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「殺す」と表現したことについて   -- 2003/01/29 ..
 私自身の障害がわかったのは、1歳を過ぎてからでした。
 私の母親が親亡き後を悲観して無理心中しなくてよかった。
 そうであれば私はまさに親によって殺されていたでしょう。
 生きるということを知らないまま。
 幸い私は両親の深い愛情に包まれて育ちました。
 今もまだ包まれています。
 障害児を育てるのが大変だと
 もう高齢だから大変だと
 親亡き後はどうするのだと
 全て親側の都合で、中絶されるのであれば、
 どう表現をしようと、
生まれ出る命の側に立てば、障害を理由に殺されることに他なりません。障害者として私はそれは容認できません。
 なるまんさんの体験はとてもつらかったことでしょう。
 心中お察し致します。
 2度も同じ思いをしたくないというのはよくわかります。
 私が思うには、貴女の最初の赤ちゃんは妊娠の途中で
流産することなく、出産するまでおなかの中で貴女と生き、
出生後赤ちゃんは自ら生きようと精一杯9日間闘ったのでは
ないでしょうか。
 命はそれ自体が生きようとする力を持っています。

 林檎さん、誰も娘沙羅さんに強要したり思いやりのない批判などしていませよ。
 大人として娘沙羅さんと同等の立場での批判ならありますが。
 このサイトのどんな状況の人であれ、そばに行って助けてあげることはできませんよ。
 意見の交換によって相手に働きかけるしかないのです。

 ミルさん、私の母が障害児を産んだことをどう思っているかを
私がどのように感じているか教えてほしいとのことですが、
どうしてそんな質問をされるのかよくわかりません。
 娘沙羅さんのことと私の母と関係あるのですか。 

 娘沙羅さんは障害児を育てたことのある義姉や友人に尋ねたとの
ことですが、そういうこと事態が障害児の親に対して
失礼だと私は思います。
 障害児の親こそは周囲の理解と思いやりを必要としているのに
自分の羊水検査結果の判断のための材料にしています。
 障害児を育てるにはつらいこともうれしいこともある。
 それを自分のためにこじ開けることはやめてください。
 障害児の親はつらいこともあるから「あなたも障害児を産みなさいよ」とは勧めないものです。
 でも娘沙羅さんの義姉さんや友人は偉いのですよ。
 実際に障害児をそだてたのですから。
 
 また娘沙羅さんはなるまんさんのスレッドで、羊水検査で陽性と出てそれを承知で実際に染色体異常の子を産んだ人がいたら教えて欲しい、意見が聞きたいと言ってますね。。それに同感する人もいましたね。
 甘ったれるのもいい加減にしろと私は怒りを込めて批判したい。
 理由は上記と同じです。
 自分の判断のためにそういう人を引きずり出し、スケープゴートにしたいのですか。
 そんなにマニュアルがなければ生きていけないですか。
 そんなに情けない40代ですか。
 結婚して子どもを産み幸せになりたいと思ったとも娘沙羅さんは
おっしゃっていますが、
 幸せは自分で手探りして見つけるものですよ。
 先例ばかりあてにしている人にこれからも自ら幸せを
築いていくことはできない。
 貴女は批判を受け取る資格もないひとでした。
 貴女にレスなどしなければよかった。
 これを読んで貴女が気分を害すれば失礼しました。



長い長い議論を拝見できたことを嬉しく思います。   香織
わんわ様 ありがとうございました   働く母
働く母様へ、及び殺すという言葉を使う意識   わんわ
ひとりでは育てられません   まるまる
素朴な感想   はいみー
わんわさんへ   働く母
あげあし取り   るー
遺伝子疾患保因者です   わんわ
深く考えさせられました。   バニーバッツ
残念です   芽衣
強くなることも必要だけど、優しさがなければ   ゆり
あれこれおもうのですが・・・   しずよ
ひとつの意見、経験として   jane
douiukoto   jane
ゆかさんへ   aki
優しさは弱さでもある…?   美月
産む側の論理と産まれてくる権利   働く母
正しい正しくないのではなく。   sara
海さんありがとう。   ぺあぺあ
「幸せは手探りで・・・。」   あん
海さんへ   ゆき
娘沙羅さんをそっとしてあげて   みーこ
娘沙羅さん   みーこ
途中でした   そらたん
ちょっと言わせて下さい   ななかまど
娘沙羅さん   みーこ
akiさんへ   ゆか
うまく言葉に出来るかわかりませんが・・   そらたん
強さと弱さ   コジロー
海さんの意見、暖かいじゃないですか?   もも
ミルさん、るーさんへ   kusuko
海さんへ   ゆかり
海サンへ。   くらすぷ
海さんのおっしゃることは、正しいけれど。   sara
海さんへのお願い   NOV
すごい…   jane
弱者(とされる人)の発する、無意識の権力   ミル
るーさんの意見に同感です。   さくら
私の意見   nara
強く、やさしく   kusuko
同感です   智子
海さんって、偉いんですね…?   るー
スケープゴートって???   aki




 

   >>> 長い長い議論を拝見できたことを嬉しく思います。 香織   -- 2003/01/29..
 
私のは18歳の高校卒業を間近に控えた小娘です。このような場所で発言していいものかと、恐る恐るキーボードを叩いています。
ダウン症や高齢出産について調べているうちに、ここへ辿りつき、さまざまなご意見を拝見させて頂きました。

そして感じたこと。
これが日本という空気なのだということ。
そして多種多様な過去をもち、皆それぞれ環境が違うのだなということ。
こうして生命について議論をいている間にも、生命を軽んじ殺人を犯している輩がいるのだということ。(堕胎のことではありません)
そして、足る事を知るというのは、簡単なようでとても難しいのだということ。

私は、自分の子供が障害を持って生れてくると分かった時、どう行動すればいいのかという問いに対して、自分の中でさえ、明確な答えを見出すことはできませんでした。
ただ思う事は、仰っている方も居られましたが、それは個々の置かれている状況に拠るのではないかということです。

海さんや他の方々の今現在障害を抱えて居られる人の意見を拝見させていただけて大変ためになりました。やはり、経験した人間でなければ分からないことは沢山あると思います。人の気持ちなんて、推し量ろうとしてもどこか限界があるように感じるので。

22日のわんわさんの一番下の段落の意見は、私は特にうなずいてしまいました。一番自分にとって身近だったせいもあるのでしょうが、本当にそうだなと思いました。そう思うところから、もう始まっているんだ、と改めて感じました。

こんなに皆さんが白熱した議論をされているなかで、こんなに自分の子供のことを考えてくれる人たちがいるなかで、きっと本人もまだ乳児だった時に育ててくれた人がいるはずなのに、軽軽しく命を奪う輩がいるのだと思うと悲しくなりました。

もっと沢山感じたことはあるのですが、とてもまとまりそうにありません。とても稚拙な文章で恥ずかしい限りです。。。

最後に、私がここに発言させてもらったのは、お礼を申し上げたかったからです。
私は看護師と助産師の免許をとろうと思っています。近い将来、必ず、ここに訪れた方々と同じような境遇の人達に出会うでしょう。その時にここで拝見したご意見を生かせたら、と考えました。
これからもこの問題は、私の中で突き詰めていきたいと思います。

ありがとうございました。長々とすみませんでした。
 





   >>> わんわ様 ありがとうございました 働く母   -- 2003/01/26..
 
 わんわ様へ
 早速の返信、本当にありがとうございました。私が質問をさせていただいた内容以上に、ご意見を読むことができたことも、あわせて感謝いたします。書かれた内容について、今回はきちんと理解できたと思っています。
 そして、すでに書いてらっしゃた中にもありましたが、強い違和感を憶えたのではないのです。純粋に知りたかったのですが、どうも私の書き方は表現が強いようです(同じ穴の狢という表現、私のの周りでは自戒を込めてごく日常的に使う言葉だったので)。向かい合って話していれば、表情や声のトーンで判断できることも、文字面だけでは誤解を生むこと。自分の周囲で何気なく使っている言葉も、他の人たちにとっては、不愉快な印象を与えることを今回改めて学びましたので、今後気を付けようと思います。


 最後になりましたが、私自身も自分が出生前診断をせずに産んだからといって、自分が責任を果たしているとは思いません。殺すという表現を使うことは、自分自身への戒めも含まれています。
 学生時代、出生前診断について「仕方ない」という意見をもっていた私に対して、「もし、あなたが母親だったら私の妹達は、この世に生まれてはいないんだね」(私は彼女の母親と妹さんたちが障害者だと知りませんでした)とさらりと言われた時に、知っていたら言わなかったと瞬間的に思ってしまった私のずるさと、無意識に持っていた差別感を忘れないためです。
 大きなことは何もできない自分ですが、全ての母親が不安も迷いもなく子供を産み育てることができる社会を目指して、自分にできることをやっていきたいと心から思っています。

 





   >>> 働く母様へ、及び殺すという言葉を使う意識 わんわ   -- 2003/01/25..
 
