妊娠・出産・育児

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なるまん  -- 2003/01/13 ..
今日退院しました。イブの日に 「やっぱり心拍確認できない。」と言われ クリスマスに手術 
4回目の妊娠です。2回目の妊娠の時と同じパターンでした。
6週で妊娠悪阻で入院 8週で繋留流産。
悲しくてたまらない反面 羊水検査をする前でよかった!!と思う自分がいます。

前回は ダウン症と分かり あきらめました。
お腹の中で元気良く暴れていたのに 点滴で陣痛を起こしました。19週 安定期の為子宮が開かず 長く苦しい 悲しいだけの陣痛 そして初めての出産 女の子でした。
この子を妊娠する前 先生方と命について 何度も話し合いました。そして ダウン症だったらあきらめる と決めました。
羊水検査の日の夜 私はひどい下痢をしました。その為か 突然お腹の子は ポコポコ蹴り始めました。
お腹の中で元気な子どもを感じ 絶対にダウン症でも産もう と決めました。心がとても楽になり 素直にお腹の子を愛せた。
しかし 先生からダウン症の連絡を受けた時 私の頭の中は 長女の事で いっぱいでした。

長女は緊急帝王切開で生まれました。
何故か 1550gしかなく 子ども専門病院に運ばれました。
先生は何も言いませんでしたが 私はいろんな障害を想像しました。とても楽しかった。
気道確保できる車椅子で散歩したり 寝たきりでも家の中で動けるようになど 子どもの5歳・10歳など想像し 子育てを楽しみにしていました。
生後9日 先生に呼ばれました。
「お母さん 抱きますか?」
初めて娘の死を 知りました。返事は できなかった。
そして 娘は私の腕の中で 天国に行きました。
初めて娘の顔を きちんと見ました。あの愛くるしいダウンちゃんでした。そして沢山のキズがついていました。
娘は9日間 心臓の負担を減らす為 両手・両足を縛られ 沢山の器械をつけ 治療法も見つからず 死にました。

苦しみや 悲しみは比べるものではないけれど・・・
今回の流産は 羊水検査の前で良かった と思ってしまう。
次女をあきらめた事は 今も心は苦しいです。
でも 長女のように 子どもが苦しまなくて良かったと思ってしまう。
私は いつのまにか 命を比べてしまっている。
命って なんだろう。


明日なんか永遠にこなければいいと思います   娘沙羅
私にとってのダウン症   なるまん
いつか赤ちゃんを手に抱けますように・・・   しろねこ
沙羅ママさんへ   なるまん
ありがとうございました。   なるまん
とても辛いことと察します。   せな
命は一回きり?   osita
なるまんさん、   よいしょ
なるまんさん、感謝します。   娘沙羅
今は泣けるだけ泣くしかないと思います。   娘沙羅




 

   >>> 明日なんか永遠にこなければいいと思います 娘沙羅   -- 2003/01/13..
 
