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お産の民族学(日本)

世界のお産

文/きくちさかえ 掲載:1996年 更新:1998年 1999年

 日本は、第二次世界大戦に負けたおかげで、出産に関してアメリカの影響を戦後、もろに受けてきた歴史がある。戦後、GHQが入って憲法をつくったように、お産もまた、アメリカ方式を学ぶようにとされ、日本の伝統的産婆術は、戦後大きく変わってきた。

 それまで、自宅で助産婦を呼んで出産してきた「日本のかつてのお産」は、1960年に自宅と施設の割合が半々になり、その後、急激に医療施設へと移っていく。これはGHQによって「出産はすべて施設で行われるのが望ましい」というお達しが出されたのと、医学そのものが西洋、とくにアメリカの影響を大きく受けていたからだ。

 西欧社会でも、ずっと古くはお産はみんな自宅で行われてきた。
 西洋産科学の歴史は、男性医師たちがつくり上げた歴史である。彼らがお産の部屋にまがまがしくも入るようになったのは、魔女狩りが終わりをつげたあたりからだ。
イギリスでは、16世紀半ばに産婆の登録制度ができ、その百年後には男性助産夫と呼ばれる人々が裕福な層の難産の処置に当たるようになっていた。“裕福な層”というのが、キーワードだ。ここで、出産介助にはっきりとした金が動いたのである。
 中世ではヨーロッパ全土に魔女狩りが広まって、多くの産婆が拷問を受けたとはいえ、一般的には女性たちが出産を互いに援助していたのは変わりはなかった。むしろ、それまで産室は、男子禁制だったのだ。産婆が登録制になっても、多くの産婆やヒーラーたちは、無許可でお産を介助していたにちがいない。
 そこへ男性たちが登場したのは、「棺桶に片足をつっこむような行為」だったお産を少しでも科学的に援助したいというやさしい心づかいと、そこに経済的将来性を見い出したからなのだろう。
 初めのうち、外科兼床屋(刃物をもって人を扱うという意味だろう)という肩書きで産室に入っていた男性助産夫は、産婆がお手上げ状態の難産に呼ばれ、外科としての事後処理班のような仕事をしていたが、そのうちもっと科学的、合理的にことを運べないものかと工夫をこらすようになる。世の中、やはり熱心な人というのはいるものだ。
 鳴り物入りで登場したのが、難産のときに使う道具である。17世紀後半に、ロンドンのチェンバレン一家が鉗子を考案したのだ 。字のごとくそれは、金属性のサラダサーバーのようなはさみである。それを産道に入れて、胎児の頭をはさんで引き出した。実際、この発明によってそれまで産道をどうしても出てこれなかった赤ちゃんは、助かるようになった。

 1663年に、フランスでルイ14世が愛人の出産に男性助産夫を呼んだ、という話が広まるや、しだいに貴族や金持ちの女性たちにとって男性助産夫を出産に呼ぶことがトレンドとなっていくのである。女性はいつも、トレンドに弱い。この話でもうひとつ有名なのは、ここでこの男性助産夫が産婦を台に乗せて仰向けにしたことだ。そのほうが、体験的な出産介助をしてこなかった男性にとってはやりやすかったのだろう。
 18世紀になると鉗子が広まって、それを使うために、いよいよ女性は仰向けの姿勢を強いられるようになる。それまで伝統的に使われていた分娩椅子は姿を消し、「そんな古くさい椅子より、ベッドのほうがいいじゃないですか」とかなんとか言われて、女たちもついその気になってしまったのだ。しかし、当時はまだ、ヨーロッパでも全体の1〜1.5%の女性が出産で命を落としていた時代だから、鉗子という利器をもった男性は、裕福な女性たちには福音としてもてはやされていたのだろう。
 18世紀も終わりに近ずくと、男性助産夫たちはいよいよ解剖学や分娩の専門知識で理論武装して、助産婦たちからその職を奪いとろうとやっきになっていった。
「だれが、出産をとり仕切るのか?」
 有史以前から、お産は女性たちの園だったのに、そこへ男性が踏み込んできたのだ。彼らは医療機具を独占し 、医学知識やら、社会的地位などで、助産婦たちを圧倒しようとした。当時は、女性そのものが社会的地位を格段に落とされていた時代だったから、女性たちは医学を学ぶ道も閉ざされて、次第に助産においても男性は女性より優位な立場を獲得していく。これは、実に政治的な戦略だったのだ。
 その後、お産の歴史は、男性による産科学の歴史に塗変えられていく。

