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茶畑さんへ トマトの気持ち  -- 2004/07/01 ..
このスレッドに、茶畑さんからの質問に対する回答を入れたいと思います。
3,4個の章に分かれて入れないと、入りきりそうに有りません。
長文ですが、お付き合いくださいませ。


ウエスティさんへ   トマトの気持
茶畑さんへ ありがとう!! その2   トマトの気持
茶畑さん  ありがとう!  その1   トマトの気持
芽衣さんへ   トマトの気持
トマトの気持ちさんへ。   ウエスティ
茶畑からトマトの気持さんへ5   茶畑
皆さん ありがとうございました   芽衣
たんぽぽさんへ   トマトの気持
めるもさんへ   トマトの気持
人間の尊厳   たんぽぽ
残すべきスレッド   めるも
たんぽぽさんへ   トマトの気持
茶畑からトマトの気持さんへ4   茶畑
トマトの気持ちさんへ   ちゃん太
茶畑からトマトの気持さんへ3   茶畑
トマトの気持ちさんへ2   たんぽぽ
トマトの気持ちさんへ1   たんぽぽ
なるまんさんへ   トマトの気持
ちゃん太さんへ   トマトの気持
茶畑からトマトの気持さんへ2   茶畑
私の思った事   なるまん
茶畑からトマトの気持さんへ1   茶畑
未来さんへ   トマトの気持
罪ですか??   ちゃん太
茶畑さんへ   トマトの気持
それぞれの考えなだけ・・・・・   未来
お体大丈夫ですか。   茶畑
障害者差別についてのわたしの考え その2   トマトの気持ち
障害者差別についてのわたしの考え その1   トマトの気持ち
命について 命の選別    トマトの気持ち
広い意味での堕胎という選択 その2   トマトの気持ち
広い意味での堕胎という選択 その1   トマトの気持ち
堕胎をする、しないの選択について その2   トマトの気持ち
堕胎をする、しないの選択について その1   トマトの気持ち
羊水検査を受ける事を肯定する事について その2   トマトの気持ち
羊水検査を受ける事を肯定する事について その1   トマトの気持ち




 

   >>> ウエスティさんへ トマトの気持   -- 2004/07/01..
 
長文読んでいただきありがとうございました。
そしてまた、貴重な意見も戴きありがたく思っています。

そうですねぇ。押し付けに見えてしまったかも(^^;ごめんなさい。
こんな声もあるんだなぁというくらいに軽く流してくださいませ。

文字を打つ作業は慣れの度合いで随分大変さが違うのかもしれません。
私の場合、20年近くキーボードを打っているので、文字を書くよりも10倍くらい早いのです(^^;なので実質PCの前に座っているのはほんのわずかだったりします。入院生活のひまな間に、考えたことを一気に書いてしまいました。
 





   >>> 茶畑さんへ ありがとう!! その2 トマトの気持   -- 2004/07/01..
 
続きです

そして、医療サイドに、ぜひお願いしたい。
「安易な言葉や選択を発して欲しくない」と。
むしろ、その見つかった染色体異常がどのようなもので、どういう可能性が有り、どういうことが起こりえるかをきちんと説明した上で、たとえばダウン症であれば、それはどういうことなのか?障害は不幸ではないということ、どういうサポートが有るのだと、不安を排除していただきたい。心のありようを支援して欲しいと思う。
そういう情報をきちんと提供していただいた上で、妊婦(ご夫婦)は選び取って欲しいと、わたしは願います。
実際、個人で調べられ、意見交換も出来る世の中にはなっていますが、それはまだまだ少数のはずだと思うのです。


●差別についての意見交換の補足

>知的に障害のない、言語障害のある障害者にたいして子どもにたいするように話しか
>けることは、それは差別ではなくて相手の無知から生じる偏見だと思います。
>差別とは、区別した上で文字通り他と差をつけ不利な状態に置くことではないでしょう
>か。

ここのところで、補足させてください。
茶畑さんのおっしゃること、確かにそうなのですが、
差別はする側からの判断ではなく、受けた側が感じることなのではないでしょうか?
ハラスメントと何ら変わらないのです。
自分に子供に接するように話し掛けられたら、わたしは、それが、偏見だろうが差別だと感じてしまうのだということです。なんでそうやって、勝手に判断するの!差別だよぉと。そしてそう思われたら中々対等な関係として見てもらうのに時間がかかると。
自分は知的障害ではないのですと判ってもらうまで時間がかかり、ため息ひとつ、このままでいいやと諦めてしまうことも良くあると…そういうお話を聞くもので書いたのです。

>差別ではなく区別は必要だろうというより、何を区別するかが問題です。
>トマト・・さんが別スレッドでおっしゃっていた、社会で生活できる障害者もいるが、
>それができない障害者もいるという区別ですが、障害者を区別すること自体が
>おかしいのではないでしょうか。

ここのところも、言葉が足りなかったです。
まず、わたしの言いたかったことも茶畑さんのおっしゃるとおり、
>みな尊重されるべき体と個性をもった個人なのです。
>ひとりひとり区別されて大事にされるべきなのです。
ということです。
それと同時に、全ての障害者を社会に引っ張り出してしまうのも乱暴なことだと言いたかったのです。区別=隔離=差別というマイナスな形のものではなく、実社会に対応がしづらい場合は、その方たちが安心して暮らしていけるコロニー的なものも必要であると。
ただし、その名目で障害を持つ方を排除するようなことがあってはいけないのだと。
そして、その判断は国によりさまざまであって、そのボーダーラインも非常に難しいものが含まれている。そういいたかったのです。


そして最後に・・・・
素敵なエールをありがとう!!

茶畑さん、わたしは今いる胎児君にこの先何が起ころうとも、しっかり受け止める覚悟でいます。それは偶然かもしれないけれど、そして思い込みかもしれないけれど、胎盤を掲げたあの戦う姿を見たからです。それを意志と受け止めたからです。
なすがまま、有るがまま・・・そう思えるようになりました。(^^V
でもね、やっぱり元気に生まれてきて欲しいです。そう願わずにはいられません(^^;


追伸
>こから先どう相手の心に働きかけていこうか、課題がみつかりました。
これのヒントになればと思います。

妊娠しての実感、妊婦さんってやっぱり感情の起伏が大きいと思うの。
自分でもあきれるほどにジェットコースターの毎日です(笑)
これはきっとホルモンバランスのせいなのだろうけれど…
理屈ではわかってるのにね。(^^;
わたしが極端なだけなのかしら?
不安に取り付かれてしまうと、そこから抜け出すのはものすごく大変で、ほんの些細な言葉が心臓を止めそうになることがありました。
なので、こちらの掲示板に書き込みがあると、その気持をまず受けとめて肯定したくなります。事実すぐに、そうだよなぁと思ってしまう自分もいます(^^;
受けとめてもらえると、そこでほっとできるような気がするのです。
その上で、意見交換ができると有意義な形になるのではないでしょうか?

今回、茶畑さんとこうやって意見交換を出来たように、議論すること、意見を言い合えることはとても素敵なことだと思います。
率直に自分の想いや意見を言える。
相手の想いや意見を受け止める。
その上で異論反論を伝え合える、これが大切なような気がしました。



 





   >>> 茶畑さん  ありがとう!  その1 トマトの気持   -- 2004/06/29..
 
茶畑さん、真摯なレスをありがとうございました。m(__)m

私にとっても有意義な意見交換が出来たと思っています。
一致点も多々あり、触発される点も多々あったこと、同じです。

>羊水検査を巡る意見はこのスレッドで決着がついたのではなく、
>これからもここを訪れる人々によって論議されるべきだと思います。自分の言葉で考え語るために。
>そうやって命の大切さを確認していきましょう。

わたしもそう思います。これがその起点になり、問題提起になりえたなら、それが一番だと思います。

茶畑さんのレスの中で、何箇所か私なりに感じたこと、言葉が足りなかった部分などをこの後に記して、最後の書き込みとさせていただこうと思っております。


●まず、この部分からスタートです。

>でも「生まれて絶望的な戦いに挑ませ計り知れない苦痛を味わわせその結果植物状態
>で生存するとしたら・・・耐えられません」
>とトマト・・・さんはおっしゃいます。
> 私は単純なのか、産まれる前からそこまで考えません。
> 産むのみです。子どもが植物状態になってから考えます。

おそらく、私と茶畑さんの意見の分かれた部分の根っこはココなのだろうと思います。
くしくも、なるまんさんの言葉に象徴されているように感じました。

>長女が生きていたら 私は「羊水検査はんた〜い」と 叫んでいた事でしょう。
>18tのお母さんのように2度目は奇跡 と思う方もいますが 苦しめたくない
> と殺す選択をする親もいることを知って欲しい。

どのような選択をするか?は、今まで生きてきた自分の経験から出てくる結論だと感じました。

そして、医療サイドに、ぜひお願いしたい。
「安易な言葉や選択を発して欲しくない」と。
むしろ、その見つかった染色体異常がどのようなもので、どういう可能性が有り、どういうことが起こりえるかをきちんと説明した上で、たとえばダウン症であれば、それはどういうことなのか?障害は不幸ではないということ、どういうサポートが有るのだと、不安を排除していただきたい。心のありようを支援して欲しいと思う。
そういう情報をきちんと提供していただいた上で、妊婦(ご夫婦)は選び取って欲しいと、わたしは願います。
実際、ここまで個人で調べられ、意見交換も出来る世の中にはなっていますが、それはまだまだ少数のはずだと思うのです。
 





   >>> 芽衣さんへ トマトの気持   -- 2004/06/29..
 
