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命の選択 年長みなみ  -- 2003/01/14 ..
 以前「みなみ」のハンドルネームで何度か投稿させて戴いた者です。最近、別の「みなみ」さんが登場されたので「年長みなみ」に変えさせて戴きます。
 私は現在50歳で6歳の一人息子を育てている皆様の先輩高齢出産ママです。親バカですが子供は優しく明るく元気な良い子です。こんな可愛い子を、愚かな私は出産前に2度も「命の選択」をしようとしてしまいました。(この事は一生、心の中で子供に詫び続けることでしょう。)
 一度目は妊娠が分かった時の事でした。子供嫌いを公言していた夫に従い、子供を持つ事は諦めて仕事に専念していました。思いも掛けない妊娠を知った時、大事な仕事の最中でもあった為に迷わず堕胎を決め産婦人科を訪れたのです。妊娠を切望していらっしゃる多くのこのサイトの訪問者の皆様には本当にお聞かせするのも申し訳ないお話です。でもその時に出会ったお医者様の素晴らしい一言で私は妊娠を決意しました。これについてはまた別の機会にお話します。
 そして二度目の「命の選択」は「羊水検査」です。これも迷わずに自ら申し出て検査を受けました。夫の考えも同じでした。でもこの検査結果を待つ間に胎動が始まった事もあり、例えどんな結果が出たとしてもこの命を選択するなんて事は私には出来ない、と強く思うようになりました。結果的には「異常ナシ」でしたのでその後スッカリそんな事も忘れて無事に元気な子を出産しました。
 出産の翌日、乳児室から病室に戻った夫の顔が曇っていたので問い質すと「前日生まれた赤ちゃんの手が無惨な奇形で・・・」とのこと。隣の個室の方のお子さんでした。まだ顔を合わせていませんでしたが一日中男性のボソボソ声が聞こえ不思議に思っていました。職場の方が訪ねていらして廊下で大声で「では退職願い出しておきます」等と聞こえていました。幼い兄弟の「アカちゃんかわいい!」の声だけに救われましたが、産後の痛みで起き上がれないベッドの中でその赤ちゃんやご家族の事、無事に生まれた我が子の事など色々と考えて涙が止まりませんでした。その後授乳でお会いしたその赤ちゃんのお母様は慣れない私の授乳を手伝って下さる等、返って優しくして下さいました。私達にはそのショックは全く表さずに・・・。
 その後も子供の幼稚園でひどい喘息の子や重度の自閉症児にも出会いましたが、ご両親の強く逞しく生きる姿に感心させられる事ばかりです。よく言われる事ですが親は子供によって「親」に成長させられ、初めから立派な強い親なんて居ないのかも知れませんね。
 長々と書いて何が言いたいのか分かりませんよね。最近このサイトで羊水検査の結果云々が取り沙汰され投稿される各々の皆様のご意見を読む度に、何故こんな検査があるのだろう、という疑問が沸き上がってきたのです。本当に出産前に障害受容して色々な準備を行う為の検査とは到底思えない事ばかりです。もしそうならば検査前に、検査方法の説明だけでなく様々な結果が出た時の医療上、精神上のケアについての説明がキチンとなされるべきなのに、そんな話は聞きません。考えたくないけれど、高度医療が進みかなりのケアが出来るようになった現代、医療側でなく妊婦側に「命の選択」をさせようとしているのではないでしょうか?
 もしそうだとしたら、この場で色々な意見を戦わせる以前に、本当にこの検査その物が必要なのかどうかを、検査結果で皆がどのような選択をしているのかまでを知って考えてゆく必要があるのではないでしょうか?
 あまりにも大きな問題提議で申し訳ありません!私のように何も考えず、「検査があるから受ける」という安直な態度で受けるような簡単な検査で無い事を皆様にも認識して戴きたくて投稿しました。
 最後に「きしゅうさん」いかがお過ごしですか?とてもとても気になっています。心からエールを送っている者が居ることをお伝えしたいと思いまして・・・。


娘沙羅さんの投稿に対する海さん達の意見   年長みなみ
ちょこれーとさん タクシー2さん たれこげさん   年長みなみ
幸せを考えるために   たれこげ
みんなの声を合わせれば   タクシー2
いっそ検査なんかなければ・・・・   ちょこれーと
レスありがとうございます   年長みなみ
日本は.........   智子
私は出産後考えが変わりました   きょん




 

   >>> 娘沙羅さんの投稿に対する海さん達の意見 年長みなみ   -- 2003/01/14..
 
