Nさん 2年間の治療の末に妊娠
実は、アメリカでの不妊治療の費用は、日本より2〜10倍も高い。医療費そのものが非常に高いアメリカでは、不妊治療は保険がきかないことも多く、その場合、患者の経済的負担はそうとうな額になる。
Nさんは、おしゃれなブルックリンの中心街に住むアーティスト。これまで世界各地で、作品を発表し、忙しい毎日を送ってきた。夫もミュージシャンのアーティストカップルだ。結婚生活は長いけれど、互いに好きな仕事をやってきたので、40才を目前にするまで、子どもをもつことは真剣に考えていなかったという。
Nさんが子どもをほしいと思ったきっかけは、自然妊娠をして流産したことだった。そのとき37才。その後、2年間、自然に妊娠することがなかったので治療を受けることに。そのとき、すでに40才になっていた。
検査の結果は、ふたりともとくに異常なし。しかし年齢を考えて、医師はクロミドの排卵誘発剤をつかった人工授精をすすめた。
人工授精の1回の料金は600ドル。別に薬代がかかる。受診のための通院は生理の3日目からはじまる。そのときの血液検査で、薬の量が決められ、その後は卵の成長とホルモンの状態を見ながら、人工授精のタイミングを計る。1回の周期に受診するのは最低でも4回、多いときには6〜7回ということも。そのたびに血液検査や、モニターなどの検査で250ドルほどかかる。クロミッド+人工授精を3回行ない、4回目は薬をゴーナルエフに代えた。ゴーナルエフという薬は1本分60ドル。それを毎日2本、自宅で注射した。
病院は365日間休むことなく、毎朝7時から9時まで血液検査と超音波での診察を行っている。ニューヨークの忙しいキャリアウーマンのために、仕事前にほとんど待たずに受診できるシステムがつくられているのだ。さらに検査結果が昼頃、電話で報告され、どのくらいの量の薬をどのように打つのかを細かく指示される。
注射は自分で、太ももか、おなかに打つ。1度、どうしても出先で注射をしなければならず、レストランのトイレで注射したときは、ドラッグでも打っているようなコソコソした気分になったという。
薬が合わなかったのか、体調が悪くなり、生理も遅れてしまったので、しばらく治療を中断。仕事に専念することに。その間、海外への出張もこなした。
5回目、ゴーナルエフを倍量に増やし人工授精。でも失敗。
6回目、体外受精に切り替えた。ゴーナルエフにREPRONEXという薬を加え、注射を打つ時間も指示された。
6個の卵を採取したが、そのうちの1つは受精せず、1つは奇形、残りの4つを3日間培養して一度に戻した。有効な受精卵が数多く採取できた場合には、凍結保存することも可能だ。
卵をとり出してから、妊娠確認の超音波検査のときまで、LUPRONという薬をおしりに毎日一か月近く打った。これはドロッとした液状で、簡単に打てないうえにかなり痛くて、ストレスフル。この注射は夫の担当だったが、夫がいないときは友だちに手伝ってもらったことも。
「これでだめなら、あきらめようと思いました。授精卵を凍結する意志はありませんでした。治療費は保険がきかず、経済的な問題は大きい。治療中、ナースからカウンセリングを受けるようにすすめられましたが、受けませんでした。ストレスは感じてはいたけれど、仕事を続けていたから、どうにか続けることができたんだと思います」
体外受精後、血液検査をした。
「朝、血液検査に行って、昼2時頃までに結果が出るという。帰ってからもドキドキしていました。11時頃早くも電話。陽性の反応だったと聞いたときは、夫とふたりで涙を流して、抱き合って喜びました。はじめて超音波で小さな心臓の鼓動を見たときは感動しましたね。写真をもらって、それが卒業証書のように感じられた」
結婚13年目の快挙だった。
「今振り返ってみると、私の年令では体外受精でも成功率は20%以下だったのに、よく一度のトライで妊娠できたものだと思います。これが最後のチャンスと、たくさんの人に祈ってもらい、私たちも必死でした。そんな思いが天に通じたのでしょうか? 医療の力だけではないような気がしています。大変でしたけど、夫婦がいっしょにやっていこうという気持ちになったときに、赤ちゃんがやってきた。そんないいタイミングにできたと思っています」
取材:きくちさかえ(2002年12月)