芽衣さん、こんにちは
コメントを戴きありがとうございます。

18tでのご経験は辛いものがあったと思います。
わたしの発言の中で不適切なものはなかったでしょうか?
実際に辛い経験を経てきてる方に見ていただく時、それが一番の気がかりでした。

>トマトの気持ちさんのご努力に一言敬意を表したくなりました。
との暖かいコメントに私のほうこそ感謝いたします。

出産までの残りの4ヶ月、少しでもいい母になれるように、がんばっていきたいと思っています。
 





   >>> トマトの気持ちさんへ。 ウエスティ   -- 2004/06/29..
 
お体大丈夫ですか?人にはそれぞれ価値観の違いや、生きて来た環境の中で培った独自の考え方がありますよね。それを理解してくれる人、非難する人、賛否両論は当たり前の事です。
今はお腹に赤ちゃんがいらっしゃるんですよね。お腹の赤ちゃんの胎動をいとおしく感じていらっしゃるんでしょう?
マタニティライフを楽しんでいらっしゃるでしょうが、もっともっと楽しみませんか?パソコン打つって、肩こりますよね!(私が未熟者だからかな?)
トマトの気持ちさんの訴えておられる事は、間違ってはいないと思いますよ。でも、他人に考えを押し付けたり、理解してもらいたいという切切なる努力は、何だか拝見してて辛くなります。
ご自分で納得されていれば、よろしいじゃありませんか。
こと命の問題には、なかなかこれが正しいという答えなんて簡単に出るはずがありません。全人類が一生かけても・・・。
どんな人間でも、人間らしく暮らせる社会が整っていない現状が一番の問題だと思います。ここで議論するより、どうすれば、ちょっと個性のある人間も暮らしやすい世の中にしていけるのか、社会なり、小泉さんになり働きかけをすることが必要だと思うし、実際行動を起こされてる素晴らしい方々もいらっしゃるでしょ。
ここのコラムで、考え方が変わられた方も大勢(私も含めて)いらっしゃるでしょう。そう考えると、トマトの気持ちさんのスレッドも、皆さんのお返事も無駄なことでは全然ないですよね。ある意味、大きく言わせて頂くと、社会が良い方向に変わる為の必要な経過点かもしれません。私も自分の考えを見つめなおすことができました。ありがとうございました。
くれぐれもお体を大事にして、元気な赤ちゃんを産んでくださいね。ちょっと歪んだ言い方ですが、私も羊水検査受けようか、どうしようか・・・・って真剣に悩むところまで漕ぎ着けたいですよ。
ごめんなさい・・・、失言でした・・・。
 





   >>> 茶畑からトマトの気持さんへ5 茶畑   -- 2004/06/28..
 
 障害は不幸だと言う方に、淘汰される立場を想像してほしいと言いましたが、なかなかできることではないかもしれません。でもそこで思考停止しないでほしい。

 トマト・・さんが言う「自分の赤ちゃんは大丈夫なはず。それを証明してねと祈って検査を受ける。これが検査前の心境・・・」
という箇所。
 そうでしょうか。わたしは、今まで羊水検査を受けるという投稿の多くから、「高齢出産は異常の確率が高いから異常のあるなしを確認するために受けるというはっきりした目的を持ち、そして異常の場合は堕胎を前提としている」という感じを受けて来ました。

 誰だったかネームを忘れてごめんなさい。以前の投稿で、前回の妊娠の羊水検査で異常が判明して出産をあきらめ、今回の妊娠でまた検査を受け結果待ちで不安という投稿をされた方に私は突き放すようなレスをしました。1度異常だったら心配ですよね。
 検査を受け異常とわかったら、おなかの中にいるときに「子どもの障害の受容」をしなければならないですね。産まれてから障害がわかって受容しなければならない場合と確かに違いますよね。

 産まれたときに障害がわかれば、乱暴な言い方ですが、産まれたのだから障害を認めざるを得ない、受け入れて育てなければならない。
 でも産まれる前の判明はまだ産まれてないから、目の前に障害を突きつけられていないから・・・迷う、戸惑う、事実を否定したい、逃れたいという気持が起こるのですよね?

 今、書きつつ、障害があっても産んで欲しいという私の考えををそうでない人にわかってもらうには、その点に立ち戻って相手の立場に立たなければ説得できないと気づきつつあります。

 以前私がレスした人、ひどい言い方でごめんなさい。
 でもあのときは命が軽くあつかわれているような気がしたのです。

 障害ある命も大切にしてほしいという私の主張は変わりませんが、トマト・・さんへのレスを書く中で検査を受け子どもをあきらめるという人の心理も少し想像できるようになってきました。
 そこから先どう相手の心に働きかけていこうか、課題がみつかりました。

 トマト・・さんが、私たちは科学をもって命の神秘に挑戦しようとしているとおっしゃるなら、22週以前の胎児の命にも目を向け人として認めてほしいと言いたい。
 トマトさんはすでに22週以前の命も大切にお考えですが、改めて申し上げたい。

 有意義な意見交換ができうれしく思っています。
 トマト・・さんに一致点もあり、触発される点もありました。

 羊水検査を巡る意見はこのスレッドで決着がついたのではなく、
これからもここを訪れる人々によって論議されるべきだと思います。自分の言葉で考え語るために。
 そうやって命の大切さを確認していきましょう。

 最後に、茶畑の中心からトマト畑の中心に向かって「トマトの赤ちゃん、元気に産まれてきてね!」と叫ぶ。

 トマトの気持さん、ゆったりとおなかの赤ちゃんと幸せな妊娠時代を過ごしてください。ご安産を心から願っています。
 他の妊婦さんへも同様です。
 
 





   >>> 皆さん ありがとうございました 芽衣   -- 2004/06/28..
 
 トマトの気持ちさん 茶畑さん 他の皆さん 深く考える機会を与えてくださって感謝します。たんぽぽさんのおっしゃるように、感情論で終わらずに冷静に議論をしてくださったおかげでこのスレッドの内容についてさらに考えるようになった人が私以外にもきっとたくさんいることでしょう。
 18トリソミーによる胎内死亡を経験した身としては、トマトの気持ちさんの羊水検査についてのお考えにすごく近いものを感じました。でも茶畑さんのおっしゃることもわかります。
 障害のある方についてあまりにも無知であることを自覚してあらためて自分で何ができるかを考えたいと思います。
 わざわざ書き込むこともないかと思ったのですが、トマトの気持ちさんのご努力に一言敬意を表したくなりました。どうぞお身体だいじになさってすてきなお母さんになってくださいね。
 
 





   >>> たんぽぽさんへ トマトの気持   -- 2004/06/27..
 
たんぽぽさんこんにちは

あのスレットを読まれたのですね。
長くてびっくりされたでしょう?(^^;
わたしもあれを読んだときは、匿名性ゆえの何の自分を偽らない、悪のままでも構わないというか、地の部分の生の部分の殴り合いのような感じで、それでいて、これが人間の普通の姿だよなぁと思わずにはいられませんでした。その中で見栄ではない、本当の意味での差別のなさとはなんなのだろう?これでいいんじゃないかと思いました。
といっても、あれは若さゆえあの掲示板ゆえ許されるスレットのように感じますが(^^;。
分別盛り・言葉を巧みに使える年代には有り得ない議論の仕方ですよね?

>最初から偏見を捨てて相手を尊重しましょうなどというのは欺瞞です。
はい。わたしも、読んだ後にそれを感じました。
自分の中にそういう欺瞞やエゴ、差別をしないと言い切ってしまう怖さや驕りを注意深く見つめて行かねばいけないという戒めにしています。
ここでこうやって言葉を選びつつというのとの対極にあると思います。

羊水検査という一点に絞り込みすぎても、また、あまりにも大きく倫理全体に話が拡散してしまっても、たぶん、己の意志、考えをまとめるには、難しいことだと思っています。
(おそらく、それをできるのは、倫理の専門家とか哲学の学者さんなのだろうなとも。。)
なので、このスレットも、自分の考えられる範囲での囲いをしています。(^^;
その中で、できるだけいろんな方向から見つめたいなと・・・
また、いろんな発言を戴けたら、見つめられるなと思っています。

たんぽぽさんにとっても、一つのきっかけになったのなら、私もうれしいです。
 





   >>> めるもさんへ トマトの気持   -- 2004/06/27..
 
長い投稿を読んでいただきありがとうございました。
と同時に、残しておくべきスレットというような、過大なお褒めを戴き、そうとうに気恥ずかしく思っています。

礎になるかどうかは、別として、羊水検査を考える考えるときの、ひとつの考え方として、こんなのもあるよという例になれればうれしく思います。
投稿したきっかけも、自分の思いと近いところにあるように感じる茶畑さんと、なぜこれだけ隔たりが文章だとでてしまうのだろう?という自分自身に対する疑問から発生したものなのです。
今、茶畑さんからのレスを戴きつつある中で、それを見つめているところです。
ひとそれぞれ、歩んできた歴史があり、そこから私とまったく反対の思いを持つ方もいるはずです。わたしの書いたものに、偽善を感じる方も多いのではないかと思ってみたりしています。
また、こう思うといいきれずに、とどまっている部分も何箇所か、おいてあります。
 





   >>> 人間の尊厳 たんぽぽ   -- 2004/06/27..
 
