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情報提供の場としてのインターネット 明里  -- 2004/06/24 ..
 現在、3歳と1歳の双子の母親です。3人とも羊水検査を行いましたが、そのとき、情報提供の場として、このvoiceにはずいぶんとお世話になりました。
 通常の羊水検査のこと、また2,3日で結果がでる特別な羊水検査のこと(インサイツ迅速診断法だったかしら?)、また、羊水検査を受けるに当たって気をつける点(当日、おなかが張っていないか、また内診をしてもらったかどうか、病院の選択、費用など)ずいぶんと助かりました。
 ここ最近の書き込みをみて思うのは、羊水検査について情報を得たい人々には、ずいぶんと書き込みがしにくい雰囲気になったなということです。十分な知識をもって妊娠に及んだひとは別として、多くの人々は羊水検査で何がわかるのかも十分わかりませんし、まして超音波診断で異常のために突然病院で羊水検査を勧められたひとにはパニックでしょう。病院側のインフォームドコンセントも現状ではとても貧弱です。
 羊水検査を受けるか受けないかはきわめて個人的な問題であり、「受けるか受けないか」を相談する書き込みここではあまりみられませんし、また第三者に相談して決めることではないと思います。私が悲しく思うのは、検査の情報をほしいと明言しているひと、また検査を受けて不安な気持ちを静めるために書き込みをしている人に対する責めるような書き込みです。
 人の気持ちはわかりません。羊水検査を受けて、結果がどうであっても中絶しないかもしれないし、ぜったい何があっても中絶しないと明言していたひとが、超音波診断で中絶をするかもしれません。障害者を差別していた人がすごくいい障害者の両親になるかもしれませんし、差別のために社会的に活動していたひとが、孫の知的障害を受け入れられないなど、よくあることです。
 もしも「私は絶対にどんな子供でも差別をしない」と明言するひとがいるならば、私はそのようなひとは信用しません。自分自身の心に潜む「エゴ」をまったく見据えることができない人だと思うからです。
 羊水検査反対、大いに結構です。中絶反対、素晴らしい意見です。しかし、「命」の尊さを武器に他人を裁くことは大いに疑問を感じます。たいていの人は、自分自身の気持ちですら、その場になってみないとわかりません。ですから、どのような意見を持っても「人を裁く(断罪する)」のは非常に危険なことです。
 ここが多くの人々の悩みを少しでも解消する場となることを切にのぞみます。


しずよさんに共感しました   あいん
ありがとうございました 3   明里
私の経験から   しずよ
娘沙羅さんへ   茶畑
明里さんへ   パスタ
同感です   ルーム
衝撃を受けたのは貴女だけではない   茶畑
私の経験から   娘沙羅
明里さん   マンボ
明里さんへ   sachi
ありがとうございました2   明里
ありがとうございます   明里
勇気さんへ、   クリスチャン
インターネットの匿名性   クリスチャン
私も、同じことを考えてました。   Rain
まったく同感です   gura
こんにちは。   マンボ
なぜ私たちだけが苦悩する?   勇気
クールダウン   トマトの気持ち
同感です。   パスタ
気持ちは同じですが・・。   さと
おっしゃるとおりです   芽衣
インターネットの世界。   さぬきうどん
相手の意見を否定せず自分の意見を!   なおゆうぎ
「和宮様御留」   茶畑
ほんとにそう思います・・・   ららん
はっとさせられました。   こま
私の言いたい事も同じです   堕天使




 

   >>> しずよさんに共感しました あいん   -- 2004/06/24..
 
しずよさんの投稿に深く共感してでてきました。

私は41歳のとき、半ばあきらめかけていた三人目を妊娠しました。
4回流産をしているため、妊娠初期は、また流産するのではないかと常に心配していました。

主人は日ごろから「障害があったって関係ない。三人目が欲しい。」と言っていました。
それが明里さんの言われる「障害者を差別しない」ということなのかどうか分かりませんが、彼だったらそうだろうと思っています。
私はそこまで思えない、出来ない人間なので、自分に出来ないことが出来る人という点で、主人を尊敬してきました。

初期流産の時期を何とか乗り越え、羊水検査の時期になりました。

私としては、健康な子がよいのは当然だけれど、かといって検査で異常が分かったら妊娠を中断するとまでは割り切れない、という気持ちでした。
そんな気持ちで受けて、異常だと分かったら、自分が苦しむだけのような気がしました。
異常が分かっても産むのであれば、検査は受けずに妊娠を継続して生まれた子を受け入れようと、漠然と思っていました。

背中を押してもらうつもりで、羊水検査のことを主人に尋ねてみました。
主人は常々上記のように言っていたので、「せっかくできたんだから産んでくれよ。障害があったっていいじゃないか。」と言ってくれるだろうと思ったのです。
けれど彼の答えは「君のしたいようにしていいよ。」というものでした。

それから色々考えました。
高齢妊娠、出産自体のリスク、高齢ゆえ障害児が生まれたら、上の子達に負担をかけてしまうのではないか、などなど・・・。
けれど、あれだけ三人目を望み、初期には流産しないように祈り、その時期も乗り越えお腹で育っている子に、自分が高齢だからと羊水検査を受け、異常があったら産まないというのは、あまりに身勝手な「エゴ」だという気がしてきました。

障害があったって、主人は平気だと言っているのだし、彼と一緒なら育てられると思いました。
「障害があったっていい」とまで思えたわけではありません。
けれど私は、検査は受けないという結論をだしました。

それを主人に話すと、安心したようで、初めて喜びを表に出してくれました。

主人にとっては、自分が平気だからといって、産むことを要求することが「エゴ」だと思ったのかもしれません。
私が望むなら羊水検査を受け、場合によっては妊娠を中断することをも受け入れることが、主人の選択だったのだと思います。

障害があることは不便であっても不幸ではないと言える生き方をされているしずよさんを尊敬します。
一見、不幸に見えるものの向こうに幸せがあったり、苦しんだからこそ分かる喜びがあったり、人生を深いものできるかどうか、自分自身にかかっているのですね。
 





   >>> ありがとうございました 3 明里   -- 2004/06/24..
 
