
41歳で 今月中旬に2度目のIVFをうけます
ピルを飲んでるせいもあるのか 不安や 落ち込みが襲ってきます
1回目で妊娠 すぐ流産し その後凍結胚移植2回はかすりもしませんでした。今回、今までのようなようし 妊娠するぞ!というような前向きな心がなく 心が疲れてるようです。3月末に移植して 4月にマイナスと結果がでて すぐの IVFへむけての治療でした、 ちょっとやすみたかったけど いつも そんなんで のらりくらりとしてました。子供がすごく欲しい主人にとって その姿は 耐えられなかったようで 今回は主人の意向にそい すぐにとりかかりかした。 ぐちや 文句は言ってはいけないんですが 本当に私達夫婦に子供が授かるのかな、 授かれへんのかも!?と 悲しく わ〜っと叫びたい気持ちです。主人にそんな話したら いつかはあきらめるときがくるだろうけど 今 出来ること精一杯しよう。と 彼の言うそれは 先祖の墓参りです。(笑い)でも 大切なことですよね。 皆さん 色々な思いが出たとき 落ち込んだり悲しくおもったり どうしてますか? そして こんなんして さずかったよ。という話があれば 参考にまで教えてください。
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皆さん ありがとうございます - イルカ - 2008年05月 9日 23:38:35
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私も先祖に感謝しています。 - えんどう豆 - 2008年05月 9日 16:15:38
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ご先祖様を大切に - 綿飴 - 2008年05月 9日 02:20:09
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私はあきらめかけた時がその時でした - アネきょん - 2008年05月 7日 23:03:00


3年間の不妊治療の末2006年にICSIで息子を授かりました。
治療中はいつ抜け出せるかもわからない長いトンネルの中を歩いているようで、化学流産の度に何度も同じ場所を捻挫しているような心の疲れを感じていました。私ももちろん、タイミングから始まり、IVF、体外受精を経て、顕微授精まできましたが、顕微授精の失敗は後ろが断崖絶壁という感覚で、3度目のトライで妊娠するまでの心のしんどさは今でも昨日のことのように覚えています。
あの時私も何かにすがりたい一心で家系図を遠い親戚に連絡したりしながら、まるで取りつかれたように作っていました。そして家系図の一番下夫の名前ー私の名前を書き入れた後、先祖の名前を一人づつたどりながら、「どうかこの家系図をこのままで終わらせないで下さい。力を少しづつでよいので私の中にいれてください。」とよく願ったものでした。
ですからいまも私はこの子はご先祖様から頂いたプレゼントでもあると思っています。
またさらに家系図作りで思わぬ副産物もありました。夫の両親の先祖、自分の両親の先祖とたどっていくと、今現在6か所の故郷があることが確認でき、一昨年、去年と旅行を兼ねて墓参りにいく楽しみができました。ここにかつて自分と同じような顔をして、色々な思いを経験しながら生きていた人がいると思うと山並みひとつとっても初めてきた場所ですら懐かしく感じられます。そして人知れず、風に便りを乗せて・・・「ありがとうございます。息子が生まれました。こんなに大きく育っています・・・」

トピックを読んで思い出しましたが、私は妊娠前後(今5か月です)、若くして病死した祖母のことが気になって仕方がありませんでした。
お墓参りこそしませんでしたが、思い出しては冥福を祈っていました。
それで妊娠できたのかどうかは分かりませんが、ご先祖に感謝の心を持つと運がよくなると聞いたこともあります。
神様には大勢の人がお願い事をするのでなかなか順番が廻ってきませんが、ご先祖様なら人数が少ない分、あっという間に願いが叶ったりして?
上手くいくことをお祈りしています。