 最近、娘沙羅さんの投稿に対して様々な意見が戦わされていますね。皆様の考えを読むにつけ、問題が深刻である事、そして決して避けて通ってはいけない事を痛感します。
 特に海さん、janeさん、なるまんさんのご意見が印象的です。自らの人生経験を通しての海さん、janeさんの言葉には凄まじい程の説得力があります。その一方、「羊水検査」の結果、胎動で「生命」を感じている赤ちゃんの【命の選択】をするという事は普通の人間には何の罪悪感も無しには出来ないことです。ですから、娘沙羅さんのように思い悩む方が多く、それを擁護する方達もたくさんいらっしゃるのでしょう。そして、娘沙羅さんや擁護派の方達を全否定する権利は残念ながら今の制度では海さん、janeさんにもないのです。この点が私が一番疑問に感じている事です。何故ならば、今の制度では法律的に「羊水検査」での【命の選択】を認めているのですものね。と言っても法律上、結果を知って誰が決断して良い事になっているのかは知りませんが・・・。妊婦?妊婦とその夫?いずれにしても合法的である以上、【命の選択】をしても良いこの制度が存在する限り、「罪悪感を感じながらも」残念な選択をする人が後を絶たないのではないでしょうか。
 多くの方はなるまんさんのような考えには中々なれないでしょう。でもそれはダウン症だから、とか障害者だから、という問題ではなく、たれこげさんの文中から引用すると『人にはそれぞれ事情があります。自分の考え、パートナーの考え、地域性、仕事、金銭的な事情、家族構成や家族の考え方。』という諸々の条件は全ての問題に当てはまる事です。ダウン症でも、障害者でも幸せな人も居れば不幸な人も居る。健常者でもそれは同じということなのです。家族の対応が各々違うのも当然です。
 ちょこれーとさんが仰るように『いっそそんな検査なんかなければいいのにと思うこともあります。昔は生まれてくるまでわからなかったのですから・・・。』と強く思います。嫌な言葉ですが「自然淘汰」されずに出産まで自らの力で生きようとしている命は自然のままにしてこの世に出して上げるという当たり前の考えが何故無くなってしまったのでしょうね。例えダウン症でも他の障害児でも、出産まで命が維持できたという事はそれだけでも結構強い生命力なのではないかという気がします。子を持つ親の立場として絶対に考えたくない事ですが、生まれた後でも誰しも病気や怪我に対する不安は抱き続けなくてはならないものなのですから染色体異常に関してだけ【命の選択】を認める検査そのものが、何か大きく間違っていると思いませんか?
 海さん、janeさん、今の制度の上で何かを言うのは反って言われた方が気の毒です。みなさん合法的に行っているのですから!でも、なるまんさんの考えが特殊ではなくなるように「出生前診断」廃止、もしくはもっと妊婦みんなが納得のゆく制度(難しいけれど)への改革を目指しませんか?
 





   >>> ちょこれーとさん タクシー2さん たれこげさん 年長みなみ   -- 2003/01/14..
 
 レスを下さった皆様、ありがとうございます!
先ず、お一人お一人にお礼を申し上げます。そして、別のタイトルでこのサイトを訪れる皆様に対しての意見を書かせて戴きますね。

 ちょこれーとさん

「みんな羊水検査のことで悩んでいる。受ける人も、受けない人も。検査の結果が出るまでの間とても苦しい・・・。いっそそんな検査なんかなければいいのにと思うこともあります。昔は生まれてくるまでわからなかったのですから・・・。」本当にそう思います。
 
 タクシー2さん

浮腫のこと、ご心配ですね。ダウン症だけでなく様々な病気や障害に対する心配を大抵の妊婦さんは持ちます。そんな時に医者や医療従事者の一言一言で安心できたり益々不安を募らせたりしてしまいますよね。「声が、産婦人科学会にでも、とどいて、患者の気持ちが届く日を夢見てます。」本当にこのサイトの皆さんの願いだと思います。

 たれこげさん

いつも色々なご意見を読ませて戴いています。身近に障害者をご家族に持つ知り合いがいらっしゃったことで、真剣に羊水検査について考えられたのですね。知人のダウン症の妹さんのおかれている状況や、それを知ったたれこげさんのショックもよく伝わりました。

 





   >>> 幸せを考えるために たれこげ   -- 2003/01/11..
 