 さまざまな書き込みありがとうございます。
 つらい経験をつづってくださった皆様、しずよさん、娘沙羅さん、マンボさん、パスタさんありがとうございます。 そして過去の書き込みまで茶畑さんは目を通してくださったとのこと、私という存在に真剣に向き合おうとしてくださっていることに感謝します。

 双子の一人が肺炎で入院しました。泊まり込みでの看病で疲労の極地にいます。現在母に代わってもらって、自宅へ帰り、書き込みを読んでいます。残りの二人の子供達の面倒を見てくれる夫や義母、両親に感謝感謝です。

 このような状態ですので、まとまりのない文になったり、論調がきつくなったりすることをお許しください。

 幼子を育てるということは、多くの方が指摘してくださったとおり、常に病気との闘いです。私は障害や病が不幸だとは思っていません。しずよさんのご指摘の通り、障害が不幸か、不幸ではないかは当事者自身が決めるものに他なりませんから。

 問題の根本は「羊水検査」を容認することが、障害者と健常者がともに生きていく世界の建設に障害となるかということなのでしょうね。

 わたしは、現時点では、羊水検査を制限することのほうが弊害は大きいと考えています。
 
 茶畑さんのご指摘があったとおり、私は羊水検査を「障害の発見」または「障害を迎える準備」であるととらえています。私は、バイオテクノロジーを仕事とする医療サイドの人間でもあり、現在は遺伝子欠損とある種の病気の発病の因果関係を探る研究をしています。顎顔面の発達が専門であり、超音波診断(いわゆるエコーです)から自分の胎児がダウン症を含むいくつかの疾患の可能性がとても低いことを羊水検査の前から知っていました。主に心配していたのは、私の個人的な理由からのまれな遺伝子疾患であり、幼児期からの特殊なケアが必要とされるものでした。勉強している医師であれば、羊水検査などなくても、妊婦側に知らされるより遙かに多くのことを彼女の胎児について知っています。知りたくない、治せないのなら出産まで知りたくないという方も多いと思います。私自身、自分のネガティブな知識に妊娠の間中怯えていました。でも、妊婦に知らせる必要がないということが、医師の知識不足の言い訳や助長になって胎児を危険にさらす結果になる場合もあります。

 私の妹夫婦は前置胎盤を医師に見落とされ、出産のさい大量出血のため子供に障害を負いました。また、友人は感染症の適切な処置を間違えられ、胎児が死んだだけでなく、子宮摘出になってしまいました。ふたりとも前向きで、妹夫婦の子供は私の娘の大切な友人です。しかし、これらは防げたことです。
 
 無駄な命はありません。立つこともしゃべることもできない何もできないでいる子供も、ただそこにいて笑ってくれるだけで生きていく尊さを教えてくれます。それはわかっていても、妊婦に何も知らずにいろ、産まれたらすべ受け入れろというのは、医師の意識も含めて、受け入れがたいものがあります。

 私は出生前診断を受けるならばなるべく早く、安全に受けてほしいと思います。そして、どうするか充分に考える時間と、偏見のない情報が与えてほしい。それは、たとえばダウン症を育てるにあたってどのような援助が得られるかとか、中期中絶がどれだけ女性の体と心を傷つけるのかということも含めてです。
 当事者以外の人にできることは、身ごもった女性や家族に責任を丸投げするのではなく、またその決断を評価するのではなく、彼女たちが安心して産み育てられる世の中にしていくことに、つきると思います。私はそのような成熟した世の中を強く望みます。
 女性の出産率低下や、介護虐待と同様に、出生診断による堕胎は半分以上社会の責任というのが私の考えです。

  最後に
 我々女性側の思惑とは別に、検査方法はますます正確に簡便になってきています。母親の血液から胎児の細胞を選別する研究が、いま急ピッチにすすめられています。今日、ヒトクローン胚の研究利用が許可されるとの記事を読みました。ES細胞の研究すら欧米では大議論が巻き起こっているのに、なぜ日本はこうも、やすやすと議論が進んでしまうのか・・・ES細胞とは何なのか、クローン胚がどのように作られるか知っているに人どれだけいるのか・・・この分野に携わるものとして、ひどく苦いものがいつも引っかかっています。

 このスレッドにおつきあいをいただいた方、本当にありがとうございます。私自身も考える点、反省する点が数多くありました。子供の入院のため、しばらくはここを訪れることができませんが、書き込んでくださった文は必ず目を通させて頂くとともに、自分自身への戒めとさせていただきます。
 





   >>> 私の経験から しずよ   -- 2004/06/21..
 