イルカさん、こんにちは。
私は5年間の治療、通算13回目の移植で40歳の時息子を出産しました。よく「ずいぶん頑張った」と言われますが、頑張ったというよりは、抜けられなくなっちゃった、と言うのが正直な感想です。
振り返ればIVFの挑戦は今から10年以上前。当時はIVFの妊娠は20パーセントくらい、今は技術も向上してもう少し数字は挙がったと思いますが、「10回やれば2回は妊娠のチャンスがあるってことだよね」なんて夫と慰めあいながら、あっさり10回目までノーヒット。
転院して今度は胚盤胞へのトライ。採卵数は減るわ「成長がとまりました」続きだわで、40歳を迎えたときは今のイルカさんと同じ心境でした。
息子妊娠の13回目は治療上は基礎体温をみたドクターが「いかん。ホルモンのバランスが崩れておる」と言い(胸中「何を今更言っちゃってんだろう」とつぶやいていた私)、前周期に低容量ピルとプレマリンを2週間内服。なんだかこんなに薬飲んじゃって大丈夫なの?と不安を抱え、採卵当日は咽頭炎になった夫まで抗生剤を飲みながらの最悪のコンディション。でも、それまでせいぜい2個だった卵が6個取れ、5個受精。2個が胚盤胞に育ち移植。
それでも、きっとこれは有終の美ってやつだなあ、と思っていた私は夫に海外旅行を提案。今まで治療を頑張ってお金使ってきたんだもの、これからは自分たちのために使おうよ、とモルジブ(新婚旅行で行った場所なんです)行きを計画してました。10年有効のパスポートを取り、旅行会社の吟味を始め、今思うと何か他の楽しみでつらいことを紛らわせる準備をしていたのかもしれませんが、その時は真剣に「これで終わり。これからは毎年海外旅行だ」ときっぱりあきらめた気分。
判定の日、「妊娠してるな。次、9日後に来て」と流れ作業的に言ったドクターに「はい。これで終わりにします。・・・・え?今なんて言いました?」と漫画のようなやりとり。もうパニックで、「先生9日後って何日ですか?今計算ができません」と情け無い質問までする始末。
よく、あきらめかけた時に妊娠する、と聞きますが、まさしく私はそんなタイミングでした。
治療中に読んだ本に、IVFでの失敗は「小さな死」の経験の積み重ねである、という内容がありました。私も流産、外妊の経験がありますが、着床しなくとも受精卵が出来た段階で私たちは生命の誕生を感じ、残念ながら着床しなかった時は、その命の死を感じる。産声をあげることのない小さな小さな細胞レベルの命だけれど、その経験が知らず知らずのうちに心の中で悲しみの経験になっている、という内容でした。
今振り返っても、不妊治療で本当につらかったのは身体的なことや経済的なことでなく、そうした小さな悲しみの積み重ね、心が疲れたことだったと思います。
ご主人の考え方、私たち夫婦に似ています。先祖の墓参り、私もしちゃいましたよ。主人の叔父が急死した時なんて、新盆にお線香あげに行って「私たちのところで良ければ生まれ変わってきてください」なんてお祈りしました。血のつながりはなかったけど、陽気で素敵な叔父だったので。何となく息子の笑い方似ている気がするんですよねえ。まあ、上には上がいるということで、頼もしいご主人と頑張ってほしいなあ、と思いレスさせてもらいました。
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えんどう豆さん
今は 育児に大変な反面 楽しさを感じていらっしゃると思います
やっぱり ご先祖様にお願いしていくことは 大切なんですね。昔に比べたら IVF や ICSIと高度な治療が出来 その恩恵で子供が授かるようになりましたが 100%ではないから 色々な面で しんどいですよね。
綿飴さん アネきょんさん ご懐妊おめでとうございます
わたしも 後に続きますね!! やっぱりみなさん 先祖のお墓参りや 心を運んでいくこと大切にされてるんですね。レスのあと 主人とはなしあって 休みの日に お墓参りにいくことになりました 実は 主人の両親は亡くなってて 主人と出会ったときにはもう 亡くなっていました もっと 両親に甘えて どうか 授けて下さいと 言っていけない 私は かわいくない嫁なんでしょうね。
できるだけのことをして IVFに望んでいこうと思います!
本当に皆さん ありがとうございました。