なるまんさん、メッセージありがとう。そして私を皆さんが心配してくださっているということを、本当にありがたく思います。そんな資格はないと思っていますが・・・。
「誰が許しても貴女は自分を許してはいけない」というコメントがありました。まさにそう思っています。産んでいればそれなりに笑ったり、喜んだりしてすごせるかもしれない命を、終わらせてしまうのですから。どんな言い訳も自分を納得させることはできません。
この娘と一緒で私は多くのことを学び、感じ、喜び、悲しみ、それなりの幸せを想像することは難しくありませんでした。世界は別の方向へ広がり、それなりに私の価値観は変わるだろうと思いました。ただ、私の責任が持てるのは、やはり小さいときだけで、成人してしまった後、どれだけ自分がこの娘の為に何かをしてあげられるのか、想像することはできませんでした。体だけ私より大きく、強くなっていつまでも子供のままの私の娘。
理解して許容してくれる人々が多いとは、どうしても思えなかった。
この娘は家庭を持つことができるのか?私たちがいなくなっても1人ぼっちにならない確証なんか、どこにもない。それどころか私たちの年齢を考えればきっとそうなってしまうだろう、と思いました。私たちが後何年、この娘と一緒に生きてやれるのか、この年齢ではそう長いとも思えません。
私の中でダウン症のこの娘は、貴女のように生まれてすぐの短い命、とイクオールではないのですが、そういう可能性もないとはいえません。
このサイトを読めば読むほど、同じような経験をした方の存在を知り、その苦しみ、哀しみはいかばかりかと想像に難くありません。
答えは2つ。
検査の結果何があっても、と決心し、心の準備をして実際に障害児を育てていらっしゃる方の心の声が聞きたいです。
幸いにも、決心をした方の中で検査の結果が悪かった方はいらっしゃらなかったように思えます。
もう1つ、ここでいただくコメントは、お腹の中の子供はまるで母親だけのものであるかのようなものがいくつかありました。
私は確かにお腹の中の子供に対する思い入れの強さには大変なギャップを感じましたが、子供には父親にも同等の権利があると思いました。私の主人の場合は、例えば子育ての大半を私が担うであろうことは予想されましたが、例え私が職を辞しても、きちんと生活していけるだけの後ろ盾を、精神的な安心感を主人の中に求めています。
私は生活に不自由していたわけではありません。自分の力で働き、小さいながらも家を持ち、定年まで働ける企業(決して生易しい会社ではなく、生き馬の目を抜くような世界ですが)に席をおいてまわりも皆私が一生独身だと思っていました。でも私は家庭が欲しかった。そして子供も欲しかったのです。子供が巣立った後も一生を寄り添っていけるような人と結婚するのが夢でした。理想は夢でしかありませんが、理解と努力を重ねれば、それなりに穏やかな幸せを築いてゆけると思い、主人と一緒になりました。今ここで主人と別れて慰謝料をもらい一人でこの娘を育てるという発想は浮かびません。貴女の言うように1人では耐えられないと思います。

お正月にこの娘のベビー服を買いに行きました。(貴女の御陰です。ありがとう。)白いベビー服がまるで死に装束そのもので涙をこらえる事ができませんでした。あんなに悲しい買い物は初めてです。そしてもう2度としたくない、と願います。
私も少しおちついたら貴女のように旅に出たいと思います。京都へでも。
たくさんのお寺を、父とこの子を思いながらまわってみたいと思います。
貴女をはじめ沢山の方々の慰めを頂きました。心から御礼を言います。

 





   >>> 私にとってのダウン症 なるまん   -- 2003/01/10..
 
しろねこさんの 「はっ」とした という文を見て やっぱり私が変わっているのかな?と 思いました。
他の掲示板でも思うことですが なぜ 障害に対してピリピリするのかな と思うことがありました。

私は幼稚園・保育園で 沢山の子ども達に係わってきました。
あえて 健常児・障害児 という言葉を使います。
健常児・障害児の間を 自然に結びつくように 子ども達を導くのが 私たち保育士の仕事のひとつです。
簡単にいえば 難しいことではありません。
ただ一部 障害児自身が お友達を受け入れる事ができない子がいます。その障害児と 健常児の間の 心の障害に悩みます。
私にとって 体・知的な事は障害だと思っていませんでした。
(実際 子育てをしていないので 本当の親の苦労を わかっていません ごめんなさい)
長女が 1550gしかない と聞いたとき 体・頭の重度障害を考えました。
これからの子育てを 想像することは とても楽しかった!!
きっと 今まで出会ってきた子ども達と 重ね合わせていたと思います。

娘が天国に言った後 初めて機械を外した 娘を見ました。
残されたキズを見たとき 自分の愚かさを知りました。
私が子育てを夢見ている間 9日間も娘は苦しんでいたのです。

弟か妹が欲しい と思うようになり 子ども病院の先生・産科の先生に相談しました。
手がなくてもいい・足がなくてもいい・生きる子が欲しい!!
期待できる答えは 誰もしてくれませんでした。
ダウン症の生きることの難しさを知りました。
今まで私が接していた障害児は 命の障害が軽い子ども達でした。(あさはかな保育士でした)
私たちの夫婦にとって ダウン症は 障害児ではなく 重い病気なのです。
子どもの病気と闘っていく強さが無く 次女をあきらめました。

もう一度だけ・もう一回がんばろう と前に進んで来ましたが ちょっと心が 悩みすぎたみたいです。
しばらく心を休ませたいと思います。主人が賛成してくれたので 一人旅に出ようと思います。
美術館・遺跡めぐりなど 自分らしくない事をしてみようと思います。
人間として大事なものを 取り戻せたらいいな。
ありがとうございました。

沙羅ママさんへ・・・このメッセージが届くことを祈ってます。
私は 貴女の味方です。きっと よいしょさん・oisoさん・せなさん・しろねこさんも 皆いろんな事をせおいながら 貴女の味方だと 思います。
会えなくても 貴女の事を思っている人がいることを 忘れないでください。
私も 自分の事を思ってくれる人がいるから がんばれると思います。


 





   >>> いつか赤ちゃんを手に抱けますように・・・ しろねこ   -- 2002/12/31..
 