どのように出て行ったらよいか、思いあぐねているうちに、茶畑さんが、少し私の気持ちを代弁するようなレスをしてくださいました。

私は、羊水検査ではありませんが、同じく出生前診断で(確率で示されはしますが)診断のつく、脊椎破裂の子供を持つ親です。
出生前診断についての意見に、時にはひどく気鬱な気分になりますが、自分自身妊婦でかつ子供たちの世話もあり、余裕のなさから、とても論旨に破綻のない文章はかけないと思い、たまにのぞいてはやり過ごしていました。

私の意見は、出生前診断は、障害があるこどもを育てることの整っている社会では、親の気構えや手術の準備などの選択を与える技術でありますが、そうでない社会では「死の医術」になる、というものです。

明里さんがおっしゃるよう、ここには「検査の情報をほしいと明言しているひと、また検査を受けて不安な気持ちを静めるために書き込みをしている人」が訪れるようですから、その人たちには、それらの目的を果たすのと同時に、なるまんさんがおっしゃっているように、どうぞ、障害のある人が暮らしやすい社会になるよう、なんらかの手をさしのべていただきたいと願っています。

当事者は逃れることもなく、自分の運命と格闘しており、不安な気持ちは他の何によって癒されるものでなく、自分の努力と幸せでいようという信念で乗り越えるものだと思っているものです。

6年前、子供の誕生と同時にこの障害を知ったときは驚きましたが、ちょうどその頃、北欧のある国の大臣が女性でこの病気であることを知り、たいへん勇気付けられました。

日本にそのような環境はあるのだろうか・・・・と思います。
スペインでもダウン症の教師が誕生したそうですね。
「生の技術」になるか「死の技術」になるか。
その社会の構成員の一人一人が問われていると私は思っています。

最後に。
障害があることは不便であっても不幸ではない。
という言葉をききますが、その通りと思います。私はどんな病気でも生まれてきたい。死ぬことはその後でもできる、とおもいます。
結婚までの10年以上ささやかですが障害者ボランティアに携わり、父の壮絶なガン死も経験しましたが、そう思います。
これが「命の尊厳」を武器に人を裁く発言かどうか私にはわかりません。

 





   >>> 娘沙羅さんへ 茶畑   -- 2004/06/21..
 
 どのように深く傷ついたのか、ここで詳しくおっしゃっていただけませんか。
 それを吐き出さないと、傷はそのままだと思います。
 





   >>> 明里さんへ パスタ   -- 2004/06/20..
 
以前から知的な方だとは思っていたのですが、素直で真っ直ぐな方ですね。

私がここを覗くのは、きっと貴女のような思いやりがあって信頼できる意見が聞きたいからなのかも・・。
人間として大人として生き方の参考にもなります。
 





   >>> 同感です ルーム   -- 2004/06/19..
 
良くぞ言って下さいました。羊水検査反対の方たちの感情的かつ、一方的なジャッジメントには、正直げんなりしていました。明里さんのおっしゃるとおりで、最近では出世前診断をこれから受けようという人達は声を出し難い風潮があります。

人が百人いれば百通りの人生があります。価値観も百通りでしょう。それを一々、自分と違うからと言って攻撃してよいはずがありません。

百人の人が百人の人の様々な人生の決断を、きちんと敬意をもって尊重し、決して土足で人の心に踏み込むような事がない成熟したコンセンサスこそが、障害者も安心して暮せる社会になるためにはまず必要ではないでしょうか?

それができないのなら、命の重み云々と偉そうなことを言っていても、それはあくまでも薄っぺらいひとりよがりにしか私には聞こえません。
 





   >>> 衝撃を受けたのは貴女だけではない 茶畑   -- 2004/06/18..
 
 過去ログで明里さんが同意者同志で、胎児異常の場合の堕胎を前提として羊水検査について活発に意見交換しているのを読み、私は衝撃を受けました。
 また明里さん以外に、これまで障害児を堕胎する理由に「障害があることは人間として不幸だ」という意見を度々読むたびに悲しい気持になりました。
 明里さんの意見を何度か目にしてきて、障害があるかどうか調べ障害があるとわかったらその準備期間とするための羊水検査でもあると位置づけた意見は今回の投稿が初めてです。
 これまで貴女は堕胎を前提とした羊水検査を擁護し、そのような人々を責めてはいけないと述べていらっしゃいました。
 妊婦は通常の精神ではないからいたわってほしいとおっしゃいます。
 しかし障害を持つ人、障害児を育てている人は、この掲示板で障害があると不幸だから検査次第で産まないという意見を目にすれば悲しみと不快を覚える人も中にはいるのではないですか。
 行政が障害児者が共生できるように啓蒙活動や制度整備を行っているのに、インターネットで「障害があると不幸だから産まない」と多数の人が書き込むのは、「やっぱり障害があると不幸だ」と障害児者への偏見と差別を助長し、障害を持つ人、その親の人々の、「障害者にとって暖かい生きやすい社会になってほしい」という思いに逆行することになりませんか。

 育児は健常児であっても障害児であっても大変なことです。
 女性の社会進出、核家族化で育児を巡る状況は昔と違います。
 女性は孤立したなかで育児を余儀なくされています。
 明里さんの返事の中で、どんな母親も虐待に走らないのだろうか、追いつめられれば自分もどうなるかわからないというのはよくわかります。
 自分の中のそのような危険性を自覚するのは良いことだと思います。しかし虐待問題予防のための自己懐疑と、障害児者が生きやすい社会という良識を常識にしようとしている現代社会において、「障害があると不幸だから産まない、そのために羊水検査をするという意見を責めるべきでない。誰だって差別しないという人を信用しない」と懐疑的に他者に問うのは間違いだと思います。

 明里さんがご主人、ご両親、義父母にの絶え間ないサポートによって笑顔で子どもを愛し、育児できるように、障害児を育てている方も支えがあるから育児できるのですよ。

 

 





   >>> 私の経験から 娘沙羅   -- 2004/06/18..
 
