妊娠・出産・育児

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妊娠 あきらめました なるまん  -- 2003/02/14 ..
昨日 検査結果を聞きに病院に行きました。
暮に流産した子どもは20トリソミー 染色体異常のために発育できませんでした。
私たち夫婦には 何らかの原因があり染色体異常の子どもしか授かれないという事でした。
主人の強い希望があり 大学病院で私たちの体を調べてもらうことになりました。ただそれは 原因を見つけるだけであり治療法はありません。
「もし 原因が見つからず もし妊娠をしたら・・?」
「間違いなく 染色体異常の子どもでしょう・・・。」
「その子は 生きられるでしょうか・・・?」
私は 何度も同じような質問をしていました。そして先生から 内臓疾患・心臓疾患などについて 説明を聞きました。

長女が天国に行った後 養子を考えました。もう 子どもの死は見たくなかったから・・・
主人の妊娠できるのに養子はおかしい という言葉に納得し その後3回妊娠 そして たどりついた答えは 
もう 妊娠できない ということでした。

もう妊娠できない!!こんなに悲しく 辛いことだとは思いませんでした。

病院の帰り道 よいしょさんのお母さんの言葉の意味が痛いほど分かりました。
妊娠する幸せを運んできてくれた子ども達 ありがとう。

ositaさんや せなさんの言葉が今の私には とてもありがたく思います。
一人一人の子ども達が私の中で生きてた意味が よく分かりました。
4人の子ども達に会え 私はとても幸せです。ありがとう!


最後まで読んでくださった方 ありがとうございました。
もう妊娠できない と思ったら悲しくて 誰かに聞いてもらいたくなりました。主人以外に話せる人がいなく この掲示板が唯一私の本音を言える場所です。
生きる子が欲しかった 長女が死んだとき止まった時間を動かしたかった 叶うことの無い夢になりました。


よいしょさんへ   なるまん
ありがとうございました   なるまん
なるまんさんへ   芽衣
なるまんさんへ   よいしょ
がんばって下さい!!   osita
なるまん様   まり
ありがとうございました   なるまん
残念です。でも・・・。   osita




 

   >>> よいしょさんへ なるまん   -- 2003/02/14..
 
私が 少し強くなれたのは 子ども達に会ったからです。
暮に流産し 身体が元気になるにつれ動悸が激しくなりまた。精神的なものです。そんな時何故か ヨーロッパに行きたいと思いました。(行った事も 興味を持った事も無い所です)
私は本能で動くところがあり チケットが取れたのですぐにヨーロッパに行きました。
沢山の宗教画を見たり 教会を訪れました。ある宮殿に行った時 とても心地よく感じました。
そして 長女を見つけました。長女はデブっとしていて いたずら好きな顔をしていました。
隣の部屋には 5歳ぐらいの次女がいました。品があり 純粋な顔立ち 幸せそうでした。
部屋の中央に 母がいました。ものすごい強い目で私を見てた。
絵が鏡になり 自分の心の中を見ていたんですね。
絵を通し 自分の心の中の子ども達に会うことができました。
いつかまた 子ども達が突然現れると思います。そのとき しっかりとした母親でいたい と思います。
 
もし偶然 よいしょさんがお嬢さんに逢えたとき 日記の中の親の姿と同じ人でいて欲しいな・・・
本棚で誇りをかぶっていても よいしょさん次第で ものすごく価値のある日記になると思う。
たとえ姿・形ががなくても 日記の意味がお子さんに伝わると思います。

もうすぐ次女の季節です。
去年は3月だというのに とても暖かく 桜が満開でした。
次女を抱いて病院を出たとき 沢山の桜が迎えてくれました。
火葬場に行く間も 沢山の桜が送ってくれました。
次女は さくら と名づけました。
さくらに逢えるのが楽しみな自分でいたいと思います。



 





   >>> ありがとうございました なるまん   -- 2003/02/14..
 
結婚をして 子どもを産んで 子育てをして・・・
当たり前のように思っていましたが 長女が死んで 私の人生・価値観が180度かわりました。
次女をあきらめてからは 償いばかり考えてきました。
最近 これからの事を考え始め また新たな自分に気づきました。
(心を楽にしようと つぐないから逃げているかもしれませんが・・)
子ども達が私の中で生きた意味があるように 私にも意味があるように思えました。
どんな子どもでもいいわ・・・と思っている私に 少ししか生きることのできない子が やってきた。
長女と同じ病気以外の子を・・・と思っている私に 同じ病気の子が やってきた。ずるい言い方ですが 長女と同じだったら あきらめる と決まっていたのに 次女は来た。
この子達は 私を選んで来てくれた様な気がする。
子ども達に選ばれた私は 何をしたらよいのだろうか・・・