私の前の投稿の

>> どんな文を書いてもその可能性があるのと同じです。

は、

「どんな話題(例えば芸能人の話題)のどんな文でも、それを読んで感じる思いが人それぞれなのと同じように、『障害を持つ子供をあきらめた』という投稿を読んで感じる思いも、ダウン症の方それぞれによって違うだろう。だから、『ダウン症の方が読んだら』という一括りの前提は、ちょっと無理があるかな、と思う」

という説明のつもりで書きました。私の拙い文章に、かなり強い違和感(「同じ穴の狢」「書くべきではない」という強い表現をお使いなので、強い不快感を感じていらっしゃるのだろうと解釈しましたが、私のこの解釈も間違っているかもしれません)をお感じになったようにお見受けします。働く母様の書き込みを拝見して、「どんな文も」という部分が「働く母様の文の」と解釈できたのかな、と思いました。「どんな文も」というのは上の説明に書きましたように、「さまざまな話題のさまざまな文も」という意味で、働く母様の書き込みを指したつもりは全くありませんでした。私は、働く母様のご意見は、ほとんどおっしゃる通りだ、と思います(ですから「書くべきではない」などと思いつきもしませんでした)し、それだけに、「ダウン症の方が読んだら」という部分が一括りの前提に感じられて、その居心地の悪さをお伝えしてみようと思いました。けれど、働く母様は、もともと一括りのつもりでお書きになったわけではない、とのことですから、言わずもがなのことでした。私の表現が強い違和感を与えてしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。心からお詫び申し上げます。
蛇足ですが、働く母は、ご自分のご意見の中ではっきりと「子供をあきらめる選択をした方を責めるつもりはない」と明言なさっていますから、働く母様がそうした方たちを責めていらっしゃるとも思いませんでした(私の前の書き込みの後半部は、このスレッドの前のスレッドからの全体に対する感想でした)。この点につきましても、誤解を与える表現だったことをお詫びいたします。

それから、「殺す」という表現についてですが…
「障害のある子供をあきらめることは、その命を殺すことだ」というご意見を拝見すると、私は、障害のある子供を全員が迷いなく産めるわけではない社会を構成している一員としての自分も、その殺しに間接的に加担してしまっている、という苦い思いを痛切に感じます。「親が殺したんじゃない、社会が殺したんだ」などと考えているわけではありません。その行為は確かに「殺し」で、そこには親だけでなく、社会の一員である私自身も加担してしまっている、と思っています。「命を殺した」という意識を忘れることは確かに怖い。同様に、いえ、それ以上に、私自身が「自分もその殺しに加担してしまっている」という意識を忘れることも怖いことだ、と痛切に感じています。私は、「殺す」という表現を自分が使うときは、自分もその行為に間接的に加わっていること、それは「私は羊水検査をしない決心をして産んだから」などという理由で軽くなるような責任ではないことを、苦い自戒とともに自分に刻む意味で使わなければ、と感じています(他の方がそういう意味で使わなければならない、という意味では一切ありません)。
 





   >>> ひとりでは育てられません まるまる   -- 2003/01/23..
 
 まったく的外れなことを言ってしまうかもしれません。うまく言える自信もありません。でも、ずっと娘沙羅さんのスレッドも海さんのレスも拝見してきて書かずにはいられなくなりました。
 私自身は健常者であり、幸なことに健康な子供も2人も授かりました。とても幸せなんだと思います。でも、人は無いものねだりですよね。そんな生活の中でも主人の帰りが遅くて子育てに非協力的だとか、家事などの手伝いが不十分だとか、男の子ばかりなので女の子がもう1人欲しいだとか、となりの芝生を見て、自分に足りないものを望んでしまいます。

 そんな中で、私は海さんも娘沙羅さんもまた他の多くのこの場を訪れる人もそれぞれの環境の中でそれぞれに暮らしているのだと感じずにはいられません。
 私が痛切に感じていることは、結局、人は1人では生きられないし、もちろん子供を1人で育てるなんてことはできないなぁということです。もちろんシングルマザーでひとり頑張っている人の話など伺いますが、やはりいろいろな手助け最大限に利用しているのではないかと思います。
 そして今、海さんは障害を持っていらっしゃっても、すばらしいお母様、そしてご主人に恵まれて、そしてお子様にも恵まれた。海さんがお子様を育てられる環境がそこにはあるということだと思います。海さんにしてみればまだまだ社会のフォローや理解などは十分ではないかもしれませんが、少なくとも今、海さんの周囲は海さんが子供を生み、育てられるという環境なのだと思います。それはそれで海さんはとても幸せなのだと思います。もし、海さんが子供を望まれても、回りの全てが反対し非協力的たとしたら、それでもお子さんを望んだのでしょうか?「一人でも育てる!」と言えたでしょうか?強い海さんでも現在は育児はお母様と分担されているご様子ですし、もちろんご主人も協力してくださっていることでしょう。やはりひとりでは育児はできていないと思います。
 一方、娘沙羅さんはご夫婦共に健康で、経済的にも特に問題もないのだと思います。でも、娘沙羅さんにとって一番の協力者ではなくてはならないはずのご主人の理解と協力が得られない、そして娘沙羅さんは1人では障害を持って生まれる我が子を育てられないと思った。娘沙羅さんはたまたまそんな環境にいたということです。だれしもが同じようにはいかない、できないのはしょうがないことですよね。で、自分の生きている環境の中で自分が不幸にならないようにするのも普通のことだと思います。自分が不幸になるかもしれないと思うことを率先してする人もいないと思います。少なくとも私はそうです。そしていろいろな立場・環境にいる方々がここに集まっているのですし、人それぞれなのもどうにもならないことだと思います。

 ここに悩みや疑問に思っていることを聞いてみたい、身近な人には聞けない事、身近な人ではなくいろいろな人の意見を聞いてみたいとやってくる人がほとんどだと思います。そしてそれに対してそれぞれの人が誠意を持って自分の経験や意見を発言しているのだと思います。だから参考になり、考えさせられることでもあります。 そんな意見に反論をぶつけてもつまらない喧嘩になります。もちろん激論を飛ばしあう場というのもあっていいと思いますが、ここは違うような気がしませんか?
 言葉というのは難しいです。人を傷つけないように生きていくのは難しいです。ここでも本気で傷つけようとしてレスしている人などいないと思います。一生懸命考えて書いているのだと思います。それでも多種多様な人が集まっている場だからこそ、いろいろな受け止め方もされてしまい、傷ついてしまう人もいると思います。でも、だからと言ってそれで文句を言う(横やりを入れる)ことはないと思います。それこそ無用な傷つけ合いをしているようで、せっかくの意見やこの場の必要性を台無しにしているのではないでしょうか?
 今の世の中、自分の性的欲求を満たすために行為を行い、欲しくも無いのに妊娠し、そしてなりゆきで結婚、離婚、子供は産んだけど育てられないから捨ててしまおう、もしくは邪魔にして虐待を繰り返すなどというような悲しいニュースもあります。神様はなんて不公平なんだろうと言ってしまえばそれまでだけど、私はいつもそんなことを思わずにはいられません。
 それにくらべたら悩みに悩み、納得はできないけど、苦しいけど、ずっと忘れないから「ごめんね」って思っている娘沙羅さんはやっぱり母親なんだと思うし、がんばって欲しいと思います。こんなことを今言ってはいけないと思いますが、いつかは沙羅ちゃんの兄弟が娘沙羅さんを慰めてくれることを願わずにはいられません。

 結局、人はひとりでは生きていけないし、子育てなんてそれこそひとりではできない。
 どうぞ、海さん、娘沙羅さん、そしていろいろなことで悩んでいるみなさん、それぞれがベストな人生を歩まれますように。

 





   >>> 素朴な感想 はいみー   -- 2003/01/23..
 
るーさんの先のコメント、私はすきです。
このサイトにある「ワーキングマザー」「保育園」に比べて
「高齢出産」のページは時に必要以上に悲壮感が
漂うことがあるので、るーさんのようなキャラがあると
ほっとします。と同時に、勇気ある発言をされるなあと感心しました。
余談ですが、いまここには参加されていないけど、海さんが反論されている林檎さんのコメントも興味深かったです。
林檎さんの指摘される内容は一面の真実だと思いました。私自身、
悩んで苦しかった時期に感じたことと重なったので。


 





   >>> わんわさんへ 働く母   -- 2003/01/23..
 
わんわさんへ
 わんわさんが書いてらっしゃる通りです。すべての方が傷つくという意味で書いたつもりはありませんし、そのような気持ちもありませんでした。また、産まなかった選択をした人に対して責めるつもりもありません。でも、わんわさんがそう取られたのでしたら、私の言葉が足りなかったのだと反省いたしております。
 ただ、以下の一文の真意を私が理解できなかったので、この場をかりて申しわけありませんが、教えていただけますか?

 >どんな文を書いてもその可能性があるのと同じです。

 それは、他の人の書き込みを見て意見を書いたのでしょうが、結局はあなたも同じ穴の狢ですよ(だから仕方がない)という事でしょうか? それとも、そもそも、そのような可能性がある以上、私がこのような意見を書くべきではなかったという意味なのでしょうか(だとしたら、上の私の反省は意味がないものなのですね)?
上記の意見は的はずれで、こういう意味なのですよということでしょうか? 
 
 蛇足ながら付け加えますが、わんわさんの書いてらっしゃる事は、私自身もそのとおりだと思いますし、私にできることは(自分自身の意識改革も含めて)これからも、やっていきたいと考えております。

 





   >>> あげあし取り るー   -- 2003/01/22..
 