明里さん、いつも思慮深いご意見を述べられる方だとお見受けしております。
私は私の経験から物を言わせて戴きますが、私は明里さんと基本的には同じように思うところが多分にあります。

さて、私は羊水検査や「命の選択」に関するスレッドには、意識的にレスできなくなりました。それは私が、羊水検査を受け、「命の選択」をやった当事者だからです。
私がそれにかかわれなくなったのは、何もかもが生々しく、傷口をえぐられるように感じることも理由の一つではありますが、もう一つ、過去のレスの幾つかで自分が深く傷ついた、という理由もあります。(だからといって、投稿しなければよかったとはさらさら思っていません。今でも本当に感謝しています。)

当時私の立てたスレッドに本当にたくさんのご意見を戴きました。
同情的だったり、励ましであったり、又批判的なものもありました。
確かに、賛否両論、そのどちらの意見も大変貴重なものでした。自分では考え及ばない意見も確かにあるものです。しかしながら、何を言ってもいいというものではないと思います。
幾つかのレスに対しては、私は大変深く傷つき、悪意さえ感じました。匿名だからといって何を言ってもいいのでしょうか?
行き過ぎた意見に対してたしなめて下さった方に対し、本人が反論していないのに他人が何を言うのだ、という意見がありました。行き過ぎた意見と思うのなら、スレッドを立てた本人が直接何か言うはずだ、と。
私はその時、深く傷つき、試練とも思える現実に直面するのに精一杯で、反論する気力など全くありませんでした。
反対意見や自分の意見を自分の経験や考えに基づいて述べることを否定はしません。けれど、命の尊さを武器に他人の人間性や生きる姿勢について、感情的に誹謗することをよしとしません。
ややもすれば他人を深くを傷つけるかもしれないのだということを忘れずに、最低限のマナーを意識してレスしていただきたいと思います。
ここは参加者自体の年齢も高く、それを期待してもいいほどの、良識も思慮もある大人の多く集まるサイトだと思っています。
大切な自分の友人に、面と向かって言うことのできない言葉は、使って戴きたくありません。投稿する前に、相手が貴方の無二の親友でも、同じ言葉で、同じ事が言えるかどうか、今一度考えていただきたいと思います。

 





   >>> 明里さん マンボ   -- 2004/06/18..
 
いろいろな経験を踏まえてのご意見、興味深く拝見させていただいております。

人は時に自分でもどうしようもない感情に囚われてしまうことがあるようです。怒りや悲しみ、やるせなさ、落ち込みといった負の感情です。

その多くは、他人の放った一言や自己を否定されたときに沸きあがってくるものだと思います。本人が意図することなしに、不意に誰かを傷つけることもあるでしょう。
インターネットの掲示板という匿名性に埋もれた個々の人格は、容易に判断してはならない、と思いつつ、さすがに文字というのは、与える影響がとりわけ大きいようですね。

とはいえ、顔の見える関係では、どうしても体裁や人間関係に阻まれ自己をさらすことも難しく、ここで本音で語り合える、という素晴らしさも、捨てがたいものがあります。

明里さんがおっしゃる通り、あらゆる状況を思い描いてのアドバイスは、実にやさしさに溢れるものだと信じます。
相手の見えない文字の世界では、メッセージの発信者、受け取り手、両者がお互いを「わかろう」と視野を広げ、そして、想いを巡らせることが大切なのかもしれませんね。

わたしが、寛容、と申し上げたのは、一見他者に対して向けられたものではありますが、自分自身にも許しを与えていたい、と願っているからです。
(そう書きながらも、他者に私有の価値観を押し付けてるのでは、と、少し悩みましたが。)
それは確実に、生きることを容易くしてくれます。
 





   >>> 明里さんへ sachi   -- 2004/06/17..
 
私もあなたに同感。
子供は愛しい存在です。
でも本当に疲れたときは子供を産んだことが人生で大きな失敗をしたような気持ちになったことありますよ。
虐待のニュースをきくたび怒りや悲しみで心が痛みますがホルモンやうつ病は本人がコントロールできない場合もあるとおもうしそういった人、事件がおこってしまうのも仕方がないのかと理解もできます。いいときも悪いときもあっていろんなことを学ぶということが子供をもった本当の意味なのではないかと思うことがあります。
最初から御立派な方もいらっしゃるでしょうがみんな悩んでみたり自分を責めてみたり自分をほめてみたりかわいがったりおこったりいろんな経験をして子育てそして親に育てている経験をしているのです。羊水検査で悩むということはひとつの学びだと思います。
悩まなかったらいろんな角度で物事をみたり考えたりしなくていいわけですから。
何が正しいなんてわからなくていいんじゃあないでしょうか。
みなさんの真摯な気持ちをインターネット場で情報交換できるっていいことだとおもいます。

 





   >>> ありがとうございました2 明里   -- 2004/06/17..
 
 前述した書き込みで、直接お名前はあげませんでしたが、いくつかの質問に答えたつもりでいますが、どうでしょうか。

 匿名性や女性だけが悩むとの意見に関しては、なぜというよりも、医療や治療方法の選択も含めて、いつの時代も、どんな場合でも悩みはつきないと思います、生きている限り。

 後述になりましたが、未熟児で産まれた双子達のことを病院という限られた空間で調べる際にもインターネットは強力な手段となりました(病院にネット端末がありましたが、図書館にも本屋さんにもいけませんでしたので)。便利になったなぁというのが実感です。
 





   >>> ありがとうございます 明里   -- 2004/06/17..
 