 トマトの気持ちさん、こんにちは。
昨日読んだ本の一節を紹介させてください。

 私たちは誰もが、若く美しく健康で長生きしたいと思っている。しかし、その願いは人生を随分貧弱にしていないだろうか?量的な生命と質的な生命とはかならずしも一致しない。「若く美しく健康」というその目論見には、悲しいエゴイズムが見られる。同時に、そこには抜きがたい消費者本能ともいうべき耐久性への願望がひそんでいる。そしてそれとは逆に、モラルと精神的価値はすこしも見られない。『幸福の小さな哲学』ベルトラン・ヴェルジェリ

 最近、ここで羊水検査に関して論議されていることと、関係しているのではないだろうかと思いました。
 たしかに誰でも健康でありたいし、子供にもそれを望みます。しかし、それだけに関心が集中するとき、失ってしまうものがあるのではないでしょうか。
 私達の全てがいつかは死ぬことを考えれば、なぜ生きるのかという問いの答えは、「健康で障害がなく幸福であれるから」ということだけだとは考えられません。
 この世で何等かの精神的価値を実現することに意味を見出すのなら、あまりにも障害にこだわることはおかしいのかもしれません。

 「知的障害のある女とのセクス」読みました。あれでいいのではないでしょうか。最初から偏見を捨てて相手を尊重しましょうなどというのは欺瞞です。ああいう愛の育て方もあるのだと思いました。人間と人間、心がどう動いていくかなど、本人にも分らないし、そこに人間の面白さがあるのでしょう。

 このスレッドをたてていただいて有難うございます。ここで問題になりながら、ただの感情論に終わっていたことを、冷静に見つめるきっかけになったと思います。


 





   >>> 残すべきスレッド めるも   -- 2004/06/26..
 
こんにちは、トマトの気持ちさん

あなたの投稿を熟読しました。
読後の感想を書かせていただこうと思いましたが、たんぽぽさんとほぼ同じ感想を持ちましたので割愛します。感情に押し流されることなく、よくここまで整理され書かれたものだと頭の下がる思いがしました。

このスレッドは是非残しておくべきだと思います。ここで幾度となく繰り返されてきた議論の、これが1つの終着点ではないかと考えるからです。

高齢であるがゆえに羊水検査を身近に捉え、思い悩みながらここを訪れる人たちの考える礎になると思います。そういう投稿でした。
 





   >>> たんぽぽさんへ トマトの気持   -- 2004/06/26..
 
私のつたない文章にお付き合いいただき、ありがとうござます。
また、舌ったらずな部分をいっぱい汲んで頂き、適切に表現していただけたことに、感謝いたします。m(__)m

逆差別の部分、たんぽぽさんのおっしゃることに含めて、更に親族の方も往々にしてそういった逆差別を知らず知らずにしていることが多々あるという気持も、実は含まれていたりします。
それは、障害を持つ方に対してだったり、私たちに対してだったり・・・。
そんな気持から出てきた言葉であること、ご理解いただければありがたいです。

そうとう眉をひそめてしまう内容を含むのですが、以前「知的障害者の女とのセクス」というタイトルでのスレットが他サイトにありました。
そうとう過激でエゴイスティックで差別的な発言も山のように出るのですが、最後まで読み進めるうちに、差別とはなんだろう?と考えさせられ、そしてその中に出てくる親の態度がその女性を守ろうとすればするほど、逆差別的なものに見え、障害者自身に対する一番差別をしている人に見え、なにがその障害をもつ女性にとって幸せなのだろう?と考えさせられ、いかにも分別ある発言をされている方のほうが非常に差別をしているように見え怒りすら感じてしまうものがありました。ただし、本当に下世話です(^^;
<*注意;検索して読んでみようと思う方へ>
最後までイヤにならずに読みつづければ、後味はいいものに変わる方もいると思いますが、大半はおそらく大変不愉快で下品な内容に感じる方が多いと思います。

22週のボーダーラインはきっと未来ではまた変わっていくのだろうなと私も思っています。22週になった経緯を教えていただきありがとうございました。

>障害者の人生に価値を見出さないような、そういう社会の風潮こそ批判すべき対象であると思います。
本当にそうですね。
私たちに何ができるのか?
課題はそこにあると思います。


 





   >>> 茶畑からトマトの気持さんへ4 茶畑   -- 2004/06/25..
 
 「世界がもし100人の村だったら」という詩はご存じの方が多いでしょう。その訳者(女性ですが、名前覚え出せません)が雑誌のエッセイで、『大江健三郎さんが著書「2百年の子ども」の中で「子どもであることがくやしい」と本に登場する子どもに言わしめている。戦争を大人によって引き起こされてどんなに子どもは悔しいことだろう』と書いていました。
 私は一歩進んで「胎児であることはくやしい」だろうと申し上げたい。

 堕胎一般論に広がらないように、障害ある胎児の堕胎について述べます。トリプルマーカーや羊水検査は、そしてエコー診断はどこまで正しいのか。OTOKOさんの報告のようにマーカーで障害の高い確率を言い渡されても、羊水検査では異常なかったということがあります。羊水検査は本当に100%確実なのでしょうか。異常の染色体は何番なのか、どこまでわかるのでしょうか。

 たとえ正確にわかったとしても、18トリソミーのように重篤な場合も含め、それは医学が勝手に診断することであって、胎児の生命力・能力は胎児自身が可能性をひそめているのです。

 健常児で産まれたら皆さんは自分にできる限りの教育と環境を整えてあげるでしょう。障害ある子どもにも同じように必要な教育と福祉と環境を整えてあげたら、医学が診断するより成長し能力を伸長できると思います。
 短命の障害もあるからそんな楽観的なことは言えないと思う方もいるでしょう。でも生きている間に我が子を愛さない親はいません。
 今まで障害のある胎児の命を擁護する意見があると「障害児を育てるのはきれいごとではない」という切り返しがありました。
 女子中学生が同級生を殺害するという事件が起き、現代の子どもの心がこんなにひ弱なのかと痛感しています。
 健常児であっても子どもを育てるのはきれいごとではない時代に私達は産み育てようとしています。

 また障害をもつことは人間として不幸だという意見。障害児が不幸かどうかは与えられた環境次第です。それは健常児も同じ。
 きれいごと、不幸だという人は、どうか自分が淘汰される立場にあったらと想像して欲しい。

 堕胎を認めない国や地域もあり、国連では女性の堕胎の権利を認めるように各国に呼びかけています。不確かな記憶ですが、一方で国連が「胎児の権利」も提唱しだしたような・・・

 「おまえは障害児だから不幸だ、能力がない」と決めつけられるとしたら「胎児であることがくやしい」でしょう。

 

 
 





   >>> トマトの気持ちさんへ ちゃん太   -- 2004/06/24..
 
トマトの気持ちさん、コメントありがとうございます。

現在妊娠中との事^^ またタバコの件など(実は私もタバコをくわえては安心感に浸っています^^;)共通点が見つかったようで(?)嬉しいです。

異なる選択をした二人に関してですが、私ももし自分がその立場になったらどうするだろう?と考えました。
ただ、妊娠中にダンナがそばにいてくれない、それも出産を心から望んでいない状態だったら....私はどう結論を出すかわかりません...

私の周りは私を含め”波乱万丈型人生”を送っている人が多く、妊娠・出産に関しても様々なケースがあります。
命を軽く考えることはもちろんありませんが、皆、悩み苦しみ出した答えは、本当に人それぞれなので”堕胎が罪”という言葉に反応してしまったのかもしれません....
 





   >>> 茶畑からトマトの気持さんへ3 茶畑   -- 2004/06/24..
 
 レイプによる妊娠・堕胎についてはノーコメントさせていただきます。とてもつらいことだろうから、何も言えません。
 私は堕胎の全てを否定するのではありません。
 母体の安全、レイプなどの場合はやむを得ないと思います。
 戦時中韓国、北朝鮮の女性を従軍慰安婦にしたという事実を知ってから、私は自分がもしそのようにされたらと想像すると、夫とのセックスが楽しめないことがあります。
 
 命の神秘が解明されることは私も願っています。
 でも私はそれが解明されればされるほど、神秘的に思うでしょう。どうして命とはこうも精巧に巧妙につくられているのだろうかと。
 トマト・・さんがスペアパーツと言っていましたが、タイミングよく今日の新聞にはクローン胚作成が容認されたというニュースが。クローン人間を造る可能性があるという大問題はさておき、神経・臓器・骨に作りかえられて病気・障害の治療に役立てばよいです。科学の進歩が不治の病気や障害の治療に役立つなら大いに結構です。しかし2で申し上げたように、科学の進歩という未来に期待するだけでなく、今病気や障害をもつ人や子ども達のためにも現在できることを十分してあげるにはどうしたらよいかと考えなくてはいけないと思います。充分な医療施設・スタッフ・そして経済的負担を軽減する公費医療制度など。

 メーデーで見かけた障害者は、トマト・・さんが言う体が勝手に動いてしまうタイプの方ではありませんでした。
 医学的用語でアテトーゼと呼ぶ不随意運動を起こす脳性マヒの障害者ではなかったです。
 あまり知識のない私から見て、自傷他傷行為に至る重度の自閉症のようでした。
 
 知的に障害のない、言語障害のある障害者にたいして子どもにたいするように話しかけることは、それは差別ではなくて相手の無知から生じる偏見だと思います。
 差別とは、区別した上で文字通り他と差をつけ不利な状態に置くことではないでしょうか。
 差別と区別はちがうし、差別と偏見もちがいます。
 また逆差別という言葉をトマト・・さんがどのような意味で使っているのか私にはよくわかりませんでした。
 私は、逆差別とは、差別された者が差別した者に対して「お前は差別者だ」と糾弾し、制裁を加えることだと思っていました。

 差別ではなく区別は必要だろうというより、何を区別するかが問題です。トマト・・さんが別スレッドでおっしゃっていた、社会で生活できる障害者もいるが、それができない障害者もいるという区別ですが、障害者を区別すること自体がおかしいのではないでしょうか。障害の軽度と重度では対策が異なるのはもちろんですが。(おっしゃっていたことがちがっていたらごめんなさい)
 障害者たちを区別することより、区別されなければならないのは人間すべてではないでしょうか。私とちがう貴女、貴女・・・
 みな尊重されるべき体と個性をもった個人なのです。
 ひとりひとり区別されて大事にされるべきなのです。
 





   >>> トマトの気持ちさんへ2 たんぽぽ   -- 2004/06/24..
 