「あげあし取り」のヒール、るーです。。。

普通、サイトに出入りする際、
そのサイトの構成員と必然的に考えられる層に対して
マナー、常識のある書き込みをする方が、誤解されることなく
意見の交換もできますよね。
私も表現下手な分、誤解に取られうる表現には極力気を使います。
できるだけ。通常は。。。

不妊に悩む方も多くおられることが明白なサイトで
本人にそのつもりがなくてもナーバスな状態の方に万が一でも
(例えば)「ついに天使がうちに!きゃはっ☆」的解釈ができうる=
相手に無益な落ち込み、不快感を与えるかもしれない表現は、
私は自身の能力の至る限り使用したくないし、使ってほしくない。
けれど海さんは、自分の意見を表現されるのには、そういった意味では
言葉をあまり選んでないように思えるのですが。
(jane殿は私の例の解釈を”嫌味”と表現されましたが、
 現に私と同解釈をされている方が少なからずおられますよね。
 頭の悪い私には少なくとも、そうとしか読めない)

だから、海さんのように、ある種イージーに場を読まず
ご自分の「実績・歴史・経験」をほいほい次々語るという行為に、
島国根性溢れる日本人な私は不快感を感じました。
(ご出産の感想のことに特化して…ではありませんよ!!
「生殖機能」云々だけなら、単なる言葉のあや?で済んだかも。
 今回のスレッドを見て、決定的に「は?これって?」と。)

で、わざわざ別スレたててご意見を述べられておられたので
意見を求めておられるのだろうと判断し、
(まさか「海さん凄い!強い!」のみを求めておられるわけではないですよね)
ちょっと今回のは幾らなんでも…と思ってしまったので
海さんの書き込みのスタンスに反感を抱いた旨、
今回、はじめましてながら思うところをずばりレスいたしました。

無論、PCの向こうに誰がいるかは謎、どなたにだって私にだって
悪意なく至らない時もあるかと思います。
ただ、その「ろ過作業」を、海さんはご自分の意見を語る前に
もっともっと積極的になさったほうがよいのでは。
後から拝見して判りましたが、海さんの意見は良くも悪くもすでに
このサイトで非常に影響力をお持ちのようですね。
だったらなおさら、図らずも自立された障害者の代表のように語られる
ご自分の言葉について、ミルさんがおっしゃったところの
「弱者(とされる人)の発する無意識の権力」について、
やはり、どうしても少しでも、考えていただきたいのです。

あと、タイトルから離れて申し訳ないですが。
娘沙羅さんのことはもう置いといてあげたら、と感じています。
羊水検査の是非、命の重みについては私にも考えがあります。
(それ自体は海さんと重なるところがあったりします…
 そういう意味では、相手の意見を冷静に聞けないレベルの低い
 日本人という指摘は私に見事に当てはまるのかも〜)
けれど、繰り返しになりますが、
方法と方向を間違った主張は、下手すると周り中なぎ倒していってしまいかねない。
娘沙羅さんはおそらく、その痛みも引き受ける諦念をされているでしょうが
彼女以外の人がなぎ倒されたり、「正論」の影で物が言えなくなったりは
申し訳ないですが、私は嫌です。
 





   >>> 遺伝子疾患保因者です わんわ   -- 2003/01/22..
 
「ダウン症の方が読んだら…」という意見を見かけました。
私はダウン症でも障害者でもなく、ある遺伝子疾患の保因者でしかありませんが…私の子供は2分の1の確率で、私のような保因者または遺伝子疾患発症者になります。
私は、おなかの中の子供が同じ遺伝子疾患の保因者だという理由でその子供をあきらめた方がいても、別に自分を否定されたような気もしませんし、傷つきもしません。私は子供を産むときに羊水検査を受けませんでしたし、母も私を産んでくれたわけですが、もし母が「保因者だったから」という理由で私をあきらめる選択をしていたとしても、仕方がないかな、と思います。それは、母が母自身を「育てる能力がない」と判断したことであり、私自身を否定したとは感じません。けれど、同じ保因者でも、傷つく方も否定されたような気がする方もいらっしゃるでしょう。人それぞれです。ですから、例えば同じ遺伝子疾患の話題で「保因者の方が読んだらどうお思いになるでしょう」などと書かれたとしても、居心地が悪くなってしまいます。ダウン症の方にもいろいろな方がいらっしゃるでしょう。そこに「ダウン症の方が読んだら…」という一括りの前提を出すのは、ちょっと無理があるかな、と思います。傷つく方もそうでない方もいらっしゃるでしょう。どんな文を書いてもその可能性があるのと同じです。

羊水検査の結果、お子さんをあきらめた方も、社会や周囲のサポートがもっとしっかりしていたら、社会全体が障害者を特別視しない状態にあれば、きっとお子さんをあきらめないで済んだだろうと思います。私は、あきらめた方に厳しいことを言うより、全員が障害者を迷いなく産めるわけではない社会を構成している、自分自身の責任を重く感じます。そんな社会の一端を、自分が担ってしまっているのですから。私のような社会の一員全員が「障害を特別視しない社会」を目指して進んでいれば、何とかなったかもしれない。それは「私は羊水検査をしなかったから」「私は産むから」という理由で軽くなるような責任ではないような気がします。

同じ保育園にもダウン症のお子さんはいらっしゃいますし、私の姉が福祉施設の職員だった関係で、障害者の方たちと少しは面識もあります。私は、その方たちには特別な感じは何も持っていません。でも、例えば、皆さんは、電車の中で次々に駅名を読みあげ、車掌の真似をしている、40歳〜50歳代の見知らぬ男性を見て、その方から遠ざかろうとしたことはありませんか?私はあります。でも、その方は多分、知的障害がある普通の方だったでしょう。私の中に「この人からちょっと離れたい」という気持ちがある限り、社会の誰かがそういう気持ちを持っている限り、障害を持つ子供をあきらめる方はいなくならないでしょう。私にとっては、私の中のそういう気持ちをなくす努力をすることのほうが、障害を持つ子供をあきらめる方が少しでも少なくなるためにできることかな、と思っています。
 





   >>> 深く考えさせられました。 バニーバッツ   -- 2003/01/22..
 
私は障害者です・・・だけど生まれつきじゃなくて事故によって障害を持ちました。(2級の障害です)

今私には18ヶ月の娘がいますが、私は羊水検査を受けてもし異常があれば生まないようにしようと思ってました。実際は経済的問題から検査を受ける事が出来なかったのですが。
何故そう思ったかと言うと私は障害者である事が苦しいのです。(こんなこと初めて人に話すのですが)なぜ事故した時に死ななかったのだろうと今でも思っています。20代前半で事故をして20年近くが経っていますが生きてて良かったと心から思えないんです。周りから見たら私はきっと幸せそうに見えるのかもしれませんが、結婚しても子供に恵まれても幸せだと心から思えない事がとっても苦しいので、障害を持ってるとわかって産むのは偽善だと思ってました。

しかし海さんの意見を読ませて頂いて、自分が間違っていたのではと考えさせられました。私は自分の経験だけで障害がある事は不幸だと手前勝手な考えを子供に押し付けようとしていたのようです。

結局受けなかった検査ですが、受けるつもりの時はもし異常が見付かったら私にお腹の子を殺す事が本当に出来るのか?と悩んでもいたのです。だってお腹にいる子供って私の所有物じゃないですよね。私が母の所有物じゃないように・・・。それと上記の偽善との考えの狭間で悩みまくっていたんですよね。
産むのが偽善と思っていた私ですら悩むのです。羊水検査で異常がわかった方の苦しみは私などには計り知れないものがあると思います。苦しんで出した答えですからどんな結果でも最善だったと思います。どうかこれ以上自分を苦しめないで下さい。

今は障害がある事が必ずしも不幸ではないって思えるようになりました。私自身に関してそう思うのは難しいのですが・・・。生きていたいと切実に思っている海さんを知る事ができて良かったです。もし、2人目が出来たとしても今度は悩まずにマタニティーライフを過ごす事ができる気がします。障害があってもお腹の中で育って産まれてこれたという事は赤ちゃんが生きたいと思ってると言う事ですよね。

私の友人にも障害を持って生まれた人がいますが、彼女もとっても強いんです。健常者にも真似が出来ないような事をやって驚かせてくれます。なんとなく海さんと似ているような気がして勝手に親近感を持ってしまいました。
ただ彼女に対して思うのですが、もっと自分に甘くて良いんじゃないかって・・・。いつも張り詰めた糸のようなんです。自分に厳しいから周りの人もそうだと思ってて、その結果敵を作ってしまったりするんです。もっと糸を緩めて自分の弱い所を認める事が出来たら楽になるんじゃないかって思うんです。そうして人の弱さも認められるようになって欲しいんです。(私が弱い人間なので単なる願望ですが)
海さんもそうだと言っている訳ではないんですが、なんとなくダブってしまって・・・。ごめんなさい。

実は最初にこの文章を読んだ率直な感想は、「ひどい事を書いてるなぁ」でした。この文章で傷つく人がいると思ったので・・・。産後間もない事を知って読み返してみると案外冷静に書いていると感じました。(最後の部分は除かせてくださいね)
海さんの意見に100%賛成は出来ないんだけど、私のようにこれがきっかけとなり考え方が変わった人間もいる事を知ってもらいたかっただけなんですが・・・長くなってしまい大変失礼しました。
 





   >>> 残念です 芽衣   -- 2003/01/22..
 
