アリゾナのシンリー病院
掲載:2003年2月
廊下にはナバホの織物
ナバホ族のナースミッドワイフ(CNM)であるウースラ・ノキ・ウィルソンさんが働く、シンリー病院。
ここは、周辺の住人も合わせて90%以上がナバホ族という町。病院で働く人々も医師や一部の事務関係者などをのぞいて、みんな地元のナバホ族の人々です。
北米大陸には多くの種族のネイティブ・アメリカンが、各地に暮らしていますが、ナバホ族はその中でも一番人口の多い種族として知られています。そのナバホ族と、ホピ族の多くが暮らしているのがアリゾナ、ニューメキシコ、コロラド、ユタの4つの州にまたがるフォーコーナーズという地域。古くからふたつの民族はこの周辺で暮らしてきましたが、合衆国の規定により、現在はこの地域がナバホ族とホピ族の居留地になっています。
ナバホ族のナースミッドワイフ(CNM)であるウースラ・ノキ・ウィルソンさんが働く、シンリー病院のあるシンリーという町を訪れました。
ここは、周辺の住人も合わせて90%以上がナバホ族という町。病院で働く人々も医師や一部の事務関係者などをのぞいて、みんな地元のナバホ族の人々です。
ウースラさんは、父親がメディスンマン、母親はレイミッドワイフ(伝統的産婆)という代々癒しを職業にしてきた筋金入りの一家に生まれました。現在は、アメリカの助産婦(CNM)の資格をもって病院や地域で、忙しく仕事をしています。
シンリー病院は、シンリーの町のはずれの小高い丘の上に建っています。改築してからまだ10年もたっていない、立派で近代的な建物。周囲はまったく何もない、まさに360度、遥か彼方の遠くまで見渡せる環境です。
健康は自然との調和から
ネイティブ・アメリカンは、文字をもたない、自然を信仰の対象としてきた人々です。世界各地に同じように、その土地に古くから住んで土地を守ってきた民族がいます。日本のアイヌ、オーストラリアのアボリジニー、ブラジルのインディオなど。こうしたネイティブの民族はどれも、文字をもつ文化の違う民族に追いやられた悲しい歴史をもっています。けれど、ネイティブが元々住んでいた土地は、自然は厳しいものの、驚くほど美しく神聖です。
ナバホの伝統的な文化では、健康はマザーアース(大地の母)とファーザースカイ(空の父)の調和によってもたらされると考えられています。健康とは、身体と社会的個人、霊性が、自然と調和されることによって生まれるものだというのです。反対に、病気はそうした全体の調和の不均衡から生じると考えられ、昔からメディシンマンの宗教的儀式や薬草などによって治療が行なわれてきました。
この地域にインディアン保健サービスがはじまったのは1955年から。そのころからしだいに、ナバホの女性たちのお産は自宅からクリニックへと、場所が移っていったようです。かなり辺境な地なので、もっと近年まで自宅出産が残っているのではないかと想像していたのですが、そこはアメリカ、50年ほど前から自宅出産はほとんどなくなっていたようです。
メディシンマンによるお産の援助
シンリー病院は、周辺の保健医療を集中して行なう総合病院です。その中の産科ユニットには、12のベッドと、陣痛・分娩室が3つあります。
分娩室は、なんの特徴もない医療機器の多い従来の部屋ですが、おもしろいのは天井からサッシュベルトと呼ばれる太いヒモが垂れ下がっていること。これは、お産でいきむときにつかまるベルトで、ナバホの伝統的技法で織られています。
分娩室にはサッシュベルト
分娩室の天井の東の印し(右上の写真)
また、病院には昔ながらのメディスンマンがスタッフとして働いています。医師と協力しながら、古来からの薬草を調合したり、死を待つ人に寄り添う役目をしているのだそうです。
お産が長引いたときにも、このメディスンマンが登場します。メディスンマンは分娩室にやってくると、まず「東に向かってお祈りをしなさい」と言うのだとか。産婦はもちろんのこと、いっしょに付き添っている家族や、医療者も東に向かってお祈りをします。なんと、分娩台は東に向けられていて、天井には「→E」という表示が印されています。東に向かって祈る歌もちゃんとあります。
さらに、メディスンマンはヒマラヤ杉やスイートグラスの葉を焚き、その場を清め、祈ります。そして、ジュニパーという松の木の一種の実でつくったビーズを身にまとうことをすすめるとか。これも産婦だけでなく、家族も医療者もみんなでやります。
そして産婦は、分娩台の上で東に向かってスクワッティング(しゃがむ)の姿勢をとり、サッシュベルトにつかまって、大地の重力の力を借りて赤ちゃんを産みだすのです。
今も生きているナバホの伝統的なお産の智恵
この病院では現在、年間650人ほどの赤ちゃんが生まれています。周辺の女性たちの98%がこのシンリー病院で出産しているとか。あとの2%は、遠い地域の人たちが間に合わなかったケース。なにしろ広大な地域で、周辺数10キロ四方に牧場などが点々としています。もちろん公共のバスはありません。産婦は自宅に車がない場合には、となり近所の車を借りたり、病院の車に迎えに来てもらったり。中には陣痛がはじまってから、ヒッチハイクで病院に向かう人もいるのだとか。
ナバホの人々の生活は、年々アメリカナイズされてはきましたが、まだ電気、水道、ガスのない地域もあります。アメリカの都会に比べると、国が違うのではないかと思われるほど。
助産婦の部屋にも伝統的な絵
ナース・ミッドワイフのウースラさんは、「ナバホの人々は、古くから与えられた特別な土地に対する責任を後世に伝えることを誇りに思っています。その大地、空、そして宇宙といった自然と調和することで、健康は保たれる。そうした伝統的な考え方を大事にしながら、先端的医療システムを利用することもまた現代の調和と言えるのかもしれません。ここでは科学と伝統的な治療法が、互いにエンパワーされているのです」と話してくれました。
ナバホのお産に関する古くからの教えは、今の産科医療の中でも十分生かせるもの。
たとえば、破水をしたら「赤ちゃん出ておいで」というチャントを口づさむ。お産が長引いてきたら、必要でない人を分娩室には入れてはいけない。リラックスのためのハーブ茶を飲む。スクワッティングの姿勢をとる。いきみのときはサッシュベルトにつかまって上体を起こして、無理にいきまず、原初的で穏やかな圧力をかりる。
今、世界各地の医療現場の中で、こうした伝統的な智恵を生かすお産のあり方が見直されています。それは、代々受け継がれてきた女性のためのあたたかい援助の智恵です。
Chinle Hospital
Chinle, ARIZONA 86503, USA Tel (928) 674-7001
特徴/ネイティブの伝統的治療法をとり入れている。メディシンマンによる祈り。
写真/文 きくちさかえ 2003.2掲載