 1からの続きです。

 おそらく、トマトの気持ちさんと茶畑さんの相違点というのは、ほとんどないのだと思います。共に命が大切であり、それは障害の有無ではかれるものではないとおっしゃっているのです。ただ、トマトの気持ちさんは、それぞれの事情があり、どうしようもないこともあるのだから羊水検査には賛成するということでしょう。
 私も、ほとんど同じ意見です。上のお子さんの人生を変えてしまうことになるのが辛くて検査を受ける方もいますし、なるまんさんのようなケースもあります。悩んで悩んで、その末に決めたことならば、それが合法である限り、他人が口出しすることではないと思います。

 実際、羊水検査の結果がよくて喜ぶだけで、ここでは非難されることがあります。これはおかしいと私は思います。障害のある方でも、治る可能性がみえれば当然喜ぶのです。病気は勿論のことです。検査結果がよければ喜ぶでしょう。生きられる命であれば産むという方でさえ非難されていて、お気の毒だと思っています。

 ただ、羊水検査の結果が陽性ならば堕胎して当然という、そういう世の中の風潮については、批判したいと思います。日本では、陽性であることが分ればほとんど堕胎されてしまいます。そういう環境で、障害児を生んだお母さんは、安心して子供を育てることができるのでしょうか。このサイトでも、こういうことが話題にのぼる度に辛い思いをしていらっしゃる方がいます。
 障害があっても周囲が助けてくれれば育てることができますし、実際に不要な命などないのです。効率だけで考えてよいものではないでしょう。人が生きるとは、そういうことではないのだと思います。

 障害がある方で、堕胎されても良かったと言う方はいらっしゃらないでしょう。自分が生きていることを否定する方には出会ったことがありません。社会環境が充実して、一人でも生きられるようになりたいとか、医学が進歩して障害の進行を止めたり治したりすることができるようになればいいということはあっても、障害があるだけで死にたいという人には会ったことがありません。

 障害者の人生に価値を見出さないような、そういう社会の風潮こそ批判すべき対象であると思います。そして、それを当然だと考えている方に対して、こういう場で意見する人がいることは、悪いことではないと思います。
 たしかに傷つけあう場合もありますが、率直に意見を交換できるからこそ、このサイトは、大人の女性にとって魅力のあるものとなっているのではないでしょうか。

 トマトの気持ちさんのご意見に対して、特になんの反論もありません。よくこれだけ整理して意見を述べられたものだと感心しています。
 





   >>> トマトの気持ちさんへ1 たんぽぽ   -- 2004/06/24..
 
トマトの気持ちさん、こんにちは。

 トマトの気持ちさんのおっしゃること、よく分かります。これまでこれだけの精力をかけて羊水検査についての意見を述べた人はいません。茶畑さんもそうですが、これほど真剣な討論がここで行われたことに尊敬の念を覚えます。

 まず、逆差別ということですが、これは私もよく思いました。また、障害者の側がそれを望むということもあります。というより、健常者との付き合い方を知らない、訓練を受けていないと思いました。
 障害者も健常者も同じ人間であり、甘えすぎたり要求しすぎたりしたら嫌になるし、いいところを見れば好きになる、ごく普通の感情の動きがあるのです。しかし、障害者と健常者のごく普通の関係が阻害されているため、人間と人間としての関係が築きにくくなっています。障害者が付き合う健常者はボランティアばかりで、そういう人は大抵非常に優しく接してくれますが、それは逆差別でもあります。
 人間としておかしいだろうと思うことがあれば、それをはっきり言い合える関係がなければ、それは表面的なものにしかなりません。
 
 トマトの気持ちさんがおっしゃるように、単に身体の動きを制御できないというだけで、知的には全く問題のない障害も多いのです。脳性マヒなど、知的な方が多いです。きちんとした訓練をうければ、これからの社会では働ける場があるはずです。ボランティアに参加したときだけに異常に親切にするのではなく、同じ社会の一員として受け容れられるようにならなければいけないと思います。そのためには、相手にとって嫌なことも言わなければいけないし、ルールを守らなければいけないのもお互い様です。
 障害の種類も、気をつけなければいけないことも、一般には知られていないため、障害者を家の中に閉じ込めてしまているのです。
 障害のあるなしに関わらず、人間と人間の関係を築きたいというトマトの気持ちさんのお考えを理解することができます。

 22週までの胎児は、堕胎の対象になる、そこで線を引きたいというお考えも分ります。どこかで線を引くしかないのです。しかし、その線は常に動くものでもあります。かつては8ヶ月未満の胎児は堕胎可能でした。菊田医師が法律を破って養子斡旋をしたことにより、議論が起り改正されたのです。
 7ヶ月の胎児を母胎から出しても、生きていて泣くことがあり、菊田医師はそういう赤ちゃんを見殺しにしてしまうことが辛かったのです。しかし、自分が堕胎しないと危険な手術を行う医者のところに言ってしまうかもしれず、母胎を守るために仕方なくそういう手術をしていました。当時、未婚の母になれば、その女性の一生は不幸なものになることが多かったので、出産の事実そのものを消さなければならなかったのです。
 そこで、菊田医師は、堕胎したがっている女性を説得して出産させ、子供を欲しがっている夫婦に実子として斡旋したのです。子供の母となる女性も実子であることを周囲に認めさせるため、妊婦と同じ様におなかを徐々に大きくしていくのです。
 菊田医師は犯罪者となって、この問題は大きく取り上げられました。その結果、堕胎可能な期間が短縮されたのです。
 22週の胎児でも、茶畑さんがおっしゃるように、逃げ回っているのであり、どこで線を引くかということは、とても難しい問題です。
 勿論、そんなことはよくお分かりなのでしょうが。
 





   >>> なるまんさんへ トマトの気持   -- 2004/06/24..
 
暖かいレスをありがとうございます。

肩の力抜いて(笑)、でも、真剣に考えたいことだと思っています。
こうやって、いっぱい考えられることが、これから母になる上で、きっと子供を育てていく力になるような気がします。
生まれてきた子には、命の大切さ、不思議さ、暖かさ、切なさ・・・
人を愛すること、自分を愛することそういう大切なことの一つ一つが
きちんと自分の視野で判断でき、感情で捉えられて、わかることができる。そういう子になって欲しいなと思っています。
今、わたしが思うことが、母になりまた、違う感情が噴出し、なるまんさんのおっしゃるように、変わっていくのかもしれませんね。
その自分も感じていたいです。

PS:タバコはパイポとハッカにほぼ変わっています。
  でも、不思議なことに、入院するたびに病院のほうがタバコを吸ってしまうようになるのは妙なものです(^^;。(本数は3〜5本、それも一口二口でうまくないって思ってすぐ消すのですが・・・)
喫煙所が遠いところに1箇所ということが、逆にプレッシャーになってしまうみたい。自宅では、目の前に灰皿も吸いかけのタバコも置いてあることが、いつでも手にできる安心感に変わっているみたいです。
くわえタバコはするものの、火はつかない状態です。
人間って変なものだなぁと我ながら天邪鬼ぶりに失笑する毎日です。


 





   >>> ちゃん太さんへ トマトの気持   -- 2004/06/24..
 
難しい例をあげていただき、ありがとうございます。

今いる大人側の事情は千差万別で、難しい選択ですよね・・・
自分がそのお二人の人生だったとき、どう選択するのだろうかと考えてしまいました。
最初の方の場合、夫婦であってもレイプなんだと思うと、その破綻が目に見えるようで辛かったです。わたしも多分同じ選択をするのではないかなと思います。
お二人目の方だったとき、わたしだったらどうしただろう?
追い詰められた精神状態の自分はどのように振舞うのか、自信がありません。でも、生まれてきた命を大切にしたいと思いました。
そんな風にはなりたくないなと・・・。
この先、何がわたしに待ち受けているのかわかりませんが、
乗り越える強さを持てる女性になりたいと思います。
 





   >>> 茶畑からトマトの気持さんへ2 茶畑   -- 2004/06/23..
 
 憲法という大風呂敷を広げてしまいましたが、ここで憲法論議をする気はありません。(私は土井さんも真っ青な頑固な護憲派ですが。笑)
 なるまんさんに言われたのでなるべく力を抜いて述べようとは思います。

 平和が守られ、どんな子どもでも産み育てられることが憲法で保障されているはずなのに、現状はそうではありません。
 それは障害や病気をもつ子どもたちや人々をみればわかることです。医療・福祉予算が十分にとられているでしょうか。ここ数年は縮小の一途です。
 そこに障害者や親たちの苦しみが生じます。親の死後、託せる施設や体制がない等々。だから障害児が産まれるのは不幸という人々の見方が生じます。
 現実はそうじゃないからと、私達はそこで踏み止まってよいですか。そこで障害児は産めないですか。
 今生きている自分達の権利行使をして、現在の制限の中での幸せに踏み止まるだけでよいですか。自己完結だけでよいですか。
 自分だけ幸せでよいすか。
 自分の子どもやそして孫に会えればもっと幸せじゃないですか。
 「この子に会うために生きてきた」と思えればもっと幸せじゃないですか。どんな子どもでも安心して子どもの産めない社会なんてまだまだ私達自身の権利が十分に行使されない社会なんです。
 産まれてくる子は障害児かもしれない。でも自分の制限付きの権利であってもそれを行使できるなら、その権利には義務がある。
 私はそれは「よりよい社会をつくる」という義務だと思うのです。よりよい社会というのは障害児者を排除しての社会ではありません。障害児者を含んでの未来の社会をつくるということです。

 健常児にしても、今安心して子育てできません。少子化だから子どもは国によって大切にされていますか。少子化だから小児科は儲からないと縮小・廃止する病院、小児救急医療のまったくない地域など生まれています。小児科にたいしては診療報酬を上げるなどの措置をとればいいと思うのに。
 障害児対策、少子化対策が不充分なのは根っこが同じだからです。本当に命が大事に考えられてないからです。

 ワシさんの投稿にあるように、車椅子など障害児者にやさしくない街がベビーカーにやさしい街であるはずないのです。

 考えがまとまらず文章がへたで、わかりにくく意図が伝わりにくくなってしまいました。
 





   >>> 私の思った事 なるまん   -- 2004/06/22..
 