なるまんさんの投稿を読み、とても衝撃を受けました。どんなに辛い気持ちでいままですごされてきたのか、と思い、私自身も涙が出て仕方ありません。
最初に読んで一番「はっ」としたのは、”私はいろいろな障害を想像しました。とても楽しかった”という部分でした。読み間違いではありませんでした。他の方へのレスなども読み合わせて、なるまんさんの、子供と一緒に生きていきたい、という強い思いを知りました。
自分は、もし子供が羊水検査で陽性とでたら、あきらめると思います。そして、その時点で子供を持つこと自体をあきらめるでしょう。自分ではそれは神の領域に踏み込んだことへの身勝手さから、もうそんなことはできない、という気持ちからだと思っていましたが、本当は命をあずかることの重さから逃げたい、自分が辛い思いを繰り返すのは嫌だ、という自分勝手なものなのかもしれないと思い知りました。
障害を持つ子供だからあきらめる、のではないのだ。一緒に生きていく存在を強く願っているのだ、というなるまんさんのお気持ちが強く私のこころに残りました。
いつの日か、なるまんさんが赤ちゃんを腕に抱ける日が来ることを心から祈っています。
 





   >>> 沙羅ママさんへ なるまん   -- 2002/12/31..
 
いろんな方の意見を見ると 心が苦しくなります。
大丈夫、この子は生きるよ・・と言われたらどんなに嬉しいでしょう。
障害児だから あきらめる・・心がそう思えたらどんなに楽でしょう。
ご主人が医師ではなかったら・・・娘が生きていたら・・・こんなに苦しむ事はなかったと思います。
命の重たさを知っているから 苦しむんですよね。

貴女は私の事を 強くて大きいと言いましたが、私ではなく主人が強くて大きい人間だから 貴女はそう感じたと思います。
義父が亡くなり 長女 流産・・・いろんなことがありました。
私はいつも大泣きをし 感情的になっていましたが 主人がいたから私は頑張ってくることが出来ました。
次女を妊娠している時 私は産みたい!産みたい!!とずっと叫んでいました。
先生から「ダウン症です。」と言われた時 私はどうしてよいのか分からなかった。
産みたいと思う反面 長女の死んだ時のことが混ざり 気がおかしくなっていました。
主人はとても冷静でした。先生ときちんと話をし 私は入院しました。
あの時の主人は 他人から見たら冷酷人間に見えたと思います。
もしかしたら 私より主人のほうが辛かったのかも知れません。
主人は感情を言葉ではいいませんが 感じることは何度もありました。
私が今まで前向きに頑張っていられたのは 主人のおかげです。

沙羅ママさんのご主人が どんな方なのか私にはわかりませんが
もし 私と同じ選択をしたときは 2人で沙羅ちゃんを迎えてあげて下さい。
そして 2人で沙羅ちゃんを おじいちゃんの所に送ってあげてください。
どうか一人で頑張らないで 夫婦で前に進んで欲しい!!

 





   >>> ありがとうございました。 なるまん   -- 2002/12/31..
 
長女が死んでしまった時 知人が「なるまんには育てられないと思い お母さんが連れて行ったんだよ。」と言いました。私はこの言葉に救われた。
器械につながれて苦しむより 天国で走り回って おじいちゃんやおばあちゃん達と暮らす方が 娘は幸せに思いす。
気がついたら 4人も孫を送っていました。今ごろ3人で四苦八苦して 孫のめんどうを見てくれていると思います。

よいしょさんへ・・・・ごめんなさい
心の傷 という貴女の言葉が悲しくて きつい事を言ってしまいました。ごめんなさい。
貴女が自分の気持ちを いろんな方に伝えているのを見るたび 頑張ろうね・・と思ってきました。
やっと私達夫婦の身体を調べてくれる大学病院が見つかりました。まだ研究段階で何処まで調べてもらえるのか分かりませんが、結果によっては 妊娠あきらめます。
本音を言うと 長女が死んだ時もう妊娠はしたくない と思いました。主人に励まされ もう一度頑張ろう!  もう一度だけ頑張ろう!!と繰り返してきました。
検査の結果によっては 養子を考えていきたいと思います。
検査の結果がでるまで 心を休ませようと思います。
きつい事を言ってしまい ごめんなさい。そして ありがとう!

