいけないとは思うけれど、子が大きくなるにつれて、親は子に対して甘えさせる気持ちの逃げ道を作ってあげないといけないと思いました。 子の心は親が思う以上に敏感です。

入院中の子供は、本当にお互いの病気や障害などを聞いたりしません。 心が敏感だからこそ聞けないんです。それでも親が面会に来たときに思いっきり不安な心をぶつけられる子は救いです。

ハスの花さんに関しては、今のお気持ちをそのまま持ち続け、娘さんが大きくなるにつれては、益々娘さんの目線にたった力まないお母さんでいて欲しいな・・と思います。

 





   >>> スターチスさん、しずよさんへ ハスの花   -- 2004/07/08..
 
スターチススーパーレディピンクさん、
娘のヒント、ありがとうございます。
おしゃれさせて、いつも可愛くさせるようにしたいです。
今、尿漏れパッドや消臭付きの下着もあるらしいですね。
女の子なのでその辺には気を配らなくてはって思っています。
まだ先の話なのでしょうけど、心配はつきません。

スターチスさんのお母様に対するお気持ち、分かる気がします。
きっと本音でしょう。
でも、お母様がスターチスさんをおんぶして出かけていた様子を想像するにきっとワタシと同じ思いでは。。。と思いました。
おばあさまが強くたしなめられたと言うことは、お母様はおばあさまの前で何度も泣いたり自責をしていたのでは・・・と想像してしまいます。
ワタシは子供の立場ではなく、母親の立場なのでお母様の気持ちに立ってしまうのですが、ワタシも私の母の前で何度も何度も泣きました。
そして母は「あなたのせいじゃない。仕方ない事よ。これからのことを考えなさい。」と言われました。
母もワタシの辛さを分かってくれているのだと思います。
母もワタシという子供の母親なんですよね・・・。
ごめんなさい、スターチスさんのお気持ちも本当に頭では理解できます。
上手く書けませんが、スターチスさんがお母様を責めていらっしゃらないのも関係が深いのも分かります。
本当に出過ぎた事を申しました。
でも、この話を話して下さってワタシは心から感謝しています。
ワタシと娘のこれからの人生に貴重な体験談として残ると思います。

しずよさん、
読んできて目が覚めた思いでした。
「子育てで目指すのは、子の自立」
そうです。
ワタシもこれなんだ・・・って思いす。
娘を自立させなければ。
親がいつまでも守ってはいられない。
障害を持つ持たないに関わらず、社会に出て又は家庭を持ち一人前に生活していける人にさせるのが親の務めなのでしょうね。
子供は親の元を離れるし、離れなきゃいけない。
精神的にも経済的にも(早すぎるけど)自立を目指させたいですね。
なんだか、大きな目標が出来たようで目の前が明るくなりました。
親なのに親になりきれてなくて、ただ娘がカワイイ、知育にこれがいいとかって目先のことに夢中だったです。
ありがとうございました。

 





   >>> 融通のきかない私ですが・・・・ しずよ   -- 2004/07/06..
 
スターチススーパーレディピンクさん、
自分のパーソナリティの問題なのかもしれませんが、「ウソでもいい、親が自分が悪かったといってくれれば・・・」という意見には困ったな、うなづけませんでした。

私には、「そのようなことをいってはいけない」と、助け舟を出してくれるような母はいません。
私の友人は義母に「うちの家系には、このような子は出なかった」といわれたそうです。
「親から生まれたのだから」という考えは、今の貧しい福祉の元凶にあり、親が一切を担う構図につながっているのでは、と思うので、おいそれと認める気持ちにはなれないのです。(中には親が煮詰まり、結局子供にいいようにならないこともあるでしょう)

子育てで目指すものは、子の自立です。
私は34で長女を産み、夫は46でした。いつまでも、この子に伴走できないという思いがあります。
親にあたくれて難しい時期を通過することは、どんな子でもあるでしょうが、その時に折れる親って・・・・?
極道の妻から弁護士になった方がTVで話していましたが、16歳で刺青をいれるとき、親にすごんで念書を書かせたそうです。呆然とする父、震える母。もちろん後々彼女は猛省するのですが、融通のきかない私は、死んでも念書を書かないんじゃないかな。子供に伝わっても伝わらなくても、そういうスジの通し方も、子供の愛し方のひとつだと思います。
ヘンな例を出してごめんなさいね。
スターチス・・・さんの年がわからないのですが、高齢出産のサイトに訪れている方という前提で書いています。

うちではまだ小さい子ですが、国籍や人種や性別や出自、人にはいろんな違いがあり、そのことで嫌な思いをすることもあるけれど、という話をすることがあります。

美智子妃が子供時代の読書について書いた文の中で、新見南吉の「でんでん虫の悲しみ」について触れていますが、あるでんでん虫がある日、自分の背中の殻の中に悲しみがいっぱい詰まっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話すと、友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも悲しみは一杯詰まっていると答えます。小さなでんでん虫は、別の友達、また別の友達を訪ねていき、同じことを話すのですが、どの友達からも返ってくる答えは同じで、やっとでんでん虫は、悲しみは誰でも持っているのだ、私は私の悲しみをこらえていかなければならないと悟り、嘆くのをやめた、という話なのです。

