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お産の民族学

お産の民族学(日本)

文/きくちさかえ 掲載:1996年 更新:1998年 1999年 2006年

 今でこそ「お産は病院で」があたりまえのように語られているが、その昔(と言っても1950年代まで)、女たちは自宅で出産していた。
そのもっと昔(明治時代くらいまで)は、自宅の外に産小屋が設けられていて、そこで出産する習慣があった。

 産小屋は、全国各地に見られたが、その多くが海辺や村と村の境、あるいは神社のそばに建てられていたと言われる。小屋はそまつなもので、窓もない薄暗い小さなものだったようだ。その小屋は、お産だけでなく、月経中の女たちにも使われていた。
 産小屋が建てられた意味は、いろいろと推測されている。ひとつは、お産が不浄なものと考えられていたために、不浄感が家や家族にうつらないように自宅の外にお産を隔離したという説。もうひとつは、赤ちゃんの魂がソトの世界からくると信じられていたために、ソトからくる赤ちゃんの魂を迎え入れる場として海辺や村の境に建てたという説だ。

 昔は生まれたばかりの赤ちゃんの死亡率が高く、その原因がわからなかったため、人々は赤ちゃんの魂を“もののけ”が奪いにくるからだと信じていた。“もののけ”というのは、邪気のようなもので、その“もののけ”から赤ちゃんを守るために、自宅から遠い、川を渡った村のはずれや、神社のそばの小屋に産婦を隠したという説もある。

 不浄説が広く行き渡ってしまったために、昔の女性はまるで監獄のような産小屋に入れられていたとイメージする人が多いけれど、実際は、産小屋は女たちにとってむしろ憩の場だったのではないかと考えられる。昔は、労働の日々だったから、女も男も子どもも老人も、家にいたら働かなくてはならない。でも、産小屋には女だけが集まるコミュニティーがあったはずだ。そこで女たちは、月経中やお産、産後を過ごすことによって、からだを休め、先輩の女たちから性の伝承を受けていたのではないだろうか。

 山形県西置賜郡小国町大宮の大宮子賜神社には、かつて産小屋がそばにあり、村の女たちはみなそこで出産していたと今も伝えられているという。

参考文献/『日本人の子産み・子育て--いま・むかし』鎌田久子ほか著/勁草書房
文/きくちさかえ 掲載:1996年 更新:1999年



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