 海さんはじめまして。いろいろな方が真剣に考えていろいろなことを書かれているので、今更私が投稿するまでもないと思ったのですが。
 多くの人と同じように私も以前から海さんの意見を読んで、いつも感心したり胸を打たれたりしていた者です。前回までの海さんのレスは厳しくても暖かい感じを受けていました。
 でも、やはり今回の海さんの娘沙羅さんに対する切り捨てるようないい方は海さんらしくないと思います。私には娘沙羅さんが批判を受け取る価値もない人だとは思えません。彼女は懸命に生きてきた。幸せな家庭を作りたかったという彼女の気持ちは、19年前に母を、昨年父を亡くし、長く働きながら結婚してやっと出産にこぎ着けた私には手にとるようにわかります。
 娘沙羅さんは自分の弱さ、身勝手さをさらけ出し、批判を受けることで沙羅ちゃんに対して懺悔しているような気持があると思います。海さんの言葉も甘んじて受入れるでしょうし、一生自分を許さずに生きていくでしょう。
 彼女の苦悶の姿はもしかすると数ヶ月後の自分かもしれないと最初に読んだときは思ってしまいました。その後なるまんさん、年長みなみさん、太陽さん、そして海さんの意見を読むうちに段々と変わりつつある自分がいます。これもこのサイトのおかげです。
 みんなそれぞれの痛みや弱さを抱えてここのサイトにきています。悩んで苦しんでいるから投稿するのです。いろいろな立場からの意見の交換ではなく、あえて人をけなす言葉は使うべきでないと思います。 
 





   >>> 強くなることも必要だけど、優しさがなければ ゆり   -- 2003/01/22..
 
母親として強くなることももちろん必要だけど、海サンの発言は
偏っているように思います。人間強いだけでは生きていけない、
人に対する優しさも持ち合わせていなければ・・・
海サンは障害を克服して出産・育児されていることを必要以上に
誇示されているように私には見受けられますが、その前にひとりの
人間であり、母親ですよね?私も3さいの娘があり妊娠6ヶ月の
身ですから、娘沙羅さんの葛藤や苦しみが伝わって、何か前向きに
判断する機会があればと考えてきましたが、果たして海さんの
発言はアドバイスになっているのかなと・・・
よけいに娘沙羅さんを困惑させているのではないですか?
それに娘沙羅さんには批判を受ける資格もないと書かれていますが
あなたは人を批判する資格がおありなのでしょうか?
 





   >>> あれこれおもうのですが・・・ しずよ   -- 2003/01/22..
 
デリケートな話題ですよね。私はNOVさんの発言に全く同感です。海さんの側から、「大変ね。じゃあ、このお腹の子は見送って」など到底、いえないはずだと思います。

そしてここからは、私の意見です。私はこのHPの新規参入者ですので、多くの状況がわかっているわけではありませんが、海さんの「生殖機能を使い果たせて満足」云々という言葉を、私はるーさんやさくらさんと違うように受け止めました。ハンセン病訴訟の時にクローズアップされましたが、かつて、障害者に対して、その生殖機能を止めてしまうということが行われていました。脳性マヒの方の中にも「身の回りのことは自分でする」という入所条件を満たして施設に入るために、子宮にコバルト照射を受け、生理を止めてしまうことを申し出るというケースもあったようです。私は20年前、学生時代にこの問題についてのたて看板を見ましたが、いつ頃(まで)の話か定かではありませんが、障害者の「優等生」の規範が、このようなものであったのは、遠い昔の話ではありません。社会的にこんな非道がまかり通ったくらいですから、幼い頃、「結婚」「出産」という話題が、自分の身の上のこととして当たり前に交わされ期待されるばかりではなかったとしたら、それらをしとげた時の思いは、そのような立場でなかった健常者とは違った思いになるのではないのでしょうか。「さっちゃんのまほうの手」という絵本の中にすら、手の奇形を理由に「おかあさんになれないくせに」と友達にいわれてしまう(実話を元にした)場面が出てきます。るーさんたちのキズついたお気持ちがわからないではないですが、海さんが体当たりで切り開いたであろう道筋をおもうと、(なぜいちいち確約されなければ進めないのだ)という腹ただしさも、わかるような気がしてしまうのです。

弱者といわれる方の無言の圧力、権力と指摘するミルさん。
一見、もっともですが、圧力・権力であると受けとる側には、未達の、譲歩・改善・既得権益の割譲などがありはしませんか。未達であれば、弱者は弱者に違いないと思うのですが。余分なことですが、かつての男性上司が女性の処遇をめぐって、同じいい方をしていたのを思い出し、不快でした。

最後に、海さんのタイトル「殺すと表現したことについて」についてレスしたいと思います。
「中絶は熟慮の末の殺人」と表現した言葉に行き当たったことがあります。私個人としては、その通りだと思っています。胎児を命だとおもわない人にとってはそうではないかもしれませんが。
ものすごい反発を買ってしまいそうですが、現在の法律が「経済条項」で中絶を認めているのは、胎児を命と認めているからです。私は中絶という選択を、非難しているのではありません。たとえて言うと1人のりの救命ボートにもう1人乗れるか、という状況で、自分が生き残るためにもう1人を拒絶する、それは法律的には許されることでしょう。がしかし、その事実を言葉に直すと「人を死なす」
ことだと思うのです。

私自身、上の子が障害をもち、2人目の妊娠のときに、次の子も病気であったらどうしようと大変苦しい思いをしました。上の子も養えなくなるのではないか、と思い、一方、上の子の助けになる健康な子が欲しいと思う気持ちを、エゴの最たるものだと愕然としたものでした。このうえ、羊水検査などしたら、まるで「ソフィーの選択」みたいだ・・・とも。(映画のタイトルです。ガス室に送られるユダヤ人の女性が、2人の自分の子どものうち1人だけ助けてやる、そうでなければ2人ともガス室送りだとナチにいわれ、最後の瞬間に1人を選んでしまうという話でした)

ですから、自分が壊れてしまいそうな娘沙羅さんに対して、どうしても頑張れとはいえませんでした。でも、もう少しがんばれば救命ボートは2人乗りになれるような気がして・・・。

なんでもありの世の中ですから、基本的に親が親である限り、どんな子でも受け入れようよ、と思います。事故も病気もこの先おこらないとは限らない。それとも慎重に慎重を期して、デザインされた子どもをつくるまで待ちますか?ゲノムが解読され、自分の好みにあった遺伝情報の子どもを取捨選択できる時代の戸口に我々は立っているのです。私たちが手にしている技術には、髪の毛の色や身長、どのような病気の家系かで価値や序列が決まりかねない危険をはらんでいるのです。

数年前、少年がわけなく人を殺す事件が頻発し、「どうして人を殺してはいけないか」どのようにわからせたらいいか、という議論まで出ましたよね。今でもホームレスへの暴力事件はたびたび起こります。「だって彼らは無益だから」「景観を損ね、うざったいから」と思う少年たちに、中絶天国の、効率重視の大人社会は、いまひとつ説得力をもたないのではと思うのです。

あれこれ思って意見がまとまらなくなっちゃいました。

最後に、海さんの意見は、唯一、胎児サイドからの視点のような気がして、やはり避けて通っちゃいけないな、と私は感じました。





 





   >>> ひとつの意見、経験として jane   -- 2003/01/22..
 
女性として生まれた自分の体の生殖機能を障害があっても使い切ることを願っていました。
生物としての自分の体の機能を余すことなく活かせてとても満足です。
上記の文面を書き直して…
海さんは障害を乗り越えて、自立し、お子さんを設けた。
「生殖機能を使い果たして満足」でいらっしゃる。
と表現されている。

とても嫌味のある言い方に書き換えてますね…これだけを読んだらなんてことを書いてる人なんだろうと誰でも思うでしょうね!
文面の中の一部分をとってその方の感じたままに書き直したらとても残酷な表現になってしまいます。
それに、上記の海さんの発言をどうして不妊治療している方に対してはと考えられるのでしょうか??おかしくないですか???

ご自身が書いているごとく、あげあしをとっているようにしか思えません。

幸せを振りまいて生きているわけではなく、辛い経験を沢山されてきて、自分なりの幸せをつかんだだけではないですか?
それを否定するのはどうでしょう?ひとつの意見、経験として聞く耳も持つ事はできないのでしょうか?

とにかく saraさんがかかれているとおり正しい、正しくないってことはなくどんどん論議できたらいいですね!あげあしをとるようなことを書くのはどうかと思います。
 





   >>> douiukoto jane   -- 2003/01/21..
 
一般に被害者と呼ばれる立場の人たちが、ある種の出来事や環境、人に対して戦う時、無意識のうちに特有の権力を発していることがあるのです。

 





   >>> ゆかさんへ aki   -- 2003/01/21..
 
別に感情的になっているつもりはないのですが。

私が娘沙羅さんの「納得することはできませんでした」というトピックに対するレスを読んでいただいたのでしょうか?