ositaさん・せなさんへ・・・・ありがとう
めまいと・吐き気 妊娠するたびに 寝たきりになります。
ふと気づくといつも 長女の死んだ時の事・次女を生んだときの事ばかり 思い出していました。
せなさんも 同じ気持ちなんだろうな・・と思いながら入院していました。
私は気晴らしに テレビをラジオのようにずっと聞いていました。
その時 大好きな子ども番組で 100%勇気 が流れました。
私はこの歌が大好きで いつも保育園の子ども達と歌っていました。病院で不安な気持ちになる度 ひたすらこの歌い 不安な気持を吹き飛ばしていました。
ositaさんとせなさん 私は長女と次女の事ばかり考え この子と歌を歌っていた事を忘れていました。
100%勇気 もう頑張るしかないさ!!この歌をうたい続けて行きたいと思います。
うまく説明できないのですが・・・ositaさんからのレスを読んだとき 私は何か大事な事を忘れているような気がしました。何度読んでも それが何か分かりません。せなさんからのレスを読んだあとも 何かすっきりしない 私は心に忘れ物をしているような気がしました。
ただ漠然と感じるだけで うまく説明できませんが 
私は人間としてとても大事な事を忘れているように思います。
これからゆっくり忘れ物を捜していきたいと思います。
ありがとうございました。


 





   >>> とても辛いことと察します。 せな   -- 2002/12/30..
 
なるまんさん、何回もこの投稿を読みました。
とても辛いことと察します。

ご存知のように私も妊娠するたびに悲しいことばかり起きました。
妊娠したからといって、生命が誕生するわけではないと
知っています。
ならば、どうして宿るのか……生まれない命がどうして
宿るのか、誰もその疑問に答えてくれません。
生あるすべてのものが命を宿し、育んでいるのに
なぜ、私にはそれができないのか……と、尽きることのない
疑問を繰り返します。

今回、妊娠したとわかった時も、死産になる位なら
流産で終わって欲しいと願いました。どちらも同じ命に
変わりはないということが頭でわかっていても、やっぱり
どこかで比較してしまいました。

上手い言葉が見つかりませんが、すべてがきっと何か意味の
あることなんだと思います。命ということ、生きるということ
を考えることだけでも意味があるのかもしれません。
いつか私の生が終わるその時に、私は失った子供たちに
会えると思ってます。今度こそ抱きしめて離さないと。
いなくなってしまってから、体験したことや色んなことを
話してあげるためにも、今日を生きているような気がします。
 





   >>> 命は一回きり? osita   -- 2002/12/29..
 
3ヶ月前に、3度目の妊娠でやっと生れてきてくれた娘がおります。不育症と子宮筋腫のため、流産の可能性大、30週までもったとしても600g程度の超未熟児で出産の可能性大と言われ、自宅安静、薬を服用しながらの36週間、何時でも心拍が停止してしまうか、発育不良で死んでしまう可能性がある、不安な毎日を過ごしました。2つの魂を8週ごろに送り出してしまった後の、その妊娠中、いつも考えていたのは、一日でも長く生きていてくれれば、前の日よりも少し多くの愛情を持たせて送り出してあげられる、それはきっと「この子」の次の人生で、何らかの助けになってくれるだろう、ということでした。もし命が1回きりで無いとしたらですが。
2回の流産、辛かったけど、逝ってしまった「あの子達」が、私にいろんなことを考えるきっかけを作ってくれたと感謝しています。娘は私の娘ではありますが、同時に大切な預かりものでもあります。この子の「この人生」がこの子にとって最大限に有意義なものになるように、私はお手伝いを言い渡されたのだと、日々愛おしさが増すにつれ感じております。
機械に繋がれて、たった9日間で旅立ってしまわれた、なるまんさんの長女さん、身体は辛かっただろうけど、いろいろと楽しい思いを巡らせていたなるまんさんの愛情をたっぷり受けとって、逝かれたと思います。次女さんはお姉ちゃんの苦しみを見たお母さんの、辛い思いをさせたくないという愛情をもらって旅立ったのだと・・。
娘沙羅さん、辛いお気持ちをお察しいたします。私の娘、もし超未熟児で生れていたら、いろいろな障害が残る可能性も有りました。機械に繋がれたまま、死んでしまう可能性もありました。想像するだけでも辛くて、かわいそうで、身のすくむ思いでした。そんな中、私は「この子にとって一番良いことは、一日でも長く生きて、私と家族の愛情を少しでも多く受け取ってもらうこと。」と考えて、気持ちを立て直しておりました。
まとまりがつかなくて、申し訳ありません。思いを書かせて頂きました。私は工学部出身ですが、命を考える時、科学や医学ではカバーしきれない何かを感じますし、逆に医学や科学を専門にされているご主人のような方の思考パターンも想像できます。でも一番大切なのは、お母様である貴方のお気持ちと覚悟だと思います。相談された方がおっしゃったように、産みたいという気持ちは母親の「情」だとしたら、その「情」はどこから沸き上がって来るのでしょうか?ご自分に正直に、お腹の赤ちゃんが、貴方に何を問いかけているのか、よくよくお考えになって、後悔のない決断をされますようにお祈りしております。