こんにちは、たれこげと申します。
私は、何故かご近所や友人、知人の家族に障害者がおられる方が多く、考えさせられることはそれぞれありました。年長みなみさんがお書きになっているような、立派な強い母親やご家族も多かったのですが、その反対もありました。そんな中で自分が羊水検査について悩んでいた時、頭からはなれなかった事がひとつありました。ちょっと極端な例になると思うのですが。友人の妹さんがダウン症でした。以前たまに遊びに行っていた頃、妹さんに会うと挨拶したり、少し一緒に遊んだりしていました。あまりつきあいがなくなり、本当にひさびさにその友人の家に遊びに行った時の事です。トイレに行った帰り、奥の方の部屋で唸り声のようなものが聞こえました。失礼だとは思ったのですが、具合の悪い人でもいるのかと思い、すこし入り口も開いていたので覗いてしまいました。そこは物置のような部屋で妹さんが一人で座っていました。聞こえづらい言葉を聞いていると部屋から出たがっていたようです。ショックでした。友人に妹さんを見た事も言えず、そうそうに帰って来てしまいました。
私がいる間、妹さんを隠していたのか、いつもそうなのかはわかりません。数年前は会わせてくれていたのに、あまり交流のない間に何があったのかも聞けませんでした。
自分の子供が障害者だったら、そう考えるとあの妹さんの姿が浮かんでなりませんでした。私の場合は羊水検査を受けようかと思う理由の中に自分勝手な思いがなかったと言えば嘘になります。そんな私にちゃんと育てられるのか、子供をあんな悲しい目に決して合わせないと断言できるか。ちゃんと幸せにしてあげられるのか。
私は、まず、羊水検査を受ける前に出来る事をしてみようと思いました。主人との話し合い、住んでいる地区の福祉の状況を調べ、家族にもそういう検査がある事を話し、もし問題があればどういう考えを持っているのかを聞きました。金銭的な面では裕福には暮らせませんが、福祉を利用すれば子供を育てていける確信を得、主人、家族との話で、協力してもらえそうな事、逆にもし、私が子供を友人の妹さんのような目にあわせようものなら、私が追い出されるとも、子供は守られるだろうという変な結論に安心し、羊水検査を受けない理由の一つになりました。
人にはそれぞれ事情があります。自分の考え、パートナーの考え、地域性、仕事、金銭的な事情、家族構成や家族の考え方。そして高齢になっている分、増えている悩みもあるでしょうし、自分や世間を知っている分、不安が強くもなります。そんな中で、子供を、ましてや障害のある子供を持つ事は、実際大変な事が多いはずです。
そんな中で羊水検査を受けるということは、自分が今生きている状況の中で子供をちゃんと愛して幸せにしていけるか、周りはどうなのか、どこまでを捨てられてどんなことを得ることができるのか、幸せを考えて、自分で決めるためにあるのではないでしょうか。
もちろん大丈夫と思っても生んでからくじけそうになることもあるでしょうし、状況が変わることもあるでしょう。でも、生む前に自分で選んだ幸せなら、がんばる力の一部になると思うのです。
何か、長い上にわかりづらい文で申し訳ありません。

 





   >>> みんなの声を合わせれば タクシー2   -- 2003/01/11..
 