私はその中で、言葉が足りなかったと思いますが、直接話したくない人を引っ張り出して話を聞きたいと書いたつもりはなく、そういう経験をした人や団体の意見やアドバイスが聞きたくて、検索したけど皆無だったと書いたつもりでした。

でも、海さんは「羊水検査で陽性と出てそれを承知で実際に染色体異常の子を産んだ人がいたら意見が聞きたいと言うことに同感する人」(つまり私です)は「自分の判断のためにそういう人を引きずり出し、スケープゴートにしたいのですか。」と言われ、その事に対する意見なのですよ。

もし、ゆかさんのおっしゃるように、海さんが「HPで障害児のページを検索したり本で情報を集めることがスケープゴートだとおっしゃってはいません。あくまで、直接障害児を持つ親御さんに直接お聞きになるのは、という事でおっしゃっています。」と言うことなら、100%ゆかさんに賛成です。 でも、海さんの上記の言葉は、文脈からして、私の「直接聞くだけでなく、ここやいろんなHPでアドバイスを求めること」に対しても言われていることとしか私には受け取れなかったので、反論させていただいたのです。

もし、ゆかさんのおっしゃるとおりの意味で海さんが言われているのなら、何の反論もありません。 自分の判断のためにそういう人を引きずり出して、言いたくないことを聞き出すのはもちろん最低だと思うし、それに反対する人などいないでしょう。 そのくらいの常識は私にもあるつもりです。
 





   >>> 優しさは弱さでもある…? 美月   -- 2003/01/21..
 
恐々 発言いたします。

「優しさは弱さでもある」って、前に友人が言ってた事があったけど、
まさにこの件ではそう言われているような気がしています。
このサイトでの問題は、とてもデリケートです。
発言するものも、返信するものも、正直でないといけないとは思いますが、
決して否定やおしつけであってはいけないと思います。あくまで、一意見ですから…。
そんな権利は、本当に誰にもないですよ!絶対ない!
健常者も障害者もない、強いも弱いもないでしょう?(個性かな?)
みんな辛い思いをしているんだから、もっと広い心で受け止めてほしい。
戦う相手が、違うような気がします。
賛同するものの意見ばかり聞いていたのでは、成長は出来ないし、視点を変えて見れば、思い込みだったって事もあります。
とにかく、誰の意見も否定せずに聞いて欲しい。
数学のように、一概に答えは一つではないかもしれない。(誰が答えを知っているの?)

みなさん、考える頭があるのですから、言葉はいくらでも見つかるはずです。
感情的な、思いやりのない言葉はやめましょう!(私も、気をつけます。)
私も弱い人間ですし、かなり甘いですから、両方の言い分…どちらとも言えません。
正直、いったりきたり迷っています。
でも、このままでは、口を噤んでしまう人が増えてしまうんじゃないかと思って、発言させていただきました。



 





   >>> 産む側の論理と産まれてくる権利 働く母   -- 2003/01/21..
 
 一連のやりとりを読んで言てどうしても書き込みをしたくなりました。「殺す」という表現についてに関連するので、ここに書かせてください。

 出生前の診断や障害があると分かった子供を産むか産まないか。すべては産む側である立場の人間からの議論ですよね。
 でも、おなかの中で生きている子供は、自分の意見を言うことができません。そしてある日突然、産まないと決断された場合には、命を奪われるのです。それは殺されるということではないのでしょうか? 子供を産むか産まないかを決める権利が親にはあるけれども、おなかの子供には、人として産まれてくる権利はないのでしょうか? 母親のおなかから産まれたときからしか、人としての生きる権利が認められないのでしょうか?

 人それぞれ意見があって当然だと思います。その中でちょっと気になったのが、産まない選択に否定的な意見を人に対しての反論で、読んだ人がどう感じるかを考えなければいけないというものでした。確かに、無責任に誹謗中傷をすることは許されることではないでしょう。けれども、娘沙羅さんは、このような意見が来ることは覚悟をしていた、もしくは、覚悟すべきだったと思うのですが、いかがでしょうか?

 逆の立場を考えてみてください。ダウン症の子供を産まないという選択をした意見を、もし、ダウン症の人が読んだ場合はどうなのでしょう? 自分と同じ障害を持っているという理由で、命を絶たれる人がいるということは、その障害を持つ人は、産まなかった人たちにとっては、産まれてきて存在する理由がない人だと言っているのも同じにはならないのでしょうか? そのことに傷ついた人たちがいた場合、どうやって責任がとれるのでしょうか?

 出生前診断で子供を産まなかった人たちに、同じ障害を持った人たちが「どうして産まなかったの?」と聴かれた時に、「育てるのが大変だから」「私達が死んでしまった後、面倒がみれないから」
等々の産む側の論理で答えるのでしょうか? それらの答えのほとんどは、そのような人たちは大変な、社会に迷惑をかける存在であると言っているのと同じにはならないでしょうか?

 前にも書きましたが、「¥現在の状況からどうしても自分には産み育てることができないからと、苦渋の決断をされた方を責めるつもりはありません。その方たちが、その後の人生を幸せに暮らしてはいけないとも思いません。
 でも、もし、その方たちに命を殺してしまったという意識が全くないのであれば、それを私は怖いと思うのです。なぜなら、その考えの行き着くさきには、出生前診断をして、障害児を産むべきではないという極端なもの意見が待っていると私が考えからです。

 自分の意見に責任を持つことは必要だと思いますが、それは、直接的にこのサイトでであった人達になにかをすることだけではないと思います。自分の身近なところでできることを、無理をしないでやっていく(継続していくためには、無理をしない範囲でやる大切だと思うので)ことで、廻り廻っていくのではないでしょうか?

 いろいろな意見を知ることは大切だと思います。たとえ、それが自分には耳の痛い意見であったとしても。そして、もし、そのような意見を読むのが嫌であれば、自分の意志で読むのを止めることもきるますし、反論し、自分の考えを述べることもできるのです。
 でも、再度、書きますが、おなかのなかの子供は発言し、反論する機会すら与えられずに、一方的に命を奪われるということを認識していただきたいと思います。
 





   >>> 正しい正しくないのではなく。 sara   -- 2003/01/21..
 
ちょっと話が反れますが、そうやって議論がなされること自体は、とてもいいことだと思います。
こん回の海さんの投稿に対するレスも、それぞれの価値観の違いだけでなく、海さんの今までの投稿やレスを読んでいる人と、今回はじめて海さんの投稿を読んだ人とでは、受けとめ方も大きく異なるでしょう。
いろいろな意見を聞き、自分の価値観を改めたり確認したりしながら、それぞれがなにかを得ていけたらいいですね。


 





   >>> 海さんありがとう。 ぺあぺあ   -- 2003/01/21..
 
迷った末に羊水検査を受けるのをやめました。
ぺあぺあ37歳です。純粋に、ストレートに、海さんの
言葉に力づけられました。今回の投稿ももっともだと思います。
正しすぎて傷つく人がいても、それは仕方のないことかなと。

レスを読んで気になったのですが、るーさん、さくらさんが
「生殖機能を使い果たした」云々について言及してらっしゃいますが、
今回の海さんの発言とは関係のないことだと思います。
ここでそのことに触れてどうこうレスする必要があるのでしょうか?

 





   >>> 「幸せは手探りで・・・。」 あん   -- 2003/01/21..
 
人はそれぞれの立場からしか物事が見えないから、
各々がいいと思う生き方を他人に強制することは出来ません。
顔が見えず、名前も匿名の、このような状況だからこそ
相談できることもあり、甘えることもでき、また批判することもできます。
生まれた所も育った環境も違う私たちが、さまざまな考え方をするのは当然のことです。
自分の人生の中での悩み・苦しみ・辛さなどは本人の中でしか大きさを計れません。
自分の生き方にそぐわないと感じたら、レスしなければ良いのだと思います。
海さんが、娘沙羅さんのためにレスすればするほど、
海さん自身が傷ついていってしまうようで心が痛みます。

「殺す」という表現に関しては、そのとおりだと思います。
その辺をオブラートに包むような表現でごまかさずに、
しっかりと現実を見つめて今後の人生を生きていくためには、海さんから娘沙羅さんへの最大限のエールだったのではないかと思います。

ただ、
「生殖機能を使い果たして云々・・・」の発言に関しては、
とてもショックを受けました。
海さんは海さんなりの考えの上で書かれたことであると思いますが、私のように不妊治療に何年も費やしているものにとっては、
理由もなく辛く悲しい気持ちにさせる発言でした。
人間だから、たてまえとは別の部分で
傷ついたり悲しんだりすることがあるものです。
それはおさえようもない、どうしようもないものです。
それさえ甘えなのだと言われたら、
人間の「やさしさ」って一体なんなんだろう・・・と考えてしまいます。
人間は、もともと弱いものです。

海さんもお子さんを出産されたばかりで、大変な時期だと思いますし、
娘沙羅さんも心も体も辛い時期だと思います。
また、ここを読んでいる皆さんも日々さまざまな思いをして毎日を生きていると思います。(そうそう、私も・・・。)
皆それぞれに形は違えど悩み・苦しみがあり、それはなかなか他人のものさしでは計れず、自分の力量の中でもがいています。

海さんの言うように、
「幸せは自分で手探りして見つけるもの」だと思います。

最近はピリピリしていて、発言しにくく控えている方も多くいるのでは?と思いますが、このサイトは、手探りしているそんな私たちのための励ましのサイトであってほしいのです。

 





   >>> 海さんへ ゆき   -- 2003/01/21..
 