 いろいろな意見、本当にありがとうございました。
 私の考えに賛同意見も、反対意見も興味深く読ませて頂きました。
しかし、妊娠中、羊水検査前後に「貴女の親としての資格を疑う」という趣旨のことを書かれたときの衝撃は今でも忘れられません。今では「そうかもしれない」とさらりと受け取れると言うことは、妊娠中は精神が通常では無くなっていたのだと思います。妊婦さんも含めて悩みを抱えている人には、いたわってあげてほしいというのが率直な願いです。
 双子の妊娠中、23週のとき、切迫早産で病院に入院し、絶対安静を言い渡されました。そして、感染症を併発し、妊婦に禁忌と言われる抗生物質の大量投与を受けざるおえませんでした。高熱にうなされ、寝返りをうつこともままならない中で、子供達の無事を祈る自分とともに、どうなってもいいから早く子供を出してほしいと願う自分がいました。産まれてからもサイレンのようにかわるがわる一晩中泣く子供達が目の前から消えてほしいと考えたこともあります。でも、かわいくて愛しくて、命を差し出しても絶対守ってあげたいと思う私もいます。
 だから、わたしは障害の有無にかかわらず子供達を受け入れられない、または拒否してしまう自分というのを容易に想像できるのです。いま、子供達を愛しいと思い、笑って育児をできるのも夫と両親と義母の絶え間ないサポートがあったからです。もしも少しでも状況が違ったら?状況によっては、最悪のことも子供達にやってしまうかもしれないという、妙な自信が私にはあります。そしてその実感を持っていると言うことは、これからこの子達を育てて行く上で財産なのではないかと思っています。
 ですから、「自分の子は絶対になにがあっても、どのような子でも受け入れる」と言い切る人がいるならば、不遜なわたしは「ほんとうかな」と疑わしく思ってしまいます。子供といえども他人です。わたしはそのような人に聞くしかありません。あなたは、まちがわなくてすみますか? 一瞬でも人を憎んだり、消えてほしいと思ったことがありませんか?それが自分の子供にならないと、言い切れますか?
 ずいぶんと生意気なことを書いてしまいました。でも、自分対相手ではなく、いろいろな状況に自分を想像して悩みながら出した結論をアドバイスしてあげるとき、それは建設的なものとなり、他者の悩みを軽減する糸口になるのだと、私は信じます。

 





   >>> 勇気さんへ、 クリスチャン   -- 2004/06/17..
 
勇気さんのご意見を読む前に「匿名性」について書いていました。
それこそ「勇気をもって」実名で意見交換する方が健康的というか
建設的だと思いますが...。それにはお互いの人間性がわかっていないと難しい。少なくともface to faceの場でないと、危ないと思います。また、羊水検査の問題は中絶の是非にもつながる問題でもあり、非常に根深いデリケートです。単なる異なる「意見」以上に発展することもありますから....(アメリカでは中絶を治療(?)した医者を反対派が殺害したという事件がありましたよ)
 





   >>> インターネットの匿名性 クリスチャン   -- 2004/06/17..
 
このサイトは「VOICE」といタイトルが示すように、匿名(ハンドルネーム)の方々が自由(責任無く)にご自分の体験や知識を情報として提供してくださる「場」であると同時に、普段の「お付き合い」の中ではなかなか難しい本音の「意見」を交換できる場でもあると理解しています。その両立が興味あるところでもあり、ある時は不快なこともある点です。私は自分と異なる意見、それが少々攻撃的(刺激的)な表現だとしても、インターネットだからこそ交換しあえる意見だと考えています。異なる考え方や意見があることに、和を尊び他人の気持ちを尊ぶ「日本人」は慣れていないから、逆に意見の対立が感情的な対立になってしまいがちのように感じられます。そのへんのところを考慮に入れインターネットを利用されるのがいいと思いますが。付け加えると「VOICE」の情報は善意で提供してくださる良心的なものですが、あくまでも「匿名」で書かれているもの、「信用」するにも客観的な見方をする必要があると思います。
 





   >>> 私も、同じことを考えてました。 Rain   -- 2004/06/16..
 
 だんだんヒートアップしていく意見を読ませて頂きながら、賛否どちらの意見にも共感出来る部分もあるし、出来ない部分もありました。それは、それぞれ個人の意見ですし、それを交換出来る場が、ここの良さだと思いながら、ただ、反対意見を責める言い方の文章を読むと、悲しい気分になっていました。
 でも、私には、自分の経験以上のことは、何も語れなかったので、読むだけで過ぎていました。今回、明里さんが冷静に、そして率直に投稿してくださったおかげで、マイナーな意見を発言することを躊躇されてた方が、再び、話せる機会が持てるのではないか、と期待しています。
 何が何でも、「正しいことはこう!」と自分の意見をはっきり言えるのも、又、ネットの長所でしょう。でも、一方で、その言葉に深く傷つく人もいます。面と向かって言ってない分、主旨が投稿主さんの思っていることと違う側面で捉えられることもあるでしょう。何気なく書いたつもりの文章を、殊更、クローズアップされてしまうこともあります。それが、プラスの作用をすれば問題はありませんが、マイナスになると、これは、例え、正しいと思われる意見であっても、自重した方が良いと、私も考えます。
 誰かを思いやる心は素敵です。命を軽視する考え方は許せない、と思われる方々の切なる願いも正論です。でも、命を軽視しているから、羊水検査を受けている訳でもないでしょうし、障害者蔑視だから中絶する、と言うようなそんな単純な問題でも無いと、皆さんの意見を読みながら思いました。
 何より、そうせざる負えなかった人達が、傷ついたり、口を閉ざさなければならなくなる風潮だけは、絶対、避けるべきだと、私も思います。
 





   >>> まったく同感です gura   -- 2004/06/16..
 