孤高の立場の、声を失うような経験をする人の例を引くのも気が引けるし、「こんなキャラの姑じゃなくて一緒に批判にのってくれるような姑だったら、ヨメも楽かもしれない」という読み方もできるかもしれませんが、童話でもこんなヘビーなテーマを扱っているという驚き、子供でもどこかこういうことを心の隅に留めておいていい、と作者は考えたんだなぁと思ったりしました。

今日は教育委員会の人が園にきて、来年の就学のことで色々聞かれ、色々いわれました。「学校に望むことは?」と聞かれますが、
それはもとより望めないことだとわかっている矛盾・・・。決して「お聞きしますよ、解決しましょう」でないところに苛立ちがあります。
子供は子供で戦っている。親も負けていられない。そう思います。
 





   >>> 傷ついていませんよ スターチススーパーレディピンク   -- 2004/07/05..
 
 しずよさんへ
 私は全然傷ついていません。心配しないでください。

 皆さんへ
 幼い頃、母に向かって「私が歩けないのはお母さんがこんな体に産んだせい」と言ったことがあります。
 側で聞いていた祖母から、「そんなことをお母さんに言ってはいけない。お母さんはお前のことで一生懸命なんだから」と強くたしなめられました。
 言ってはいけないことと子ども心に刻みました。でも、じゃあ何故私は歩けないの?という疑問が深く心に染みました。
 誰も責めてはいけない。でも私の悲しみと悔しさはどこにぶつければよいのか。障害があるつらさをぐっと喉元までこみ上げるのを飲み下す子ども時代が始まりました。

 母は一度も「お前の障害はお母さんが悪かった」と私に詫びたことはありません。母を責めるつもりはないですが、子どもの頃、一度だけでも「お母さんが悪かった」と言ってくれたら、私の心は静まり、母のせいではないのだと逆に納得したことでしょう。
 「悪かった」と言って、子どもの行き場のない気持を受け止めてほしかったと思います。
 子どもですからね、お母さんから産まれたから産んだお母さんのせいという単純な見方しかできません。
 (あくまで私という子どもの場合です)

 ハスの花さんへ
 ヒントになるかどうかわからないですが、私の友人のひとりに下半身まひの人がいて、尿意便意がわかりません。
 子どもの頃はオムツをしていて、成長につれて時間を決めてトイレに行きオムツではない普通のパンツの生活の訓練をし、ほぼそれでさしさわりのないようになりました。
 でも少し失敗もあるので、周囲に与える匂いが気になると言って、いつも香水をつけていました。
 香水は衣服や髪形などの見えるおしゃれが最後に行き着く最高のおしゃれですよね。
 立ち去った後の残り香・・・そういう女性が私の憧れです。
 お嬢さんにも周囲にもうんち漏れを気にさせない素敵な服や香りのおしゃれをさせてあげてはどうでしょう。
 





   >>> ありがとうございました。 ハスの花   -- 2004/07/04..
 
なるまんさん、
「保育園・幼稚園のこどもは純粋に 病気のお友達に頑張れ!!と応援できるのに 学校は難しい。」
そのようですね。
娘はたぶんウンチ漏れを少なからず経験するはず。
その時にどうなるのか・・・・今から考えるだけで胸が痛いんです。
いろんな病気や障害を持った人を受け入れる学校、先生、親、子供達が受け入れ理解するってこと、本当に大事だって事、今は思います。
でも、恥ずかしながら、ワタシも娘のことがなければ深く考えなかった一人です。
ワタシもこれからどのようにしてこの事について少しでも理解者を増やしたらいいのか・・・と漠然と考えている所でした。
応援、本当にありがとうございます。

しずよさん、
オムツ替え、意外と人は見ていないのでしょうね。
ワタシが変に意識してるから、「他の赤ちゃんの性器はどんな形なんだろう」ってチラッと見たりしていて、逆に見られているって思っているんです。
ホント・・・情けないです。
普通の赤ちゃんの性器ってどんなのか、実際よく知らないんです。
ウチの子がどの程度変わっているのか・・・どの程度が許容範囲なのか・・っていつも気にしてるんですよね。
気にしても仕方ないんですけどね。
兄弟のこと、心強い励ましをありがとうございます。
たしかにきょうだいがいるのは、娘にとっても私達親にとっても考えが広がるのでしょうね。
ありがとうございました。

