生まれたばかりの赤ちゃん
生まれたばかりの赤ちゃんは、目も見えない、耳も聞こえない、まるでゴム人形みたいな人間のなりそこない、なんかじゃない。目は30センチくらいには焦点が合わせられるし、耳はおなかの中にいるときから聞こえている。鼻だって、いろいろな匂いが嗅ぎわけられる。赤ちゃんは、不完全な大人やできそこないの子どもではなくて、ちゃんとした人権を持つ、れっきとした人間なのだ。
昔は、生まれたばかりの赤ちゃんは何もわからない、成長しても当時のことは覚えていない、ということで、出産のとき、あるいは誕生直後の赤ちゃんの心地よさなどは、誰も気にも止めなかった。でも、今では、赤ちゃんがかなり敏感な感覚を持って生まれてくることがわかっている。それこそ昔は、赤ちゃんが生まれて少し元気がなかったりすると、医師や助産婦は赤ちゃんの両足を持って逆さにして、お尻をたたいたりした。それで、赤ちゃんが泣き叫ぶと「元気でよかった」とか言った。でも、これは赤ちゃんが恐怖で泣いているため。だから、今ではWHOが、生まれたばかりの赤ちゃんを逆さにしないように勧告を出している。
よ〜く、物がわかっている、ひとりの人間として人格を持って生まれてくる赤ちゃんなのだから、誕生のときにも、そのように扱われなければならない。まず、陣痛をおこすのは赤ちゃんなのだ。赤ちゃんは自分で生まれてくる日を決める。それを、陣痛誘発剤などを使って早めたり、コントロールをするのは、赤ちゃんにとってはめいわくな話だ。
陣痛が始まってからの陣痛促進剤など、薬物の投与も、赤ちゃんにとっては望ましいものとは言えない。陣痛を早めなければ危険な状態であるような緊急、あるいは病的な場合を除いて、赤ちゃんにも薬剤の影響はいくということをしっかり頭に入れておく必要がある。妊娠中に、できるだけ飲まないように注意してきた薬剤。お産のときも赤ちゃんに影響する。
生まれるということは、赤ちゃんにとってはそれこそ、コペルニクス的、転変地位なのだ。今まで、母親の子宮という暗くて暖かいところしか知らなかった赤ちゃんが、陣痛によって押し出されながら、たいへんな思いをして出てくる。赤ちゃんにとっても、出産は命がけなのだ。そして、苦労して出てみると、今までからだを支えていてくれた子宮の壁が消え、空気が突然鼻から入ってくる。今まで、栄養をとったり排便をしていたへその緒が、突如切断され、母親から切離されてしまう。
あ〜! なんという転変地位!
そんな赤ちゃんを、放っておいては、あまりにもかわいそう。今まで、いっしょだったお母さんから離してしまうのは、あまりに残酷物語だ。赤ちゃんには、母親の温もりがこのときこそ必要だ。生まれたら、抱き上げ、互いに見つめあって「やあ!」あるいは「こんにちわ!」と言おう。そして、へその緒が切れて、ひと段落ついたら、分娩台の上(べつにどこでも構わないが)で、おっぱいをふくませよう。
ふつうおっぱいは、出産直後にはまだ出ない。でも、このときおっぱいを含ませるのは、母乳を飲ませるためでなく、子宮に刺激を送るためだ。大きい赤ちゃんなら、パクッと吸いつく。赤ちゃんには、乳首に吸いつく本能が備わっている。これは、すごい!
あまりじょうずに吸えない子もいるけど、そんなときは助産婦が助けてくれる。
赤ちゃんのためにも、生まれてくる環境、すなわち分娩室の環境が大切になってくる。