この1年で2度流産をしてしまいましたが、まだまだ希望を持っている42歳のguraと申します。正直、明里さんのご意見にはホッとしました。明里さんが、私が感じていたことを的確に代弁してくれたからです。『もしも「私は絶対にどんな子供でも差別をしない」と明言するひとがいるならば、私はそのようなひとは信用しません。自分自身の心に潜む「エゴ」をまったく見据えることができない人だと思うからです』大変貴重な意見を頂いたと思ってます。人それぞれ、色んな解釈のし方があると思いますが、私は明里さんのやさしさをすごく感じました。ありがとう
 





   >>> こんにちは。 マンボ   -- 2004/06/16..
 
私自身、生まれ持っての進行性の難病があり、羊水検査の話題には興味深く読ませていただきつつ、あえて自分の意見を投稿してきませんでした。それは現在母になることを望みつつも、おそらく自分が親の立場というよりは子供の立場から物事を考えてしまうので、そのことで思考が混乱し考えがまとまらず、的外れなことを書いてしまう、と自分自身を諌めていたのかもしれません。

ただ、一つだけ私が願うことです。
もしも、あなたが「情報の場としてのインターネットを肯定」されていて、「多くの人々の悩みを少しでも解消する場となることを望まれている」のであれば、賛成、反対、辛口意見等々、あらゆる意見に関しても寛容なってほしいと思います。

なぜならば、「みなさんの投稿」は投稿主さんに対して、その課題にきちんと真剣に向き合い、実に「誠意のある」ものだと思うからです。

人はそれぞれ違った道を歩んでいます。
そのなかで、感じたこと、思うことは一様ではありません。

OTOKOさんの投稿に対するみなさんの返答、羊水検査に対しての個々の考え方は、わたしには勉強になることばかりでした。

そして、
明里さんの投稿も、わたしの中に種をまいてくれました。
あなたの投稿に学ばせていただいたこと多数です、ありがとう。
そうして、私自身もインターネット掲示板という社交の場で、こうして自分の思うこと、信じることを話することができました。

そうやって、人と人、自分と違う世界が繋がっていくって、本当に素晴らしいことだと思いませんか?

 





   >>> なぜ私たちだけが苦悩する? 勇気   -- 2004/06/16..
 
初めて書き込みます。35歳の既婚者ですが、夫が病気で不妊となりました。生殖補助医療を受けたくない私には、将来的にも子どもを授かる可能性はありません。
ところで、このテーマの投稿を読み、いつも考えることがあります。それは「羊水検査」という選択肢が登場したことで、なぜ私たち女性だけが、これほどまでに悩み苦しまねばならないのだろうか、ということです(私は羊水検査なんて禁じられればいい、とは微塵も考えてはいません。もちろん障害を持つ方の生存権を奪うような医療を肯定する気もありません)。
もう一度、繰り返します。どうして、私たち、つまり子を産む年代の女性だけが、羊水検査の是非を巡って議論を戦わせるのでしょうか?産む性だから?育てるのは女性だから?でも匿名です。匿名だから、自分の意見を述べられるという面もあるでしょう。でもなぜ私は、そして私たちは、匿名でなければ語ることができないのか。
皆さん、どう思いますか?
 





   >>> クールダウン トマトの気持ち   -- 2004/06/15..
 
傍目からはむきになって反論しているように見える一人、トマトの気持ちです。それは100も承知ですが、そうせざるを得ない気持ちでいっぱいでした。(反省)
おそらく明里さんの書き込みが無ければ、ヒートアップした自分がスレッドを立てていたと思います。文章を山のように作っては捨てをこの数日繰り返していたので・・・・。もっとも、文才の無い私はだらだらとした書き込みになってしまいがちなので、それもどうかなぁと自粛しようかとも半分考えていたのですが。冷静に端的に要点をお書きになられていて、すっきりとした気持ちです。スレ主さんに対する暖かいレスをわたしも希望します。
横レス、やっぱりマナー違反ですよね。
 





   >>> 同感です。 パスタ   -- 2004/06/15..
 
こんにちは。
以前から明里さんの書き込み拝見しています。
羊水検査に関して知識のない私は、この件に関して書き込まないことにしていたのですが、明里さんの発言にとても共感しましたのでレスさせていただきます。

私は3年前、第2子となるはずだった子を胎児水腫のため中絶しました。
それまでの私は、自分で自分の子どもの命を絶つなどということは考えても見ませんでした。でも、検診のエコーで異常を指摘され本当にパニックに陥りました。それからはとにかく情報を得たい一心でパソコンに釘付けの毎日でした。そして中絶という選択をしました。

その後また妊娠し不安な中、このVOICEと出会いました。
私は胎児水腫だった子(この子は産まれた後の胎盤の検査で染色体異常が見つかりました)もその次の子(昨年出産)も、そして現在またお腹の中にいる子も羊水検査はしていません。
受けない理由、それはまた同じ選択をしたくないからでしょうか・・精神的にも肉体的にもとても辛いことでしたから。