どんぐりさん、
過去のどんぐりさんの投稿を検索して拝読しました。
胸がつまりました。
障害は違いますが、親として子供を思う気持ちとか、知ったときの言いようのない胸の痛み・・・本当に分かる気がします。
ワタシは過去の人生まで反省して後悔しました。
あの時あんな事をしてしまったから・・とか、自分の今まで生きてきてどこがいけなかったのだろう・・・って出産直後は真剣に考えた物です。
今はそんなことを考えてた自分を少し笑ってしまうほどになりましたけど^^;
確かに試練・・ですよね。
それに立ち向かって行かなきゃ・・って思っていても、つい気落ちしてしまったり。
ワタシもがんばります。
お返事、本当にありがとうございました。

スターチススーパーレディーピンクさん、
優しいお言葉、ありがとうございます。
スターチスさんの文面は前にも書きましたが本当に強さと頭の良さが伝わります。
娘の障害は今はオムツの中ですが、近いうちに整形によって外見は普通になると思います。
が、やはり人工的に作る尿道、膣、肛門なので予後がまるで問題なく普通に過ごせるかどうかは難しいでしょう。
本当に人には言いにくい部分です。
親のワタシはただ最善を尽くすと言うことを分かっているのみで、娘をどう育てて良いのかはまだ分かっていないです。
今後明らかに起こるだろう事件(大げさですかね^^;)に耐えうる精神力、そして彼女を守る環境を作って行かなきゃ・・・って思っているのですが、どうすればいいのやら・・・って所です。
すべての障害者が種類や程度を越えて快適に過ごせる社会になることをワタシも祈ってやみません。
スターチスさん、あなたの優しさや大きさ、本当に敬服します。
ありがとうございました。

 





   >>> 親の思い しずよ   -- 2004/07/04..
 
スターチスレディピンクさんの投稿を読んで、自分の書いた中に、スターチス・・さんを傷つける発言があったのではないか、とドキッとしてしまい・・・、また出てきてしまいました。

私の意図するところは、見た目の障害でないからいいのでは、とかこういう障害でなくてよかったね、ということではなく、「見方を変える」ことで、気持ちを切り替える、そういった話をしたかったのですが・・・、逃げも隠れもできない者を追いつめる発言かもしれない・・・と反省しています。

6歳の長女は2ヶ月前に、赤ちゃんの頃にいれた装置の入れ替えをするために頭部とお腹を手術したので髪を丸坊主にし、徐々に生えてきているところです。
手術の話を聞いたその日に美容院にゆき、毎日結っていた髪をショートカットにしてから、その日を迎えるまで、ひまわり基金のようなところに相談してかつらをあつらえようかなど、随分悩みました。
しかし、隠そうとすることで子供に与える負のイメージと、園での子供たちの好奇の目を天秤にかけ、結果、仲間のアドバイスもあり(中にはバンダナの結び方や簡単な帽子の作り方の冊子を送ってくださる方もいました)、結局、バンダナで過ごすことにしたのです。
今、どうかというと、当初「年少さんまでどうしたのってきくからいやんなっちゃう」といっていましたが、もうどうのという子はいないようです。
しかし、手術直後から、頭頂部に脱毛症ができ、治療中です。やはり手術その他のストレスもあるよう・・・です。先日も病院の発達テストの最中に泣き出してしまい・・・、おそらくなぜこんなふうに自分だけ試されるのだという思いもあるのでしょうか、子供の思いと現実の狭間に、親は「よくがんばってるね。お母さんよくわかってるよ。でも、そのまんまの○○ちゃんがすきだからね」と抱きしめることしかできません。

強くなっていって欲しいということと、追いかけっこのようにこのようなことはあります。

でも、生後7ヶ月までほとんど病院にいた中でみた風景で、今も心に残るいくつかの印象深い風景があります。
あるお母さんが自分の赤ちゃんに向かって、なにかにつけ(完全看護ですが、ちょっとした処置を親が手伝うことがありました)「ごめんね、ごめんね」というのを、もっと入院歴の長いほかのお母さんがあとで、「親に謝られて喜ぶ子供がいるものか」と言っていたのです。
私ははっとしました。
親でなくとも、「こういう状態でうまれなかった場合の」という仮定があるか、まるごと受け入れているか、・・・なぜだかそういう問いにも似たようなものが、自分にも向けられているような気がしたからです。

病気を隠そう、気付かれまいとする気持ちはありません。
だから、子供が小さい頃、園の子に「なぜ○○ちゃんの背中にはおキズがあるの?」と聞かれても、涼しい顔で、「なぜって○○は昔、天使だったから。だから羽根のあとがあるんだよ。」と言えたのです。
でも今、無用のトラブルを避けたい気持ちも同時にあるのは、周囲の理解の程度もさまざまであり、なにも全員に全てをわかってもらわなくてもかまわないのと、先ほどのような当事者(こども)だけにしかわからない痛みがあるからです。