 





   >>> なるまんさん、 よいしょ   -- 2002/12/28..
 
なるまんさん、
何と申し上げてよいのかわかりませんが、お辛かったでしょうね。
以前私の投稿に返信いただいたことのある“よいしょ”です。あの時、あたなが私に後悔しているのですか?と問い掛けてくださいましたね。あなたはご自身の判断を後悔していないと。私も自分の下した判断を後悔しているのかと言われると、後悔でしているのではありませんでした。だけど、いつまでも心に重くのしかかる一生の決断だったのだと思っています。お子さんが欲しいと思われる強い思いと勇気に、私は感動していました。あんまりうまく表現できないのですが、力強いメッセージが伝わってきたような気がします。今回、独り言のように、命って何だろうと書いていらっしゃいますが、また同じような経験を繰り返す事になり、心がしぼんでしまっているんではないかと心配です。自分で下した赤ちゃんへの判断も自然(神様?)が決めた赤ちゃんたちへの命の長さも、同じように母親には苦しみとなって残るのかもしれません。
雅子様が愛子様を生まれた時に、生まれてきてくれてありがとう。とおっしゃっていましたが、私達(一緒にしてしまっては気をわるくされるかもしれませんが)にそういえる日は来るんでしょうか?うちの母は、妊娠する幸せを運んできてくれた赤ちゃんにありがとうと思いなさい。と言っていましたが、ありがとうをいくら言っても戻ってくる命ではないのですよね。でも、どんなに短い命でも、授かった事の意味はあるんだと思っています。6ヶ月足らずの命の娘でしたが、いろんな事を教えてくれたと思っています。私は娘がお骨になる前に会っておいてよかったと思っています。

娘沙羅さんの投稿も見させていただきました。本当にみなさん様々な考えがあって、ますます私は自分と夫が決めるしかないことなんだなぁと確信しました。いろんな人の意見は貴重ですが、決めたことの責任を取るのは自分です。

私は少しづつ立ち直りつつあります。なるまんさん、うまく伝わるかどうかわかりませんが、あなたが返信で私を勇気付けてくれたように、私もこの場を借りてあなたを元気づけられたらと思います。娘たちのことは何度も何度も思い出しましょう。他の誰が忘れても、私たちは私たちの赤ちゃんを大切に心の中で思い続けましょう。それぞれを思うことは比べている事とは違うと思いますよ。
お体大切に。

 





   >>> なるまんさん、感謝します。 娘沙羅   -- 2002/12/27..
 
