妊娠・出産・育児

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カイさんへ jane  -- 2003/02/07 ..
mayamamaさんへのレスを見て…一言いいですか?

私も去年の春、義父が食道ガンに冒されているのがわかり、末期の状態でした。入院して治療をしましたが、食道内の腫瘍は綺麗になくなったのですが、リンパの転移はまったくよくならず、本人は元気だったので入院二ヶ月で退院、その夏、妊娠しているのが判明…私の気持ちの中では少しでも励みになってくれたら思っていましたが、義母は喜んでくれましたが、義父と恐らく入れ違いになるのね…と寂しく言われたとき、産んではいけないのかな?と真剣に考えました。また、三年前に死産をしたときに一番優しくしてくれたのが義父だったので、もし、義父がこの子に俺は会えるのかな?と考えていたらと思うと、本当に申し訳ないです。治療の甲斐なく義父は去年の11月に亡くなりました。最後は本当に壮絶でした。もちろんカイさんの言う通りこの子は別の命ですが、生まれ変わりとして皆に喜びを与えてくれる事を望んでいます。決して義父の命を押しのけてお腹に入ったのではないと思います。それに、この子にとってもおじいちゃんの存在がいない事はかわいそうだと思うのですが、義父がきっとこの子の成長を一番近いところで見守ってくれる事と信じています。

実の父親と義理の父親とではもちろん気持ちが違う事は承知で書かせていただきまいした。もし、お気に障ったらごめんなさいね。でもあの詩のように、カイさんを選んで来てくれたんだと思える日が来る事をを心から祈っています。

私はこの子に義父の名前の一字をもらえたらと考えています。もし、男の子だったら…


そうですね・・・。   カイ
ゆっくりと   小春日和
ありがとうございます。   カイ
うまく言えませんが   ロベリア
いつの日か   芽衣




 

   >>> そうですね・・・。 カイ   -- 2003/02/07..
 
小春日和さん、ありがとうございます。
優しいレスを読んで、少し力を抜くことが出来ました。

お母様に続きお父様。さぞ辛かったことでしょう。
大切な者が目の前で弱ってゆく辛さは、言葉にあらわせませんね。

たしかに、小春日和さんのおっしゃるとおり、子供は<動く現実>です。
父がいなくなっても、おなかはどんどん大きくなってゆきます。
生命力にあふれ、胎動を感じることができますが、時としてその力強さが
うとましく感じてしまいます。
胎児に罪はないと充分わかっているのですが、父の死からまだ日が浅く、
精神的に不安定なのだとおもいます。
自分はこんなに弱い人間だったのかと、情けなくなります。

時間だけが解決してくれるのかもしれません。
小春日和さんのおっしゃるように、ゆっくり、進んでゆこうとおもいます。

 





   >>> ゆっくりと 小春日和   -- 2003/02/04..
 
私の両親のことを思いだしたので書かせて下さい。
5年前、母が心筋梗塞で倒れました。私は34歳、子供を持つつもりはなかったのですが、意識不明の母を見て「大事な母は私から去ってしまう。ならば自分で大事なものを増やせばいいんだ」と考え、母の葬式後に妊娠しました。
しかし、すぐに父の胃ガン・脳出血、と妊娠中にもいろいろとあり、東京と大阪の間を行ったり来たり。大変でした。その父も、娘2歳の時に亡くなりました。
父の葬式の時、まだまだ手のかかる娘が、慣れない場所と人の中で「帰る〜帰る〜」と泣いており、ああ、私にとっては亡くなった父を悲しむよりもこの子の方が気になるんだな、<動く現実>がここにいるんだもの、生きるってこういう事なのかな、と思いました。
とても素直に父の死を受け入れ、娘に「帰ろうね」と言って帰ってこれました。
子供の存在は、理屈ではないです。
亡くなった人のかわりではなく、でも自分に力を与えてくれる家族が一人増えるのです。力強いです。
葬式の場でも、生命力の固まりがエネルギーを放出してるだけで、空気が変わりましたから。
時間がたち、いろいろな経験や場面で、子供のすごさがわかり、愛しさもうまれてくると思います。
ゆっくりでもいいと思います。
 





   >>> ありがとうございます。 カイ   -- 2003/02/03..
 