今回の入院中に夫がもらした感想です。
「入院してる子供たちは、あれほど睦みあっているのに、おたがいの病気・手術・キズのことを全く聞かないね。仁義なんだろうね」
幼いからといえば幼いけれど、私もどうもそれだけでないような気がしました。
何気なく「何年生?」と聞いた、体格から小学校入学前後かなと思える相手から、「高校3年生」と答えが返ってきたのを長女も隣できいていたはずです。その年齢は大好きなイトコと同い年。私は正直、ショックでした。でもその驚きを長女が口にしないことに、確信を深めたのです。「この子たちは、わかっている。見た目でどうのいったり、しょうがいのことをどうのいったりはしないんだ、ということを。」

しょうがいは不便や痛みも伴いますが、人をおもいやる気持ちが身についているのでは、と思います。ひところ「なぜ人を殺してはいけないのかわからない」少年事件が続いた頃に、満たされる不幸・満たされない幸せ なんてことも考えたりしました。

話が長々となりました。親は子の立場になりえませんが、ポーカーフェイスの下にも、涙や苦悩、子を思う気持ちがあることを知っていただきたい思いもあって、トピ主さん、スターチス・・さんのお二方に向けて、書きました。
 





   >>> 私の思うこと スターチススーパーレディピンク   -- 2004/07/02..
 
 皆さんのレス読み、プライベートパーツという考えのあることを知りました。そうですね。ハスの花さんのお嬢さんの場合は人目に耐えて障害部位をさらす必要はなく、さらしてはいけない体の一部ですね。私は考慮がなくて失礼なことを申し上げました。
 早くオムツを替えてあげなくてはいけないのではと思ったのです。

 私は肢体障害ですので、人に見られることが避けられません。
 自分の醜い歩き方を周囲に見られるのはつらかったですが、それでも外に出たかったです。
 見られることを恐れていては強く生きていけないよと、周囲の教育・医療職員から常にさとされていたような気がします。

 そして見られることを乗り越えられたのは、周囲に様々な障害児がたくさんいたからでした。ある子は私より障害重く、ある子は事故で片手や片足がなかったり。
 みんな見られるつらさを乗り越えていかなくてはならない子ども達でした。
 そういう境遇で育ったので、お嬢さんの障害を理解してあげられなかったと思います。

 私の障害は、人によっては知能的障害を負うことがあります。
 その場合も知的障害の度合いは個々に異なります。
 障害者で、異なる障害者をを差別する人はいません。
 障害者は障害の種類と程度を越えて、全ての障害者が幸せになることを願っています。

 ハスの花さんもどんぐりさんも時々休んでください。
 誰かにお子さんのことを頼んで自分の時間を持ってください。
 





   >>> はじめまして。 どんぐり   -- 2004/07/01..
 
はじめまして。
ハスの花さんのメールを読んで おもわずお返事したくなりました。
私は、5年の不妊治療の末、これで最後にしようと凍結してあった受精卵のETで妊娠し41歳で出産したどんぐりです。
その子が1才6ヶ月で自閉傾向があることがわかり 昨年この掲示板でたくさんの方々に励まされました。
たとえ障害があっても自分の子・とてもいとおしいです。
私も、毎日・毎日泣いていました。やっとつらい不妊治療から解放され念願の子育てをしていたら 子供の障害に気づきどん底に落とされた気分でした。

ハスの花さんのお子さんとは障害が違いますが お気持ちがわかる気がしました。
つらいことと思いますが どうか頑張ってください。
医療の進歩で きっと娘さんがよい方向に向くと信じています。
 





   >>> よいことはいっぱいある しずよ   -- 2004/06/30..
 
ハスの花さん、
お子さんの可愛さに悩殺されっぱなしの様子に思わず頬がゆるみました。
そう、性器周辺の形成不全だと、確かに見られたくない思いになることでしょう。でも、見方を変えれば、普段は見られなくともすむ、服を着ていれば見た目で全然わからない、ということ。これから先のあれこれを思い悩むのは別として、ひとまずそういう気持ちで乗り切ってみてはいかがでしょうか。

ムスメは4時間ごとに導尿が必要ですので、デパートのベビーコーナーで行うこともありました。気になるときには、手持ちの浴用サイズのタオルをマザーズバッグとベッドの柵に渡して、その下でサササッということもありましたっけ。
意外と人はみていない。みたとしても、二度と会うことのない他人である。あれ?と思ったとしても、こういう子もいるのだと知ることは、いい勉強になったでしょう、と強気の気持ちになるのは、もっと先かもしれませんね。。。。

次のお子さんのことをお考えのようですが、きょうだいがいるとやはり先々心強いと思います。複数の子の育児は、大変は大変なのですが、しょうがいがなくても同じじゃないか、と思える部分も多く、つい偏りがちな考えの軌道修正ができるように思います。
また本人にとっても、きょうだいは、親と世間の中間くらいの位置をしめ、厳しいことをいうことも、親の援護射撃をしてくれることもでてくるんではないかな・・・・と思います。
(話はそれますが、拉致被害者の兄弟の行動・発言に、親にはできない、助けて余りある役割を果たしているなぁと思うこと多々ありました)

ご夫婦の、子供を持ちたいというエゴのために娘さんが苦労している・・・という発言ですが、「子供を持ちたい」という気持ちと「しょうがい」の間になんら関連性はないように思うのですが・・・・。
「子供を持ちたい」気持ちのレベルでいったら、ここのサイトには、本当に多くの身と心をすり減らしながら望み、かなわない方が大勢いらっしゃるんですもの・・・。

気をラクに、次のお子さんの準備をなさってくださいね。
 





   >>> 応援してます。。 なるまん   -- 2004/06/30..
 