私は、障害児ではありません。甘ったれるなと言われても、わからないんです。貴方のいくつかのレスに、とても不愉快です。「殺す」「せせら笑ってやりたい」「批判を受け取る資格もない」一体何様ですか?障害を背負わなければならない人生は、誰のせいでもないです。貴方の障害に詳しく存じませんが、ご自分に障害があると認識された時、辛くありませんでしたか?貴方は、親や周りの方に。支えられて生きる事ができたんですね。娘沙羅さんも、まさに今初めて試練にぶち当たったいるんです。貴方は、ご自分が障害があるのに、結婚して子供まで産んだ。という事実に大変自身をもって発言されてますが、広い世の中には、貴方よりもっともっと逆境の中でも子供を産み育てる方もいますよ。私は、子供さんを授かられて、心穏やかに過ごしているのかと思いました。障害があろうが、なかろうが人間性といいますか、思いやりの気持ちというものが、ない方ですね。
娘沙羅さんへ
貴方の人生ですよ。きれい事では生きていけません。ご自分の幸せに生きていってほしいです。人は人、自分自分です。貴方が産む決断をして、美談話にならなくていいじゃないですか。私にも子供がいます。子供の苦しみは、自分の苦しみより辛いですよ。障害が分かり諦めた・・・それでいいんじゃないですか?それほど批判される事でしょうか?世間の大部分の方がとられる選択です。

 





   >>> 娘沙羅さんをそっとしてあげて みーこ   -- 2003/01/21..
 
先程のタイトル、途中でした。訂正します。
 





   >>> 娘沙羅さん みーこ   -- 2003/01/21..
 
今回はどうしても書かずにはいられません。
いろいろな意見があって当然だとは思います。
けれども、海さんの今回の投稿はどんな意味があるのでしょう。
娘沙羅さんは前回の投稿で、悩んで苦しんでご自分で結論を出された。そして、その結果を報告されたのです。(この時期に投稿などせず、後で書き込むこともできたでしょうに)
ご家族の不幸も経験され、どんなにつらいか。
そんな娘沙羅さんに、あまりにも冷たい言葉だと思います。

>貴女は批判を受け取る資格もないひとでした。
>貴女にレスなどしなければよかった。
そう思うならご自分で思っていれば良いのではないでしょうか。

海さんはおそらく立派な方なのでしょう。
けれども、人として「思いやり」が感じられません。
今回の投稿は「殺す」と表現して事について
説明されたかったのですよね。
思いやりの気持ちがある方なら、
今苦しんでいる娘沙羅さんは、そっとしておいてあげるべきではないでしょうか。
更なる彼女の投稿内容に対する批判(意見)は、必要ですか?

夫婦それぞれいろいろな事情もありますし、
いろいろな考え方があります。
さんざん悩みぬいて結論を出された事に対して、
結論を出された方に対して、言うべきでない事があるはずです。



 





   >>> 途中でした そらたん   -- 2003/01/21..
 
途中で切れてしまいました。すみません

 海さんが、体調がもどられず、なかなか赤ちゃんのお世話ができなく、夫や親の世話になる・・。それは、障害の有無に関係なくよく有ることで、うしろめたく思う必要は得にありません。でも、
‘母としての気力’で赤ちゃんを抱っこしました・・という事だけ聞くと、みんな母としての強さに感動し、ああ母は強し!気力があれば!になる。でも、現実として、抱っこだけではなく赤ちゃんの世話は24時間続く。海さんを‘手助け’してくれる家族が必要になってきます。海さんにはその‘手助け’があった。
でも、現実的な手助けが、得られない人もいます。よく耳にする健康に問題があるんです・・。という悩み。海さんのような話を引き合いにだして、気力があればがんばれるはずだ・・、母親だから甘えるな・・となる事がある。それでは、あんまりじゃないかと思うのです。24時間の世話をだれも助けてくれず、健康に問題があれば、切実に悩むと思います。
 必要とする助けを得られず、悩む人達を甘え、気力の問題、で片づけてしまうのはどうかと思います。

 





   >>> ちょっと言わせて下さい ななかまど   -- 2003/01/21..
 
ただ温かい言葉で励ますだけが優しさですか?
偽善的な事を言う人だけのアドバイスが欲しくて皆さん悩みや不安を投稿しているのでしょうか?
受け取り方は人それぞれですよね。私もずっと娘沙羅さんの投稿を拝見していましたが、私にとってはレスする気も起きないような投稿でしたのでただ傍観させていただいておりました。他の方もおっしゃっていましたが、あまりにも悲観的な考えしかされていないので、どんなにポジティブなレスを差し上げたとしても彼女には届かないと思いました。
たぶん彼女は彼女の状況に同情してくれ、自分の決断を肯定してくれる意見が欲しかったのではないでしょうか。
そんな中で海さんの発言をはじめ、数名の方々が厳しいながらも娘沙羅さんのお腹の中の命をある意味で沙羅さん以上に真剣に考えていらっしゃる、と思えるレスがありました。
海さんが今回の娘沙羅さんへの一連の投稿で憤慨され、失望された気持ちはとても良くわかります。
海さんへ批判の投稿をされている方にとって、悩んでいる人間は他人に対してどんなに失礼となる質問をしても許されるのですか?
自分の悩みを解決する為の参考に、障害児のお母さんに対して「障害児を産んだ気持ち」を聞いても良いとされているのでしょうか?
他の方もレスで書かれていますが、自らHPや本で話されている方々を除いては、してはいけない質問だとは思われませんか?

海さんは海さんなりに娘沙羅さんの事を真剣に考えてレスされて、その結果失望されているのだと思いますが、それに関して娘沙羅さん以外の方々からこういう容で非難めいたレスをされてしまうのは非常にお気の毒で怒りすら感じます。


 





   >>> 娘沙羅さん みーこ   -- 2003/01/21..
 
今回はどうしても書かずにはいられません。
いろいろな意見があって当然だとは思います。
けれども、海さんの今回の投稿はどんな意味があるのでしょう。
娘沙羅さんは前回の投稿で、悩んで苦しんでご自分で結論を出された。そして、その結果を報告されたのです。(この時期に投稿などせず、後で書き込むこともできたでしょうに)

 





   >>> akiさんへ ゆか   -- 2003/01/21..
 
突然ですが、我慢できずに言わせていただきます。

海さんは別に、HPで障害児のページを検索したり本で情報を集めることがスケープゴートだとおっしゃってはいません。
あくまで、直接障害児を持つ親御さんに直接お聞きになるのは、という事でおっしゃっています。
akiさんの投稿はただ感情的になっているように感じます。
 





   >>> うまく言葉に出来るかわかりませんが・・ そらたん   -- 2003/01/21..
 
うまく言葉に出来るかわかりませんが・・
 ミルさん、るーさんはおっしゃっていることは、なによ!偉そうに!と,単純に言い切ってしまっている物ではないと思うのです。海さんが、今回妊娠、出産を経るのに‘必要とした物’は、家族の理解、協力、だったと思います。それを無くしては不可能だったのではないかと・・。なによ人に助けてもらてるくせに!という意味じゃもちろんありませんよ。海さんには、海さんにとって必要とした‘助け’があったんですよね・・と言いたいのです。
みんな、悩んでる時に、それを乗り越える上で必要とする、‘手助け’があります。それこそ、さんざん言ってきた人それぞれです。家族の助けだったり、経済的なことだったり、社会的なことだったり、ただ単に言葉だったり、治療だったり・・。 
 海さんの話をこれまで読んできて、海さんが苦労のすえ出産され、我が子を愛おしく思い、守っていこうと思う・・、それは、それでいいんです。心から立派だと思いますし、がんばって欲しいとも思う。
 でも、その話を読んだ人達が、まるで偉人伝を読んだ時のような気持ちになり、そのままの気持ちで、他の人の悩みに
 >贅沢な! 
 >あまえてる!
 >なになにさんの苦労に比べたら! 
となっている。それが、あまりにも乱暴な置き換えじゃないかと思うのです。
 今回の海さんの発言でも、私の体験してきた肉体的苦労、精神的苦労に比べたら・・みたいなものがのぞいていたと思います。
障害をもった方に、それを言われたらもう恥じ入る気持ちになる。そこでおしまい・・と言う感じ・・。 
 そこで、るーさん、ミルさんの意見がでてきたんだと思います。 ちょっと待って、あなたにはあなたの必要とする、助けが得られたから今があるんでしょ?と・・。 
 海さんにとって、そこはアキレス腱だったのでは? 
人に助けてもらてるくせに・・と聞こえてしまうのでは・・?
 もちろん、そんな意味ではないけど、その言葉でカッとしたのでは?だから、関係無いでしょう。となり、批判をうける資格もない、というような、普段の冷静な海さんらしからぬ発言がでたのでは? また、そう思いたいです。
 





   >>> 強さと弱さ コジロー   -- 2003/01/20..
 
白か黒か、はっきりさせる事が世の中で大切なことでしょうか。
灰色の部分があって迷い苦しむ事の方が多いと私は思います。
決断が重要であればあるほど人は悩むでしょう?悩まずにすむ人はいるのでしょうか。
白か黒か物事をはっきり決められる性格の方は私にはうらやましい。でも時としてそれが強すぎて一方的な意見の押し付けになることもあるのではないでしょうか。
『幸せは手探りで見つけるもの』、皆その為に悩んでいるのではないでしょうか。ちっぽけな悩みだとせせら笑う、悩むことすら否定してしまう強さは、人の心に拒絶反応をおこさせませんか?