お返事がたいへんおそくなりまして申し訳ありません。
父が亡くなってから半月が過ぎ、少しづつあたりを見まわす余裕がでていたように思えます。
(心の穴は、ふさぎようがありませんが…)
投稿内容が適切ではなかったもしれないと、少し後悔しておりましたので、
あたたかいコメントを拝見して、またボロボロ泣いてしまいました。
本当にありがとうございます。

janeさんの義父様、とても優しい方だったのですね。
ロべりアさんも芽衣さんも、辛い思いをされたのですね。
このような思いをしているのは、決して私だけではないのですよね。
自分の親はいつまでもそばにいてくれるのが当たり前だと思っていました。
できれば父に孫の顔を見てほしかった…つくづく運命は残酷ですね。
でも、くよくよしていても仕方ないので、少しずつ前向きに考えていこうとおもいます。
私のダメージも大きいですが、母のショックのほうが心配です。
今は母のためにも無事に孫を産もう、という気持ちが強くなりました。
子供が生まれたら、悲しんでるヒマがなくなるほど忙しくしてあげるつもりです。

余談ですが、父は亡くなる前、母に「また結婚してね」と言ったそうです。
つくづく、わたしはこの両親のもとに生まれてこれたことを感謝しました。
わたしも、いつか子供にそう思ってもらえたら…うれしいです。
 





   >>> うまく言えませんが ロベリア   -- 2003/01/28..
 
私も父が3年前突然亡くなり、その一月余り後に女児を出産しました。亡くなるその数時間前まで仕事をしていた父。バレンタインに生チョコを送ってあげたら「おいしい」と電話で話したのが最後でした。実家は遠くなので年に1・2回しか会えず、身重のため正月に会わなかったのがとても残念でした。
とてもつらくて悲しい日々でしたが、子どもの親としてがんばらなくてはという気持ちが支えでした。
カイさんのお父様を愛する気持ちは、親として今度は自分のお子様に向けてあげてください。
私も子どもが父の生まれ変わりと言われたときは釈然としませんでした。反対の性が出てくるらしいですけど(お父さんだったら娘とか)
カイさん、うまく言えませんが赤ちゃんもご自身も大事にして下さい。天国でお父様はきっと応援してくれていますよ。
 





   >>> いつの日か 芽衣   -- 2003/01/27..
 
 janeさんがカイさんに呼びかけていらしたので、私も少しお話ししたくて書き込みます。
 いつの日かあなたのお腹の中の命をあなたが心から受け入れられる日がきますように。「私があなたを選びました」の詩を知ったことがカイさんににとって大きな意味があったと書かれていましたよね。その日がなるべく早く来て、心穏やかにご出産を迎えられることを遠くから祈っています。
 私も昨年最愛の父を肺ガンでなくしました。今は2歳過ぎになる私の息子が生まれたのとひきかえのように、父の体は弱りはじめました。産後の私は実家へ帰りたくても思うように身動きがとれませんでした。私は息子を受け入れられないということはありませんでしたけれど、父のそばへ行けないもどかしさが私の産後鬱を重くしたのだと思います。ゆっくりだったはずの病状の進行が急に早くなってからも、息子がまだ小さい上に、仕事に復帰していたので満足に看病ができませんでした。「私が仕事を辞めて父に付き添ったら、子供の面倒を見てくれる人はいない。またそうしたら本人が末期だと気付いてしまう」と周囲にいわれました。それでも夫と別居して(子供は夫に託して)実家に帰ろうと何度も思いました。しかし現実に私の元には私に絶対の責任のある命がありました。毎日毎日身を引き裂かれ、搾られるような思いで父を心配していました。
 夫の了解が得られて、最後の退院を予定していた父と同居するために引越の日にちを決めた、その矢先に父は意識不明になりました。父はまるで私の介護を拒否し、娘夫婦の危機を救うかのように旅立ちました。最後の親孝行をできなかった自分を私はまだ責め続けていますが、父はすべてを包み込むように優しさかったのだと思います。親とはそういうものなのでしょう。私もこれから段々と親になっていけるのでしょうか。
 私の息子には私を通して間違いなく父の遺伝子が伝わっている。私はそれが嬉しいのです。
 お腹の中の命を「生まれ変わりといわれるのが辛い」「押しのけて生まれてくるようで」という気持もとてもわかります。でもいつの日か、カイさんの大切なお父上がお子さんの中に息づいていると思える日がきますように。
 押しつけがましかったらごめんなさい。