このvoiceに参加して 2年になります。
驚いた事は 羊水検査について あたり前のように会話されている事です。他の掲示板では 絶対タブーで ここでしか得られない情報が 沢山ありました。
 皆の発言を見ていて 羊水検査についてきちんと説明をしない医師が多い また ダウン症候群について知らない方が 多い事を知りました。
だから お二人のように 真剣に意見を交わされる方がいると うれしく思います。ただ もう少し 肩の力を抜いてね。。。

茶畑さんへ
長女が生きていたら 私は「羊水検査はんた〜い」と 叫んでいた事でしょう。
娘は生まれてから死を待つだけ。死んだ後 身体についた傷を見たとき 娘を苦しめていた事に気づいた。
苦しむだけの9日間 それが私の娘の人生でした。 
私たち夫婦は 医師たちと何度も 命について話しました。公共の場では 内容は話せませんが 医師たちと話した結果 羊水検査をする事に決めました。
18tのお母さんのように2度目は奇跡 と思う方もいますが 苦しめたくない と殺す選択をする親もいることを知って欲しい。
 過去ログを検索してみてください。ここには 検査結果であきらめた方が 沢山います。その方々の 歩いてきた道を読まれるのも 違った角度で羊水検査について考える事ができますよ。

トマトの気持ちさんへ
胎動が感じ お腹が切なくなり・・・これからどんどん楽しくなる事でしょう。。。楽しみですね。
「人間性格は変わらないが 考え方は変わる。」私はこの言葉に 納得する事が よくあります。現に 羊水検査反対派が 羊水検査受けた私です。
このvoiceを読んでいて お母さんになって考えが変わる人もいれば 変わらない人もいます。
前回羊水検査を受けたから 今回も受ける方もいれば 子どもを産み母親になり 何故あの時命の選択をしただろう・・と後悔する方。
多分 茶畑さんはお母さんになって 今の彼女がいると思います。
トマトの気持ちさんも お母さんになって子どもを見たとき もしかしたら 今とは違う考えかも知れませんね。
どんなお母さんになるのか 楽しみです。

PS.タバコやめましたか おせっかいだけど 赤ちゃんの為にやめてね!!
 





   >>> 茶畑からトマトの気持さんへ1 茶畑   -- 2004/06/21..
 
 印刷しました。紙にすると、その量に一層お返事の重みを感じます。これまで何故羊水検査を受け、堕胎を肯定するか、ここまで詳しく述べてくださった方はいません。
 改めてお礼申し上げます。質問をして良かったと思いますが、トマトの気持ちさんのお体を心配しています。
 長時間座ってPCに向かうのは体に良くないですから。

 さていただいたお返事についてですが・・・
 18トリソミーについて検索してみました。
 18トリソミーの会の掲示板を読みました。
 羊水検査でそれとわかって中絶された方も、「妊娠してひとときでも胎動を感じ母親となれた喜びを感じられた」と書き、18tの赤ちゃんが生きて産まれたが、あと一月の命と宣告されている方に、すでに18tで子が亡くなった方から、「あと一月の間いっぱいなでなでしてあげてください」と返事があり、すでに18tで出産、亡くなった赤ちゃんの母親からは「2度目も18tで産まれたら、なんて素敵な奇跡だろうと思います。おなかの中で生きることの難しい命がまた産まれてくるなんて。・・・恐いけれど勇気を持つことが私の人生の課題です」などの書き込みを読んでいると、表現から察するとおそらくは私達よりずっと若い人の気持ちに胸を打たれるばかりでした。
 ここまで人間の心は強くなれるのだと、まだまだ自分は弱いと思いました。
 最初から強い人なんていないでしょう。
 でも彼女たちは命をこの手にしたときから、打ちひしがれながらも同時に強くなろうとしているのです。
 人間って素晴らしいと感嘆せずにいられませんでした。

 トマトの気持ちさんは異常があって堕胎するまでに、生存の可能性があるのか、徹底的に探ろうとなさるのですね。
 それを読んで安心しました。
 検査→異常発覚→堕胎と捉えがちな医療サイドに流されず、徹底的に生きる可能性を探ってほしい。全く同感です。

 貴女の羊水検査・堕胎論には、胎児を生かす可能性もあるのですね。

 でも「生まれて絶望的な戦いに挑ませ計り知れない苦痛を味わわせその結果植物状態で生存するとしたら・・・耐えられません」
とトマト・・・さんはおっしゃいます。
 私は単純なのか、産まれる前からそこまで考えません。
 産むのみです。子どもが植物状態になってから考えます。

 3ヶ月の胎児が堕胎される様子、顔を歪めて読みました。
 3ヶ月の生命すら自らの意志のように逃げ回るのですね。
 書いて教えてくださってありがとうございます。
 このことは深く頭に刻みます。

 まず生きている私達に与えられている堕胎という権利行使。
 法律で与えられ誰にも止められないものである。
 全くそうですね。
 でも生きている私達は次の世代を、たとえ障害があっても安らかに産み育てる権利もまた持ち合わせています。そうでなければ権利行使ができる「まず生きている私達」が産まれて生きて、今障害児を産むかどうか悩んでいることもできないでしょう。
 例えばその大前提に日本国憲法の平和原則があって、戦後たくさん命が安全に産まれるように再びの戦争から日本国民のおなかの中の子どもを守り、今私達が生きていられるのではないでしょうか。
 第9条は障害があろうとなかろうと、すべての母子の命を守る大きな盾ではないですか。
 





   >>> 未来さんへ トマトの気持   -- 2004/06/21..
 
レスをいただきありがとうございます。

ご指摘のように、おそらく、これは私(生む側)のエゴなのだと思います。願うことはおそらく一緒なのだろうとも思います。

それでも、自分なりに、今ある権利と、現実を一生懸命考え、なるべく冷静に自分の気持をみつめつつ書いたものでした。
何も知らずにいられた時代だったら、こんな風に悩まなくても
いいことなのかもしれません。
安産の祈願をし、あるがまま、なすがまま、自分の命を掛けて
出産に臨んでいた時代・・・それが、本来の姿なのかもしれないと
考えれば考えるほどそこへ行き着く気持も無いわけではないのです。
おみぐるしい姿をさらしてしまって、申し訳ありません。

お子さんも喘息なのですね。
発作を起こす本人も、また、育てられている未来さんご自身も
どれだけ大変かは自分を振り返っても想像できます。
それと・・・・
お子さんが喘息になられたのは未来さんのせいではないと思います。というか・・・私も母に何度となく、ごめんねと言われた経験があり、それが辛かったのです。
どうか、お子さんにはそういうふうにおっしゃらないであげてください。子供だった私は、なぜあやまるのか?理解できずに何度となく悲しくなった記憶があるのです。
最近は発作を起こさない努力に治療が進歩しているようですね。
月並みな言葉ですが、どうか頑張ってあげてください。
 





   >>> 罪ですか?? ちゃん太   -- 2004/06/21..
 
>生まれる命はどんな理由があっても堕胎は罪.....

私は全てが”罪”とは思いません。
やむを得ない事情があって堕胎を選択する人もいるからです。

極論(?)かもしれませんが、私の周りに全く異なる選択をした人達がいます。

一人はご主人と離婚しようとした女性。無理やりHされ結果望まない妊娠。彼女は今後の自分の人生を考え堕胎を選択しました。
私は”罪”とは思えません。

逆に、ご主人に離婚を提案され話し合う中で妊娠。彼女は繋ぎ止めたい一心で出産。結果、ご主人は離れていき彼女は子育てを放棄しているような状態。逆に子供を盾に取った彼女こそ”罪”だと思います。
 





   >>> 茶畑さんへ トマトの気持   -- 2004/06/21..
 
体のお気遣いを戴き、ありがとうございます。
19日に無事退院いたしました。

茶畑さんは子育て中なのですよね?
無理なさらないようにされてくださいね。
わたしも自宅に戻ったからといって、無理しないようにのんびりを支持されてしまいました(笑)

茶畑さんの問いに真剣に考えつつ、きっと根っこにある思いは
近いものがあるのではないだろうかと、では、なぜ、わたしはこんなに違う意見になってしまうのか?実はわからないでいるのです。
なので、それを見つめられればいいなとの思いで、一気に書いてしまいました。
 





   >>> それぞれの考えなだけ・・・・・ 未来   -- 2004/06/20..
 