はじめまして・・。私は、33歳、24週の初めて妊婦です。
浮腫があって、羊水検査を受けました。浮腫6・7ミリ。

私は、この時代、羊水検査もあと、10年したら、どういう
検査になるのかなって思ってます。神の領域までとテレビで放送
していますが・・・。
大事なものは、ケアだと思います。

私の場合、今日、保健所さんに、電話をして、心臓奇形などの
時の、診療費のことについて、聞きに行きました。
そして、今まで、羊水検査で思ったこと。
医師に対する、看護士に対する、不信感。ケアのない事等と
話してきました。
私は、病院をかえました。変えたら、看護士さんは、優しいし
今までの大学病院の対応の違いに、驚きです。
もし、心臓奇形がわかったら、もとの大学病院にもどる事に
なりますが・・・。

保健所さんがいうには、保健所として、病院に、羊水検査など
で、ケアに対して、どうしてるのかと指導や問う事ができる
そうです。私は、自分の体験を無駄にしたくなく、その旨を
紙に書き、提出してきました。私のように、具体的に、聞いた
事は、ないと言われましたが、やはり、少しは、指導の方向
に、なると思います。やはり、なにかは、あるようで
「あそこは、そこまで、おちましたか・・」と言ってました。

みんなで、力をあわせれば、妊婦の心のケアについて、
なんかの行動が起せると思います。
簡単に書きましたが、気分を悪くしてしまった方、ごめんなさい

いつか、顔を見合わせ、目と目を合わせ、声が、産婦人科学会
にでも、とどいて、患者の気持ちが届く日を夢見てます。
年長みなみさん、私の意見は、どうですか?
 





   >>> いっそ検査なんかなければ・・・・ ちょこれーと   -- 2003/01/10..
 
何年か前にあるラジオ番組で羊水検査について議論がされていました。
その中でとても印象に残っていたのが
検査を受けてダウン症と診断された場合、日本では9割の人が堕胎を選択するが
アメリカでは多くの人(何パーセントだったかは忘れましたが、
かなり割合が多かったように記憶しています)が出産をするということです。
つまり命を選択するためではなく、受け入れる準備のために検査を受ける人が多いということです。
やはり日本という社会に問題があると思います。
障害を持つ人、弱い人に対する社会的ケアがしっかりしていれば
全然違うと思うのです。
智子さんの住む国のように経済的にも精神的にも手厚くサポートできなければ
ほんとうは検査を導入すべきではないのかもしれません。

私ははじめから羊水検査を受けるつもりはありませんでいた。
「どんな子でも自分の運命として受け入れる」と。
でも本当はそれはきれい事を言っていただけです。
そんな強さは私にはありません。
100分の1の確率・・・・。だったら自分はきっと大丈夫。
楽天的に考えていたからです。
もし確率が100の50だったら・・・。受けていたと思います。
そしてもしダウン症と診断されたら・・・。わかりません。

私は39歳で出産しましたが、私の行っていた病院では
すべての妊婦さんに「出生前診断」についての説明がされます。
高齢出産だからといって勧められることは決してありません。
年齢とダウン症の確率や、羊水検査のリスク、トリプルマーカー検査のことを説明されたあと、
説明の書かれたプリントをもらいました。そのプリントの最後に
「ダウン症の子どもは皆、明るく優しいのが特徴です」としめくくってありました。
受けないと思っていても、なんとなく気の重い検査の説明のあと
このひとことでちょっぴり救われた気分になりました。

みんな羊水検査のことで悩んでいる。受ける人も、受けない人も。
検査の結果が出るまでの間とても苦しい・・・。
いっそそんな検査なんかなければいいのにと思うこともあります。
昔は生まれてくるまでわからなかったのですから・・・。

 





   >>> レスありがとうございます 年長みなみ   -- 2003/01/10..
 
 きょん様、智子様さっそくのレスをありがとうございました。
先ず初めに私の投稿文が長過ぎるし文章もヘタなので主旨が理解し辛かったのでは、と反省しています。スミマセン。
 きょん様、私は決して検査の是非に対する皆様の考えについて取り上げているのではないのです。きょん様も仰るとおり「検査を受けること、その後のこと、それぞれのご夫婦によってケース・バイ・ケースでいたしかたないこと」だと思っています。そうではなくて「トリプルマーカー・クアトロ検査」及び「羊水検査」は実際のところ医療側はどういうつもりで提供しているのだろうか、という点に疑問を抱いたのです。智子様が住んでいらっしゃる国のような方針であれば、ある意味では納得がゆきますが、現在の日本の医療体制では「命の選択」を妊婦側に委ねるための責任回避にさえ思えてしまったので。(そうではない医療機関があればゴメンなさい!)
 この体制を変えない限り、皆様のコメントにあるような辛い選択を強いられる人が後を絶たないのではないか、と心が痛みました。
 ちなみに私の息子は元気ですが私自身は障害者です。しかも後天的な原因で。ですから「健常な子を授かったから良かった」とは全く思えないのです。何時どんな事が起こるか分からない・・・と。モチロン根が呑ん気ですから四六時中心配している訳ではなくて普段は特に意識していませんけれどネ!
 