養子については 2回相談に行きました。
子どもに対しての責任を考えると ちゅうちょしてしまいます。
子どもが障害児だったから 障害の子を育てたい と単純に願っていましたが 頼る人が誰もいない私たち夫婦には やはり難しいようです。また成人したときの自立を考えたとき 理想と現実のギャップを 相談員から聞きました。
里親養子についての年齢制限は65歳 ゆっくりと考えて行きたいと思います。

相談員の方と 施設や自立について話をしているうちに 私がやるべきことが沢山あるよに思えました。
病院と福祉人材センターに履歴書を出し 見学などの行動しかしていませんが 自分が何をしていくべきか・・見つけて行きたいと思います。
それまでは 家計のことは考えずに 病気と闘っている子ども達に絵本を読んであげたいと思います。

長女・流産・次女 主人と二人で乗り越えてきました。
今回 この掲示板で 自分の心を出したり 人の気持ちを聞くことにより いろんな事を考えることができました。また 私のことを 気にしてくださった方がいる と思うだけで 前向きに頑張ろうと 思えます。
本当に ありがとうございました。

 





   >>> なるまんさんへ 芽衣   -- 2003/02/12..
 
なるまんさん 
 ずっとあなたの投稿を読んでいて、どうされているかと思っていました。今回の結果は本当に悲しく残念でしたね。なるまんさんと共通項があまりない私はどうお言葉をかけていいか、わからずにいましたが書いてみることにします。
 なるまんさんの御母様はとてもご立派なかたですね。人間として心からの優しさにあふれたかたなのですね。そしてなるまんさんご本人のことも私はとても尊敬します。
 これから、あなたの優しさやあたたかさでたくさんのお子さんが救われることでしょう。あなたのその姿を、4人の天使ちゃんは空から誇らしげに見守ってくれるでしょう。
 でももうしばらくはご自分の心をいたわってくださいね。
 遠くからお幸せをお祈りしています。
 





   >>> なるまんさんへ よいしょ   -- 2003/02/11..
 
先日、なるまんさんの投稿を読んで書き込みしようかと思いましたが、途中で言葉にならなくなり送信するのをやめました。
うちの母の言葉を覚えていてくださってありがとう。私のお腹の中にいた私たち夫婦の子供のことは、思い出してあげられる人が限られています。特に私の赤ちゃんは他の家族のだれとも会うことなく逝ってしまったので、あの子の姿を思い出して上げられるのは私だけなのです。だからできるだけ一緒にいられた短い時間を幸せな時間として思い出そうとしています。でも、まだつらいけど。

私の場合立場は少し違いますが、妊娠をあきらめようとしています。あきらめるということは、すごいエネルギーのいることですよね。こういう書き方をするのは、昔から子供が欲しかったという強い気持ちがあるからなのですが、私にとって養子をもらうというのは、少し自分の気持ちとは違うと思っています。それに、主人も他の家族もすでに私たちは夫婦二人でやっていくんだと思っているようです。結婚する少し前から、いつか生まれる子供にあてて書いていた日記がありました。毎日書かいてたわけじゃないんですけど、年齢的に、もしかしたらその子が成人してひとり立ちするまで側にいてあげることができないかもしれないので、いつかその日記が私の代わりに人間としての親の姿を見せてくれるようになるかもしれないと思っていたのです。でも、その日記も今のところ1年以上書き足すことも無く、本棚でホコリをかぶってしまっています。でも、書く事で自分の気持ちが整理されていくことってありますよね。 ここに書き込みをすることも似たような経験なんだと思います。 
20代や30代前半と違って思い悩んでいるうちにどんどん時間が無くなっていきます。それは、妊娠できる期間が残りわずかになっていくということではなくて、夫婦が一緒に過ごせる時間のことです。ちょっとこの高齢出産ページの趣旨とは違ってしまうかもしれませんが、それも私の選択という事で、夫婦ふたりの将来をもっと具体的な形で考えようとしています。

なるまんさん、
養子を育てることや他の国の子供たちのスポンサーシップ、いろんな事情をもった子供たちへの間接的な応援など、いろいろな生き方はあると思います。どうか今まで一緒に歩んできたご主人とゆっくり話し合ってお二人で頑張ってください。

 





   >>> がんばって下さい!! osita   -- 2003/02/10..
 
なるまんさん、こんにちは。
素敵なお母様ですねぇ。なるまんさんは、そんなお母様に育てて頂いて、素敵な保育士さんだろうなぁと思います。
典型的な核家族、かぎっ子で育った私は、子供が生まれてから、今まで気がつかなかったことにいろいろ気がつくようになりました。(お母様の言われている、子供と一緒に自分も育つという事ですね。)でもなるまんさんは、お母様を通して、たくさんの事を既に学ばれているように思います。
長女は幸い、平和で、物質的には豊かな国に生まれる事ができました。彼女に「そうでない子供」がたくさんいるのだという事を、知りながら育って欲しいという気持ちもあって、NGOに登録しました。アフリカの女の子の存在は、長女の心の成長を手伝ってくれると思っています。今、彼女に送る手紙とお誕生日プレゼントを準備しています。何年かしたら、長女と一緒にできるかな?と楽しみが一つ増えました。
あなたの4人のお子さんが生きていた証は、なるまんさんがお世話をなさる子供達の中に、何らかの形できっと残っていきますよ。まずは病気と闘っている子供達のために!!とっても素敵です。がんばって下さいね!!。
 





   >>> なるまん様 まり   -- 2003/02/10..
 