でも、1度異常のある子どもを妊娠した私にとって羊水検査に関する書き込みはとても興味深いものです。書き込みはしないものの目を通しています。いろいろな情報を提供してもらっていることで、やり場のない不安な気持ちが少し解消され、心穏やかに過ごせる気もします。

そしてまた、状況によって人の気持ちは変わります。
この数年間、私の気持ちはとても変化しました。
第2子に恵まれなかった10年余り、周囲の妊娠が嫌でした。中絶後、精神的にかなりまいっていて妊婦さんを見るのも赤ちゃんを見るのも嫌でした。でも昨年の出産後、いつもにこにこしている心穏やかな私がいます。公園で何の抵抗もなく赤ちゃんやお母さん達と接しています。でもだからといって全て忘れてしまったわけではありません。

ここに書き込みをする人は、たぶんほとんど全ての人が不安を抱え、普通の精神状態ではないのではないと思います。身近では得られない情報を何とか得たいと思って書き込むのではないでしょうか。

羊水検査の書き込みに限らず、それをもっと追いつめたり、情報を得られない状況にするのはやはり違うと思います。一人一人の悩みを具体的に解消すること、遠回りな様でそれが最も『命を大切にすること』になるのではないのでしょうか。




 





   >>> 気持ちは同じですが・・。 さと   -- 2004/06/15..
 
>もしも「私は絶対にどんな子供でも差別をしない」と明言するひとがいるならば、私はそのようなひとは信用しません。自分自身の心に潜む「エゴ」をまったく見据えることができない人だと思うからです。

私は20年近く幼児教室の講師をしております。20年の間にはハンディキャップの子供達も何十人もおりました。けれど一度だって差別をした覚えもありませんし、特別扱いもしません。他の子供達と同じ事が出来ていなくても本人は同じ事をしているつもりでいるし、楽しんでいます。笑顔を絶やさず何かを学んでいけるように私は何の差別も無く全員同じ様に接して来ました。子供達一人一人の心のケアは必要ですが、それはどんな子供でも必要な事だと考えております。「私はどんな子供でも差別はしない」と明言致します。私の様な人間は世の中に五万といらっしゃると私は信じております。その気持ちを勇気に変えて高齢出産の不安を乗り越えようとしている方たちも沢山いると思います。
それを「エゴ」と決め付けることが「エゴ」ではないでしょうか?

私も羊水検査は本人の事情や不安を除くためには必要な事だと信じております。流産率が少しでも高くなると言う怖さも乗り越えてまで本人が必要だと考えた訳ですし、また良くない検査の結果、中絶では無く生まれる前からその子供や家族のための今後のネットワーク(情報)を準備する為の方もいらっしゃると思います。そんな方たちの気持ちを無視して掲示板で攻撃される方たちについては私も心を痛める時がございます。
本当に勝手な事だと思います。するかしないかは個人の自由ですし、明里さんの言うとおり相談に対しては少しでも楽になれるようなお返事を出してあげてほしいと思います。
私は現在43歳で出産を控えておりますが
羊水検査はしません、「私は絶対にどんな子供でも差別をしない」と心から明言出来るからです。私の気持ちは私にしか解かりません。「エゴ」と思うのはその人の物差しで他人を計るからではないでしょうか?明里さんの投稿を読んでとても哀しくなったのでお返事させて頂きました。
長くなり申し訳ございません。
 





   >>> おっしゃるとおりです 芽衣   -- 2004/06/15..
 
 明里さんのご意見に全面的に賛同します。
 羊水検査をめぐる投稿がある度に私が感じていたことを的確に明確に書いてくださって深くうなずきながら読みました。
 明里さんありがとうございました。
 





   >>> インターネットの世界。 さぬきうどん   -- 2004/06/15..
 
 こんにちは、さぬきうどんです。確かに近頃の羊水検査に対する過剰なまでの意見交換に私も疑問を感じています。

羊水検査事態、ごく限られた染色体異常(おもにダウン症)のみを発見できる検査に、障害者の社会的偏見や幸福論を論じるのは、少々飛躍しすぎではないなかと思っています。

私個人としては、2度の流産を経験しているため、羊水検査の結果如何によって中絶できないという考えでしたので、悩んだ挙句、受けませんでした。

ただ、受けたいという方の気持ちも十分理解できますし、その結果障害のある子を受け入れられないと中絶という選択をした方を攻める気にもなりません。

羊水検査の発言に対し、名指しで批判したレスを見ると、長崎の小6の女児の事件を思い出してしまうのは考えすぎでしょうか?大人の世界にも通じるものがあるのでは、、、。

幾ら発言は自由!と言っても、顔の見えない、家庭環境も知らない相手に対して冷静に対処して欲しいと感じています。
 





   >>> 相手の意見を否定せず自分の意見を! なおゆうぎ   -- 2004/06/15..
 