トマトの気持ちさんの内容は人間としてのエゴなだけなのです。

自分の気持ちをすべて相手に理解してもらえる行為ではない行動や言動をよく理解してください・・・・
茶畑さんの意見にいつも同調し考え方が同じものとして、トマトの気持ちさんの気持ちは見苦しいです。
高齢で産むリスクをよく考えてください・・・・また、生まれる命をどんな理由があっても堕胎行為は罪なのです。
人間は避妊もできるし、また望んだ妊娠なら、受け入れる生命なのです。
今は医療行為が進み生命倫理が問題視されています。
自分が生まれる前に命の選択をされて生まれたと知ったらどうですか?人間の欲には限りがなくわがままなものです。
どんな理由があっても、生まれて意味がない生命などはないのです。
私自身は生みたくても流産したりまた妊娠しても、とても大変な日々でした。それもただ、私の運命なのです。
自分の苦しみは、生命を宿した命とは、ちがうもの・・・・
勝手に自己の苦しみにすりかえないで下さい。
うちの子供は、喘息がひどく、毎日吸入と投薬の日々です。
私自身、自分を責めながら子供の看護に日々追われています。
見かけの障害などは、なにもなく生まれてきましだが、大変な毎日です。
ただ、誰を責めるわけでもなく、頑張って自分で吸入して子ども自身頑張って生きています。
自分を生んでくれた、命を、あなた方自身もすべて受け入れ育てる勇気を持った上で、妊娠を望んでほしいのです。
しかし茶畑さんの意見は、こちらの投稿欄では理解が難しく思われているのが残念でなりません・・・・・・
 





   >>> お体大丈夫ですか。 茶畑   -- 2004/06/20..
 
 これだけの文章を短期間に書くのは大変だったでしょう。
 たくさん、丁寧に、詳しく書いていただいてありがとうございます。
 私もまたひとつひとつ返事しようと思いますが、画面をスクロールしながら見て返事を書くのは大変なので、普段はあまり使わず別室においてあるプリンターを持ってきて印刷して読みながら返事をします。私も少し猶予をください。
 





   >>> 障害者差別についてのわたしの考え その2 トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
動きが普通と違う、言葉がうまく発する事が出来ないと、私たちはそれ=知的障害者だと勝手に思い込む人が多数だったりします。
そして、小さい子供に話し掛けるような幼児語で、いかにも私は差別していませんという顔をして、一生懸命接しようとされていたり…。良くある事だそうです。
これが差別でなく、なんになるのでしょう?
どんな障害なのか?ストレートにお聞きする事はいけない事だと思われている方も多いのでは?
わたしは、知り合った方のことを知りたいので、ストレートに気を悪くされるかもしれませんがお聞きさせてくださいとお願いしてみます。
サポートをされている方に聞く事も(しゃべる事に障害がある場合、通訳を通すがごとくです)、ご本人に聞く事もあります。
知った上で、こういう個性をお持ちなのだなとわかれば、あとはフランクに付き合えますし、付き合いたいと思っています。
それを嫌がる方ももちろんいるでしょう。
でも、普通に気が合う合わないが有るのと同じようなものだったり、タイミング的にそれを嫌われたり、そういうのは良くある事と割り切っています。ひょんな事で打ち解ける事もありえるもの。
私たちが普通に取るコミニケーションとまったく同じだと思っています。

また、まったく普通に見える方でも、実は障害者であることもあります。

染色体異常の話と近い話で、DNA異常があるがゆえに、今、健康でも、将来、難病と呼ばれる病気で、障害者になる方もいます。
そして今現在、そのDNAの鑑定が出来ることで、そのDNAを持っている事がわかった時点で、保険に入れないという差別も発生しています。

これは、将来、私たちが気軽にDNA鑑定が出来るようになり、ガンになるとか脳卒中になるとか、病気になる遺伝子が解るようになったときに、自分を知った上で、気をつけるように、管理しようとすればするほど、その保険に入れないという差別の対象にされるかもしれない。そういう矛盾と危険も含んでいるという事を示しています。
すでに何個かの遺伝子がどの病気に関係していると解明されているらしいです。
私たちも、もうそこまで、差別の対象として、見られる可能性を持っている事を自覚してください。
差別に敏感になり、自分と他者とが違う個性が、性格だけでなく、外見だけでなく、すべてに有るのだという区別をきちんと認識する事が大切な事だと、わたしはそう思っているのです。

と、いかにもな言葉を並べてしまいましたが、実際うまくいかない事が、多々あるのが本当のところです。
そして、こういうお話はほとんど、障害のある方からの情報を元にいろいろ調べたから得られています。
わたしは、失敗をいっぱいしています。
そんなときは、素直にごめんなさいといいます。
行き違いがあれば、普通にあやまるのと同じです。

最後に、おそらく茶畑さんも茶畑さんの経験の中からいっぱいの考えがあるし、主張があるのだろうと思っています。
もしよろしかったら、詳しく、お話願えないでしょうか?
私に、自分の体験からの考えがあるように、おそらくたくさんの気持ちがあるものと思います。

文才も学歴も何も無い自分の書いたもの、本当に稚拙ですが、少しでも私の考えが伝わったのなら幸いです。
また、公の場なので、茶畑さん当てに私文として書いてはいますが、他の大勢の方もごらんになっている事と思います。
私のつたない考えですし、また、思い違いをして覚えている知識も多々あると思います。
まったく違う考えをお持ちで、怒っている方もいっぱいいるかもしれません。
適切な表現にかける部分があるかもしれません。
そういったことを、ご指摘いただければ、幸いに思います。
ここまでの長い文章にお付き合いいただけたのなら、読んでいただけた事に深くお礼申し上げます。
お付き合いいただきありがとうございました。
 





   >>> 障害者差別についてのわたしの考え その1 トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
これも、あくまで一個人としての考えです。誰にも強制しないし、されたくない部分の話です。

障害者とくくるとき、私としては今、ここに人として生きている方を対象にしたいと思っています。
もうちょっと正確にいうと、22週前の胎児はその対象にいれないという前提で考えたいと思います。
21週までの胎児は、命であっても、人間というその範疇にいれることが出来ないと思うのです。
もちろん、そこにそびえるボーダーラインの重みは、充分解っています。

>羊水検査の結果次第で命の選択があり、選択されないのは障害ある命なんですもの。

茶畑さん、上記がその答えだと思っていただいて結構です。
そういう風にわたしは線を引かざるを得ないと感情ではなく、理屈で考えています。
なので、障害者を差別はしないと自分で発言の中に書いているのです。
胎児に対する差別ではなく、これはある側面から見た区別だと思いたいのです。
その理由は今までの文章から読み取ってください。

ここから下の文章はわたしの想いです。

なるまんさんへのレスで、以前に私は下記のように書いています。
これも、今、生きている私たちを対象に書いた言葉です。
>差別と区別を混同しない事、逆差別をしない事です。
>障害を自覚されている方が一番敏感に感じ取る部分です。

差別を考えるとき、私たち側がいかに何も知らないか?
何の悪気も無く差別をしているのかを感じる事が大切なのだと思うのです。
茶畑さんの発言の中にもそれを見る事が出来るのです。
以前、メーデーの話をお書きになっていましたよね?
わたしにはあれも差別に見えてしまいました。
そのこぶしを振り上げていた方は、本当に茶畑さんが感じたように知的障害者だったのだろうか?と
身体障害者の中には、知的障害が無いに、実は自分の意志で体が動かないものや、かってに動くものもあることをご存知でしょうか?
あるいは、知的障害はないのに、感情の起伏で制御がうまくいかなくなる方もいる事をご存知でしょうか?
付き添っていらっしゃる方がいるのなら、ストレートにその方に聞いてみると良かったかな?と思ったりしています。
どういった障害なのでしょうか?お手伝いできますか?と…
そのこぶしを振り上げた方は、少しでも自分たちの主張を聞いて欲しいと、がんばっただけなのかもしれません。
あるいは、聞いてもらいたいと興奮しただけなのかもしれません。
あるいは、思い通りに動かない体と、言葉を発しただけなのかもしれません…。
怖かったと思う感情が勝ち、そう判断されたのかなと失礼ながら思ってしまいました。
たしかに、通りすがりに出くわす障害者の方が、どんな方かをすぐわかることは無理があります。
まず、わが身の安全をとっさに感じる事も、わかるのです。
ましてや、障害がある方とのコミニケーションは、時間もかかることが多いですし..。
親しくとも行き違いが起こる事もしばしば有ると思うのです。
千差万別ケースバイケースなのも否めないものだと思うのです。
すぐにわかる障害も確かに有りますが、その方たちは今はやりのバリアフリーの言葉の元、昔よりだいぶましになり、表にも出やすくなってきていると思います。
(まだまだなのは確かですし、私たち側の意識はまだまだバリアがいっぱいなのでしょう)

その2につづく

 





   >>> 命について 命の選別  トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
私の中でぐるぐると回りまわっている愚痴になっています。すいません...
自分の中にある自分に対する憤りを吐露する事になると思います。

染色体異常がある胎児を堕胎するという命の選別、感情的には茶畑さんと同じに、
思う部分があるのです。その一点だけを見つめてしまえば、おそらく、それが正しい事
そのとおりですと言う自分がいます。
でも、堕胎するという選択の欄で言ったように、それは目に見える殺人に限りなく近い
ものなのに合法的なものだからなのでしょう。
目に見えない、見えずらい殺人のような事は、山のようにあるのだと、思う一方で、
では、命の選択は今、この世の中に生きている人には行われていないのか?というと、
そこにも山のようにあるのだということを、少し視野を広げれば、思い知らされます。

直接的に殺人に私たちは手を貸していない?確かにそうです。
でも、見ようとしない事で、たとえば、虐待死する子供たち、自殺する子供たち、大人たち、
海外に目を移せば、貧困で喘ぐ人々、今いる私たちの環境とあまりにも違うスラム街
レイプや売春を含む貧困ゆえの殺人や堕胎出来る環境が無い、避妊という知識もないところも、
堕胎できない何らかの訳から起こる新生児の放置→死も、
予防接種が無いがために、赤ちゃんの死亡率が高い地域も、死亡率が高いからいっぱい作って、
生き残る子だけ育てる地域もこの地球上には存在します。
(ステレオタイプの表現になってしまいました)
見えないから、知らない?知ろうとしないだけ、知ってもどうしようもない事?
何も出来ない自分、無力さ・・・・。今有る命を優先したいと思う自分がいるのに!!