ここのサイトを見るようになって、今までどれだけ自分が無知で無学であったかを知りました。海さんの視点や経験で無知な意見はこれからもどんどん叱ってほしい。でも時には他人の弱さも許してほしい・・・と思いました。


 





   >>> 海さんの意見、暖かいじゃないですか? もも   -- 2003/01/20..
 
海さんのご意見いつも”うん、おっしゃる通り!”と同意しながら読んでいます。強くて厳しい彼女の言葉に非難や反感を抱いたりされる方々もいらっしゃるようで推測はしていましたが少し驚きました。娘沙羅さんの’納得することはできませんでした。’でも申し上げましたが、私は海外に長年住んでいるので日本人的な考え方にはギャップを感じることがあります。だけれども疑問があります。ミルさんのご意見に”自分の弱点を凝視することも時には必要だと私は思います。”とありましたよね。それは海さんに対して言われた言葉なのですか?とにかく、弱点を持った人々対象であればそれは理解度が低いのではないでしょうか?例えば障害者は、他の人が出来て自分には出来ない事、他の人が感じることが出来ても自分には感じられない事等、いやと言う程、自分で弱点(=困難な点)を見てきていると思います。私は海さんのご意見の中に、”あなたにレスなどしなければよかった。”とありますが、彼女の厳しい言葉の中に、心の奥底にそれでもやっぱり娘沙羅さんに強くなってほしいという願いが込められているように感じましたが、、、、。
 





   >>> ミルさん、るーさんへ kusuko   -- 2003/01/20..
 
はじめまして。
ミルさん、下のあなたのレスについてですが、海さんは果たして「被害者」「弱者」としての「権力」を振りかざしながらこのスレッドを立てていますか??私にはそんな箇所は見あたりません。
どうもあなたのふだんの認識と、海さんのことをごっちゃにしてらっしゃるような気がしてなりません。もういちど、ゆっくりと海さんの意見を読まれたらいかがですか?
私には海さんの意見のどこにも「暴力的なオーラ」なんて感じられません。

また、るーさんのおっしゃるような「障害を盾に取っている」というご意見も、理解できません。それに、海さんのご意見のどこに、幸せを手に入れた自分を無条件に賛辞せよ、などという主張が入っているというのでしょうか、、、、私には全く読みとれません。(私はるーさんのように現場を知っている人間ではないので、見当違いなのかもしれませんが?)
私にはただ、ハンデに屈することなく自分を精一杯活かしている、強い女性が必死で生きていく姿が見えるだけです。

>そして、NOVさん(ついでのようなレスですみません)
おっしゃることにはとても共感します。
でも、海さんの怒りを思うと、無理もないかとも思います。。。

 





   >>> 海さんへ ゆかり   -- 2003/01/20..
 
海さん、初めまして。
海さんが言いたい事、私はよくわかります。
私には、病気の子供がいます。遺伝病なので、治る事はありません。私は病気を持った子供の親となりまだ5年ですが、どんなに他人の無神経な言葉に傷ついてきた事か。でも、その言葉は経験した事が無い人たちにとって、励ましの声かけなのでしょうし、いろいろ聞きたい事なのでしょう。私はそれらに対して不本意ながらも(本心を話してるかは別なのですが)平気な顔をして返事しています。家に帰ってから泣いています。海さんのように主張したいです。だけど、皆さんの返事を読んでしまうと、やはり我慢をしなくては・・・と思ってしまいます。子供は可愛いです。他の子とは替えられません。だからこそ、本当は母として強くなり、周囲の人に
子供が傷つく前に主張すべき事はしなくては・・・と思うのですがが、それでは他人とのかかわりを拒絶してしまいようで、出来ません。情けないですね。

 





   >>> 海サンへ。 くらすぷ   -- 2003/01/20..
 
あらかじめお断りしておきますが、私は障害を持つヒトを排除しようとしたり、健常者の世界を(多数派という意味で)正しい世界という風にも考えていません。
今まで書かれて来た海さんの書き込みの、ご自分の体験に基づいた意見や感想、考え方などは、まさに現場の生の声であり貴重な存在だと思います。社会的な問題にまで波及し、これから私たち一人一人が意識をもっていかねばならないというコトを教えてくださいました。

しかし、今回の一連の書き込みでは少々異を唱えたいと思います。
海さんご自身が障害をお持ちという事もあり、発言に重みがある反面、海さんに普通に反論する事さえ、正直はばかる雰囲気を感じてるヒトも多いと思うのです。
私は、下の海さんに対して異論を唱えた方々と同じく、障害という社会的にも話題に上げることをタブーとしてきた事に対して、知識が無いヒトが色々知りたいと思うことはそれは仕方の無い事だと思います。もちろん、それは軽々しい、興味本位な質問であってはなりませんが、相互理解の為には私は必要な手続きだと思うのです。
もちろん話したくないご家族もいらっしゃるでしょう。しかし、うわべだけのコトでは真に障害を持つヒトとの共存は難しいのではないかと思います。
美談や、自立可能な障害を持つヒトだけではない事を知ることも
大事な事だと思いますし、障害を持つ側もココロを開いてくれなければ、こちらの手の差し伸べようがありません。まさか、一方的に健常者が先読みをしてフォローする事があたりまえとは思っていらっしゃらないと思いますが。
海外の健常者、障害者の関係はとても自然でまさに「補い合う」という言葉が当てはまると思います。

「障害児を持つ親は周囲の理解と思いやりが必要」と仰いました。
確かにそうです。しかし、それにはそれなりの話しを聞く必要があると思うのです。勝手な想像では親御さんへの理解も出来ないし、思いやれるわけがありません。今まで社会はそれの話題にはフタをして来て、見せないようにしてきましたから。誤解するといけないのですが、交換条件、といってるのではないです。事情がわからなければ、助けたくても的を射た助け方ができません。
福祉先進国はそのノウハウがもう解っているところに来てるから、あのような素晴らしい福祉制度が今の私達の目に映るのです。
まだ、日本はそのとっかかりにさえ居るのかどうか怪しい福祉途上国なのは認めますが、それなら進んでいかないと。

また、「障害児を育てた事のある親ごさんの話を聞くことが失礼」と言われますが、自分の解らない世界について、先にその世界を知っているヒトから情報を得ることは、私は悪いこととは思えません。経験者の話しを伺うことで、自分の閉じていた目が開けることもあるでしょうし、別の見方を見出したり、可能性を見つけることもできると思います。知らない世界を不安に思うのは当たり前ではないでしょうか。
また、話を聞きたいと思うヒトは「自分は諦めようとしてる、しかし諦めていないヒトも居る、その原動力、違いはなんなのか?」という素朴な疑問で聞きたいと思っているのかもしれません。もし、話を聞くことで「自分も諦めないで行こう」と思えたのなら、それはとてもいいことなのでは?間違ってるのでしょうか?

それを暗中模索で自分で探せ、というのは正論ではありますが、
少々、正攻法過ぎるきらいがあるかと思います。もちろん、デリケートな話題には変わりませんから聞く側もそれなりの姿勢で臨むことは必要です。

そもそもココのサイトも、不妊治療に関してやいくつもの表立っては聞けないようなことを、「体験者に情報を求めてる」というスタンスで行けば同じ事をしているのではないでしょうか?
そして、やはり別スレッドで反論されていた林檎さんのいわれるように、生身の相手を目の前にしてこれらの事をそのまま発言できるのであれば、それはある意味スゴイなと思います。言葉は言霊だと思いますので、海さんのもどかしさ、お怒りになる気持ちはわかりたいと思いますけれど、せっかくスジの通った発言でも、言葉ひとつで台無しになると思います。正直、すごく正しくて良い事を書いてるのにもったいないなあ…と思いました。

それからおせっかいかもしれませんが、先だってご出産されたばかり、育児に馴れず一番精神的にも忙しくイッパイイッパイになっていると思われる時期、このようなヘヴィな内容を処理する事自体が、私はかなりストレスになってるんじゃないかと思います。普通の健康体な人間でも最初の3ヶ月くらいはヘトヘトになります。言葉もそれできつくなってきてるんだろうと、思いたいです。そうじゃなくても、ココのサイトの書き込みは悩みがどんよりと渦を巻いていますから…。

とにかく、心身ともにこれ以上負担がかからないようになって欲しいナと祈っています。
 





   >>> 海さんのおっしゃることは、正しいけれど。 sara   -- 2003/01/20..
 
海さんのおっしゃることは、正論だと思います。
でもこのサイトは、近くにいる人に相談できないことを、利害関係がないからこそ相談できる場でもありません。
だからこそ甘えた発言も出てくるのでしょう。
経験者のお話も聞きたくなるでしょう。
そのことに同意できないのなら、レスしなければいいのでは?
海さんにそんな気はないかもしれませんが、「批判も受ける資格がない。」とまるで裁いているような印象です。


 





   >>> 海さんへのお願い NOV   -- 2003/01/20..
 