私は子育てをしていないから ハスの花さんの切ない気持ち分かってあげれないけど もし娘が生きていたら きっと私も同じように悩み 情けないと思っていることでしょう。
だから とっても応援したいのです。私のできなかった子育てを 楽しんで欲しい と願っています。

もし オムツを替えるのが病棟だったらいやな思いしなかったよね。デパートだったから 理解者がいないから いやな思いしてしまったんだよね。
こども病院の子ども達も 同じ・・・・
薬の副作用で 顔・身体が何倍にも膨れ上がっている子や 抗がん剤で 髪の毛・眉毛・まつげのない子 本当は歩けるのに 立ってはいけない子 いろんな子ども達が 病院では楽しく生活している。
だけど 社会にでればいじめの対象。
保育園・幼稚園に戻れても 学校は戻るのが大変みたい。
保育園・幼稚園のこどもは純粋に 病気のお友達に頑張れ!!と応援できるのに 学校は難しい。

ハスの花さんみたいに 悩んでいる人は どんどん気持ちを社会に発するべきだと思います。
これからお母さんになる方、子育て中の方に 気持ちを知っていただく事、理解者を増やす事が ハスの花さんのお子さんの将来に つながると思います。 

応援団がいることを 忘れないでね!!

 





   >>> ありがとうございます ハスの花   -- 2004/06/29..
 
お返事ありがとうございます。
涙して読ませていただきました。

なおゆうぎさん、
確かに治療が出来るって事をありがたい事なんですね。
本当にそうなのに、ワタシは辛そうな検査や治療を見るたびに「ごめんね」としか思っていなかったです。
息子さんのこと、本当におつらいですね。
亡くす苦しみ・・・想像を超えた辛さでしょう。
今のワタシは考えただけでも怖いです。

メイさん、
ウチの娘と月例が近いですね。
明日で5ヶ月になります。
毎日成長している姿を見るのが楽しいですよね。
産後の病院通いはかなり辛いですよね。
搾乳しては冷凍して病院に運ぶ・・・今となっては懐かしいですけど。
励ましありがとうございました。

スターチススーパーレディピンクさん、
ご自身の貴重な体験を話して下さって本当にありがとうございます。
今のワタシにはやはりお母様のご努力に感銘をうけます。
スターチスさんのお話はワタシにいろいろ考えさせて下さいました。
ご自身が再度自立を目指したという事に本当に強く本当に頭の良い人なんだなって思いました。
娘も強く、どうするのが良い道なのかを判断できる人になって欲しいと思いました。
私自身がまず強く、判断行動が出来ないといけないのですがね。
本当にありがとうございました。

バンビさん、
娘が私達夫婦を選んで、そしてその体を選んできたのだ・・・と思う時もあります。
逆にこんな体で産んでしまって申し訳ないと思う時もあります。
でも、常に私の気持ちは「よくぞ私のところに来てくれた」です。
励ましのお言葉本当にありがとうございます。
もうすぐ出産ですね。
頑張ってください。応援しています。

かおるさん、
個性・・・なるほどですね^^
ご主人のおかあさま、本当にその当時は大変だったこととお察しいたします。
ご主人の今は私達の希望です。
そして、貴重な物・・・(笑)
そうですね、おいそれと人にはみせられません。
ありがとうございます。
ワタシの心を軽くしていただきました。本当に。

ぷりんぱんさん、
甥っ子さんの成長はワタシにも嬉しい限りです。
20数年前(?)にはパウチもなかったのですね。
今は想像も出来ません。
ぷりんぱんさんの強さと明るさが文面から伝わってきます。
お子さん達もきっとすくすく育っているのでしょうね。
ワタシも頑張る勇気をいただきました。
ありがとうございました。

この掲示板でワタシは皆様から元気をもらっています。
くじけて泣いているワタシを救っていただきました。
本当にありがとうございました。
 





   >>> いいお母さんですよ・・ ぷりんぱん   -- 2004/06/27..
 