なるまん様、本当に悲しい思いをなさいましたね。
流産の経験はない私ですので、その悲しみの大きさも、妊娠の体験も、まだ知りません。
ですが、私がこの前参加したシンポジウムでのことが思い出されて書かせていただきます。
そのときに、18トリソミーという病気をもって生まれたお子さんを育てられたご夫婦がお話をされていました。
赤ちゃんは、この世に生まれて、たくさんの治療を受けながら、保育器の中で何ヶ月かがんばり、それから小さな命は天に召されたそうです。
お父さんお母さんは、病院に毎日面会に行き、赤ちゃんと一緒にがんばったそうです。亡くなった時の悲しさは計りしれなく大きかったでしょう。
何年かして、そのご夫婦は年齢のこともあり養子を迎えられ、亡くなった赤ちゃんを長男として、迎えた赤ちゃんを次男として育てているそうです。
かわいらしい坊やで、お母さんととても仲良しでした。ご家族の中で、長男の赤ちゃんもずっと生き続けているんだと思いました。
そんな情景を思い出しまして、書かせていただきました。
 





   >>> ありがとうございました なるまん   -- 2003/02/08..
 
ositaさん ありがとうございました。
私は子育てがしたかった。母が言う 子どもと一緒に自分が育つ そんな子育てをしたかったから・・・
妊娠できない と思った時、夢が叶わない事が 悲しかった。
でもそれ以上に 子ども達が生きていた証が 私たち夫婦が死んだ後、消えてしまうように思えた。
「この子は障害児だから 死んでよかった。」兄嫁の言葉です。子ども達が生きていた証が消えてしまったら この言葉に負けてしまったような気がしました。

パトロン(日本では誤解がある言葉ですが)の件ですが 私は母の事を思い出しました。8年前他界した後 協会の方からフィリピンに息子がいて、学校を卒業できたと聞きました。
母は保育士の仕事をしながら いろいろなことをしていました。
家族の病気等で一時的に施設に入る子を 何故か家で預かっていました。学校から戻り知らない子が家にいると その子が寂しくならないように遊んであげなくてはいけないと 子どもながらに思っていました。(養子について抵抗がないのは 母のおかげです)
母はよく障害児施設に行きお手伝いをしていました。私も本格的にスポーツを始めるまで よく連れられて施設に行きました。(だから娘が障害児でも 違和感がなかったのかも知れません)

今はまだ どうしたら良いのか分からないですが 自分なりの形で 母が私に教えてくれたことを 子ども達に伝えていきたい。
障害児に対しての偏見が無くなる世の中になることが 娘達が生きていた証だと 思います。

うまく言葉にならないのですが ositaさんの言葉の端端にうかがわれる優しさが 私を包んでくれました。
まずは 保育士という資格を活かし 病気と闘っている子どもの為に 動いてみようと思います。
ありがとうございました。



 





   >>> 残念です。でも・・・。 osita   -- 2003/02/05..
 
なるまんさん、こんにちは。
とっても残念な結果で、お気持ちを察するにあまりあります。

私は3年ほど妊娠しない時期があり、その後2回早期流産をしました。その期間中、主人と考えていたのは、もしだめだったら、「養子をもらおう」という事でした。

日本を離れてから、こちらの人々の生き方にいろんな事を教えられました。私達の愛情を受けとってくれる命に、私達の愛情をあげようと決心していました。何らかの事情で親の愛情を受けられない子供がいるならば、その子が人間としてより多くの可能性を持てるように力を貸してあげたいと思っていました。
なるまんさんのような方の投稿を読むと、その後服薬のみで長女を出産できた私は、本当にラッキーだったと思います。そして、このような提案を差し上げてよいものかどうか、悩んでしまうのですが、あえて投稿します。

長女が産まれたのを機会に、あるNGOを通じて、アフリカのある国の女の子のパトロンになりました。一月18ユーロ(3000円程度?)で、一人の女の子を援助してあげる事ができるのです。彼女が働かないでいいように、学校に行けるように、つまり人間としての可能性を少しでもひろげられるように・・です。

なるまんさん、あなたと御主人の愛情を心待ちにしている小さな命は、地球のいたるところにいると思います。いろんな方法があります。今すぐに気持ちを切り替えて、とは申しません。時間をかけて、ゆっくり検討なさってみて下さい。そして、もし行動を起されたなら、あなた自身もきっと嬉しい気持ちになると思うのです。