はじめまして。
関連スレ&レスはいつも考えさせられて、胸がつまる思いで読んでいました。
今回はがまんできず、しゃしゃり出てしまいます。
海さん御自身がもしかしたら切り捨てられる側になったかもしれない、そういうお立場から意見を言えるのは、失礼ながら海さんしかいらっしゃらないと思うのです。
娘沙羅さん(あるいは同じ方々)のご事情を海さんが読まれると、深く傷ついてしまってお怒りになるのも、理解できます。

しかし、あえて言わせていただくと、海さん、あきらめないでください。

>貴女は批判を受け取る資格もないひとでした。
>貴女にレスなどしなければよかった。

この2行でいままでの主張が台無しになります。
障害者、40代、である以前に、今まで強く生き抜いてきた人間としての海さんの主張を通してください。簡単に相手の方を切り捨てないでください。

以上、3度目に命を授かった38歳若輩者からのお願いです。
私も微力ながら、両者のお立場を懸命に考えております。
 





   >>> すごい… jane   -- 2003/01/20..
 
母親になるのなら、いいえ、生きていくにはそのくらい強くならないといけないと思いました。
私もがんばって生きていきたいと思います。

人生なんてマニュアル通りになんて行きませんものね
 





   >>> 弱者(とされる人)の発する、無意識の権力 ミル   -- 2003/01/20..
 
もう書く気も起きないのですが。

タイトルだけで解ってくださる方はわかると思います。

一般に被害者と呼ばれる立場の人たちが、ある種の出来事や環境、人に対して戦う時、無意識のうちに特有の権力を発していることがあるのです。

弱者であるという事や、被害者である(無実である)という事を武器に、暴力的なオーラを他人に与える事があるのです。

その自覚がはたして本人達にあるのかどうか。わたしが昔から疑問に思ってきている事です。

モノゴトや他人の事を、常にできる限りいろいろな角度から想像する事ができるかどうか。そのひとことに尽きると思います。

戦う事イコール強い事ではない。自分の弱点を凝視することも時には必要だと私は思います。


 





   >>> るーさんの意見に同感です。 さくら   -- 2003/01/20..
 
私は不妊症でたぶんもう自分自身の子供は望めないとおもっています。
海さんが言っている「生殖機能」を使い果たすことができない「女」なのです。それがとても悲しいことであることを知って欲しいと思います。生殖機能を使い果たせた海さんが羨ましいです。
 





   >>> 私の意見 nara   -- 2003/01/20..
 
娘沙羅さんへの一見手厳しいレスを書かれてからの海さんへの非難、反感を読んで思うのですが、日本人って本当に人の意見を聞き、考えるという事が下手ですね。
海さんの意見、個人的に私はとても頷けます。
ただ、それを言う相手を間違ってらっしゃるのでは。
貴方の意見に非難めいたレスをつけてこられる方々に対して、貴方の意見は言うだけ損、時間の無駄だと私は思います。
海外生活が長い私の方が少々感覚がズレてしまっているのかもしれませんが、日本人のレベルはやはりまだ低いようです。
福祉に関して日本が送れているのは、国民性もあるのでしょうね。

最後になりましたが、海さん、これからも頑張って下さい。
 





   >>> 強く、やさしく kusuko   -- 2003/01/20..
 
海さんへ

一連の娘沙羅さんへのレス、このご意見を読んで私はたくさん、勇気をもらいました。そして、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。腹をくくらなければ。2ヶ月後に母になる予定ですが、もっともっと強く、自分に厳しく、そして人に優しくならなければ。まさしく私は甘ったれでした。
海さんにしてみれば、は?何いってんの?という感じだと思いますが、、、ありがとう。

そして、娘沙羅さんへ。あなたは孤独(ひとり)じゃないよ、と言いたいです。
なんだか支離滅裂でごめんなさい。
 





   >>> 同感です 智子   -- 2003/01/20..
 
海さんの今回の投稿内容を読んで、同感です。
本人が進んで語りたいと思っている場合を除いて、障害を持つお子さんの親御さんに「障害児を産んでどうですか?」というような質問はタブーだと思いますし、そういう質問を平気でしてまうような人がいる社会ってどこか歪んでいると思います。


 





   >>> 海さんって、偉いんですね…? るー   -- 2003/01/19..
 
海さんは障害を乗り越えて、自立し、お子さんを設けた。
「生殖機能を使い果たして満足」でいらっしゃる。

では、海さんや、海さんのお母様みたいに立派じゃないと
自分には判らないことを他人に伺う資格すら、ないのかしら?
なんか見当違いなたとえで恐縮ですが、
「微分積分ができないと人間としての価値が無い」と
言われているのと同じような気持ちがする。
(私は数学、壊滅なんで、そうなると価値ない人間の区分…)

「障害者の親に対してこそ思いやりが必要」とおっしゃる。
でも、思いやりって、相手とうまくやりたいと願えば
たまに形がズレたって、結局は伝わるんじゃないかしら。

…娘沙羅さんにだからこそ、彼女の周囲の「障害者の親」は、
あえて辛い経験を話すお気持ちになったんだと思いますよ。
彼女は何も土足でずかずか上がりこんでいったわけじゃない。

海さん自身は、今回の発言みたく
お相手を罵って縁を切ることをお選びになれば済むことでは?


…これは揚げ足とりの領域ですが、
いつかの「生殖機能を使い果たして」うんぬんのお言葉、
まさか不妊者に価値が無いとか思ってはおられないでしょうが
高齢出産のサイトに書くにはある種強烈に
「思いやりのない」言葉と思いますが、どうなのかしら。
それを拝見したときは、まぁ指摘するまでのことでもないかと
思ってはおりましたが、少なくても私は不愉快でした。


海さんはこんな私を採用した上司を憂うかもしれませんが、
以前、遺伝子疾患の児童ばかりの施設で指導員してました。
施設を出て一人暮らしする、結婚する、ボラ団体を作る、
何か催しを起こす、みたいなことがすなわち「自立」だと
美化するような空気がぷんぷん漂っており、
上記を実現した者はいわば「勝ち組」、
年頃の利用者はみんな、それに向けて夢を描いていました。

具体的に生じる実務は?お金は?親の負担は?みたいなことを
指導する立場としては言わないといけない。
自宅と施設と養護学校しか知らない人間を、本人の望むどおりに
公営住宅に放り込んで年金で引き篭もらせて、それが自立なんて
私は社会人として認めたくなかった。
けど、いざそれを指摘すると「自立を阻害している」と思う
利用者やその親が大多数。
ではどうして現実を解決なさるおつもりかと伺うと、
ボランティアの数をもっと増やして手配できないかとおっしゃる。
どーしてそう他力本願に行くの???と思わなかったといえば
嘘になります… 

そりゃできるならとっくにそうしてますよ。
けど、例えが悪いけど(…実際あった話ですが)
自立生活不可な障害者同士で作った子どもの世話を、
実子と同様に24時間コンスタントに引き受けてくれる、無償で
かつ優秀なボランティア制度が成立する確率はゼロに等しい。
だって、ボランティアは他人ですから。負担になれば終了。
結局そこの母親か、育つ子どもにひずみが行くのが大抵のパターン。
…けれど「障害者の自立」という美文の元には、何故かこの夫婦は
英雄なのですよ。

(もしかしたらミルさんは、その辺りを疑問に思われたのかなと
 私は拝見して勝手に思いました…
 違ってたらごめんなさいですが…)

障害を盾に取られる障害者には、非常に物が言いにくいものです。
それが返って相互理解を阻んでいる面があると私は思っていましたが
海さんは違うようですね。

海さんは幸せを手にされた。それはすばらしい。
けれど、それを世間は無条件に賛辞せねばならないの?
(そういうことは言ってないとおっしゃるのでしょうが…)
貴方は自分のアイデンティティの為に
他人の考えを決して尊重できていないのに。
 





   >>> スケープゴートって??? aki   -- 2003/01/19..
 
海さんのご意見はいつも理路整然とされていて、感心することばかり、私などは反論する気も起きませんが、一言だけ言わせてください。

「羊水検査で陽性と出てそれを承知で実際に染色体異常の子を産んだ人がいたら意見が聞きたい」と言うのは「自分の判断のためにそういう人を引きずり出し、スケープゴートにしたい」ということでしょうか?

ダウン症のみならず、自分や自分の子供が何かの病気にかかっていると知った時、同じ病気の人や団体のHPや本を検索し、参考になる情報を集めたりすることは、スケープゴートにすることなのですか?

話したくない人に無理やり聞いている訳じゃないです。 じゃあ、HPや本で自分たちのことを公開している人や団体は、なぜ公開しているのですか? 「自分たちはこうだよ! もっと私達のことをみんなに知って欲しい」という気持ちで公開されているのではないのでしょうか?

「甘ったれてる、マニュアルが必要か?」と聞かれれば、ええそうです。 不安で精神状態も普通じゃない時に、何かアドバイスや情報が欲しいと思うのは普通の人間なら当然です。 最終的に判断するのは当然自分ですが、少し背中を押して欲しいというのは、そんなに批判されることですか? もちろん、強い人から見たら、甘ったれているのでしょうね。 そういう人にはこのサイトも必要ないですね。 

私は障害者でもないし、所詮海さんの気持ちはわからないし、ここで何を言ってもまたコテンパンに反論されるだけ、書かなければ良かったのかもしれません。