 その人その人の人生経験によって考えが違ってくるのは当然です。わたし個人的な意見は、息子を亡くした体験で、他の人にはわからないなくなってしまった苦しみを、命が消えてしまった苦しみを知ってしまいました。だから結局どんな理由であれ、自分の判断でなくすことは絶対出来ません。

これはこのような経験をしていない人にはどんなに言葉を並べ立てても、本当に理解できないと思います。悔しいけれど仕方ないことです。

でもこういう内容で私が声を大にして言えることは、一番大きなことは命の大切さです。 それをほんのわずかな人でもいいからわかって欲しいと願っています。

そういうことも含め情報の場であると思いますし、その人それぞれの経験があっての発言です。
それを見て、自分でどう受け取るかはその人次第です。
「私はこう思います。」という、体験から生まれた考えを伝えていくべきだと思います。

明里さんの場合は、文面からするとどちらかというと羊水検査賛成派というふうに伺えます。
そちら側に良い情報を!というふうに感じます。
「私はどんな子供も差別しない。」という人を信用しないとのこと。 断言をする人は少ないにしても、色々な経験から「どんな子供も差別しない。」という努力を本気でしようと考えている人は本当にいます。本気で努力をしようと思う人たちにとって、信用しないと言われることも悲しい事です。

どんな内容でも必ず賛否両論はあります。
上記のことも踏まえ、反対側の意見は決して否定せず、自分の歩いてきた自分しかわからない経験から生まれた意見を、ためらうことなく伝えていいと思います。

それを見た人が自分にあった、または共感した情報を自分に取り入れたらそれでいいし、それが情報の提供の場であると思っています。
 





   >>> 「和宮様御留」 茶畑   -- 2004/06/15..
 
 明里さんの投稿を読むたび、反論したいと思いましたが、タイミングがずれて今までできませんでした。
 羊水検査肯定の人がいれば、それに疑問をもち検査結果による堕胎を反対する私のような者もいます。
 貴女がおっしゃるようにそのひとの立場になってみないとわからないこと、知らないことがあります。
 羊水検査肯定派に理由があるように、羊水検査否定派にもその経験と思いから理由があります。
 羊水検査肯定、その結果の堕胎という投稿があれば反論があって当然です。責めるような口調もあるでしょう。しかしそれを裁いているましてや断罪していると非難するのは、貴女こそ「インターネットは羊水検査の情報提供の場」という持論を盾に否定派を裁いていませんか。
 ご自分にとって良い情報が得られたからと言ってこの掲示板は羊水検査の情報提供ばかりするところではありません。
 単なる情報提供だけでなくここは命の重みについて語り合う場だと私は思っています。
 この前の貴女のレスに曽根綾子さんの「神の汚れた手」について書かれていました。この作品とほぼ同時期に有吉佐和子さんの「和宮様御留」が発表されています。あらすじは徳川家最後の将軍に降嫁された皇女和宮は生まれつき片手が欠損しており、この体で将軍家に嫁げば大奥でどんないじめが待っているやもしれず、泣いて嫌がり、皇女の心中察した乳母が貧しい京の少女を和宮の身代わりに仕立て、大奥でいじめから少女を守ろうとするも、少女はいじめに耐えかね発狂するという悲劇でした。
 「神の・・・」について書かれていたのでこの有吉作品を思い出しました。
 このようにここに投稿すれば自分の予期せぬ反応が返ってくるのです。反論・異論は偶然か、必然なのでしょうか。
 





   >>> ほんとにそう思います・・・ ららん   -- 2004/06/14..
 
よくぞ言ってくださいました、それもとても冷静に。
私もまったく同じように感じていた妊婦のひとりです。
私自身も16週で羊水検査を受けています。

羊水検査については、事前に悩んだにせよ、悩まなかったにせよ、実際に受けるという行為に踏み切った人にしか語れない部分がとても大きくあります。障害のある子供を授かり、そして育てていくことについても同様です。

明里さん、
羊水検査についての情報を得たいと思う人がいたら、自分の知っている限り、体験したことに基づく限りの情報を提供してあげましょうよ。私たちがそうすることによって知識を得て、不要な不安に苛まれないですんだことを恩返しするつもりで・・。私もそういった問いかけにはできる限りresしてさしあげたいと思っているひとりですから!
 





   >>> はっとさせられました。 こま   -- 2004/06/14..
 
> もしも「私は絶対にどんな子供でも差別をしない」と明言するひとがいるならば、私はそのようなひとは信用しません。自分自身の心に潜む「エゴ」をまったく見据えることができない人だと思うからです。

はっ、とさせられたご意見です。
今回の話題で意見したことはありませんが、
何事においても、この点には気をつけようと、思いました。

 





   >>> 私の言いたい事も同じです 堕天使   -- 2004/06/14..
 
こんにちは。明里さんのおっしゃる通りだと思います。このレスが載る前に私の疑問が載る事でしょう。私の言いたい事も同じです。
いかにもどんなんでも産む人が正しいんだていい方で、相談した人が責められているようで腹立ちます。自分は虐待しない、離婚もしない、子供を絶対幸せにしてみせると誰もが思っているのでしょうが、生きていくうえに絶対は無いし、自分ではどうしようもない事が起こるものです。子供は授かりもの。たしかにそうかもしれません。でもその前に授からないようにすることも人間にはできるのです。それをしなかった時点で自分のエゴは始まっているのではないでしょうか?自分が子供欲しいから、自分の為に子供を作ったんではないのですか?
それなのに、中絶を、羊水検査を、望まない性別で悩む人を、なんでも受けいれないなら初めから妊娠するなと言わんばかりの意見を言う人は、自分がマリアのように何もせず妊娠したのならともかく、自分の意思で避妊をしなかったのでしょう。自分のエゴに気づいてないとしか思えないです。
わたしは、中絶する人も羊水検査する人も批難はしません。人それぞれですから。当たり前に子供がほしくて産んだ人を責めるつもりもないし、だれを責めるつもりもありません。
 ただ、責めるような事を言う人に腹立つだけです。