 ハスの花さん、以前甥っ子のお話をさせていただいた者です。
彼の場合は尿道と直腸がつながっていました。男の子なので、手術の後男の子特有の性器の心配をしましたが、この春結婚してお嫁さんは看護婦さんです。生まれた時にわからず、腸が破裂して腹膜炎を起こし、助かる可能性は一割とも言われた甥は随分立派になりました。軟下剤を飲めば日常生活に全く支障はありません。

 生まれた時はまだパウチも売ってなく、ガーゼでぐるぐる巻きにしたストーマの上に手製の袋をつけて、ベビーカーでよく散歩しました。

 私の上の娘は生まれた次の日に、お医者さまに一生歩けないと言われました。足に先天性の異常が複数あり、一目でわかる状態でした。治療の関係で、他の赤ちゃんが紙オムツの中、ただ一人布オムツを使わねばならず、オムツをあければ他のお母さんにわかってしまう・・・。どきどきしながら産院で夜中にオムツを替えました。
ハスの花さんのお気持ちはよくわかります。

 その娘も信頼できる医師の治療のおかげで、今は全く歩行に問題はありません。次に生まれた娘は、一歳の時に先天性の病気がわかりました。彼女の病気は命にかかわるものだったので、手術が成功したあとも、私と夫は一年以上先のことは、考えないようにしていました。将来の心配をしてもいいんだ!と思えたのは、経過が良好で予定されていた二度目の手術をしなくてもよくなった時でした。
その次女も、今は元気にその後生まれた弟とよく喧嘩をしています。

 ハスの花さんは、お嬢さんをとても深く、深く愛していらっしゃいます。情けなくなんかないですよ!!とっても、とってもいいお母さんです。




 





   >>> 本当に頭がさがります。 かおる   -- 2004/06/27..
 
ハスの花さん、
娘さんと同じ様な「コンディション」といいますか、「個性」を持つ主人と一緒になった、かおるです。
ハスの花さんが、私の主人の小さかったころ一心不乱に
主人の世話をして下さった主人の母の姿にたぶります。
ありがとう、ハスの花さん。あなたの今のご苦労のおかげで、
私の主人がいます。
私はプライバシーはとても大切だと思います。隣りどおしで
おむつを換える必要なんてぜんぜんないですよ。
これは、私や主人が、「普通の人とはちょっぴり違う状態」を、恥じている訳では決してなく、
”二十数回の手術を繰り返した末にやっと出来上がった、ストーマちゃんそれからそこに取り付けてあるバッグが、
あまりにも「貴重」および神々しいので、おそれおおくてそんじょそこらの他人に、見せびらかす訳には、いかなくってよっ!
それに恥ずかしがりやさんなのよっ!”という、理由です。
手術の前や、その後だったら、なおさらです。
それから、性器の部分は、英語では、「プライベートパーツ=個人的なところ」っていうくらいですから、人に見せたり、「状態」を話したりすることなんて、お嬢さんを心から愛し、慈しみ、大切にしてくださる方以外には、必要ないんだと思います。
情けないなんて、そんな事はぜんぜん、ないんですよ。

私はお嬢さんが、ハスの花さんを見込んで選んでこの世にやってきたんだと思うんです。
エゴなんかじゃありませんよ。
義母もきっとたくさんの涙をながしたことでしょう。でも彼女が
がんばってくれたおかげで、主人がいます。
「生きる事」そして「命」をとても大切に、誇らしく生きています。
ちなみに今でも「管」の事を話しますよ。
「実験例に近い最初の患者だったから、医者もわかんなくって、
麻酔もしないで、いきなり管つっこむんだもん。もう、痛くって叫んだ叫んだ。」って、もう、自慢話の域に入ってますね(笑)

大丈夫、ハスの花さん。医学は日々進歩してますし、主人の手術の時の40数年前と比べたら格段の差でしょう。きっときっとうまくいきますよ。
お嬢さんと一緒にがんばって、あと数回の手術乗り越えてくださいね。かわいいお嬢さんの笑い声、寝返りの姿からたくさんエネルギーをもらってくださいね。

心の底からお祈りしています。
 





   >>> 私の体験(3) スターチススーパーレディピンク   -- 2004/06/27..
 
 私は小学校高学年で養護学校に隣接する療護施設に入園し、手術を受け本格的にリハビリをすることになりました。
 手術が成功し、初めて歩けるようになった私の姿を見て、母はやっと1歳になったと心でつぶやいたそうです。
 
 でも私は手術が終わっても少し歩けるようになっても養護学校の高等部を卒業するまで家に帰れませんでした。
 経済的にも苦しい我が家は母が働きだし、私に付き添って通学できなかったからです。

 どんなに家族の元に帰りたかったか、その気持をわかってくれない母をまた恨みました。

 養護学校を卒業し家に戻った私は、今度は自分の意志で家を出て自分自身の力で人生を切り開いていきたいと思うようになりました。しかし家にいるのが私の幸せ、何も苦労をしに外にでることはないという両親の考えと私の心は随分葛藤しました。
 
 私は両親の気持を振り切り、自分の道を進み社会に出ました。
 就職し職場で差別やいじめにあい、心身ともボロボロになり、実家に戻りました。
 そして人間不信、社会不信に陥り、苦しんだ私は両親に当たることしかできませんでした。

 でもこのままではみじめなので、また新たな目標をもち再出発しました。そうすることが自分と親の幸せになると思って。そして今度挫折しても決して親を恨まないと心に決めました。その過程で夫との交際が始まり結婚し1児の母となりました。