自分に子供は出来ないかもと思い始めたときに、養子や里親になる事も出来るのでは?と
真剣に考えた事があります。
その一方多くの親がいない子供たちのなかから、どうやってその命を選ぶのだろう??
その人格的な資格が自分にあるのか?と問い、その自信の無さにため息をついた事もあります。

夫婦二人だけで穏やかに暮らす事も、素敵な事だと思い始めた事も有ります。
でも、それを選択して、二人になったわけではなく、私の場合、気が付けばそうなっていたということに、
子供がいないという事に、他者をうらやんでみたり。

大風呂敷を広げても、所詮何も出来ないんだなと、無力さと、実生活のあわただしさ。
そこにいる事への居心地のよさ、自分が恵まれているのだと感じる事は出来ても、
奉仕という気持ちになれない自分の強欲さ、利己主義的な自分、感じるたびに嫌になる。

そして、思う事。
私という命をはぐくみ育ててくれた多くの方への感謝。
今、この場所でわたしという命があることへの感謝。淘汰されなかった事への喜び。
素敵なパートナーと出会えた事への感謝。
それに対して恩返しが出来るとすれば、まず、自分の命を慈しみ、大切にする事。
最初の一歩、自分の出来る命への恩返しはこれなのではないかと?
謙虚に小さなところに行き着く。
自分が幸せになる事、それが命の個としての義務なのでは?
そのために、時としてエゴ(本能?)が出る事もある。
矛盾だらけの中、最終的には、自分の命慈しむということが、生きるという事なのではないかと。
子を得て、生命を未来につなぐことも、個の命のエゴなのかもしれない。
それが、かなわなかったとしても、自分が満足行くように生きる事、それが大切なのではと思う。
自分ありきの決断をする場面、自分がつらいとき、逃げたくなるような出来事、耐えられないと
感じる出来事、乗り越えてきた自分。あの地獄の想いは二度としたくない。
そんな経験があるから、他者にも、そんな思いはして欲しくないと思える自分がいる。
それだけでいいのではないかなと...。
そこから、何か小さな事が出来ればいいと。
ちっぽけな自分を感じて、謙虚に有りたいと願う。

----抽象的過ぎて変かもしれないですね。------

 





   >>> 広い意味での堕胎という選択 その2 トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
堕胎を認めるという法律には、生きている私たちを守るという側面も持ち合わせている事もあわせて考えなければいけないと思うのです。
たとえば、レイプによって出来た受精卵、その命には何の罪も有りません。
堕胎という行為をすべて非としたとき、その命は救われますが、母子関係は・…?レイプされた母は…?救われるのでしょうか?
そうやって生まれでた胎児は成長するときに、救われるのでしょうか?
生まれでたからには、そこには生きる意味があるのかもしれません。
そこから、幸せをつかみ取れるのかもしれません。素敵な人に育つかもしれません。
しかし、そこには、より多くのハードルがあり、困難な道なのかもしれません。
そういう可能性を摘み取る事になるのですが...
それでも、生まれでたからには、そこには、今生きている人の仲間になったのですから、
当然の権利も義務も得る事が出来るのですが....。

生まれ出る前の命より、今有る命を優先されているということは仕方ない事のように思えます。
それでも、通常レイプを受けた後は、それを言う勇気があれば、処置をしてもらう事は出来ます。
でも、いえなかったとき、運悪く妊娠したときは、やはりそこに、
堕胎せざるを得ないという現実が横たわっているのです。
それを選択した女性を、非難する事は、やはり私には出来ません。

>不妊治療の選別された受精卵も確かに命だと私は思います。
>誰の命もそこから始まったのです。貴女の命も私の命も
>選別されても命かと問う前に、卵子と精子がおなかの中で受精卵となる・・・
>そのこと自体に命の神秘さを感じずにいられません。

そうですね。でも、そこで考えを止めてしまうのはどうでしょうか?
その神秘に私たちは科学というものをもって挑戦し、その神秘をも解明しようとしているのではないでしょうか?
命を得るということを哲学や思想、宗教で語るのではなく、科学で見つめる目も必要な事のように思います。
その中に、不治の病と言われてきたものを克服するすべを見つけ出しているのですから。
わたしは科学者でもなく、本当に理系に疎い人間なのですが、受精卵の持つ細胞の中に、どんなものにでも変化を遂げる細胞がみつかったというような話を最近聞いた事があります。
将来はそういったものを発展させて、自分のスペアパーツをそれぞれ持つ時代がくるのかもしれないなと思っています。
ただし、それが、命を扱うという部分において、倫理的に果たして正しいものなのか?
やはり疑問はもちつづけたいとは思うのですが。

受精卵を人工的に作れるようになり、違う人の子宮を借り出産ができる時代に私たちは生きています。
これが、人工の子宮が開発されるのもそんな先の事ではないのかもしれません。
そのときに、染色体異常を持つ事というのは、どういう扱いになるのでしょう?
自然妊娠においては、あるいは、何も手を加えてはいけないという時代になっているかもしれません。
人工子宮から生まれる子のみ、選別を許される時代になっているかもしれません。
あるいは人工的にその率を保つために染色体異常のある赤ちゃんを作る時代になっているかもしれません。
なぜなら、染色体異常を排除するのは倫理が許さないから…という理由の元でです。
堕胎という事態が起こらない世の中は案外そういう未来なのかなとふと思ったりします。  (少々空想が過ぎました)

堕胎するという事が直接的に生命を絶つという行為として見えやすい範疇にあるので拒否反応が起こるのは当然かもしれません。
(私も含めて感情的にはそうです)
しかし、着床できずに体内に吸収されていった受精卵たちや、人工授精→着床が起こった後に、間引きされた受精卵たち、取り出された卵や、排出された精子を捨てたからといって、非難する人は・…やはりいないのは目に見えない行為だからなのだなと、私は思ってしまいます。
そうして、自分の見えないものを見ようとしないようにしている事はエゴなのかもしれないと・…見えるものだけ非難するのもエゴなのかもしれないと思うのです。
 





   >>> 広い意味での堕胎という選択 その1 トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
堕胎するという選択は、羊水検査だけにつきまとう事ではないので、もう少し広範囲での意味も考えてみたいと思います。

この技術の持つ意味です。

わたしは以前にTVの中で3ヶ月の胎児の堕胎手術の様子というビデオを見た事があります。
それはエコーで、その様子を映し出すVTRでした。
たった3ヶ月の子宮に生きている命がどんな風に命を落とすのか!という残酷なものです。

ご存知の方も多いかと思いますが、前期、中期では堕胎の仕方が違います。

前期の場合、そのビデオから見て取れるのは、むごいとしかいえない代物だったのです。
子宮内で心地よく過ごしている胎児にしてみれば、突然異物が進入してきます。
その異物に対して警戒をし、パニックになりジタバタし、鼓動があがるのが確認できました。
そして、その異物は胎児をつまもうとします。胎児は必死に抵抗し、逃げ惑います。
それでも、とうとうその異物につかまり、切り刻まれていくという残酷な姿が映し出されていました。
最後は頭部をつぶされ、その命は絶え…命だった破片をひとつひとつかき出していき、手術は終了しました。

堕胎手術がすべてこのように行われているのかは、私は知りません。
が、しかし、これが現実なのでしょうことは、容易に想像できます。
とても残酷な事、命を軽視する事、間違いなくそうなのだろうと思います。
おそらく、茶畑さんはそのような事実も含めて堕胎に反対されているだろう事。
その胎児の可能性を文字通り摘み取っているという残酷な事に対して、憤りを覚えているだろう事、理解しているつもりでいます。

ではなぜ、それでも、堕胎を是とするのか?
前のタイトルでの書き込みの理由以外にも、自分の気持ち的には承諾したくないのですが、せざるを得ないと考える部分があります。

それは、まず、今生きている私たちに与えられている権利。
この行使は、誰にも止められないという事実です。
日本には日本の国民に与えられた法律があります。
その法律の中で認められている事を何を盾にとっても止める事は出来ないのではないでしょうか?
たとえ、命を残酷に扱おうとも…、胎児を大切に思わないとしても…です。
権利がある以上は本当はそこに、義務と責任がついて回るのですが、それをないがしろにしている、そう非難する事は出来ても、です。

その2につづく

 





   >>> 堕胎をする、しないの選択について その2 トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
また、前の書き込みでの18トリソミーだった場合、生まれてから人間として当然の権利を得られないと感じたとき、おなかの中で、まだ、感じるものが少ない状態で少しでも育つ前に堕胎するという選択もあるのではないかと。
18トリソミーだけではなく、他のいかなる危機的な異常が見つかったときには、そういう選択もあるのではないかと私は思うのです。
これもエゴかもしれません。
わたしは出来れば、悲劇にはもう、これ以上遭いたくないと思うのです。
もし、それを選択できるのなら、自分の耐えられると思うほうを選びたいのです。
そして、それは21週のボーダーラインがあり、法律的にも許されている事なのです。
もちろん、奇跡の可能性にかけ、困難を克服し、たとえ生存し大人になる可能性が0%だと医師に告げられようとも、挑戦するのが正しい命のありかただとおっしゃるなら、それは人それぞれの考えだと思います。
わたしは、まだ、ほとんどの事をわからない状態の子を失う事のほうが、耐えることが出来ると思うのです。
生まれてなお、絶望的な戦いに挑ませ、計り知れない苦痛を味わわせ、その結果植物状態で生存したとしたら、それでも生きているとしたら、耐えられません。おそらく、本当に殺人を犯す人になるでしょう。
もし、ダウン症であり軽い知的障害と比較的軽い体内の異常があるでしょうと告げられたら、産む事を選択していると思います。