私がここにメッセ‐ジを載せる少し前に、貴女が私の問題に発言してくださっていたようです。書き始める前はなかったメッセージを夜、確認しました。本当に本当に有難うございます。
貴女の投稿を読みながら、本当に泣けて泣けて、送り出してやるときにはそうだった、Baby服もいる、おもちゃや写真も入れてあげなくちゃいけない、と思い当たり、自分のことばかりで一杯になって、ちっとも気がつきませんでした。
母も数々の友人も(1人は障害児を育てています)答えは皆同じでした。
「あなたの産みたい気持ちはわかるけれども、それは母親としての情に立っているであって、産んでも産まなくても結局は後悔する。この子を産まなければ良かった、と絶対に思うことが2度や3度はある、夫婦の間もうまくいかなくなると思う。この時期にわかったと言うことが運命なのだと思うよ。」「治療には子供は泣いて泣いて、親として見ていられないよ。それでも助かればいいけれど、そうでなかったら、どうして産んでしまったんだろう、と思うよ。」といわれました。
まだ何も決めていません。でも泣いているしかできないような気がしています。
先にも書いたようにどちらにしても私の決断。主人の反対は私の心の一方で、決して一方的に攻められるようなものではありません。
父の看病をしたことも全く後悔していない。後悔しているのは、その間全く気遣っても愛してもやらなかったこと。
主人は「後5年早く知り合っていればね。何にしてもストレスが強すぎた。」といいます。
本当に何なのかわかりません。けれど、こんな親のところに生まれさえしなければ、とあわれではあります。
ただ、産んでやって幸せだったかどうかはわからない。
産まない、ということで苦しみの少ない人生かもしれないと、貴女の例をみて思います。私の逃げかもしれないけれど。
生まない選択をとった貴女を強いと思うし、間違っているとは思いません。
人生は時としてとても重く、辛いものですね。
貴女の人生に幸多かれとねがいます。本当に有難うございました。
 





   >>> 今は泣けるだけ泣くしかないと思います。 娘沙羅   -- 2002/12/26..
 
ここに投稿してから、過去の投稿を読む内、貴女の寄稿も幾つか拝見していました。
数日前から“沙羅・娘沙羅”のハンドルネームで投稿しています。
この貴女の問いかけが私に対するメッセージのようで、お話したくなりました。
私よりもずっと、辛い辛い想いをしていらっしゃいますね。

私がティーンエイジャーの頃母が「望まない子供ができたとしたらどうする?例えば過ちだったりレイプされたりとかで妊娠してしまったとしたら?」と聞かれ、即座に「堕ろす。まだ子供にもその将来にも責任が持てないから。」と答え、母は複雑な顔をしていました。思えば何もわからぬ、子供でした。
そして今、その選択を迫られる状況の中、善し悪しの判断も何もわからぬまま、貴女と同じように「命」の重さについて、わからない答えを模索しています。現実となったら、そんなに簡単に堕ろす、なんていえませんのにね。
私の投稿については気分を害した人たちも多くいらっしゃるようで、「ここで聞くようなことではない、ただ聞いて欲しいだけなのか」とか「甘ったれている」等など、批判も数多くありました。
何一つうそではないのですが・・・。

私のお腹の子もダウン症との診断です。
「100の細胞のうち92がトリソミー、完全なダウン症です。重いと言っていいと思います。」といわれました。
「心臓や内臓についての疾患も重いのでしょうか?」と私。
「この検査ではわかりませんが、可能性はあります。お望みなら手術の後に解剖して調べることもできますよ」

主人は
「生まれてきても機械につながれ、辛い苦しい想いばかりして死なせてしまうかもしれない。一生起き上がれないかもしれない。産んではいけない。」といいました。
私もそれは恐ろしい。丁度貴女の最初のお子さんのように、です。そして私たちより長く、頼るものもなくなった後、1人生き残る我が子を思うのも恐ろしい。
「例えダウン症でも親がなくなった後もたくましく生きるように育てればいい」という人もいて、「現実に我が子の問題として直面した時に、本当にこの人はそうすることができると思えるんだろうか」と疑問が起こります。

そういった数々の発言からみれば、貴女や障害児を持ったお母さんの発言は一言一言が重く、現実的で胸に響きます。貴女は悲しみや苦しみに直面し、逃げず(実際逃げられませんけど)乗り越えて、それだからこその強さを感じます。でもとてもとても辛いでしょう。苦しいでしょう。
その悲しみ、苦しみを4度も。私には到底できるとは思えない。
貴女は本当に強く大きな人ですね。
私の中では、たとえダウン症でも産んで一緒に育ててやりたい気持ちが半分、やはり無理だと思う気持ちが半分。主人の反対は私の心の半分なので貴方さえいいといってくれたら・・・とはせめられません。
今の私にはなんと言って慰めてあげればいいか言葉もありません。
でも、2人目のお子さんの時のように命の選択をしなくて良かった分だけ良かったかも知れません。例え結果は同じ、「命」を失うと言うことだったとしても。
貴女のお子さん方が安らかでありますように。そしていつか貴女に健やかな赤ちゃんが恵まれますように。心からお祈りいたします。