 子どもの頃のことだけ書こうとしたらつい長くなって余分なことまで書いてしまいました。

 ハスの花さんには参考にならないかもしれません。でもこれを読んでいる間少しでも気休めになればいいと思いました。

 親もつらいですね。でも私は子どもの心の側にしか立てませんが子どもも闘っています。
 子どもさんのためにどうか少しづつ強い親になってくださいね。

 母が私をおぶって通学している間弟妹は保育園に預けられたり母方の祖母に預けられたりでふたりも寂しい思いをしました。
 でも子どもが3人いることは親たちの支えになったようです。
 母は3人いてよかったと言っています。
 ぜひ兄弟をつくってくださいね。

 デパートでのオムツ替えの件ですが、厳しいことをいうようですが、親が気にせずケロッとしていなくては世間の偏見は無くせません。芝居でも、たいしたことではないと外ではふるまってください。平気にしていると、世間もそんなものかと思います。

 胸に溜まったらまたこのVOICEに来て吐き出してください。
 受け止め応援してくれる仲間が必ずいるでしょう。
 ハスの花さんに限らず障害児をお育ての方、どうぞもっと胸の内を遠慮なさらずこういう場で語ってください。
 同じような障害のグループで話しやすいこともありますが、普通のひとりのお母さんとして同世代の女性たちに胸の内を伝えてください。きっと心強い返事が返ってくると思います。
 





   >>> 私の体験(2) スターチススーパーレディピンク   -- 2004/06/27..
 
 小学校入学が近い頃、近所の小学校に呼び出され校長室に案内されました。父が私を抱いて母がそばに付き添って校長室のソファに座り校長らしい人と向かい合ったのを今でも覚えています。
 そのとき、地元の小学校では受け入れられないので、養護学校にいくように言われました。

 その頃県内に1,2校しかない養護学校は遠かったです。バス、電車を乗り継いで、そこからまた養護学校のスクールバスに乗って到着です。体重が増えていく私を母と祖母が毎日交代で背負って通学しました。この頃から私は世間が私を物珍しそうに見る目に気づきました。

 事情があって祖母が家を出て、母が私を毎日背負い通学するようになりました。私の重たさに耐えかね、家に着いて玄関口に座るなり母が背中から私を振り落としたこともありました。

 私は学校でリハビリを受け、家に帰ってもまた真先にリハビリを母に強制させられました。それが済むまではおやつも遊びも宿題もさせてくれませんでした。
 私は母の厳しさを恨みました。

 夏休みは午前中は母に手を取られ外で歩行訓練が日課でした。
 近所のポプラ並木の下をふたりで楽しいことをおしゃべりしながら歩きました。
 ある日歩いている途中急に私の唇が紫色になり顔色が真っ青になったので、あわてて母は私を抱いて家に駆け戻りました。
 日射病になりかけたようです。

 父は勤めの後、夕食後、私を乳母車に乗せて街を散歩しました。
 乳母車が進むと月もついて来るのが子供心に不思議な、月夜の散歩でした。
 他の子のように自由に外で遊べない私のなぐさめは唯一読書でした。日曜日には父にねだってよく本屋に連れて行ってもらいました。父は私が気に入った本を見つけるまで本棚の前で私を抱き続け
腕がだるくなって大変だったそうです。
 





   >>> 胸が詰まりました。 バンビ   -- 2004/06/26..
 
ハスの花さん、今晩は。私は今37週の42才です。年齢的に、2人は無理かも知れないと、思いながら、このお腹に宿った子供の誕生を待ちわびています。ハスの花さんが娘さんを愛おしく思う気持ちはとても伝わります。体外受精で授かったのは私達夫婦も同じです...。

とても優しい気持ちで娘さんに接してられる姿を想像して、尊敬します。ただ「自分たちが子供が欲しいと思うエゴで娘が苦労しているなら、身が裂けるほど苦しい。」というところで本当に胸が張り裂けそうでした。そんな事はないと思います。きっとそれなりに他の方達とは違った努力や協力が必要だと思いますが、私はきっと娘さんはとても感謝して大きく成長していくと思いました。

ハスの花さんの御一家がこれからとっても希望と幸せに満ちたものになるような気がしてなりません。どうか、御夫婦のエゴだと言わないで下さい。子供が欲しいと言うのは人間の本能ではないでしょうか?私も医学の進歩のおかげで、体外受精という手段で授かりました。ハスの花さんと同様羊水検査は受けていません。産まれた子がどんな特徴を持って産まれて来ても、ハスの花さんの様に暖かく、夫婦で見守りながら育てて行きたいと思います。きっと心の優しい人間に育ってくれると思います...。

私は、ハスの花さんの大変な立場になりきれてないかもしれませんが、とても今の奮闘が伝わりました。どうかこれからも娘さんを暖かく見守ってあげて下さい。そしてハスの花さんも元気で強く、泣く事があってもまた立ち直り、母として自信を持って下さいね。尊敬しています。

 





   >>> 私の体験(1) スターチススーパーレディピンク   -- 2004/06/26..
 