そういう想いが有る以上、堕胎する事すべてを一刀両断でNOということは私には出来ないのです。
人それぞれ、いろんな事を山のように考え、熟慮し、悩み抜いた上で出された結論だと思うのです。
さらに、堕胎を選択してもなお、その罪を感じず、その決断を100%正しいのだなどと、傲慢に構える方は、すくなくとも、こちらで命を真剣に考えられている方にはいないのではないでしょうか?
どんな選択を取ったとしても、その罪悪感に苦しみのた打ち回る事くらい、自分にはわかっている。
そう信じたいです。

追記:
そう思って迎えた羊水検査だったのですが、受けることが出来ませんでした。
理由は簡単です。針をさす側に胎盤が来ており、針を入れる場所が無かったのです。
エコーでその様子を見させてもらったのですが、まるで胎盤を盾にし、戦いの準備をしているように見えました。
それが、この子の意思なのか?!!と、真剣に悩んだ私に、この子はあっさりと回答を出してくれたと思っています。
羊水検査を受けられなかった今、エコーからの情報が頼りです。
21週を迎えた今、ちょっとでも怪しい部分が有るのか無いのか?わたしは医師に問いただしました。
胎児が戦いを挑むように見えた事、わたしも何があっても、どんな状況がこの先に有ろうとも、いっしょに戦うために自らが21週であるいま、堕胎という選択をしなかったのだと思いたかったのです。
胎児君は、どんな苦痛な事があろうとも、苦しんでもいいと言っているように見えたので、彼(彼女)の意思を尊重しようと思うのです。
もちろん、なんの確定検査にもなっていないので、染色体異常があるのか否か?はわかりません。
 





   >>> 堕胎をする、しないの選択について その1 トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
●堕胎をする、しないの選択について

羊水検査を受けるにあたって、当然何か染色体異常が見つかれば、堕胎すると言う方が多いと思います。
ただ、この言い方、実は少々正しくないと思うのは私だけでしょうか?

羊水検査の結果、染色体異常がもし見つかったら、堕胎という選択肢もあるという事を知った上で、検査に望み、たぶん自分の赤ちゃんは大丈夫なはず、それを証明してねと祈って検査を受ける。
これが検査前の心境であって、異常があったらごみ箱にポイッというような、安易な選択で有ろうはずが無いのです。

扱うのは茶畑さんもとても敏感に感じていらっしゃる命なのです。

羊水検査で異常があったら堕胎すると当然思っていると解釈した上で話を進めているのは、実は医療サイド側が簡略化しているだけだと思うのです。
そして、安易に羊水検査を受ければ、そういう説明を受けているので、自分の気持ちをしっかりと見つめずに、それに乗って安易に堕胎を決めてしまっている方も中にはいるのかもしれません。
わたしはそういうものは是としたくないと思っています。

ただ、悩みぬいた選択というものもあるのは事実だと思うのです。
わたしだったら、間違いなくこうしています。
どの染色体異常なのか?
どんな身体的な異常の可能性があるのか?
現在エコー検査でその兆候が有るのか?生き抜ける可能性は?
おそらく、ありとあらゆる説明を医師に対して求めるでしょう。
そのデータをおかりして、セカンドオピニオン、サードオピニオンと求めて歩きまくるでしょう。
堕胎可能なタイムリミットと、胎動を感じ、母性が目覚め始め、感情が堕胎を認めないかもしれません。
それでも、最初に自分の中で作ったボーダーライン、熟慮して羊水検査を受けると決めたときにした決断。
わたしはそれを支えに、自分の意志を貫くと思うのです。

その2につづく

 





   >>> 羊水検査を受ける事を肯定する事について その2 トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
18トリソミーに関していえば、数は少ないというものの、ネットを検索されればすぐに目にとまる事例が山のように出てきます。
その中で、医師の対応も千差万別な事をご存知でしょうか?
異常があったとしても、寿命が短いという理由で、出産後の延命措置をあえてしない。
母体優先を考え、死産のリスクがあったとしても(胎児が弱っていてさえ)帝王切開はしない。
早産の月数であっても、人工的に陣痛を起こし、無理やり出産させてしまう…
そして、普通の措置しかせず、放置に近い事も、病院の方針ではありえる場合もある。
(近年まではそれが主流だったようです)
短命とは死産から数年しか生きられないという事です。
内臓の欠損、致命的な障害も多々ありうるのです。
積極的治療をするべきという方向に流れが変わりつつある中では有るのですが、
今、自分がお世話になっている産院がどういう方針なのか?
また、出産まで何も染色体異常があることを知らず、緊急でNICUに運ばれた場合、
その病院がどういう方針でその子を受け入れてくれるか…?!
18トリソミーとわかった時点で諦められることも有り、賭けに近いものになりかねません.
もちろん、稀な染色体異常なのでしょう。
おそらく、そのような場合の対応までまでお聞きすれば、心配性すぎる妊婦と思われるのが落ちというくらい
呆れられるはずです。
そして、十中八九、おかぁさん、そんな心配をせずに心健やかにいてください。
胎教に良くないですよって言われるはずです。
私は思うのです。
7,8ヶ月でそのような産み方を強制され、放置されるような悲劇には遭いたくないと。
何も知らないがゆえに医師の指示に従ってしまう恐れがあることを。
緊急の場合、セカンドオピニオンも何もする時間など有りません。
どんな病院なのかもチョイスする事すら出来ないでしょう。
これは親側のエゴなのかもしれません。
少しでも得られる情報があるのなら、心構えも安心も含めて、羊水検査を受けたいと思われるのなら、受ける事に賛成します。
ただし、そのためのリスクがあるということ、それと天秤にかけて決めるという決断が必要です。
大切な赤ちゃんを安心を得たいがゆえにリスクにさらすのだということをしっかりと受け止めた上での決断なのですから。
わたしは少なくともそういう気持ちで羊水検査を受ける決意をしたのです。

蛇足ですが、エコー検査も出産前検査です。体内にいる記念写真をとる道具ではないのです。
検査のリスクが無いだけで、羊水検査と何ら変わらない検査なのです。
私たちは何も知らないうちに、羊水検査と何ら変わらない検査は受け入れているのです。
リスクがあるということで、初めて羊水検査を受ける受けないという選択で、
それが命の行方を握るものである検査だという事に気づかされるだけなのではないでしょうか?
エコー検査も命の行方を握る検査である事も認識せずにです。
羊水検査を受けずに過ごされた妊婦さんに異常を告げるものはまず、間違いなくエコー検査です。
それで異常が見つかり、羊水検査を指示されるという流れは自然に起きています。
そのときにはすでに、21週のボーダーラインはもちろん超えている事が多いです。
その命を諦めるという選択肢はすでにそのときは無い事が多いだけです。

 





   >>> 羊水検査を受ける事を肯定する事について その1 トマトの気持ち   -- 2004/06/18..
 
>障害者を差別しないと言いながら、貴女は何故もし羊水検査で障害があるとわかったら堕胎されるのですか。
>どうして堕胎されるのですか。

この問いには複数の問いが含まれていると思うので、分けて私なりの考えを言いたいと思います。

その前にまず、はっきりしておきたい点があります。
私は障害があるからという理由のみで堕胎も是だといっている訳ではありません。


●羊水検査を受ける事を肯定する事について。

21トリソミー(ダウン症)に関して言えば、知的障害が嫌なのではないのです。
そういう理由でそれが知りたいがためだけに羊水検査を受けたいのではないのです。
怖いのはその他の異常の部分です。
生まれてみなければ解らない重大な異常があった場合、数時間でなくなってしまうこともある。
何度もつらい治療を乗り越えた上でなお、直しきれないものもあるのです。
知的障害の度合いにもよりますが、それがないのなら、つらくてもがんばれば、直る(直らない)という事を
ある程度の年になれば理解できると思います。
事実私自身が3歳で喘息を治める注射の意味を理解してからは、
どんなに痛かろうと、筋肉注射だったので、しこりが出来、針が入らないところに無理やりねじ込もうが、
どんなに痛くても嫌だといいませんでした。逃げ回りもしませんでした。自分から腕をさし出しました。
理由は簡単です。今ある呼吸が苦しい状態から直すための処置だと理解しているたからです。
さらに、食物アレルギーがあったので、食べられないものが山のようにあり、子供の好きなものはほぼ全滅状態でしたが、
それを食べたいとダダをこねた事もありません。きちんと理解していたと思います。
それは大人と同じように、しっかりと医師が自分に対して説明してくれたからだと思っています。
それと対比して、理解できない子であった場合、ただただ痛いものとして、注射から逃げ回り、ただただ苦いものとして、
薬を拒否し、怖い存在が自分をいじめるものとして怯えるだけだと思うのです。
私が、そのしっかりと説明してくれた病院に出会う前の状態がまさにそれでした。その建物、その匂い、その人(医師)、
それは痛い思いを無理やりするとても怖い存在としてしか、認識をもっていませんでしたので。
そこへなぜ連れて行かれるのか?なぜ、やさしい母がそんなところへ行くのか?
まったく訳がわからず、母に対しても恐怖心を持った事をしっかりと覚えています。
大変な手術を繰り返してなお、克服しきれない肉体的な持病をもち、そういう状態を一生続けていくという人生もありえると
思うのです。

その2につづく