 1848年、アメリカではアメリカ医学協会が設立され、医師たちは全国的に組織されて、医学の専門職としてその地位を固めていった。
 そんな時代に、画期的な発明が訪れる。1847年、イギリスでクロロホルムとエーテルが産科に使われたのである。このふたつは麻酔剤として、その後長年に渡って使われていく。助産婦たちは医学的知識がないということで、麻酔や器械を使うことを禁じられ、きらびやかに発展する産科学の世界から、だんだんと陰が薄くなってしまうのだ。
 おもしろいことに、クロロホルムの導入にあたっては、いわく話がついてくる。麻酔剤の使用に抵抗したのは女性より、むしろ男性の医師だったというのだ。
「聖書では、イブの原罪によって女性は産みの苦しみから逃れられないとあるのに、そんな産痛を科学の力でとってしまっていいものでありましょうか?」
 一方、もっと科学的に麻酔剤に対して危惧を抱いていた医師も存在した。
「自然な出産に薬を使う理由などありえない。効果は疑わしく、その作用はしばしば有害であります」
 この150年ほど前に語られた意見は、今もそのまま使える。いわく、女性が痛みに無感覚になり、陣痛が有効に働かない状態では鉗子やその他の医療処置を施す可能性が増え、女性のからだが傷つきやすくなるのだ。
 しかし、そんな声とは裏腹に麻酔は人気のまととなっていく。その理由は当の女性たちが望んだからという意見もあり、また、薬を使うと医師が儲かったという可能性もあるし、騒ぐ女性を相手にするより、男性の医師も扱いやすくて便利だったということも十分考えられる。たぶん彼らは、金持ちの女性相手の、フェミニストの仮面をかぶった商魂たくましい科学者だったのだろう。
 この当時、地域の病院での出産はだれの目から見ても、安全ではなかった。自宅出産より母子の死亡率が高かったのである。病院では、たくさんの女性が産褥熱で死んでいた。医師や医学生たちの手から病原菌が感染したのだ。だから、病院での出産はむしろ貧乏人のためのものと考えられていた。
 驚くべき発明は次々続く。こんどは消毒液の登場だ。そのおかげで医療者たちは、1870年代にやっと、消毒液で手を洗うことが感染の予防に有効であることを知ったのだ。 消毒液と麻酔の発見は、帝王切開を可能にした。これは産科に外科的な技術を盛りこんだこととして、超画期的なことだった。難産のとき、胎児はだめでも、とにかく母親の命だけでも助けようとやっきになっていた医師たちに、母親、胎児ともに救うことができる道を開けてくれたのである。
 さあ、だんだん男性の医師たちは勢いづいてくる。ドイツでは、新しい麻酔剤、モルヒネとスコポラミンが導入され、イギリスでは陣痛促進剤の前進、子宮刺激剤が使われだす。しかし、そうは言っても、どこの国でも田舎では助産婦たちが、相変わらず自宅で出産を介助していた。難産のときには、医師が呼ばれ、鉗子はもちろん帝王切開も自宅で行っていたが、少なからず失敗していた。

 1920〜30年代になると、病院と自宅の感染の危険性はほぼ同じと言われるようになり、いよいよドイツで「帝王切開ができるように、産婦は病院で出産することが望ましい」というお達しが出る。
 アメリカでは、この頃から都市部では病院出産が一般化して、ルチーン処置がどんどん導入されるようになっていた。会陰切開、剃毛、仰向けよりもっと恥ずかしい両足をあぶみに上げた砕石位での出産姿勢の固定、などなど。
 医師たちからは、すでに「麻酔を使わないと商売、上がったりだ」という発言も登場。産科医学は女性のからだを、パーツが合わさった機械も同然とみなしていた。そこには、子宮、腸、胃、おっぱいという部品がただあるだけで、血は流れてはいるが、感情や心は存在することすら無視されていたのだ。
 病院はあたかも車の生産工場ならぬ、赤ちゃん生産工場のようになっていった。車体がらエンジンをとり出すように胎児をとり出し、そのとき女性は悲鳴を上げられないように、しっかり麻酔をほどこされていたのだ。とき、あたかも大量生産、大量消費が始まっていたアメリカは、経済成長の真っただ中。ちょうどチャップリンの『モダン・タイムス』の頃だから、「人間もロボットのように生産され、未来的でいいかも」とけっこう喜んでいた人もいたのかもしれない。

 女性たちは、産後の感染の危険性も少なくなって、お産で死ぬという最悪の事態からはまぬがれるようになった。さらに産痛からも解放されていた。だからこそ、男性医師たちは、それが一番いい方法であることを疑いもしなかったし、女性たちもまた、科学的な出産は死と陣痛の恐怖をとり去ってくれるという神話に浸ってしまったのだ。
 そして、1950年頃までには、病院が唯一の出産の場であるかのように、人々は信じこまされていった。女性たちは病院で産科医によって管理され、自分のからだより医学を信じるようになってしまったのである。それによって、さらに自分のからだへの自信を失い、女性のもっていた互いに援助したり分けあうといった本来の知恵も失われてしまった。

きくちさかえ著/『イブの出産、アダムの誕生』農文協より
文/きくちさかえ 掲載:1996年 更新:1999年



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