 前回ハスの花さんにレスした者です。
 私は先天性ではありませんが、生まれつき障害があります。
 未熟児で産まれたので、保育器に長いこと入れられ、度々注射を打たれお尻からうんちを飛ばし、それを見て母は痛くてうんちを出すのかと涙ぐんでばかりいたそうです。
 1歳過ぎてもお座りもはいはいもできず、大学病院へ連れて行き障害があると診断されました。
 それからはリハビリの毎日でした。私がものごころつく頃、両足には矯正のためのギプスをはめられ、痛くて毎晩眠れず泣いていました。ギプスではあまりにかわいそうということで、次は細長い板を足にあて包帯でぐるぐる巻きにされました。それでも痛さは変わりませんでした。
 大学病院に定期的に治療に通院しました。母は私を背に負い、2つ違いの弟の手を引いて歩かせて行きました。
 弟がおぶわれてもいいくらいの幼さだったのに、歩かせてかわいそうだった、弟が「姉ちゃん、歩けなくてかわいそうね」と言ったと、母はよく当時のことを語りました。

 私は就学前に2度、数ヶ月障害児のための施設に祖母と入所して治療を受けました。父と弟の世話のために母が付き添うことはできなかったからです。2度目の治療を受け家に帰ったら妹が産まれていました。とてもかわいかったです。父が妹の名を私が付けていいと言ったので、私が妹を名付けました。

 当時保育園、幼稚園で障害児を受け容れず、私は近所の子ども達が毎朝通園する姿を2階から眺めていました。とくにうらやましくはなかったです。家には母と祖母がいたからそのそばで過ごせば寂しいことはなかったです。

 
 





   >>> うちの息子も・・・ メイ   -- 2004/06/26..
 
41歳で初めての子供を授かりましたが、息子は臍帯ヘルニアという病気で、お臍から腸が出ていました。
出産後、チラッと顔を見ただけで救急車で運ばれていきました。
人工肛門になるかも、とも言われましたが、
手術をして幸い事なきを得ましたが、やはりわたしも3週間ほど、車で1時間かけて病院に通いました。
出産後の体にはきつかったです。
ハスの花さんの話、人事とは思えません。
でもどうやって励ましたらいいのか、いい言葉がみつからないのですが、だまってもいられなかった。
私もまだ、だれかに助言できるほど、息子に起こったことについて
はっきりとしたものを見出していません。
悩みながら、無我夢中で子育てをしていくんだと思います。
息子は今4ヶ月。
ハスの花さんのお嬢さんのように、笑ったり、寝返りをしたり。
心配なこともたくさんあるけど、とりあえず母は笑っていようと思います。
うまくまとまらず、すみません。
また、メールしますね。
 





   >>> 思いつめないで・・・ なおゆうぎ   -- 2004/06/26..
 
 こんにちは、ハスの花さんのお子さんへの思い、痛いほどわかります。我が子が管につながれ苦しそうな顔を見る辛さ、これから何度も入院手術をしなければならない我が子を思う不憫さ、切ないですよね。

私の息子も難病と診断されてからの、何年かはそれはれは、我が子が不憫でたまらなく、私自身は毎日が本当に恐怖しかありませんでした。薬を使うごとに、手術をするごとに、毎日が心臓がバクバクする思いでした。
それでも治療が出来た頃は、それは幸せだったのです。
「出来る治療はない。」と言われてからのそれからは、もっと過酷でした。普通の人には想像もしえないことだと思います。
そして亡くした苦しみは、更にそれを越えるものです。

私はよく難病で頑張っているお母さん方に申し上げることがあります。 治療が出来るって素晴らしいことなんだよ!と。
現状維持が出来るって素晴らしいことだと思います。
子供はその現状維持の状態の中で、楽しみさえも見つけます。
親として見ていてとても切ないけれど、命があったあの頃に、戻りたいです。

次の子の時に色々な検査を受けるお気持ちもよくわかります。
私も、例えばダウン症そのものに対しての否定はありませんが、心臓病などの合併症は、息子の闘病生活を経験していますから、もう嫌ですし、怖いです。 きっと息子が今どんな状態でも生きていてくれていたら、私も検査を受けていたでしょう。
でも更に辛い亡くす苦しみを知ってしまい、自分の手でなくすことが出来なくなりました。

文がまとまりませんが、私があなたに申し上げたいことは、あなたの娘さんは笑って寝返りうって、普通に生きているということ。
これから手術もできる、ということは生きていく道が開けているということ。辛くて怖い気持ちよくわかります。でも辛くて怖いのも
生きて闘っていてくれるからです。
頑張っているハスの花さんにこれ以上頑張って!とは言いません。
娘さんのためにも、負けないでほしい。