 





   >>> 日本は......... 智子   -- 2003/01/10..
 
私の住む国では35歳以上の高齢妊婦の場合、まず一番最初に予約を取らされるのは「遺伝子学」のドクターです。
夫婦それぞれの家系に遺伝病はあるかないか、などの質問からはじまり、それからじっくりと各検査についての説明があり、その後、もし、それらの検査で異常があった場合でも産む、という前提でダウン症児についてとても前向きな説明がありました。
ダウン症の子供の笑顔の写真が載った親の会、親の精神サポートラインなどのパンフレットをもらい帰されましたが、日本で妊娠した場合、こういう説明を受ける機会というのはあるのだろうか?と皆さんの羊水検査に関する投稿を読んでずっと疑問に思っていました。
ちなみに私の住んでいる国では高齢妊婦の場合、羊水検査は保険でカバーされるので無料ですが、それでも検査のリスクを考えて受けない妊婦さんもけっこういるようです。
お国柄、といってしまえばそれまでですが、日本は精神的な部分のケアという事に関して非常に遅れている国なのだろう、と改めて考えさせられてしまいました。


 





   >>> 私は出産後考えが変わりました きょん   -- 2003/01/10..
 
 「羊水検査」と「命の選択」、切っても切り離せないものに思います。私も40歳初産でしたが、出生前診断に属する検査は一切受けずに出産しました。何故なら長い不妊治療の末の妊娠で、過去流産の経験もあることから、きっとこれが最後のチャンスだろう、自分たちが望んだ命どんな子供でも一生懸命育てよう、と主人とも話し合ったからです。
 結果的には特別問題の無い健常な息子を授かりましたが、妊娠中は100人に1人と言われる確率のダウン症の子供を授かる気がしてなりませんでした。しかし、たまたまダウン症の子供さんを見かけると(今思うと、私の周りではよく見かけるのです)、心から「可愛いな。天使とはよく言ったものだな」と感じていました。お腹の子供にも「どんな子でもお母さんは楽しみにまっているからね」と話しかけていました。
 しかし、いざ息子が生まれると、ダウン症のその特徴がないかを確認し、ほっとしている自分がいました。どんな子供でも、と思っていたはずの自分が偽善者のように思えた瞬間でした。
 その後、息子を連れて買い物に行ったとき、おそらくは成人されているダウン症のお子さんの手を引いて歩いている年老いたお母さんを偶然見かけました。『もしかしたら自分の将来であったかもしれない』、そう思った瞬間、言い尽くせない衝撃を感じました。帰宅して不覚にも涙があふれました。

 その日から、私は出生前診断に関して決して否定的にはなれません。年長みなみさんも私も、結局健常な子供を授かったのです。もうその時点で障害をもったお子さんをもった親の立場を理解するのは難しいのではないでしょうか。年長みなみさんが検査結果「異常無し」で結果が出る前の心の葛藤をすっかり忘れたように、人間喉元過ぎれば熱さ忘れる、なのではないでしょうか。少なくとも私は妊娠中、障害をもった子供については考えていたけれども、その子が成人した時のことなど考えてもいませんでした。実際、障害を持った子供が生まれていたとしたら、自分が受け入れることができたのか今では疑問です。こんなことを書くのは自分の器の小ささをさらけだすようで本当に恥ずかしいけれど、健常な子供を授かってこそ私に芽生えた気持ちの変化です。

 今時、血液検査(トリプルマーカー・クアトロ)ならよく理解することも無く受けてしまうことはあるでしょうが、羊水検査はその検査自体リスクもあり、費用もかかり、「命の選択」を意識せずに安直に受ける方はまずおられないと思います。もちろん、日本ではこういうことに関してのカウンセリングがまだまだ立ち遅れているのは大変問題だと思いますが。

 ここでも検査の是非がよく問われますが、検査を受けること、その後のこと、それぞれのご夫婦によってケース・バイ・ケースでいたしかたないことだと思います。